上級学校初日
キシ公爵邸で昼食をご馳走になった後イツキは、嬉しそうにニコニコ笑っているキシ公爵とギニ副司令官と一緒に、キシ公爵の馬車に乗っていた(乗せられていた)。
2人共これから王都ラミルに帰るので、ついでに上級学校まで送って行こうと言われ、当然断れる訳もなく拉致られている。
「いいですか、とにかく上級学校では、舐められたら最後です。最初が肝心!ガツンといくんですよ」
「そうですね、首席で卒業するつもりなら、最初から実力の差を思い知らせてやらねばなりません!とにかく完膚なきまで叩きのめすのです」
ギニ副司令官もキシ公爵も人が変わったように、ガツンとか叩きのめすとか、物騒なことを力説する。
「しかし、できるだけ目立たないように・・・」
「はあ?目立たない?何を寝言のようなことを言っているのです。上級学校は軍隊より厳しいところですよ!」
イツキは遠慮がちに、地味に生活したい願望を話そうと試みるが、直ぐにギニ副司令官に却下される。
結局2人は2日間、自分たちの上級学校時代の話を、延々と続けてゆくのだった。
『もう、お腹一杯です……これから入る学校が、魑魅魍魎が闊歩する世界だと思うと、正直気が重い』
イツキが上級学校の話に疲れ始めた頃、馬車は王都ラミルに入ってきた。馬車の窓から、上級学校をぐるりと囲んでいる高い壁が見えてきた。
ラミル上級学校は、レガート城を頂点として上級学校と軍学校を結ぶと、二等辺三角形に近い位置に在った。
「まあ、でも同期生、先輩に後輩と、出会いは財産でもありますよ。俺の後輩がバルファー王とエントン秘書官です。上級学校で出会っていたから、王座奪還も成功したのだと思います」
ギニ副司令官は昔を思い出しながら、イツキ君もきっと良い友達ができるでしょうと言ってくれた。
「そうです!よく考えたらイツキ君は、我々の後輩になるのです。何かあったら先輩を頼ってくださいね」
先輩という言葉になんだか嬉しそうなキシ公爵も、とにかく子爵家の当主として、堂々としていることですと言って笑った。
「分かりました先輩方!頼りにさせていただきます」
2人の気遣いが痛いほど分かっているイツキは、感謝を込めて頭を下げた。
時刻は午前9時。上級学校の紋章が入った頑丈で立派な門の前で馬車は止まった。
門番は、キシ公爵の馬車だと分かると、緊張した面持ちで門を開ける。
イツキは門の中に入って直ぐに馬車を降りた。正面玄関までキシ公爵の馬車で送られるのは、流石に目立ち過ぎるのでご辞退申し上げたのだ。
「さあ先輩、ここはガツンと言っておきましょう」
「そうだな後輩、軍の人事権は俺が握っている。流石の校長もお茶ぐらい出してくれるだろう」
キシ公爵32歳の気合いの言葉に続き、ギニ副司令官41歳も、ヤル気満々で馬車を降りていった。
突然訪問してきたビッグな2人に、校長、教頭をはじめ、教員たちは「何事だ!」と軽いパニックになる。
校長室に案内された2人は、腹黒そうに微笑みながら、お茶が出てくるまで何も話さずにいた。
校長は額の冷や汗を拭いながら、然り気無い話から様子を探るが、何の目的で訪問して来たのか分からず、逃げ出したい気持ちで一杯だった。
ようやく運ばれてきたお茶を見て、キシ公爵が重い口を開いた。
「うちのイツキ子爵はどうでしたか?なかなか優秀だったでしょう?」
「ええそれは確かに。大変優秀な生徒を入学させていただき、校長として感謝申し上げます。あれほど優秀なのに、これまで名前を聞かなかったのは、中級学校に行っていなかったからなのですね」
校長はキシ公爵の用件が、生徒のイツキ君のことなのだと分かると、安心してほっと息を吐いた。
しかし、隣のレガート軍ナンバー2のギニ副司令官は、なんの用件で一緒に訪問して来たのだろう?それが分からない内は気が抜けないと、校長は再び気を引き締めた。
「随分とご無沙汰しましたボルダン校長。あまりの不義理をキシ公爵に叱られまして、これからは積極的に上級学校の活動を、支援していきたいと考えています」
「それは有り難いお言葉ですな。学生たちも、憧れのギニ副司令官の支援とあれば、喜んで頑張ることでしょう」
そんな愛想笑いと、狸の化かし合いがあった後、キシ公爵が切り出した。
「イツキ君は特殊な存在です。親のいない彼の後見は私とギニ副司令官です。彼に何かあれば、私たちが表に出ることになります。それは覚えておいてください」
キシ公爵は、美しい顔で黒く微笑みながら、校長に脅しをかける。
そして容赦なくギニ副司令官が、訪問の本当の目的を告げる。
「それと異例のことなのですが、彼は既にレガート軍の【指揮官補佐】の役職に就いています。学生の身ではありますが、時々任務のため休むことがあります。それを校長に了承頂きたく参りました。ああ、それからもう1つ役職がありました。【レガート技術開発部相談役】です」
「・ ・ ・ 」
人というものは、自分の理解の範疇を越えると、思考がストップしてしまうものである。
校長は脳をフル稼働させて、言われたことを理解しようとするが、目の前の2人の笑顔が怖くて、何も考えられない。
この場合、悪いのは校長ではない。腹黒の後見人が悪いのだ。
立前上は「了承を頂きたく」だが、「ノー」という答えは、言えそうにもないのだから。
「わ、分かりました。国務の為ですから、勉強が遅れないようにして頂ければ……」
やっとの思いで、校長は声を絞り出すようにして答えた。
「それは心配要りません。恐らく彼は、この学校の教授クラス程の知識は持っていますから。はっはっは!」
キシ公爵は笑いながら、とんでもないことを言っているのだが、イツキと関わった人間は、イツキに関して常識を失ってしまうようだ。キシ公爵本人には悪気は無いが、校長を虐めている風にしか聞こえない・・・
「ああそれから、イツキ君の任務の関係上、うちのソウタ・マグ・ローテス指揮官と、王宮警備隊のヨム・マリグ・カミス指揮官と、シュノーやフィリップ、とにかくキシ組が時々お邪魔します。もちろん表向きは後輩たちへの指導です。今や学生たちの憧れの的となっている4人を、学生の指導に寄越すのですから、文句等ありませんよね?教師たちも喜ぶことでしょう」
そう言って、ギニ副司令官が視線を向けた先の校長は、既に意識を失いそうになり掛けていたが、辛うじて恐怖に涙を滲ませながらも、コクリと頷いた。
キシ公爵アルダス率いるキシ組は、上級学校在学中、数々の伝説を作り(色々やらかし)、教師たちを震え上がらせていたのだった・・・故に教師たちは卒業式の日に、やっと卒業してくれたと万歳したほどであった。
確かに2人共、容赦なくガツンと言ったようで、安心して帰って行った・・・気の毒な校長である。
◇ ◇ ◇
イツキは教員室で挨拶をして、たまたま居た担任のポート・マギ・ヤクル先生に、東寮まで案内して貰った。荷物の多くはキシ公爵が用意してくれていたので、荷物持ちはキシ公爵の馬車の御者さんである。
自分で運ぶからと言ったのだが、「子爵家の当主が荷物を運ぶなど、他の生徒に舐められますよ」と言って持たせてもらえなかった。御者さんも、ここの卒業生なのだと言って笑っていた。
東寮に取り合えず荷物を置いたイツキは、ポート先生と一緒に1年A組の教室に向かった。
1年生は60人の定員なのだが、イツキが増えたので61人になっている。
当然学生たちは、遅れてやってくるイツキに対し、悪い感情しか持っていなかった。合格発表の時には60名の名前しか無かったのに、その後で入学できるなんて、どんな手を使ったのだろうかと、様々な憶測がなされていた。
「イツキ君、皆は君の実力を知らないから、初めの内は大変かもしれない。しかし、君の学力を知れば煩く言わなくなるだろう。とにかく頑張りたまえ。私は君に期待しているんだ。私の担当は薬草学と数学だ。本当に困ったことがあれば、遠慮なく言いなさい」
ポート先生は、知的なグレーの瞳でイツキの目を見ながら、優しく言ってくれた。グレーの長い髪を後ろで括り、彫りの深い整った顔立ちと、全身から滲み出る育ちの良さが、貴族らしい気品を伴っている。
キシ公爵とギニ副司令官から、嫌な先生が必ず何人か居るので、気を付けるように言われていたイツキは、この先生は好きになれそうだと安心した。
「それから、上級学校では貴族も王族も関係なく、実力で評価される。だから教師たちは身分に関係なく指導するし、特別扱いもしない。君があの入学試験で満点を取ったことは、一部の教師しか知らないし、生徒たちにも公表されていない。そして最も注意すべきことは、実力の世界であっても、貴族同士の派閥があることだ。特に昔から何処の出身なのかに拘る傾向がある為、仲の悪い領地同士は自然とライバルになってしまう」
ポート先生はその現実を思い、ハーッと息を深く吐いて肩を落とした。
「イツキ君はキシの出身だから、あからさまな嫌がらせは受けないと思うよ。今、キシ公爵様の力は絶大だからね」
そう言いながら、心なしか元気なくテンションの下がるポート先生だった。
「でも僕はミノスで育ったので、故郷はミノスなんです。今はキシ領でお世話になっていますが」
「えっ?イツキ君はミノス出身なの?僕もミノスだよ!ミノスの何処?」
「ミノス正教会のすぐ近くです」
イツキの返答に、嬉しそうに顔を緩めたポート先生は、今は力の無い領主なので、ミノスの生徒は苦境に立たされていると教えてくれた。でも、気を取り直したポート先生は、教室に到着するまでミノスの素晴らしさを、イツキと語りながら歩いた。
一般教室棟は、教員室棟の右斜め後に在り、1階が1年生の教室と教員控え室、2階が2年生、3階が3年生の教室になっている。
1年生はA組31人と、B組30人である。因みにA組は成績優秀者のクラスである。
時刻は午前9時30分、1時限目の終了の鐘が鳴り始めた。
1年A組の教室に到着したポート先生とイツキは、ガラリと教室のドアを開けた。
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次話から、授業を開始します。