上級学校対抗武術大会(3)
イツキたち一行が玄関で出迎えを受けていると、若い女性の悲痛な叫び声が邸内から聞こえてきた。
「お嬢様どうされたのです?旦那様がどうかされたのですか?」
落ち着いた様子だった家令は、慌てて令嬢の方に視線を向け質問する。
「お父様が、息が、息が出来ないと苦しみ出されて・・・お医者様を早く……」
そう言い終わる前に、カピラはフラフラと階段下で倒れそうになる。
イツキは突然走り出すと、倒れそうになるカピラを抱き抱えて、ゆっくりと側の椅子に座らせ、家令に主の部屋の場所を訊ねた。しかし返事はない。
「私は医者です。早く案内してください!」
戸惑う家令を一喝するようにイツキは叫ぶ。
「間違いない、イツキ子爵は医師であり薬師だ。私が保証する」
突然とんでもない場面に遭遇したが、イツキたちは全員冷静だった。秘書官がイツキは医師であると告げても、まだ戸惑っている家令に、「しっかりしろ!」と今度はキシ公爵が怒鳴った。
「はい、こちらでございます」
家令はキシ公爵の言葉で覚悟を決めたのか、急いで階段を駆け上がっていく。
家令を追うイツキの後ろを、皆も付いて駆け上がる。
「フィリップ、両隣の部屋に不審者が居ないか調べてくれ、もしも誰か居たら誰でも例外なく捕らえておけ」
イツキは前を向いて走りながら、直ぐ後ろに居るフィリップに指示を出す。
「承知しました」
フィリップは、アルダスや秘書官と目配せをして頷き合う。
「秘書官、申し訳ありませんが、2階のこちら側に誰も近付けないでください」
「承知した。部屋も確認しておこう!」
秘書官は、そう返事をした場所から各部屋を確認し始める。後ろから付いてきていたヤマノ侯爵家の使用人たちは、慌てて止めようとするが、「私は国王の秘書官だ!全員動くな。動けば反逆者とみなす!」と叫んだので、全員ピタリと動くのを止めた。
そして2階には誰も上がってはならないと命令し、残りの部屋を確認する。
今居る南向きの2階は、侯爵の家族が使っているスペースのようで、2階の他の部屋も来客用の部屋だったり、執務室だったり、図書室だったりと、家令以外の使用人の部屋は無かった。
イツキが部屋に飛び込むと、部屋にはベッドに横たわるヤマノ侯爵と、その側に婿のエルト、奥方と思われる上品な女性は、侯爵の手を握ってしきりに名前を呼び掛けている。もう一人、侍女長らしき年配の女性が居た。
イツキは直ぐに銀色のオーラを身に纏い、悪意ある者が居ないかを確かめる。
「旦那様、大丈夫ですか?お医者様です。お医者様をお連れしました」
家令は主人の元に駆け寄り、直ぐにイツキを主の元へと通す。
奥方も婿も侍女長も、ポカンと家令の方を見て、隣に立つイツキに気付くと、あからさまに怪訝な顔をした。
「お久し振りです侯爵婦人、エルトさん。彼は優秀な医師です。とにかく診察を」
「キシ公爵様!」
イツキの後から部屋に入って来たキシ公爵を見て、侯爵婦人もエルトも侍女長も慌てて礼をとる。こんな緊急な時であっても公爵と侯爵とでは立場が違うのだ。
イツキは悪意のある者が居ないことを確認すると、殆ど息をしていない侯爵の脈をとり、呼吸を確認し胸の音を聴く。口を開けて喉の詰まりを確認すると、こうなるまでの経緯を婦人に訊ねる。
訊きながら心臓マッサージをするイツキは、これはもう助ける方法がないと判断する。
フーツと大きく深呼吸をすると、首に掛けている琥珀のペンダントを取り出す。
「奥方様と執事さん、キシ公爵以外は至急部屋から出ていってください!」
イツキはそう低い声で指示を出すと、承服しかねている残りの2人を睨み付けた。
「時間が無いんだ!早く出ていけ!」
イツキらしくない怒鳴り声に、キシ公爵もその声を聞いた秘書官もフィリップも驚く。そして、ことの緊急性を理解し、指示に従うように2人を追い出す。
イツキは何の説明も無しに、琥珀のペンダントをヤマノ侯爵の胸の上に置き、癒しの能力【金色のオーラ】を身に纏い始める。
ヤマノ侯爵は白く軟らかいシャツを着ていた。恐らく寝間着のままなのだろう。顔色は既に白く所々鬱血している箇所が見られる。
『助けられても一時的なものになるだろう・・・』
イツキはそう予感しながら【神に捧げる祈り】を捧げ始めた。
キシ公爵が膝をつき正式な礼をとり祈り始めると、奥方も家令も慌てて礼をとる。
そして医師と名乗った少年が、サイリス(教導神父)以上の神父でなければ捧げられない、【神に捧げる祈り】を唱え始めたことにより、家令も奥方も何が何だか分からなくなっていた。
しかし、その透き通る清らかな声、突然部屋の中の気が清み始めるのを感じると、「神父様なのだ」と理解し、必死で神に祈り始めた。
イツキも【金色のオーラ】を全開にしながら、懸命に神に祈る。
祈り始めて5分、ヤマノ侯爵以外の全員が涙を流し始めた。
イツキは祈りの途中で、ブルーノア語を使って何かを必死に唱えていく。
それは祈りと言うより、言葉の羅列のようであった。
琥珀のペンダントが徐々に輝き始めると、イツキの声も大きくなった。
輝きが眩しい光になった途端、イツキの声は別人の声に代わっていた。
「命ある限り死は訪れる。この者の魂に1日の猶予を与えよう。偽善者の微笑みに騙されず、真実を明かす役目を2人に与える。新しい命のために全てを懸けよ」
イツキは琥珀のペンダントを左手に取ると、【神に捧げる祈り】の最後の章を唱えながら、左手をヤマノ侯爵の口の上に移動した。
「うぅぅっ……」と小さく呻き声が聞こえて、ヤマノ侯爵はゆっくりと目を開けた。
しかし、まだしっかりと意識は覚醒していないようで、言葉を発することも動くことも出来なかった。
「残念ながら、ブルーノア様が与えられた時間は長くありません。することはたくさんあります。私は医師として付き添います。お2人はキシ公爵と秘書官の指示に従ってください。今、この危機を何とかしないと、このヤマノの未来は無いでしょう」
イツキは祈り終わると、琥珀のペンダントを再び首に掛け、3人の礼を解かせた。
「旦那様!」「あなた!」と左右の手を各々握って、家令と奥方は主に声を掛ける。
◇ ◇ ◇
上級学校対抗武術大会は、各会場で大変盛り上がっていた。
特に剣の個人戦は、既に他種目で出番を終えた選手たちも応援に駆け付け、家族や卒業生、観戦者を含めあちらこちらで声援と歓声が起こり、熱気に包まれている。
特に観客席に来賓として招かれていた、レガート軍ナンバー2であるギニ副司令官が座っていたので、選手たちにも力が入るのは当然だった。
《王宮の貴公子》と呼ばれている王宮警備隊のヨム指揮官は、王宮警備隊の部下数人を連れて、槍の個人戦を観戦していた。ヨム指揮官目当ての女性の観戦者が多いのは、いつものことである。
《策士ソウタ》と呼ばれているレガート軍のソウタ指揮官は、軍の採用担当者を連れて、馬術の観戦をしていた。
2人共優秀な選手を確保しようと、真面目に仕事をしている……感じに見えているが、心の中は全く違うことを心配していた。
実は昨日午後ヤマノ入りした2人は、遅れてきた秘書官から信じられない情報を聞いていたのだ。
「もしかしたら、ヤマノ侯爵は毒を盛られているかもしれない。リバード王子に毒を盛った王宮医師(既に死亡)の妹が、ヤマノ侯爵邸で働いている」と。
秘書官は、【王の目】と【治安部隊】の両方から上がってきた情報なので、間違いないだろうと言いながら、明日様子を確認しに行くと打合せで話していたのだった。
昨夜の打合せは、キシ公爵のヤマノ領にある別邸(隠れ家)で極秘に行われていた。
別邸に集まったのはキシ公爵・秘書官・ギニ副司令官・ソウタ指揮官・ヨム指揮官・奇跡の世代5人の、合計10名で、各々バラバラに集合していた。
フィリップはイツキの近くのホテルで、【王の目】の数名と確認作業をしていた。
レガート技術開発部のシュノー部長は、ヤマノ上級学校を表敬訪問し、校長や学校関係者に接待されながら、学生たちの様子を探っていた。
イツキがブルーニやドエルと決着を着けようとしていたのと同時に、エントン秘書官とギニ副司令官も、敵であるギラ新教徒の貴族を追い込もうと、計画は順調に進んでいたのである。
各々が各自の役割を果たす中、いよいよ明日は最後の仕上げの予定だった。
しかし思わぬ展開で、急遽ヤマノ侯爵の安否確認が必要となったのである。
ギニ副司令官の眼前では、剣個人戦の3回戦の2試合が開始されようとしていた。
1組はラミル校執行部のヤン。対するはヤマノ校の学生であった。
もう1組はラミル校剣代表のエンター。対するはキシ校の学生だった。
「君はブルーニ様と同じ執行部らしいな……生意気な後輩に苦労させられていると仰っていたが、お前のことか?」
ヤマノ校の選手は185センチ以上の長身で、向き合うなり敵意丸出しで話し掛けてきた。それなりに強そうだとヤンはみた。
「違うと思うぜ。ブルーニ先輩は執行部の仕事など、真面目にやったことないから、どちらかと言うと俺は助けてる方だからな」
もしかしたらブルーニの手下?かもしれない相手に、ヤンは強気の言葉で応対する。
「本当に生意気な奴だ!痛い目をみれば、少しは大人しくなるだろう」
ヤンの対戦相手は、今大会の優勝候補の1人と言われる男だった。
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