王とイツキ
6月6日、1周年で2話同日掲載しています。
今日中に王様にお会いするのは、どうやら難しそうだとイツキは思ったが、勝手に帰る訳にもいかず、夜勤のレクスから、前回の毒殺未遂事件のことや、王子や王女たちの日頃の様子を聞き出すことにした。
午後10時を過ぎた頃、イツキは部屋のガラス戸のカーテンを少し開いて、そっと戸を開けると、祈りを捧げるために静かに外のバルコニーに出てみた。
季節は冬、夜風は冷たかったけど澄んだ夜空には、半月を過ぎ満月へと向かう上弦の月と、満天の星が煌めいていた。
『ブルーノア様、どうか弟のリバードをお助けください』
イツキはバルコニーの手摺に両肘をついて手を組み、星を見上げながら神に祈った。自分に出来ることがあれば、どうぞ役目を与えてくださいと願った。
その時、イツキは気付いていなかったが、隣の部屋のバルコニーには先客がいた。
1人の男が酷く疲れた顔で、立ったまま外壁にもたれ掛かって腕を組み、同じように夜空を見上げていたのである。
その男は、隣のバルコニーに気配を感じて、ふと視線を向けた。
そして、月明かりに照らし出されたイツキの横顔を見て、驚きのあまり息をするのも忘れそうになった。
「カシア・・・君なのか?」
声にならない声で、その男、バルファー王はイツキの方を見詰める。
少しでも近付こうと、震える体で1歩足を踏み出した時、ドアをノックする音と声が聞こえてきた。
薄暗い部屋の中を見ると、優秀な秘書官であり、最も信頼できる友エントンが入って来るのが見えた。
バルファーがもう1度隣のバルコニーを見ると、そこにはもう誰の姿も無かった。
『あれは幻だったのだろうか?いや、幻でもいい。幻でもいいから君に逢いたいと願ってきたんだ』
ガックリと項垂れた王は、幻でも逢えたことを喜びながらも、逢いたい気持ちが再び大きくなって、胸が締め付けられるようだった。
「王様、灯りを大きくしますよ。今日の午後、上級学校に行って来ました。そしてイツキ君に王命を伝えたのですが……王様にお会いしたいと回答しました。謁見を願い出て私の所で控えておりますが、どう致しますか?今夜はリバード様のこともあり、お疲れでしたら明日の朝にしますが?」
エントンは、王が憔悴していると分かっていた。王がバルコニーで星を観ている時は、精神的にまいっている時だと知ってもいた。それでも切り出さねばならない用件だった。
「そうだなエントン。今夜は酷く疲れた。だがイツキ君には会うよ」
「承知しました。貴賓室でも宜しいですか?それとも私の部屋が良いでしょうか?」
エントンの問いに王は、この部屋で構わないと答えて、疲れたように椅子にドカリと座った。
エントンは廊下に出ると、待たせていたイツキを手招きし、あるお願いをした。
「イツキ君、申し訳ないがメガネを掛けてくれないかな。それと王様はとてもお疲れなので、用件は手短に伝えて欲しい。時間が足らなければ明日か後日、改めて謁見の機会をつくるよ」
「分かりました。でも何故メガネを掛けるのですか?」
「・ ・ ・」
イツキは、父であるバルファー王に素顔を見て欲しかったのだが、自分の問いに答えず、寂しそうに微笑むエントン秘書官の顔を見て、黙ってポケットからメガネを取り出し掛けた。
イツキはエントン秘書官に続いて、頭を下げて王の執務室へと入っていく。そして、入口で正式な礼をとり、ゆっくり名乗っていく。
「王様、キアフ・ラビグ・イツキです。お疲れのところ、お時間を取っていただきありがとうございます」
イツキは低く頭を下げたままで、王からの言葉を待つ。
「キアフ?君の名はキアフなのかいイツキ君?」
「はいそうです。アルダス様が子爵位をくださる時に、付けてくださいました」
「アルダスがか・・・」
バルファー王は、珍しい黒髪に名前はキアフ……いったいどういう巡り合わせなのだろう……とぼんやり考えていて、礼を解くことを忘れている。
エントン秘書官が「王様?」と声を掛けたので、やっと礼を解くことが出来た。
イツキが顔を上げると、噂に聞いていた通りの、肩まで伸ばした銀髪に、整った顔立ち、慈愛に満ちたグレーの瞳の国王が目の前に居た。
だが、全身から憔悴した様子が窺え、イツキは胸が痛くなった。
弟である第2王子リバードの容態が悪いのだろうか・・・
イツキは椅子に座ることを許され、心配しながら執務室のソファーに腰掛けた。
バルファー王は、ハキハキしてしっかりした物言いをするイツキに好感を持った。ただ、メガネを掛けて、なんだかパッとしない外見は、噂で聞いていたものとは違うようだがと思うのだった。
【キアフ】という我が子の名を久し振りに聞いて、先程バルコニーで見たカシアの幻が頭を過った。
「はじめましてイツキ子爵、君には本当に感謝している。特に1度目の隣国の戦乱では、無血で敵を撤退させる活躍をしてくれたようで、伯爵位にも値すると思っている。しかし……君はまだ14歳だ、僕とエントンは上級学校の同期で、楽しい青春を共に過ごしたから……今があるんだ。だから……イツキ君に……」
「王様?大丈夫ですか?王様?」
イツキは慌てて立ち上がり、バルファー王に声を掛ける。
話の途中で、バルファー王は意識が朦朧としてきたようで、視点が定まっていなかった。とうとうズルリと椅子から崩れ落ちてしまった。
すんでのところで、イツキはバルファー王を抱き抱え、側の長椅子に寝かせた。
「王様、大丈夫ですか?大変だ!医者を呼ばなくては……」
エントン秘書官は、声を掛けても反応のないバルファー王を見て、慌てて部屋を出て行こうとする。
「エントンさん、お待ちください!僕は医師資格を持っています。王様は恐らく過労です!睡眠不足にリバード様の事件が重なり、体力と気力の限界を超えられたのでしょう」
イツキはそう言いながら、冷静に王様の脈をとり、呼吸を確認する。
「ゆっくりと眠らせて差し上げるのが1番です。ところでリバード様はまだ教会病院ですか?それとも戻られましたか?」
「イツキ君は何故そのことを知っているんだい?」
エントン秘書官はイツキの医師資格にも驚いたが、極秘であるリバード様のことを尋ねられて、もっと驚いた。
「今年からラミル正教会病院に赴任して来られた、パル・ハジャム院長は僕の師匠です。もしもリバード様がお戻りであれば、病院から呼んで来られますが、まだ病院であれば駆け付けられません。お城の医師も居ない筈です」
「君はいったい何故そんなことが判るんだい?確かにリバード様はまだ病院で、王宮医師も留守だ。本当に王様は過労なのかな?」
エントンは目の前の学生服を着た、大好きなはずのイツキに戸惑ってしまう。
イツキはリバード様の件には答えず、少しお待ちくださいと言って、自分の荷物の置いてある貴賓室に戻っていく。
鞄の中から大切な教典を取り出し、間に挟んである医師資格の証明書と、薬剤師資格の証明書を持って、また王の執務室に戻った。
王様の手を握り、心配そうに顔を見詰めているエントン秘書官に、持ってきた証明書を手渡した。
その証明書は、ブルーノア本教会発行の正式な証明書だった。
医師資格と薬剤師資格には2種類あり、1つ目は、イントラ連合国のイントラ高学院を卒業して取得できる証明書。2つ目は、そのイントラ高学院を卒業後、ブルーノア本教会病院で更に学び、本教会病院長が認めた者にだけ発行する、ブルーノア本教会発行の証明書だった。
イツキが提出した証明書は、ランドル大陸で取得できる最高位の資格証だった。
「エントンさん、僕を信じてくださるなら、明日の朝まで僕に王様を看病させてください。看病と言っても、ぐっすりと眠らせて差し上げるだけですが……」
イツキはにっこり微笑みながら、心配要らないからと優しい視線を王様に向けながら言う。
エントンは、イツキの証明書をじっと見ながら、軍学校長から聞いていた話を思い出した。医師資格を持っている教官よりも知識があると言っていたことを。
「分かった、ここはイツキ君に任せよう。何か用意するものは有るかな?」
「そうですね、布団と毛布を、それから薬剤庫は何処でしょうか?王様が眠られている内に、薬を調合しておきます。朝食も指示しますので、厨房に伝えてください」
イツキはそう言いながら、てきぱきと薬の名前や朝食のメニューまで書き出していく。
そんなイツキの姿を見たエントンは、イツキを守りたい、甘やかせてやりたい、楽させてやりたい、類いまれな才能を活かしてやりたいと思っていた己が、間違っていたことに気付いた。
『この子は既に完成している。この子の邪魔をすべきではない。走り続けるこの子が、疲れた時に羽を休める場所を作って、待つしかないんだ』
イツキは夜勤の警備隊員に伴われて、薬剤庫へと向かった。ランプの灯りだが、出来るだけたくさんの城内の情報を得ておこうと、薬剤庫の隅までチェックして、必要な薬剤だけを篭に入れた。もちろん毒になりそうな植物のチェックも忘れなかった。
イツキは毛布を被ったエントンと2人で椅子に座って、時々王様の容態を診るため席を立ち、ついでに暖炉に燃料鉱石を追加する。
午前4時、暖炉の柔らかな明かりに照らされて、うとうとしているエントン秘書官と、呼吸が少し穏やかになった王様の寝顔を、じっと見つめる。
疲れ果てて眠る父と、いつもずっと気に掛けてくれる優しい伯父が直ぐ側に居る……こんな近くで眠っている。
『父上、伯父さん。キアフはここに居ます。お二人の、お二人のすぐ側に居るんです……神様、ありがとうございます。こんな幸せな時間を与えてくださって……きっと母上がお導きくださったのですね』
イツキは何故だか、胸がいっぱいになってきた。思わず涙が溢れてくる……泣きたい訳ではないのに。
溢れだす涙を拭うため、イツキはそっとメガネを外した。
そして無意識に、母親譲りの美しい黒い前髪を手櫛で整えていく。
ふと王様の方に視線を向けると、目を覚ました王様と偶然目が合った。
「カシア・・・また来てくれたんだね・・・さあ、側に来てくれ」
朦朧とする意識のまま目を開けたバルファーが、震える手をイツキに伸ばしてきた。
まだ現実と夢の境にいるようで、イツキだとは気付いていない。
イツキは父の側に寄り膝をつくと、カシアと母の名を呼ぶ父の手を、そっと握った。
自分の顔は、それほど母に似ているのだろうか……?だから、だからエントンさんは、僕にメガネを掛けて欲しいと頼んだのだ。僕の顔を見て母カシアを思い出し、きっと悲しむと思ったんだ。
亡くなった今でも、ずっと母を想っている様子の父の手を、自分の両手で優しく握ったまま、イツキは溢れ出る涙を拭うことも出来なかった。
ただ涙を流しながら、声を出さずに泣くイツキの、鼻をすする音だけが部屋に響く。
「泣かないでくれカシア……愛している」
バルファー王はイツキの手にキスをして、幸せそうに微笑んで、また眠りについた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




