ラミル正教会の奇跡 (2)
次話から新章スタートです。
イツキの祈りが始まる前、何故イツキが祭壇に立ち、自分たちに指示を出しているのか、理由の分からない国王とエントン秘書官は、いくら教会で育てられたとしても、まだ神父でもないイツキが祈りを捧げるなんて、ジューダ様は無責任ではと憤りを感じていた。
そもそもラミル正教会には、ジューダ様という立派なサイリス様がいらっしゃるのに、王子の命が懸かった大事に、どうしてまだ未成年のイツキを祭壇に立たせているのか、納得がいかなかった。
イツキの祈りを聞くまでは・・・
《神に捧げる祈り》が始まって5分くらいで、何故か、何故だか涙が溢れてきた。心が洗われ身も心も軽くなっていく気がした。
バルファー王も側室エバ様もエントン秘書官も、敬虔なブルーノア教の信者だった。
それ故、イツキが捧げた《神に捧げる祈り》は、サイリス(教導神父)以上の神父でなければ、祈ることが出来ないと知っていた。
『イツキ君……君はいったい何者なんだ?』(バルファーとエントン)
《神に捧げる祈り》が終った後、イツキは眼鏡を外し髪を整えて、聖杯の中に白い小さな花を入れた。
そして聖杯を高く持ち上げて、また元に戻し、次はブルーノア様がお創りになった、古代語を使った祈りを捧げると言った。
礼拝堂の後ろの席に座っていたソウタ指揮官とフィリップは、イツキ君の祈りは、何故だか何度聞いても泣いてしまう・・・と再び感動していた。
初めてイツキの祈りを聞いたアルダスとギニ副司令官は、これがリース(聖人)様の力なのかと感動し、ずっと涙など流したこともなかったのに、無意識に流れ出る涙に戸惑っていた。
バルファー王は、眼鏡を外したイツキの素顔を見て、目を見開き息を呑んだ。
『昨夜のバルコニーの幻は、そして夜中に見た幻は・・・イツキ君だったのか?何故、どうしてそんなにカシアに似ているんだ?』
バルファー王は、礼拝堂の1番前の席に座っている。涙で滲んだ瞳を擦りながら、もう1度イツキを見る。何度見てもカシアに生き写しだ。少し後ろに座っているエントン秘書官の方を振り向いて、説明を求める視線を送る。
どういうことなんだエントン・・・と。
エントンは、とうとうこの時が来てしまったと目を瞑り、下を向いた。
そんな2人の駆け引きの中、次は【愛する者へ捧げる祈り】を捧げるので、リバード様を思って祈りましょうと、イツキは完全に神父の顔をして言った。
バルファー王は、目の前で息が絶えそうになっている、大切な息子に意識を戻した。
頭の中は混乱したままだったが、リバードの命が助かることが、今は何より大事なことなのだと、椅子から立ち上がると、床にひざまずいて胸の前で手を組んだ。
国王がひざまずくのを見た臣下は、王に倣って床にひざまずいてゆく。
【愛する者へ捧げる祈り】は、風の流れのような、雲の流れのような、山を渡り、大地を渡り、そして降り注ぐ太陽の光が、全てのものを包み込むような柔らかさで始まった。
言葉の意味は全く理解できないが、イツキの透き通る声が、礼拝堂の隅々まで響き渡ってゆく。
イツキの体からは金色のオーラが溢れ出し、横たわるリバード王子まで流れて行き、王子の全身を包んでいく。
次第に口調は激しくなり、まるで怒りを込めたような場面が現れた。
イツキの声は低くなり、何処からともなく強い風が吹き込んできて、皆の身体を揺らし通り抜けてゆく。驚いて窓や戸に視線を向けたギニ副司令官とアルダスは、締め切ったままのそれらを確認する。
再び声が高くなると、今度は夜空を彩る満天の星の煌めきと、遠い遠い宇宙の彼方へ旅するような、遥かな時の流れの中に、我が身が流されてゆくような映像が、全員の脳裏に浮かんできた。
自然と目を瞑り、祈りの手は組んだままで、夜空を見上げるように顔を上に向ける。
すると、自分の顔や体に何かが触れたような気がして、皆は目を開いた。
そこに見えたのは、雪のように降り注ぐ、白い小さな花びらだった。
その花びらたちは、イツキの前に置かれた聖杯の中から、次々と吹き出していて、礼拝堂の机や椅子や床に、うっすら積もっていく。
そして白い小さな花びらは、リバード王子の全身を覆い尽くしていった。
イツキは右手で琥珀の石を取り、左の掌の上に載せてリバード王子の方へ差し出した。イツキの左腕にある【紅星の印】が燃えるように熱くなったのと同時に、琥珀の石は浮かび上がった。
金色に光輝く琥珀の石は、ゆっくりとリバード王子の方へ移動していく。
王子の体の上で止まると、降り積もった白い小さな花びらは、輝く光となりリバード王子を包んでいった。
そのあまりの眩しさに皆が目を閉じ、『これが神の力なのだ』と、組んだ手をより強く握って神に祈りを捧げる。
『リバード王子をどうか助けてください』
光の中、静寂の数分間が過ぎ、辺りは次第に元の様相を取り戻していく。
「皆の祈りが光となって神に届く時、救いの力は白い世界によって浄化されました。そしてリバード王子の体の中の毒は、犯人の体に移りました。誰が犯人なのかを神が示されるでしょう」
イツキの声は、聞いたことのない大人の声に替わっていた。
琥珀の石はゆっくりと、リバード王子の体の上から、祭壇のテーブルの上に移動してゆく。そしてコトリと音をたてて聖杯の横に戻った時、イツキの体は静かに崩れ落ちた・・・
イツキの後ろで控えていたジューダ様が、慌ててイツキに駆け寄っていく。
それとほぼ同時に、リバード王子が目を覚まし起き上がろうとする。
パル院長が慌てて身体を支えると、すっかり顔色も良くなったリバード王子12歳は、目の前で涙を流して泣いている両親に、にっこりと微笑み掛けた。
午前11時、病院の最上階にある小さな個室でイツキは眠っていた。
側で付き添っているのは、キシ公爵の番犬と呼ばれているフィリップだった。
あの後礼拝堂の中は、サイリスのジューダ様とパル院長以外の全員、【神の奇跡】を目の当たりにして、暫く身体を動かすことが出来なかった。
あまりに強力な【神の奇跡】だったので、皆は感動と感謝の涙を流しながら、降り積もった白い花びらを見つめていることしか出来なかったのだ。
ただ1人、何故かフィリップだけは体が直ぐに動くようになり、倒れたイツキを抱き抱えて、パル院長の指示した病室に運び込んだのだった。
動けなかった者たちは、10分後にはようやく動けるようになった。
驚いたことに、過労だった国王だけでなく全員が、嘘のように疲れもとれて元気になっていた。
王を始め関係者は、イツキを心配して面会を申し出たが、ジューダ様はそれを拒否された。そして、体験した奇跡を決して他言してはならないと、きつくきつく申し渡されたのだった。
エバ様は、息子のリバード王子を救ってくれたイツキに、どうしてもお礼とお詫びがしたいと申し出られたが、パル院長から「暫くは目覚めないかもしれない」と言われ、諦めるしかなかった。
仕方なくエバ様は、馬車に乗る前に、イツキが眠る病室の方を向いて、深々と頭を下げられた。
神とイツキに感謝しながら、バルファー王とエバ様はリバード王子と共に馬車で、他の者たちは馬や徒歩で城に帰って行った。
城に帰ったバルファー王は、治安部隊のソウタ指揮官とヨム指揮官に、王宮内でリバード王子と同じ症状で、魔魚の毒返しを受けた者を探し出すよう命じた。
エントン秘書官は、【王の目】であるキシ公爵アルダスを執務室に呼び、イツキが探し出したブドリガンホルという牛に似た魔獣の、瓶に入った臓器を見せて、前回リバード王子が毒を盛られた件について、イツキの仮説の内容を話した。
そしてパル院長から聞いた、今回リバード王子が盛られた毒は、海洋系の魔魚でイボンザメの牙毒だったことを告げた。
イボンザメは西の海に棲息していて、漁獲禁止であること、ただしカワノとヤマノの領主だけに、研究目的での取扱い許可があることを話し、2つの毒を、誰がどのルートで城に持ち込んだのかを調べるよう命じた。
フィリップは、5階の窓からぼんやりとラミルの街を眺めていた。時折イツキの呼吸を確認するように、顔を覗き込んでは、呼吸をしているイツキに安心する。
「イツキ君の様子はどうかな?」
パル院長とジューダ様が、イツキの様子を診にやって来て、フィリップに訊ねる。
「はい、前の時と同じです。呼吸数も脈も少ないままです。カルート国ロームズで同じように倒れられた時は、半日眠ったままでしたが、今回は・・・私にも分かりません」
フィリップは愛おしい人を見るように、イツキを見詰めながら返事をする。
隣国カルートの戦乱を終わらせる為に、イツキと行動を共にしたフィリップは、その時イツキが用意した【シーリス(教聖)見習い】という偽物の身分証を、本当は本物なのではないかと思っていた。
ロームズの町で多くの奇跡を起こすイツキを見てからは、むしろ見習いではなく、本物のシーリス(教聖)様ではないかと疑っていた。しかし、今日の奇跡の特異性を考えると、シーリス(教聖)様ではなく、その上のリース(聖人)様なのかもしれないと思った。
「フィリップ伯爵。どうやら君は、神に選ばれてイツキ君を守る役目を与えられたようだ。君がキシ公爵の下で【王の目】の仕事をしていることは知っている。だが、事態は思っていたより良くないようだ。キシ公爵と相談して、イツキ君が上級学校に在学している間、護衛出来るよう頼めないだろうか?」
サイリス(教導神父)という国王と同等に近い存在であるジューダ様が、伯爵に頭を下げることなど普通ではないことなのだが、イツキを守るためフィリップに頭を下げて要請する。
上級学校という、教会が介入できない場所に身を置くイツキを、ラミル正教会は、なんとかして守らなければならなかった。
フィリップは、想像もしていなかった要請と、神に選ばれてイツキ君を守る役目を与えられたと聞き、込み上げてくる喜びを感じていた。
これまでは、ひたすら主アルダスに捧げてきた人生だった。それが生き甲斐であり喜びだった。今もそうだ。だがイツキ君と出会ってからは、何故か何時もイツキ君のことが気に掛かるようになっていた。
何故なのだろう・・・イツキ君のことばかり考えてしまう・・・そんな自分を戒めながら暮らしていた。
しかし、自分は神に選ばれて、イツキ君を守る役目を与えられていたのだ・・・だから、ずっと気に掛かり、心が震える程に嬉しいのだ!
「分かりました。早急に主キシ公爵と相談いたします」
フィリップはジューダ様に深く頭を下げた。そして、まだ当分眠っているだろうイツキを残して、王宮へと向かった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話からイツキ組VSヤマノ組の戦いが、本格的にスタートします。