再会と知りたくなかった真実
1月10日、キシ公爵アルダスの執務室のドアをノックして、イツキは中からの返事を待った。
「どうぞお入りください」
中からの声を聞いて、イツキがドアノブに手を掛けようとすると、スッと内側からドアが開かれ、よく知っている男性がニッコリと笑いながら迎えてくれた。
「ご心配をお掛けし申し訳ありませんでしたギニ副司令官、そしてキシ公爵様」
イツキは1歩進んでから深々と頭を下げて謝罪する。そして予想外のギニ副司令官の登場に驚き、苦笑いするしかなかった。
「いや、私はキシ公爵程には心配していなかったよ。イツキ君のことだから、教会の重要な任務を遂行していたと分かっていたし」
ギニ副司令官は、キシ公爵の方に視線を向けながら、イツキを叱るどころか、本当に嬉しそうに微笑んだ。
男らしく鍛えられた体躯に、シャープにカットされたグレーの髪、親しみやすい焦げ茶の瞳、精悍な顔立ち、そんな軍のナンバー2は、軍人とは思えない優しい眼差しを、イツキの方に向けた。
「何を仰っているのでしょう?ギニ副司令官こそレガート軍の小隊を、やたらと国外に遠征させていたと聞いていますよ」
キシ公爵は書類にサインをしながら、ギニ副司令官の方には視線を向けず、ニヤリと笑った。
年齢不詳な美しい顔立ち、軽くウエーブのかかった癖毛の茶髪を肩まで伸ばし、独特の輝きを放つ茶色の瞳は少し濃い目だ。身長はイツキと同じ165センチくらいで小柄だが、この見た目に反して、悪や不正を許さず厳しく罰する手腕は、貴族たちを震え上がらせている。
「私は他国を偵察させ、動向を探っていただけですが?」
別にイツキを探していた訳ではないと、ギニ副司令官はとぼける。
「本当にすみませんでした!」
2人の会話から、自分が想像していた以上に捜索されていたのだと知ったイツキは、ただただ申し訳なく頭を下げるしかなかった。
「「はっはっは、そんなに謝らないでください」」
2人はまるでハモるように笑いながら、許してくれた。
そしてイツキの前に進み出て、姿勢を正した。
「お帰りなさい。リース(聖人)キアフ様。またこうしてレガート国にお戻り頂けて光栄です。私たちはキアフ様に忠誠を誓った者です。そのように頭を下げられる必要はございません」
キシ公爵は改まった顔をしてそう言うと、ギニ副司令官と共に正式な礼をとり深く頭を下げた。
リース(聖人)、それはブルーノア教において、トップのリーバ(天聖)様に次ぐ地位であり、このランドル大陸では、国王よりも上の地位だと認識されている、雲上の人なのだった。
リースは別名《奇跡の人》と言われており、与えられた能力で人々を救うために、奇跡と呼ばれるような行いをする。故に、リース様に会えることは夢であり、奇跡を目撃でもしたら、末代までの自慢となる。
イツキは《予言の子》であると共に、《六聖人》の1人だった。
イツキは【裁きの聖人】として、2つの能力を持っている。それは【裁きの力】と【癒しの力】で、各々のオーラの色は《銀色》と《金色》である。悪に立ち向かう時や、善悪を判断する時には《銀色のオーラ》を身に纏い、病に苦しむ人、疲れた人、悲しみにくれる人を癒す時には《金色のオーラ》を身に纏う。
限られた教会関係者以外には、極秘になっているイツキのリースとしての身分を、目の前の2人は、イツキ自身から知らされた特別な存在だった。
イツキが隣国の戦争を終わらせに行く前に、2人を信じて打ち明けていた。その時、自分の務めを果たしながら、全力でイツキのために働くことを誓っていたのだ。
「1度目のハキ神国との戦争の時は、本当にありがとうございました。キアフ様の【奇跡の力】でレガート軍は、誰も命を落とすことはありませんでした」
1度目の隣国の戦争で、援軍の指揮を執っていたキシ公爵は、礼をとったままの姿勢で、もう1度深く頭を下げた。
「2度目の戦争の折りは、空飛ぶ最強魔獣ビッグバラディスで助けていただき、ありがとうございました。お陰でハキ神国軍を撤退へと追い込むことができました」
2度目の隣国の戦争で、レガート軍の指揮を執っていたギニ副司令官も、キシ公爵と同じく再び深く頭を下げた。
「僕が魔獣を使ったとご存じだったのですね……でも……カルート国とハキ神国の兵の……多くが……多くが命を落としました。僕の力不足でした……」
イツキは2度目の戦争の時を思い出し、言葉を詰まらせた。
「キアフ様のせいではありません。今回レガート軍は、カルート国内部の裏切りがあった証拠を掴みました。キアフ様が気に掛けておられた、ギラ新教が後ろにいたのは確かです。ですから……そうご自分を責めることはお止めください」
ギニ副司令官は、これまでにレガート軍が掴んだ証拠と、ギラ新教の動きについて説明を始めた。
上級学校の合格の報告に来たイツキだったが、自分とブルーノア教会の為に、いろいろ動いてくれていたと知り、嬉しくなって笑顔で「ありがとうございます」とお礼を言った。
「それから、これはまだ極秘ですが、我が国はギラ新教の信者を、全ての官職の上官に任命しないと決定しました。そして現在、ギラ新教の信者を調べさせています。これは【王の目】として、バルファー国王より命令された任務です」
キシ公爵は、少し緊張した表情で極秘情報を教えてくれた。
「レガート軍と警備隊は、協力して新しく治安部隊をつくりました。国内で極秘に活動する反乱分子を取り締まる目的です。そしてその責任者に、軍からはソウタ副指揮官を指揮官に昇格させ任命しました。警備隊からはヨム副指揮官を指揮官に昇格させ任命しました。どうぞ情報を共有し、共に戦いましょう」
ギニ副司令官は、右の口角を上げニヤリと笑うと、2人の指揮官をイツキの側に置くよう脅して・・・いや、情報交換をするよう依頼?してきた。
「これからは、共通の敵と戦うことになりますね。うちの(王の目の)責任者は、王直属の秘書官補佐に任命されたフィリップです」
キシ公爵も、イツキが勝手に1人で動かないよう……?何処へでも自由に動けるフィリップを、手足として使うように脅して・・・いや、共に戦おうと言ってくれた。
『喜べない!両腕を2人の剣の師匠に掴まれ、両足をフィリップさんに掴まれたも同然だ……僕は上級学校に行って、少しのんびりするつもりだったのに……キシ組からは逃げられない運命か・・・』
イツキは顔を引きつらせながら、「ありがとうございます」と答えて、ガクリと肩を落とした。
フィリップはキシ公爵の番犬と呼ばれる男で、アルダス命である。1回目のハキ神国軍との戦争時に、イツキと共に協力してハキ神国軍を撤退させた。それ以来イツキのことを、ブルーノア教のリース(聖人)に次ぐ地位の、シーリス(教聖)見習いだと信じている。
指揮官に昇格したソウタ、ヨムの両師匠は、軍学校の研究者時代に、イツキの剣の師匠だった人物である。
キシ組とは、キシ公爵家に仕えるキシ領の貴族であり、アルダスの幼馴染みである。メンバーは、技術開発部長シュノー、フィリップ秘書官補佐、治安部隊の責任者、レガート軍ソウタ指揮官、王宮警備隊ヨム指揮官の4人と、そのトップのアルダスを含めた5人のことを指す。
これ以上ショックを受けたくないイツキは、本来の目的である上級学校の件に、話題を変えることにする。
「お礼と報告が遅れましたが、上級学校に無事入学が決まりました。名前も考えていただき、子爵位まで頂きありがとうございます。できるなら、静かに学園生活を送りたかったのですが・・・」
「それは無理というものです。イツキという名前は、あまりに大きな期待を背負っている名前なのですから。しかし上級学校の壁は、我々と言えども簡単には越えられません。その変装のような髪型や眼鏡は、危険から身を守るためだと思いますが、上級学校に居れば安全度がグンと上がるのは確かです。ところで、キアフという神名を勝手に使ってしまいましたが、大丈夫だったのでしょうか?」
合格については当たり前過ぎてスルーし、子爵位などリース(聖人)の地位に比べたら屁でもないキシ公爵は、名前のことが気になっていた。
イツキから届いた、上級学校入学の便宜をはかって欲しいと依頼する手紙は、キアフという名前で届いたので、熟慮する時間も無かったキシ公爵は、つい……神名だと分かっていたのだが、勝手に使ってしまったのだった。
「大丈夫です。僕の神名は新しく変わりました。それにキアフは僕の本当の名前ですから」
イツキはさらりと真実を告げる。
「・・・本当の名前?ではイツキは偽名?」
「神名が変わることなどあるのですか?」
キシ公爵は、イツキという名前が本当の名前ではなかったことが気になったが、ギニ副司令官は神名が変わったことが気になった。
「イツキは偽名ですが、僕自身その事を知ったのはつい先日です。今でも自分はイツキと呼ばれる方が落ち着きます。それと、神名が変わることなど普通はないみたいです。全ては《予言の書》の指示なので……それともうひとつ、僕は本当の生年月日を使っていません。実はまだ13歳ですから」
「「えええぇっ!まだ13歳?」」(キシ公爵・ギニ副司令官)
前髪が邪魔で表情の見えない2人は、口角が上がったのを見て、イツキが笑ったのだと分かった。
「そうは言っても、明日で14歳になりますが」
イツキは、鬱陶しく伸びた前髪を右手で上げて眼鏡を外すと、黒蝶真珠のような輝きを放つ黒い瞳と、美しく整った優しい顔を見せて笑った。
「上級学校は15歳になってからの入学です。特別に優秀であれば、15歳になる年からの入学は認められていますが……14歳……明日で……」
キシ公爵は、モゴモゴと口籠ってしまう。
「なに、なんの心配もない!イツキ君より優秀な学生など居ないから、バレても校長が離すはずがない」
ギニ副司令官は大笑いしながら、イツキの告白を心配ないと言い切った。
「そ、そうだな。ところで、新しい神名をお訊きしてもよろしいでしょうか?」
キシ公爵は気持ちを切り替えて、質問を変えた。
そして、とても後悔することとなる。訊くんじゃなかったと・・・
「新しい神名ですか……?とても言い難いのですが……聞いても大丈夫かなぁ……?」
珍しくイツキが言い淀むので、「絶対誰にも話しません」と2人はイツキに誓い、再び礼をとりながら、イツキからの新しい神名を待つ。神の名前である。しっかり膝をつき深く頭を下げている。
「新しい神名は、リース(聖人)ブルーノアです」
「・ ・ ・ 」
開祖ブルーノア様と同じ名前(神名)…………2人は訊くんじゃなかったと後悔した。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話から、いよいよ学校生活がスタートします。