イツキ、ガツンとやってみる
上級学校の1時限の授業時間は、70分である。
午前は8時20分から始まり、休憩時間を10分挟み3時限まであるので、午前中の授業は12時10分に終わる。
現在2時限目の授業の歴史が60分を過ぎた辺りで、学生たちには妙な緊張感が漂っていた。
ルイス先生が、授業の合間に質問を繰り出し、きちんと答えられなかった学生の名簿(閻魔帳)の、チェック欄ににバツを書き込み、3つバツが付いた者にはヤル気なしとして、レポート提出のペナルティを与えると告げたからだ。
あと10分で終わるというところで、ルイス先生はイツキに質問を繰り出した。
「1096年と1097年に、ハキ神国がカルート国に侵攻したが、その結末と、その後の条約を知っているかい?遅れて入学した1番後ろの席の学生。悪いが名簿に名前すら載っていないので、名前を大きな声で言ってから答えてくれ」
ルイス先生は、中級学校を卒業していないイツキを、虐め易いとターゲットに決めたようで、授業の終わりが近付いてきた時間に、仕上げに泣かせようとでも思ったのか、左の口角を上げてニヤリとしながら質問した。
「ルイス先生、今の質問はどういうことなのでしょうか?先のハキ神国のカルート国侵攻のことなど、教科書には載っていません。もしかして虐めですか?」
いきなり立ち上がって発言したのは、首席合格していたナスカである。教科書には載っていないと言うからには、既に教科書を読破したということだろう。
当然教室内の学生もルイス先生も顔がひきつっている。
これは明らかに、教師に対する暴言と捉えられても仕方ないかもしれない。
人間観察中のイツキは、『どうやら彼は悪が……いや理不尽なことが許せない性分のようだ』等と思いながら、よっこらしょと席を立った。
このままにしておくと、自分を庇ってくれた友にバツが与えられてしまう。それはイツキにとって不本意なことなので、怒りで震えているルイス先生が口を開く前に、いつきが答えることにした。
「ルイス先生、僕の名前はキアフ・ラビグ・イツキです。先程の質問にお答えします。お許し頂けるなら、もう少し前に出て答えたいのですが。答えがよく聞こえない学生がいたらいけないので」
「何を言ってるんだあいつ・・・」
「やっぱりバカなんだ」
「やめろ!これ以上先生を怒らすな」
最後に小声で文句を言ったのは、イツキの前に座っている、このクラスで自分が1番偉いと思っているルビンの声だった。
「いいだろう!折角だから教壇で答えたまえ。それからもう1度名前を言ってくれるかな、2度と聞くことも質問することもない名前だとは思うがな」
『どうやらルイス先生は、次からの授業に僕を出席させたくないようだ。でも残念ながら、僕には学ぶ権利があるはずなんだよね』
イツキは、前髪で表情が分からないのをいいことに、凄く嬉しそうな顔をしながら、階段を降りていく。
そして教壇の上に立つと、学生たちの方ではなく、徐に後ろを向き黒板に自分の名前を書いていく。書き終わるとゆっくりとルイス先生の方を向いて言った。
「もしかしたらこれからも、名前を呼ぶことがあるかもしれないので、きちんと名簿に記入しておいてください」と。
学生たちは、呆れたと言うか、なんと言うか……なんて心臓の強い奴なんだと驚きながら、目をパチパチさせイツキの行動を見ている。
「そんな大口は、問いに答えてから言いたまえキアフ君。君はキシの出身のようだから、大目に見て貰えるとでも思っているのかね?」
ルイス先生は、銀縁の眼鏡の真ん中を、左手の中指でクイッと上げながら、その瞳は怒りに燃えていた。
「結末だけを答えるなら、1096年の時は、疫病騒動でハキ神国は撤退し、カルート国はレガート国にロームズの町を謝礼として渡しました。1097年の時は、カルート国はハビルの街に大きな打撃を受けました。レガート軍はロームズの町だけを守り、ほぼ被害はありませんでした。ハキ神国軍は、レガート国領のロームズの町を手に入れるため、近くのビルドの町を攻めようと、ランドル山脈から侵攻し、魔獣に襲われ撤退しました。その間にレガート軍がハビルの街を取り戻しました。結局ハキ神国は、ハビルの街から奪った物を、半分だけ持ち帰りましたが、領土を手にすることは出来ませんでした。結ばれた条約は20年間の不可侵条約です」
「 ・ ・ ・ 」
すらすらと言い淀むことなく語られた回答に、ルイス先生も教室中の学生も、誰1人として声を発する者はいない。
何故なら、軍の正式発表よりも詳しい内容を答えたからで、その正式発表すら知らされていない学生たちとは違い、ルイス先生は、まさか答えられると思っていなかった奴が、自分より詳しいことを知っているショックの方が大きかった。
「当然ご存知だと思いますが、2度目の侵攻の時カルート軍は、800人の兵を失いましたが、ハキ神国軍は何人の兵を失ったか、先生なら勿論答えられますよね?」
「ハキ神国軍の失った兵の数だと?」
ルイス先生は暫く考える振りをしていたが、元々知らない情報である。答えられる訳がない。
「あれ?ご存じ無いのですか?残念ですね・・・まだ正式発表はされていませんが、ハキ神国軍が失った兵は400人です」
静まり返った教室の中で、1人だけ冷静になっている人物がいた。
「いやいやキアフ君、正式発表もまだなのに、どうして君が知っているの?」
「そそ、そうだ!嘘を言っても、いずれ分かるんだからな!」
冷静に質問したナスカに被せるように、残念なルイス先生が叫んだ。
どうして知っているのかって?それは、その場に居たからだ……とは答えられないイツキである。
「嘘?どうして嘘だと決めつけるのですか?僕は今日、上級学校まで馬車で送って頂いたのですが、一緒に乗っていた方から伺ったのです」
「一緒に馬車に乗っていた?軍の誰かか?」
ルイス先生は、怪訝な顔をしながら、思考を集中させる。自分でさえ知らないことを答えたイツキに、驚きと同時に得体の知れない不気味さを感じ、嫌な予感さえしてきた。
「そうですね。軍の方も乗っていました。お1人は私の主であり、最初の侵攻の時に援軍の指揮をされていました。もう1人の方は、2度目の侵攻の時に全軍の指揮を執っておられたはずです。それなのに、僕の答えを嘘だと決めつけるのでしょうか?」
イツキは、馬車に同乗していたのが誰とは言わないが、それくらいは誰でも知っているだろうと思い、有名な2人の名前は伏せた。
みるみるルイス先生の顔色が悪くなっていく。イツキの顔を、憎悪の視線で見てから、何も言い返せない悔しさで、右手が小刻みに震えている。
『成る程、ガツンとやると、こういう反応になるのか・・・』
2時限目の鐘が鳴る1分前、折角だから、もう1つ言っておかねばと口を開いた。
「それからルイス先生、皆さん、僕のことはキアフ君ではなく、イツキ君と呼んでくださいね。僕は子爵家当主なので」
にっこりと上品に微笑んだイツキだが、残念ながら前髪が邪魔で、いつもの怖い微笑みは披露できなかった。
〈 〈 カランカラン 〉 〉
結局ルイス先生は、何も反論できないまま、バツもつけずに教室を出ていった。
「あっ!挨拶を忘れていた」
呆然としているクラスメートとは違い、クラス代表として現実に戻ったナスカは、号令をかけ忘れたと言いながら、満面の笑みでイツキに握手を求めた。
イツキも笑顔で答えて(口元は笑って見えた)、「よろしく」と手を取り握手した。
イツキとナスカ、生涯の親友が誕生した瞬間だった。
「おいイツキ、お前何者なんだ?キシ公爵とギニ副司令官と相乗りできるなんて?」
ナスカの質問に、回りに居た学生たちも寄ってくる。今度はそっと耳をそばだてるのではなく、興味津々な感じで堂々と寄ってきた。
「イツキ君て子爵様なんだ。子息ではなくて当主なんだね、驚きー」
「なんだかスキッとしたよ!ルイス先生はいけ好かないよねー」
同時に色々な言葉がイツキに掛けられる。
どうやらガツンと言ったのが効いたようで、いつの間にかクラスに受け入れられていた。
見た目はあれだが・・・弱い人間ではないと示せたようである。
「ああ、馬車の話し?あれはキシ公爵様が、愚図な僕に見かねて、偶然ラミルに帰られる便の馬車に、無理矢理……いや拷問のように乗せられたんだ。生きた心地がしなかったよ。ふうっ」
イツキは大袈裟に息を吐きながら、とても辛かった素振りで肩を落とした。
「そりゃそうだ!俺なら緊張して吐くかもしんない」
「でもちょっと羨ましい気もするな……」
ナスカの吐くかも発言の後で、他の奴が羨ましい発言をし、数人が同意してコクコクと頷くので、イツキは泣きそうな声で言った。
「あんな怖い思いは、2度としたくない!僕は2日間、体が弱すぎだとか、子爵としての自覚がないとか、俺に恥をかかせるなとか、ずっとずっと怒られていたんだ。生きていたのが不思議なくらいの恐怖だった・・・」
ちょっと鼻も啜りながら涙声で話し、ブルブルと震えて自分の体を抱いた。
半分くらいは真実だから、ここは許して貰おうと思うイツキだった。
その場に居たナスカたちは、想像してみると確かに恐怖と言うより、災難に近かったかもしれないと思い、イツキに同情(憐れみ)の視線を向けた。
「ドンマイ」
と言って、ナスカがイツキの肩をポンと叩いたので、側に居た全員が笑った。
3時限目の外国語(カルート国語)の授業は、何事もなく過ぎた。この時の先生は、イツキが途方もなく難しい入学試験で満点を取ったことを知っていた。
そして昼休み、入学早々事件が起きた(巻き込まれた)のは、昼食後に教材を取りに行こうと、ナスカを伴って教員室に向かう途中の廊下だった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
あの素直で可愛いイツキは何処へ……と思われている方はごめんなさい。
これからまだまだ成長するイツキを、応援していただけたら嬉しいです。