それぞれの夕暮れ
イツキが実験室のドアを開けていた頃、ブルーニ親衛隊は会合を開いていた。
体育館と武道場の間には花壇があり、その回りをぐるりと囲むようにベンチが配置してある。そこは学生たちの憩いの場であり、部活中の休憩場にもなっている。
季節は冬、花も咲かない夕暮れの寒いその場所で、ブルーニ1人だけがベンチに座り、他のメンバーは皆立ったまま話を聞いていた。
「恐らくパルの命は助かるだろうが、もう軍には入隊できないだろう。片手が動かないようなら、風紀部の仕事は当然降りてもらう。今回の件を事件として調査するようなら、我々も正義を貫かねばならない」
ブルーニはベンチの背もたれに体を預け足を組み、誰とも視線を合わせようとはせず、自分の顎を触りながら、やや怒気の籠った声で、リーダーとしての考えを皆に伝える。
「ブルーニ様、事故を事件に出来る筈がありません。パルはもう終わったも同然です。次の作戦も来月には実行できるよう、準備を進めています。身に合わぬ地位を欲したことを、必ず後悔させてやります」
ドエルはブルーニに礼をとりながら、抜かりなく次の手を打ってあることを告げる。
「では皆さん今日は解散します。くれぐれもブルーニ様のご指示を忘れないように。親衛隊で参加くださっている皆様も、良い報告をお待ちしています」
1年生のルシフが笑顔で挨拶をして、解散を告げる。
皆は「お疲れさまです」とか「失礼します」とブルーニに挨拶をして、寮へと帰って行った。
ブルーニはドエルに目配せをしてから、自分の部屋へと向かい、ルシフは走って同じ1年のルビンとホリーの後を追った。
◇ ◇ ドエル ◇ ◇
残ったドエルは1人で教員室棟へと向かう。
既に陽は落ち静かになったグラウンドの前の並木道を歩きながら、視線は教員室棟の保健室に向いていた。
「上手く茂みに落ちるとは悪運の強い奴だ。昨年から色々と邪魔をした報いだパル。平民ふぜいがブルーニ様に逆らうなど、万死に値する過ちだと思い知るがいい」
ドエルの心は、作戦成功に対する達成感と高揚感で満ち、思わず独り言を呟いてしまう程だった。
気付くと久し振りに「はっはっは」と声を出して笑っていた。
正義を振りかざし、平民の分際で親衛隊まで付けたパルの存在は、黒く影であり続けねばならない立場の己の心に、ザワザワと波風を立たせ、イラつかせる存在となった。
貴族ばかりの上級学校で、臆することなく堂々と振る舞うパルという人間が、憎くて堪らなくなったのは何時からだろうか・・・
ふと暗くなり掛けた気持ちを振り払おうと、首を横に2、3度振る。
明日からは、そんな気持ちを抱くこともないだろう……自分は勝ったのだ。しかも完璧な作戦で。
保健室には明かりが灯っていた。恐らく看護師がパルに付き添っているのだろう。友人が心配でつい来てしまったと言えば、看護師は中に入れてくれるかもしれない。
足音を立てずに、ドエルは教員室棟の廊下を保健室へと進んで行く。
すると意外にも、外国語担当のフォース先生が、保健室の中ではなく外に椅子を置いて座っていた。
「フォース先生、禁止だと判っていたのですが、どうしてもパルのことが心配になって来てしまいました。容態はどうなのでしょうか?面会は何時になったら出来るのでしょうか?」
ドエルは細心の注意を払って、友人のケガを案じて、心配で堪らないので来てしまった役を演じる。
「あまりよくない。明日には病院に移すかもしれない。面会は・・・無理だろう」
フォース先生は首を横に振りながら辛そうに言い、容態が悪いことを教えてくれた。
「そうですか・・・早くよくなるよう皆で祈ります」
悲しい表情を作り、いかにも辛そうに言うと、深く頭を下げてトボトボと廊下を戻っていった。
教員室棟を出る辺りで、やっとニヤリと笑うことが出来たドエルは、この吉報を早くブルーニ様にお知らせせねばと早足になっていく。
『ブルーニ様が卒業されたら、俺がヤマノ出身者を引っ張らねばならない。ブルーニ様に生涯お仕えし続ける為にも、邪魔者は必ず排除する。ブルーニ様は将来、第1王子サイモス様の右腕として、この国を動かされるのだから』
◇ ◇ フォース先生 ◇ ◇
薄暗くなった保健室前の廊下に椅子を置いて、1人の教師が学生や教師を入室させないよう番をしていた。
教師のフォースは、放課後校長室で行ったイツキとの会議での話を思い出していた。
「犯人又は首謀者は自分の成果が気になり、必ず容態を訊きに来ます。出来るだけ容態がよくないと思わせておいてください。すると悲しそうな顔で、心の中の気持ちとは真逆なことを口にするでしょう。その行動こそが、今回のパル先輩のケガが事件である証拠です」
会議が終わり掛けた時、イツキ君はああ言ったが、担任の教師から面会を止められているのに、本当にわざわざ様子を窺いに来るのだろうか……そんなことを考えながらフーッと肩で息を吐いていると、ヒタヒタと近付く足音が聞こえてきた。
目を凝らすと、2年A組のドエル・シェン・ダッハが保健室に近付いて来る。
『まさか・・・本当にやって来るとは!』
では、こいつが首謀者で、今回の件は事件なのか?
パルの容態を気遣う質問をするドエルに対し、イツキから言われた通り、パルの容態を重篤であるように伝えて、ドエルが何を話すのか探ってみる。
するとドエルは「早くよくなるよう皆で祈ります」と言った。
確かに悲しそうな顔で言っていた・・・
本当にイツキ君が言ったことが正しいのであれば、ドエルの言葉を真逆に考えると、「早く悪くなるよう皆で祈る」又は「よくなるように祈ったりなどしない」と、心の中で思っていることになる。それに《皆で》の皆って誰のことだ?う~ん・・・普通は神に祈ると言わないか?
イツキ君が言っていた【洗脳されている学生】の候補に、ドエルも入っていたが、あれが、あの悲しそうな顔が演技だと言うなら、本当に恐ろしいことだ。
ドエルが首謀者だとしたら、《洗脳者は自らの手は汚さない》と言っていたイツキ君の証言と一致する。
今回ドエルは目撃者であり、事故だったと証言した第3者である・・・
『治安部隊指揮官補佐という肩書きは、伊達ではないようだ。しかし、彼はあのように人の心を読む能力を、何処で身に付けたのだろうか?まだ14歳の楽しい盛りの時期なのに……仕事、いや任務で上級学校の学生をしているなんて、少し胸が痛いな』
◇ ◇ ブルーニ ◇ ◇
自室に戻ったブルーニは、南寮3階の窓から暮れゆく空を見ていた。
本来3人部屋のその部屋は、昨年退学者が出て人数が減った為2人部屋になった。しかし今はブルーニが1人で使っている。その分、他にも2人部屋になれる予定だった部屋が、強引に3人部屋に変更されていたりする。
新学期に部屋割りが決まり不服だったブルーニは、勝手に部屋割りを変更し風紀部と揉めたが、突然3人部屋にされた部屋の学生が了承したので、寮長は折れて見ぬ振りをすることにした。
了承させるために、ブルーニの親衛隊が賄賂を使ったという噂があるが、真実は分からないままだ。
今年は使える駒が少ない……無能な奴は使い捨てれば良いだけだが、1年生が3人しか入学できなかった。おまけにルビンとホリーが使えないのが痛い。
戦力として使える2年のドエルと1年のルシフは、同じ教えを受け理想も高い。自分が何をすべきか判断できるし、私に忠誠を誓い働いている。
まあ無能な部下が多ければ、使える駒を増やせばいいだけだ。
弱みを握った奴が使えることを、今回のパルの件で実証できた・・・フッフッ、あいつは卒業するまで、ドエルの手足として働くしかないだろう。
次は必ずミノルを潰す。あのイツキという奴も、早目に力の差というものを教えてやらねばならない。
貴族としての品位や知能も無いくせに、キシ公爵の力で裏口入学したことを、必ず後悔させてやる。
キシ公爵には、2度と裏口入学という汚い手を使わせてはならない!
インカとナスカは、【秋大会】で学校を出た時にでも、事故に見せ掛けて消せばいい・・・
『選ばれた真の貴族が国を動かし、軍と警備隊を操る偽者たちを弱体化させる為、優秀なキシ、ミノス、カイ出身者を潰さなければならない。そして私は次期国王サイモス様にお仕えするのだ。私はギラ神に選ばれた特別な存在なのだから』
◇ ◇ ルビンとホリーとルシフ ◇ ◇
ヤマノグループの1年生3人は、東寮に向かいながらイツキとナスカについて話をしていた。
「ナスカは首席で人望もある。イツキも何処かずれているけど人気があるな」
ルビンはクラスの中の2人の様子を、深く考える訳でもなく答える。
「しかしイツキは、中級学校にも行っていないバカだろう?」
ルシフは見下したような言い方でイツキのことを話す。
「まあ育ちは良くないだろうが、俺に懐いているから、色々と教えてやってるよ」
ルビンは得意気に、本当は面倒臭いんだとか、俺は面倒見がいいんだとか言いながら、イツキの世話をしてやっているとルシフに自慢する。
「イツキは武術は全然ダメそうだし、学業は春期試験が終わらなければ分からないが、講義中ノートを取らないので、よくナスカに叱られている」
ルシフがいつもイツキとナスカの質問をしてくるので、ホリーは自然と2人を意識するようになっていた。
「ブルーニ先輩は、何故あの2人を気にされるんだろう?生意気だけど悪い奴等じゃないと思うが、何か失礼なことでもしたのか?」
「ルビン君、あいつらは存在しているだけで害なんだよ。ブルーニ様に平伏さない者は敵でしかない」
ルシフは顔をしかめ、怒りを込めた言い方で同級生を【害】だと言い切った。しかし、隣でその言葉を聞いたルビンとホリーは、首を傾げてそれ以上ルシフと話すのを止めた。
首席のナスカと子爵であるイツキを見下すことによって、男爵家長男である己の存在の方が、上なのだと思えるルシフである。
『この僕が、必ずナスカとイツキを排除してみせる。そうすればブルーニ様は僕を認めてくださるだろう。ヤマノ出身者がレガート国を動かしてゆく未来に、邪魔な人間は必要ない』
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