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予言の紅星4 上級学校の学生  作者: 杵築しゅん
追う者、追われる者
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上級学校対抗武術大会(6)

 ベッドから起こすヤマノ侯爵の痩せた体は軽く、骨が浮き上がっていた。

 2年前から毒を盛られていたのだ、ずっと苦しかったに違いない。

 身体中のあちらこちらに鬱血した痕がある。


「最近のお食事は何をお召し上がりでしたか?好きな食べ物があれば、昼食でお出しします。午前中はゆっくり休まれてください。でも午後からは悪人退治が待っています。大仕事ですが侯爵様ならきっとやり遂げられるでしょう。昼前には隣の話し合いも終わると思います」


イツキはヤマノ侯爵の背中にクッションを充てながら、起こしたところで脈をとる。


「最近は口の中が痛くて殆ど食事が出来ず、味のないスープばかりを飲んでいた。そうだなぁ……もう1度妻と娘が作ってくれた、ミートパイが食べてみたいものだ」


そんなことは到底無理だろうと思う侯爵だが、昔を思い出して儚気に笑った。


「大丈夫です。きっと食べられますよ。ですからリベール様、これからミートパイをお願いできますか?香辛料が入っても大丈夫です。僕がこれから口の中の痛みを取りますので」


「ええぇっ?医師せんせいはそんな、そんなことまで出来るのですか?ですが主人は、味覚も無くしてしまっているんです」

「僕の力ではありません。少し神のお力をお借りするだけです」


リベール侯爵夫人が驚いた顔をして質問してきたのに対し、イツキはさらりと事も無げに答える。そして、侍女長が運んできたレモン水に、ポケットから取り出した緑色の小瓶の水を数滴入れた。


『エルドラ(リース)様、またお力をお借りいたします。どうか口の中の痛みの原因を治し、味覚が戻りますように』

 リース(聖人)エルドラは水を操る能力を持ち、イツキの為に白瓶(臭いを消す)、赤瓶(毒になる)、緑瓶(傷を治す)の3本の小瓶を持たせてくれていた。


 侯爵、侯爵夫人、侍女長の3人は、得体の知れない緑瓶に多少の不安はあったが、イツキが神のお力をお借りすると言ったので、何も言わず信じることにした。

 今侯爵が生きているのは、間違いなく目の前の少年のお陰なのである。


「さあ、この水を飲んでみてください。きっと口の中の痛みを取り、味も回復させてくれるでしょう」


イツキは安心させるように笑顔で、レモン水+緑瓶の水入りコップを差し出した。

 ヤマノ侯爵は、やや震える手でコップを受け取ると、ゆっくり、本当にゆっくりと水を飲んでいく。すると次第にレモンの味がし始めた。


「お、美味しい!レモンの味だ。リベール、レモンの味がする。それにしみないから痛くないんだ!」


侯爵は驚きと喜びの表情をして、コップを眺めたりコップの中を覗いたりしている。


「ああ、あなた……なんて素敵なんでしょう。神様ありがとうございます。イツキ医師せんせいありがとうございます」


リベール夫人は、大粒の涙をポロポロと溢しながら、イツキに向かって深く頭を下げた。夫人と一緒に侍女長もハンカチで涙を拭いながら、深々と頭を下げる。

 ヤマノ侯爵は少しずつ活力が出てきたようで、フーッと満足そうに息を吐き、クッションから身を起こしてイツキの方に体を向けて話し始めた。


「イツキ医師せんせい、私は明日には居なくなる人間です。何もお礼が出来ない上に、このようなお願いをするのは心苦しいのですが、どうぞ貴方の、あなた様の本当のお名前をお訊かせください」


ヤマノ侯爵の瞳は真剣だった。死にかけた命を繋ぎ止め、今までずっと苦痛だった口の中の痛みが嘘のように無くなった。どんな名医でも、そんなことが出来る筈など無かったのだ。

 イツキはフッと鼻から短く息を吐き、優しく微笑むと迷いなく答えた。


「私の本名は名乗れませんが、今使っている名前はキアフ・ラビグ・イツキです。キシ公爵より子爵位を賜りました。そしてもう一つの名前は、ここにいらっしゃる3人の胸にだけ仕舞ってください。御約束頂けますでしょうか?」


イツキの問いに3人は、姿勢を正してコクコクと頷く。


「私のもう一つの名前は、ブルーノア教会名で、リース(聖人)イツキと申します」


イツキの言葉に続き、フィリップが直ぐ側で最上級の礼をとる。


「「「ええっ!リース様!」」」


驚き過ぎた侍女長はその場で腰を抜かしかけた。夫人は椅子から立ち上がりおろおろし、侯爵は飲み終えたコップをベッドから落とした。だが幸運にも厚い絨毯が敷いてあったので、コップは割れることはなかった。

 暫し呆けたようになっていたが、直ぐに正気に戻り最上級の礼をとった。

 ベッドから下りて礼をとろうとするヤマノ侯爵を、イツキは笑って「そのままで」と言って止めた。そして夫人と侍女長の礼を解いた。


「それでは、これまでのことは【神の奇跡】だったのですね」


全てに合点のいったヤマノ侯爵は、自分の人生の最後に【奇跡の人】であるリース様に御逢いできた幸運に、喜びの涙を流して神に感謝申し上げた。

 リース(聖人)、それは死ぬまでに1度でも会えたら本望。いつお迎えが来ても後悔なしと言われている、信者にとって雲上の人であった。


「ああ、ありがとうございます。それでは、バルファー王もキシ公爵も秘書官も御存じの上で、リース様を連れて来て頂いたのですね?」


「う~ん、実は現在僕は、ラミル国立上級学校の学生もしていて、ヤマノへは選抜選手として来ていました。今朝になって急にキシ公爵様から呼ばれて……」


バルファー王も他もメンバーも、侯爵が毒を盛られているかもしれないと疑惑を抱き、様子を確認しに来ただけであって、まさか瀕死の状態であるとは思ってはいなかった。イツキは少し困った顔をしながら、笑顔でそう答える。


「なんと!それでは私の為に大事な試合を欠場されたのですか?」


ヤマノ侯爵は顔色を変え、リース様に何てことをしてしまったのかと慌てた。


「イツキ様は、昨日槍の団体戦で大将を努められ、見事優勝されました。本日は昨日の試合で軽く手首を痛められた為、応援されるご予定でしたので問題ありません。昨日の見事な槍の大将戦を、ヤマノ侯爵様にもご覧にいれたかった程です」


「あれ?フィリップさん昨日の試合を観てたの?」

「当たり前です!」


 イツキはハハハと薄く笑って、フィリップの自慢話に恥ずかしそうにはにかんだ。


「それでは侯爵様、僕は邸内の様子を警備隊長と見回ってきます。バルファー王は、この機会にヤマノの大掃除をされる予定です。全てお任せください」


「イツキ様、全ては私の力不足が招いた失態、如何様な処分も受け入れます。やはりヤマノ侯爵家の存続は難しいのでしょうか?」


ヤマノ侯爵は唇を震わせながら覚悟を決めた顔で、訊き難いことをイツキに訊ねてみた。夫人も侍女長も下を向いて神妙にしている。


「侯爵様、私のことはイツキ君とお呼びください。それからヤマノ侯爵家は被害者ですから、何の処分もないと思います。詳しいことは秘書官から説明を聞いてください。ヤマノ侯爵家の敵でもあるギラ新教徒は、レガート国の敵でもあり、ブルーノア教会にとっても敵なのです」


イツキの【敵】という言葉には力が隠っていた。イツキは処分はないと思うとニッコリ笑って言うと、間もなく旅立つ侯爵を安心させ、部屋を後にした。

 侯爵、夫人、侍女長は、安堵の息を吐き、両手を胸の前で組むと、イツキが出ていったドアに向かって、神に感謝の祈りを捧げ涙を流した。




 イツキはフィリップと警備隊長を連れて、ヤマノ邸の様子を視て回った。

 当然イツキの目は悪人を逃す筈もなく、黒いオーラを出していた2人の男を捕らえさせた。


「警備隊長、厳しく調べてくれ。誰の手の者かを必ず吐かせろ、吐かなければ家族全員を捕らえると脅せ。それでも吐かなければ【王の目】の拷問が待っていると言え」


「了解しましたフィリップ様。あのう……旦那様と侯爵家はどうなるのでしょうか?」


警備隊長もこれから先のことが心配なのだろう。他の使用人たちも心配そうにおどおどしながら働いていた。どうやら我々が、ヤマノ侯爵を罰する為に来たのだと勘違いされていたようだ。


「警備隊長、侯爵は被害者だ。ただ問題なのは加害者が領内の臣下である為、自らが責任を持って罰する必要がある。その為には邸内で働く者が一丸となり、罪人を許さず、新しい領主を助け粉骨砕身お仕えしなければならない」


フィリップは淡々と、しかし怒りを込めて、警備隊長に今後とるべき行動をアドバイスした。そして処罰が無いことを伝え安心させた。


「ありがとうございますフィリップ様。お言葉身に染みましてございます。我ら使用人一同、必ずや主をお支えし2度と悪事を働く者を雇わず、命に替えてお守り致します」


警備隊長は軍礼をとり、深く頭を下げて感謝の言葉と誓いを立てた。




 そうこうしている内に昼になり、イツキたち(イツキ、フィリップ、キシ公爵、秘書官)は、起き上がり動けるようになったヤマノ侯爵、リベール夫人、若夫婦の8人で、一緒に昼食を食べながら作戦会議をすることになった。

 ヤマノ侯爵家の使用人たちは、秘書官様やキシ公爵様、王の目のフィリップ様、そして医師であるイツキが、ヤマノ侯爵家を助けに来てくれた恩人であるとリベール夫人から聞かされ、最上級のおもてなしをするよう命じられていた。


 命じられなくても、当然そのつもりの使用人たちである。

 警備隊長より、主に毒を盛った犯人や裏切り者が4人も居たこと、また、フィリップの言葉を伝えられた使用人たちは、悔しさと後悔と情けなさで涙したが、2度とこのような失態をすまいと皆で誓い合っていた。

 

 席には着いていないが、当然家令ルーファスも立ったまま作戦に参加している。

 侍女長も心からの給仕をしながら、決して聞き漏らすまいと聞き耳を立てている。


 先ずは何も聞かされていないヤマノ侯爵の為に、ギラ新教についての話から始められ、ギラ新教徒の特徴である【貴族至上主義】について、今回の犯人が誰なのか、そしてそれを操っていたのが誰なのか、予想される犯人たちの目的について、秘書官とキシ公爵から説明された。


 愕然とするヤマノ侯爵とリベール夫人・・・

 特にリベール夫人は、ダレンダ伯爵は善い人だと思っていた分、裏切られたショックが大きく、せっかく自らが焼いたミートパイを殆ど残していた。


 当然のことながらヤマノ侯爵の怒りは大きかった。

 国務大臣と親戚であることを、やたらと表には出していたが、まさか自分ばかりか娘婿まで狙われていた事実に、顔面蒼白になりスプーンを床に落としてしまった。


 イツキはカピラと隣に座る夫エルトに向かって、事前に決めていた合図を送った。

 このままでは、せっか繋いだ侯爵の命が、短くなってしまいそうだったのである。


いつもお読みいただき、ありがとうございます。

体調も順調に回復中です。

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