初めての授業
教室のドアを開けると、1時限目を終えた教師に、学生達が挨拶をしているところだった。
1時限目の教師は、ポート先生と軽く挨拶をして教室を出ていった。
教室内に居た学生30人の冷たい視線が、容赦なくイツキに向けられる。
「遅くなったが新しい仲間を紹介する。2時限目から授業に参加するので、仲良くするように。では自己紹介をしなさい。それから、教材は昼休みに僕の所に取りに来なさい」
ポート先生は教壇を降りて、イツキに教壇へ上がって自己紹介をするよう促す。
「キアフ・ラビグ・イツキです。キシから来ました。体調が優れず入学が遅れましたが、これからよろしくお願いします」
イツキは軽く頭を下げた。キシ公爵から、貴族の当主は余程のことがなければ、頭を深く下げてはならないと、厳しく指導されていたのだ。
深く頭を下げるのは、正式な場で自分より高位の貴族や、王族に会った時だけでよいと。卒業後社会に出たら、上位の官職者に対しても礼をとるが、学生のイツキにはまだ関係ない……はず。
イツキの名前を聞いた学生達から、ヒソヒソとざわめきが起こった。それはイツキの出身がキシであったこと、それとキシ公爵家直系の臣下である証の、《グ》の称号が名前に入っていたからだ。
休憩時間中だったので、イツキは短く挨拶をして、1番後ろの席に向かった。
教室の様子は、1番前に教壇があり、大きな黒板が設置してある。
学生の机は、1席に3人は座れる長机と長椅子がセットになっていて、後ろに行くほど1段ずつ上がっていく、階段式になっている。現在は1席を2人が使っている。
1段毎に3セットあり、階段は6段あるが、1番後ろは荷物入れの棚があるので、1セットしか置かれていない。
イツキの座る場所は、必然的に最後尾しか空いていなかった。
窓の無い6段目は、少し薄暗く黒板が遠いので、居眠りするのには良いが、真面目に勉強したい者には、やや不利である。
不良っぽい人間なら、好んで1番後ろに座りそうなもんだが、まだ入学して数日しか経っていないので、皆真面目に勉強する意思を、教師にアピールしているのだろう。
「君ってさあ、試験は受けたの?」
突然前の席に座っていた、グレーの髪にグレーの瞳、いかにも俺様は貴族の中の貴族という雰囲気の奴が、挑戦的にイツキに話し掛けてきた。レガート国の貴族の大半が、グレーの髪にグレーの瞳である。
鬱陶しく伸びた前髪が顔の半分を覆っている、何処から見ても貴族の子息には見えない、残念なくらい冴えない新入りに、完全に上から目線で、ニヤニヤしながら探りを入れてきた。
「もちろん受けたよ。僕は試験日に国外にいたので、特例として試験を受けさせて貰えたんだ」
イツキは媚びることもなく、ごく普通に答える。成る程、これが貴族ばかりの世界しか知らない、お坊っちゃんの典型的なタイプなのだと、イツキは心の中でクスリと笑った。
上級学校に到着するまでの2日間、キシ公爵とギニ副司令官という2人の先輩に、これでもかと言う程に、学生達の実態や考え方を叩き込まれていたイツキである。
「フーン、それで君の家は男爵?まさか子爵だったりするのかなぁ?」
「子爵ですが……それが何か?」
イツキの答えを聞いた男は、嬉しそうにニヤリと笑うと、自己紹介を始めた。
「俺の名前はルビン・ナム・シンバス。出身はヤマノ。父上は伯爵だ。俺は次男だが兄より優秀だから、伯爵家を継ぐ可能性もある。ヤマノは国務大臣マローン様の出身地でもある。キシ公爵が、王様に少しくらい気に入られているからと、偉そうに出来ると思わない方がいい!」
ルビンはお洒落にカットした前髪を、サラリと掻き上げて、挑発するかのように言った。
『成る程、これがキシ公爵様が言われていた、このクラスの中で自分こそが1番だと思っている奴が、必ずわざわざ知らせに来る……と言うやつなんだな……フムフム』
ふと気付くと、クラス中の視線が集まり、聞き漏らしてはならないと、皆耳をそばだてている。
〈〈 カランカラン 〉〉
そうこうしている内に、2時限目の開始の鐘が鳴った。
軍学校以来の久し振りの授業に、新しいことを学べる期待半分、既に学び終えている内容の方が多いだろうと、諦めの気持ち半分のイツキは、暫く人間観察をしようと決心し、ドアを開けて入ってきた教師に注目した。
2時限目は歴史の授業である。
入ってきた教師の年齢は30代前半くらいだろうか……金髪を短く切り揃えていて、体型は中肉中背である。特徴は眼鏡で、銀を使ったフレームはよく磨かれて輝いていることから、神経質そうだと推測する。
「おはよう、君たちに歴史と地理を教えることになった、ブニエル・フィン・ルイスだ。出身はラミルで準男爵だ。ルイス先生と呼ぶように。僕は他の教師のように優しくする気はない!追試もしないので、真面目に取り組まない学生は、単位を落とすことになるだろう」
恐らく舐められないように威嚇しているのだろうが、グレーの瞳は眼鏡の奥で冷たく光り、生徒に対する愛情は感じられない。
「1年A組は31人だったな、遅れて入学してきた者は誰だ?手を上げろ」
「はい、僕です」
イツキは何故自分だけ手を上げさせられるのかと、疑問に思いながらも手を上げた。
「君は中級学校にも行っていなかったそうだが、ここは遊びに来るところではない。君が貴族の子息だろうと、特別扱いなど誰もしない。教材が机の上に出ていないようだが、やる気がないのなら出ていってもいいぞ!」
『成る程、これがギニ副司令官が言っていた、弱そうな学生をターゲットにして虐め、怖い教師、逆らってはいけない教師だと思わせる、嫌なタイプの先生か・・・』
イツキは長く伸びた前髪で、表情を読み取られないのをいいことに、平然と人間観察を続けている。
「おい聞いたか?中級学校に行ってないんだってさ」
「信じられない!あり得ないだろう」
「どうしてそんなバカが、この学校に来てるんだ?」
ルイス先生の言葉に、教室中の学生がざわつき始めた。
ルイス先生は、ざわつく学生の様子を見て、予定通りだという表情をした。
イツキは、その情報って今この場で、皆の前で言う必要があるのだろうか?と疑問には思ったが、人間観察中のイツキとしては、学生にも教師にも【ガツンとやれ】と言っていた先輩方の言葉が、少し理解できたような気がした。
イツキはまだ教材を受け取っていないので、机の上にはノートと筆記用具だけが置かれていたのだが、そこまで責められたことに苦笑するしかなかった。
「ルイス先生、彼は今学校に来たばかりで、教材を受け取っていないようです。それに、どんな経緯で入学したのかは、実力とは関係ありませんよね」
皆がざわつく中、そんな冷静な判断で、ルイス先生に物申した少年がいた。
その少年は、銀髪を肩まで伸ばし、青い瞳でガッシリ体型をしていて、背も170センチを越えている。なかなか度胸のある奴だと推測し、なんだか面白くなってきたぞと、イツキはニヤリと笑った。
「君の名前は?」
ムッとした表情で、ルイス先生はその少年を睨み付けた。
「僕はナスカ・マナヤ・ホリスです。やる気はあるので授業を始めてください」
「君が今年首席で入学したナスカだな。その反抗的な態度はよくないな……では君の実力を試させて貰おう」
大人気ないルイス先生は、いきなりナスカに質問をぶつける。しかもその内容は、これから習う内容だった。首席なら予習していて当たり前ということだろう。
意地悪なルイス先生に対し、ナスカはサラリと答えてみせた。
他の学生達は、慌てて教科書を開き、自分が当てられたらどうしようと、必死になって教科書を読み始める。
イツキはそんな光景を、教室の1番後ろの席から眺めながら、ナスカとは友達になれそうな予感がした。
◇◇◇ 補 足 資 料 ◇◇◇
《 レガート国の貴族の序列についての説明 》
公爵➡侯爵➡伯爵➡子爵➡男爵➡準男爵➡騎士である。
(準男爵と騎士は世襲されない)
爵位を表す文字は【公爵は1文字】➡【侯爵・伯爵は2文字又は3文字】➡【子爵・男爵は3~4文字(小文字が入る場合あり)】➡【準男爵・騎士は3~4文字(必ず小文字が入る)】
また、爵位には【領主直系】と【直系外】とがある。
【領主直系】とは、領主の親族や古くから領主に仕えている名家である。爵位を表す文字の最後に《主家の1文字》が入っている。
【直系外】とは、領主が功績を認め新しく爵位を与えた場合や、国王が功績により爵位を与え、貴族となった者のことである。爵位を表す文字に《主家の1文字》は入っていない。
基本的に【領主直系】の方が名門であり、同じ爵位であれば【領主直系】の方が地位は上である。
キシ領を例にとると、キシ領を治めているのはキシ公爵である。
その名前は、アルダス・グ・キシである。公爵家の爵位文字は《グ》とか《ギ》とか《ダ》のように濁点の入った【1文字】と決まっている。
◎アルダス・グ・キシ (公爵)
【領主直系】
ソウタ・マグ・ローテス(伯爵) フィリップ・イグ・マグダス(伯爵家次男)
ヨム・マリグ・カミス(子爵) シュノー・ディグ・マホル(子爵)
ミノル・イミグ・ボラス(男爵家次男)イツキの先輩になる
【直系外】
ユージ・フッツ・ドルーブ(男爵家長男)イツキの先輩になる
イツキは、キアフ・ラビグ・イツキ(子爵)で《グ》が入っているので【領主直系】ということになる。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話からイツキがガツンとやります(笑)