上級学校対抗武術大会(7)
イツキの合図を見た若夫婦のカピラとエルトは、食事中のマナーとしては少々あれだが、そんなことには構わず椅子から立ち上がった。
「お父様、お母様、ご報告があります」
「どうした急に立ち上がって、お客様の前だぞ」
ヤマノ侯爵もリベール夫人も怪訝な顔をしながら2人を見る。
今は食事中だが、大事な作戦会議中でもある。しかも受け入れ難い程の事実にショックを受けたばかりで、侯爵夫妻の気持ちはどん底に落ちていた。
「先程イツキ医師の診察で、妊娠していることが判りました。出産予定日は11月の下旬か12月の初旬だそうです」
カピラは恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに、花が咲き誇るような可憐な笑顔で、喜びの報告をする。
「な、なんだって!」
ヤマノ侯爵は、新しく用意させたスプーンを持って思わず立ち上がった。
「まあ、まあ、何て素敵なことでしょう!」
リベール夫人は両手を自分の両頬に当て、目を大きく見開き既にうるうるきている。
「お義父さん、お義母さん、しかも、しかも男の子だとイツキ医師が仰いました」
エルトも満面の笑顔で報告し、何よりも義父であるヤマノ侯爵が逝く前に、喜びの報告が出来ることを、本当に嬉く思うエルトだった。
婿養子として大切な役目を果たせて、安心したのが本心だが、今日という日に判ったことを、心より神に感謝する。
「「「おめでとうございますヤマノ侯爵、リベール夫人」」」
エントン秘書官、キシ公爵、フィリップが立ち上がり祝辞を述べる。
「「おめでとうございます、御主人様、奥様、エルト様、カピラ様」」
使用人を代表して家令のルーファスと侍女長も祝辞を述べ、その場に居た使用人たちも「おめでとうございます」と頭を下げる。
「なんということだ!こんなに嬉しいことはない。これで我が侯爵家の未来も安泰だ。・・・いや、そうじゃない!その為には、この窮状をなんとしても解決せねばならない。そうだ!可愛い孫のために、自分に出来る精一杯のことをしてやらねば」
俄然遣る気と生きる気力を取り戻したヤマノ侯爵である。
「そうです侯爵。やりましょう!我々も出来る限りの手を尽くします。午後からは書類の作成や捕縛の準備。今後のヤマノ領の貴族についての決まりも作ってください」
エントン秘書官は笑顔で言いながら、元気が戻った侯爵の姿に安堵した。
食事中に大まかな作戦を説明した後、場所を会議室に移した一行は、食後のお茶を飲みながら、細かな作戦と領地内の貴族の勢力や繋がりを確認する。
明日には命が亡いであろう侯爵だが、そのことは当然のこととして話を進めて欲しいと侯爵が申し出たので、明日からの作戦に関しては、新領主であるエルトを中心に話を進めていく。
ヤマノ侯爵の心は穏やかだった。
作戦中は燃える魂で、思い残すことなくやり遂げる決意で仕事に打ち込んだ。
自分の領主としての人生の中でも、最も有意義な時間が過ごせたと言っても過言ではないくらいに。
昨日までの自分は、何も出来ず死を待つだけの抜け殻だった。
臣下の悪行に気付きもせず、ただ無惨に死んでいく運命だった。
でも今は違う。
生まれ来る命のために、精一杯に領主としての勤めを果たす……それがたった1日の時間であっても、悔いはない。
残してゆく者たちに幸せになって欲しい。
自分が居なくなっても、新しく産まれてくる命が、妻リベールにも若夫婦にも、使用人たちにも希望を与え、より頑張らせることだろう・・・
リース(聖人)イツキ様に与えて頂いた、1日・・・なんと長く短い時間なのだろうか。自分の人生の全てを懸けるに相応しい時間だ。
これが2日だったら、あれもしようこれもしよう……と欲が出て、果たされぬ思いに悔いが残っただろう。たった1日だからこそ、出来る精一杯なのだ。
『ああ神様。本当にありがとうございます。私は幸せの中で死んでいけます』
作戦と段取りを確認したところで、時刻は午後3時を回っていた。
ここからは、人員を適材適所に分けて活動していくことになる。
イツキは学生に戻り表彰式に出席し、エンターとヤンに予定変更を告げ、新たな作戦を練らねばならない。その後はヤマノ正教会で明日の段取りをして、再びヤマノ侯爵邸に戻ってくる。
キシ公爵は【奇跡の世代】を集めて、悪人を逃がさないよう万全の策を講じる。
エントン秘書官は、武術大会の会場でギニ副司令官に現状報告と、作戦変更と人員の確保を頼み、貴族の捕縛は罪状がはっきりしているので、レガート軍に任せる。
本来秘書官が率いている警備隊は、犯罪に荷担した貴族の屋敷の一斉捜索と、証拠隠滅の阻止を目的とする活動をさせる。これらは、当の犯罪者である貴族が、葬儀に参列するため屋敷を留守にしている間に行われる。
フィリップは基本イツキに付き従う予定だが、【王の目】を指揮して、ダレンダ伯爵とダッハ男爵の動きを探らせているので、予定に変更事項無しである。
「それでは僕と秘書官とフィリップさんは、これからエルト様の馬車で上級学校対抗武術大会に一時戻ります。エルト様は領主に代わり、表彰式で務めを果たしてください。そしてもっとも重要な役目をお願い致します」
「分かりましたイツキ君。僕はその場で、まだ亡くなっていない領主の病死を宣言し、領民に喪に服すよう命じます。そして明日の午後、ヤマノ正教会で葬儀を行うと告げます」
エルトは力強く言い、ヤマノ侯爵、リベール夫人、妻カピラの方を見る。3人は頼もしくなった婿と夫に向かって、頼んだぞと視線を送り頷いた。
皆が各々の戦いの準備で屋敷を出ていった後、ヤマノ侯爵は使用人を集めて自分の命が終わることを告げていた。
奇跡的に元気になった主の姿に……大好きなミートパイを美味しそうに食べれるようになった主の姿に……奇跡が起こったと喜んでいた使用人たちは言葉を失った。
しかし、悲しみの表情ではなく、尊敬する主が威厳を取り戻し、力強く指示を与える姿を見て、『泣いてはいられない。主のために最後まで精一杯尽くし、安心して旅立てるよう頑張らねば』と、皆の心は一致団結する。
明日から弔問に訪れる、悪人を含めた貴族たちや、豪商たち、たまたま上級学校対抗武術大会の応援にヤマノ領を訪れていた、レガート国中の貴族たちもやって来る。
領主の死である。当然の他の領主たちも弔問に訪れる。王都ラミルの貴族たちも来るだろう。この後1週間は毎日弔問客で忙しくなる。
どんな手抜かりも許されない。そんなことをしては、新しい領主となる優しいエルト様が笑い者になってしまう。
使用人たちには、使用人として、負けられない譲れない戦いが待っているのである。
「それでは僕は先に馬車を降ります。表彰式の後、ヤマノ正教会でお会いしましょう」
イツキはエルトにそう告げて、ヤマノ上級学校の手前で馬車を降りた。
イツキは自分達の計画を、大幅に変更せざるを得ないことになり、ブルーニとの決着の付け方をどうすべきか考える。
どう考えても、今夜から明日の午前までは、ヤマノ侯爵家の皆さんと行動を共にすることになる。自分が侯爵の最期を看取るのだから。
でも、考えてみたらブルーニやドエルたちも、当然明日の葬儀には参列しなくてはならないだろう。であれば、自分達も参列すると教えれば問題ない。
罪人であるダレンダ伯爵やダッハ男爵は、教会を出て領主の館に向かう途中で捕縛される予定だから、ブルーニたちとは別行動になる。そこで挑発すれば……いや、むしろ先方から仕掛けてくる可能性が高いだろう。
余所の領地の貴族の前で、自領の恥になるような捕縛劇を見せる訳にはいかない。
念には念を入れて、明日は自領の貴族以外の弔問は断る。
レガート国では、高位の貴族の弔問は、突然の死で混乱していることを考慮して、葬儀の翌日からが一般的であった。
教会で行われる葬儀への参列は問題ないが(寧ろ、教会の葬儀に間に合うことは、良い貴族、無理して駆け付けたとして喜ばれる)、弔問に関しては、葬儀の日は身内で過ごす、又は重責ある臣下だけが集まるのである。
イツキはあれこれ考えなが、明日の葬儀には貴族しか参列出来ないであろうから、子爵である自分と、伯爵であるエンター先輩、マサキ公爵家のヨシノリ先輩(恐らく両親と一緒に)、カイ領主の代理でインカ先輩の4人で参列することになる。
葬儀は正午から3度行われる。1度目は高位貴族と高位官僚のみ、2度目は領内の準男爵以下の貴族や豪商や役人や官吏が参列し、3度目は駆け付けて来た領地内外の貴族と有力者のみが参列する。
庶民は教会の外で祈りを捧げることになるが、一般的にはご遺体が埋葬されても、領主の死を悼む祈りは、領地内の教会全てで3日間(領地内に公布が行き渡る時間の関係で)は続けて行われるので、朝の祈りに始まり、午後の祈りでも庶民は領主様に祈りを捧げることが出来た。
イツキがヤマノ上級学校まで戻ると、ちょうど剣の団体戦決勝が行われようとしていた。
決勝戦は、ラミル校とキシ校の対戦となっていた。
どうやらヤマノ校の学生は、全員が強い訳ではなかったようだ。
とは言え、会場である体育館は既に入場さえ出来ない状態だったので、イツキは馬術の結果を見るために、成績が貼り出されている掲示板へと向かった。
すると偶然にも掲示板の前には、ラミル上級学校のヤマノ組(ルビン坊っちゃん、ホリーを含む)の皆さんが、勢揃いして大声で騒いでいた。
「おや?今日は補欠であるのにも関わらず、応援にも来なかったイツキ君じゃないか」
ルビン坊っちゃんが、乗馬の応援に来なかったイツキに対し、嫌味のように文句を言ってきた。
「まあ、君なんかの応援が無い方が集中できると思うが」
自慢気に気分良さそうなブルーニが言う。もちろんイツキの顔などまともに見たりはしない。どうやら良い成績が出せたようだ。
イツキは何も答えず、取り合えず乗馬の成績を確認する。驚いたことにブルーニは6位に入賞していた。
『良かった。これでブルーニは機嫌良く作戦を実行してくれるだろう』
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