最期の晩餐
イツキとフィリップがレガート軍の馬車でヤマノ正教会に到着した時、ヤマノ領次期当主エルトは未だ到着していなかった。
イツキとフィリップは、先にヤマノ正教会のファリス(高位神父)の執務室を訪ね、ことの次第を説明しておくことにする。
時刻は午後7時前、ファリスのビタン52歳は、食事を済ませ夕べの祈りを捧げようと、執務室を出ようとしているところで、モーリス(中位神父)から突然の訪問者の報告を受けた。
「訪問者は、秘書官補佐のフィリップ伯爵と上級学校の学生だと?」
「はいファリス様、レガート軍の馬車で来られましたので、間違いないと思います」
「何事だろう・・・通してくれ」
レガート国の秘書官補佐がなんの用だろうかと首を捻りながら、ファリスのビタンはイツキたちを執務室に通した。
「ようこそフィリップ様。ヤマノ領で何か事件でも有りましたでしょうか?」
ビタン神父は長身の痩せ型で、銀色の瞳は慈愛に満ち、声色は優しく笑顔で挨拶をしながら、こんな時間に【王の目】のフィリップ伯爵が訪問してくる心当たりがないので、つい質問してしまう。
「ヤマノ侯爵が亡くなった。直ぐに鎮魂の鐘をならすように。間も無く次期領主のエルト様も、明日の葬儀の打ち合わせに来られる」
フィリップは淡々と事実のみを伝え、各教会、各家庭の夕べの祈りに間に合うよう、至急鎮魂の鐘を鳴らすように指示する。
「な、なんですと・・・ヤマノ侯爵が亡くなった?」
「そうだ。鐘は早く鳴らさないと明日の葬儀に間に合わない者が出る。急いでくれ」
「は、はい承知しました。しかしエルト様のご命令でなくても良いのでしょうか?」
あまりに重大なことなので、領主の死の確認もせずに鐘を鳴らすことを、躊躇してしまうビタンである。
「明日の葬儀に、ラミル正教会のサイリス(教導神父)ハビテ様は間に合いません。本来領主の葬儀は、サイリス様が行われた葬儀を本葬とする決まりですが、正午に行われる1回目の葬儀の前に、僕が午前中に本葬を行います。その事は、ヤマノ侯爵家とブルーノア教会だけが知っていればいいことです」
上級学校の制服を着た14歳のイツキが、黒い瞳を少し闇色に落としながら、ファリス(高位神父)に明日の葬儀の段取りを伝える。
どういう意味か分からない様子のビタンは、言葉に詰まった。
最近王都であるラミル正教会のサイリス様が交代され、今月中に挨拶の為ラミルに行く予定だったビタンは、サイリスの様の名前を知っている目の前の学生を、いったい何者だろうかと思案する・・・そしてサイリス様に代わり本葬を行うと言う少年に、思わず目をパチパチしながらじっと見つめる。
瞳を見た途端、ビタンは息苦しくなり跪きたい衝動にかられ、頭が重くなっていく。
『この重圧は何なんだ・・・?』
「我が名はリース(聖人)イツキ。ヤマノ正教会は務めを果たせ」
イツキは命令する。
表情は無表情だが、威圧感や重圧感が半端ないイツキに、ビタンは直ぐに跪き頭を下げた。そして自分の体がガタガタと震えてしまうが、止めることができない。
『これが……これがリース様のお力なのだ!』
「はいリース様、直ちに鐘を鳴らします」
ビタン神父は立ち上がると直ぐに、モーリス(中位神父)に鎮魂の鐘を鳴らすように命じた。
鎮魂の鐘は13回鳴らされる。
ヤマノ正教会の鐘楼は1つだが、鐘は2つあって同時に鳴らすことが出来る。
鐘の音は高過ぎず低く過ぎず、重厚で余韻を残しながら、ヤマノの街に鳴り響いた。
教会は礼拝堂に明かりが灯され、これより4日間消されることはない。
ヤマノ正教会は、ヤマノ侯爵邸とヤマノ上級学校の中間地点に在り、やはり小高い丘の上に建っていた。
こんな時間になんの鐘だろうかと思いながら、ヤマノ領の住民たちは鐘の音の回数を数える。そしてその回数が13回であると分かると、大きなショックを受けた。
ある者は泣きながら、ある者は信じられないまま、家の軒先にランプをぶら下げてゆく。光の輪が町中に広がっていき、人々は悲しみの中で喪に服す。
ヤマノ侯爵は、領民思いの優しい領主だった。
領民たちは、ヤマノ侯爵が病に臥せっていると知っていたが、48歳とまだまだ若いので、きっと回復すると信じていたのだった。
鐘の音は、ヤマノ正教会から町や村の教会へと繋がれていく。
そして、隣の町から隣の町へと伝わり、午後9時前後に伝わった教会は、日の出と同時に鐘を鳴らし、明日の昼までにはヤマノ領内全ての教会の鐘が鳴らされるだろう。
山などで聴こえ難い町や村へは、馬で知らせが走ることになっている。
13回目の鐘が鳴り終わる頃、エルトがヤマノ正教会に到着した。
エルトは遅くなったことを詫び、ファリスのビタンに挨拶をした。
エルトによると、上級学校を出ようとした時、ヤマノ上級学校の学生と、ヤマノ出身のラミル上級学校の学生の内、入賞した学生(貴族の子息のみ)たちから、領主からの褒美は何かと質問され、あまりの常識知らずに絶句しながらも、答えていたら遅くなったということだった。
「褒美については領主の喪が明けてから授けると答えると、自分は馬術で入賞したのだから、馬を頂きたいと言い出した学生がいて、あまりの態度に呆れていると、自分はラミル上級学校で執行部の副部長もしており、伯爵家の子息なのだから、当然の褒美であると言い張った。はぁーっ・・・直ぐにダレンダ伯爵家の息子だと分かったよ」
どっぷりと疲れた顔をしてエルトはそう言うと、その態度は最早、臣下という立場を微塵も感じさせなかったと、自虐的にハハハと笑った。
領主から馬を頂く・・・それは武功をあげ、領主を守り、特別の働きをした者が、領主から臣下の証として贈られるものである。
決して臣下から強請るものなどではない。
「呆れたな・・・まあいっそのこと、やると言ってやれば良かったんじゃないか?伯爵家の子息だから欲しいのだろう?貴族でなくなれば、やる必要も無くなる」
フィリップは無責任なことを言いながら、気の毒そうにエルトの肩をポンと叩いた。
「ハハッ……僕もそう思って、ヤマノ侯爵家の喪が明けた時、君が伯爵家の子息として相応しくあれば、必ず授けてやろうと答えておいたよ」
エルトはハハハと笑い、その寒い笑いを聞いたフィリップも、ハハハと重ねて笑った。
すぐ側で、領主の死の知らせを受けて悲しみを堪えていたビタン神父は、笑い合う2人に不思議なものを見るような視線を向けた。
その視線に気付いたエルトは、義父が亡くなったというのに、不敬な態度をとっているだろう自分たちの、冷めた笑いの真実を、ビタン神父に伝えなければと話し始める。
「申し訳ありませんファリス様、実は義父ヤマノ侯爵はまだ生きています」
「ええぇーっ!!!もう鎮魂の鐘を鳴らしてしまいました」
エルトのとんでもない話を聞いたビタン神父は、驚き過ぎて大声を出してしまった。
「しかし、朝までには亡くなります。本来亡くなる筈だった命を、僕が1日だけ神のお力で繋ぎ止めたに過ぎません。葬儀は予定通りに、そして悪人には神罰が下されるでしょう。ヤマノ侯爵は毒を盛られたのです」
イツキは、驚いて口を開けたままのビタン神父に真実を告げ、犯人の名は明かさないが、その後ろで操っているのはギラ新教であると伝えた。
「ギラ新教・・・ではヤマノ領内にギラ新教徒が居るのですね?」
「そうですビタン神父。ここから本当にブルーノア教会の真価が問われます。これ以上ヤマノ領の貴族をギラ新教徒にすることは出来ません。心を込めて祈りをお願いします。ではまた明日の朝」
イツキはビタン神父に別れを告げると、ヤマノ侯爵家の馬車に乗り替えて、フィリップと共に侯爵邸に向かった。
◇ ◇ ◇
イツキとフィリップは、ヤマノ侯爵邸に到着すると、少し遅くなった夕食を御馳走になった。
食堂には、とっくに夕食を済ませていた侯爵や夫人、カピラ、そして嫁ぎ先から報せを聞いて駆け付けた、長女のカリナと夫ガイバー子爵が居て、皆は食後のお酒やお茶を飲みながら時を過ごした。
次女のエテリアは、王都ラミルの侯爵家に嫁いでいて、訃報が届くのは明日の午後になるだろう。
本来であれば、今日の夕方訃報を報せる馬を王宮へ向かわせるのだが、ヤマノから王都ラミルまでは、早駈けの馬でも2日は要するのである。
そこで、当然ラミル上級学校から付いて来ていたハヤマ(通信鳥)のミムに、ことの次第を報せる手紙を持たせて、昼前にはヤマノ侯爵邸からラミル正教会に飛ばしていたイツキである。
正式なルートでの国王への報せは、ヤマノ領のレガート軍の基地から飛ばされる、軍所有のハヤマ(通信鳥)が行う。
軍のハヤマ便は、エルトの発表が夕方だった為、明日の早朝飛ばされ、レガート軍本部に届くのは夕方になるだろう。そして王宮へと報せが届く。
ちなみに軍のハヤマは、イツキが軍学校時代に育てたハヤマである。
ヤマノ侯爵は、最期になるだろう晩餐は、明るく和やかにしたいと望んだ。
先ずエルトが、今日の上級学校武術大会の剣の団体戦の決勝の様子を、興奮しながら語った。
「実は私、決勝戦は領主の為に用意された来賓席ではなく、こっそり立ち見席に潜り込んで観ていたんです。不思議なことに、観客たちは試合に熱中していたので、私が居ることを誰も気付きませんでした。なので、観客と一緒に大声で応援したり叫んだりして、大いに盛り上がりました」
「まああなた、その服装で誰にも気付かれなかったのですか?」
いかにも領主然とした服装の夫を見て、カピラは驚いた顔をして訊ねた。
「実は警備隊の者からマントを借りまして、ついでに御者から帽子を借りたら、誰も僕だと気付きませんでした。そう考えると、服装というのは中身とは関係なく、人を表すものだと気付きました。これからは、ちょくちょく変装して街に出てみたいと思います」
嬉しそうに語るエルトの話に、ヤマノ侯爵も負けじと参戦?してくる。
「私も若い頃は、よく変装して街に出たものだ。屋台で立ち食いしたり、喧嘩の仲裁をしたり、物価を知るために市場で買い物をしたり・・・いやー、あの頃は本当に楽しかった」
懐かしそうに柔らかく笑いながら、昔を思い出した侯爵は、若き日のやんちゃ話に花を咲かせてゆく。
「私は大変でございました。直ぐに私の目を盗んで出掛けられるので、あの頃まだ若かった警備隊長と、どれだけお探ししたことか」
ちょっぴり恨みごとを言いながら、家令のルーファスも参戦し、主のやんちゃの数々を暴露していく。
「おいおいルーファス、大体お前は無粋なのだ。私とリベールの結婚前のデートにも付いてきおって、せっかくのいいムードがぶち壊しだ」
「あらあなた、でも侍女長のイデルも同じように付いて来てましたわ。仕方がないので、私が貴方の手を握って走ってルーファスとイデルをまきましたわ」
「ではそんな昔から、お母様がお父様をリードしていたのですね」
カピラの突っ込みに全員が笑いだし、侯爵は少し赤くなって、久し振りのワインに少し酔ったようだと言い訳した。
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