イツキ、医師になる
保健室は教員室棟の中にあった。
パル先輩のケガを知ったイツキは、急いで駆け付けて来たのだが、保健室の前には数人の先生方がいて、イツキを入室させてはくれない。当たり前と言えば当然のことなのだが、イツキ自身は、この場に居るどの教師よりも医学の知識があると自負している。
せめて様子だけでも診たいのだが、東寮の管理者であり外国語(カルート・ミリダ語)担当のフォース先生が、保健室の前で固く学生の入室を禁止していた。
「フォース先生、ケガの様子はどうなんでしょうか?意識は有りますか?」
「イツキ君、同じ風紀部役員として心配する気持ちは分かるが、君がいては邪魔になるだけだ」
フォース先生は気の毒そうにイツキを見るが、決して入室を許可してくれそうにない。
「フォース先生、校長先生は中に居られますか?もしも居られたら伝言してください。とても重要なことなんです。校長先生の進退にも関わる問題なんです。お願いですから、至急伝言してください。伝言だけでいいんです」
イツキはフォース先生の腕を掴んで、必死になんとかしようと試みる。フォース先生は、イツキのあまりに必死な様子に驚くと共に、校長の進退にも関係すると言われて、どう判断したらよいのか迷う。
そもそも、校長の進退・・・進退という言葉を学生が使うこと自体が異常なのだ。
「君は何を伝言したいのかね?内容によっては、君を処罰することになるかもしれないよ。今は命が懸かっているんだ」
フォース先生は厳しい口調と表情で、脅すように、戒めるように言う。
「命が懸かっているからこそ急ぐんです。どうか校長先生に、イツキが任務で来たと伝えてください」
イツキは他の先生方に聞こえないよう注意を払って、ミリダ語でフォース先生に訴える。
イツキはもどかしくて堪らなかった。軍学校でもカルート国の戦争の時でも、自分を信じてくれる人たちに囲まれて、ある意味好きに動くことが出来た。しかし今はただの学生に過ぎない。
教師の中にも敵が居るかもしれない。だから身分を明かすことができないのだ。唯一校長だけがイツキの仮の身分のを知っているので、動いてくれるのは校長しかいない・・・
あまりに必死なイツキに、フォース先生は怪訝な顔をしながらも、イツキが絞り出すように、そして警戒している様子で、ミリダ語を使って言った【任務】という言葉に心が動いた。
フォース先生は静かに保健室の戸を開けると、中に入っていった。後は、校長が言葉の意味を理解してくれるかどうかだ。
ほんの1分くらいで再び戸が開かれ、中からフォース先生が出てきて、イツキを手招きした。
イツキは直ぐに保健室に入ると、状況を冷静に判断していく。
中に居たのは、ケガ人のパル先輩、校長、担任であり薬草学を教えるポート先生、フォース先生、看護師の5人だった。
「ここに居る皆さんはミリダ語が話せますか?」(イツキ)
「私は話せません」 (看護師)
「俺も完璧ではない」 (ポート先生)
「看護師さんにはフォース先生が指示を伝えてください」(イツキ)
全員がイツキの方を見て、何故お前が指示を出すんだ?こんな時に何を言っているんだ?と訝しむ。
しかしイツキはそれには構わず、パル先輩のケガの状況を看るため、左肩の方へと移動しミリダ語で話し始める。
「これより先、この場はレガート国【治安部隊】が指揮を執ります。全ての指示はミリダ語で出しますので、皆さんも必ずミリダ語で話してください」
「・ ・ ・ はぁ?」
校長以外は話が理解できず、どういうことかと説明を求める視線を校長に向ける。校長はイツキの言葉に顔を引きつらせながら、大変なことになったと青くなる。今回の件が、国の【治安部隊】を動かす事件に関連しているのだろうかと。
「イツキ君は【治安部隊の指揮官補佐】の役職にあり、現在任務中だ」
「・ ・ ・ へぇ?」
校長の説明を聞いたポート先生もフォース先生も、なんのことか理解出来てはいないようだが、イツキはケガの手当ての為、2人に構わず続けて話す。
「僕はブルーノア教会が正式に発行した、医師資格と薬剤師資格を持っています。ラミル正教会病院の医師が到着するまで、僕の指示に従ってください」
そう言うと、ポカンと状況が呑み込めない2人の先生と看護師さんを余所に、てきぱきとパル先輩の全身の様子を診察する。
どうやら外傷以外、内臓の損傷は免れたようだとフゥーッと息を吐く。
腕のケガは・・・確かに処置が難しそうだ・・・下手に木の枝を抜くと血管を傷付け、大量出血するかもしれないし、神経を切ってしまうと手が動かなくなるかもしれない・・・
「先生方、枝を切るのに鋭利な刃物が必要です。手術用のメスではダメだし……何か有りませんか?」
イツキの問いに、先生方は顔を見合わせ考える。しかし、武具としての剣くらいしか思い付かない。
枝の太さは3センチ程度だが、真っ直ぐな訳ではない。刺さった枝は肘の少し上の外側から胸の方へ向けて貫通していた。
邪魔な枝を切り落とすために、校長先生に助手になってもらい、腕を上げて貰う。
看護師さんには止血のために肩に近い所を、布で固く結んでもらう。
イツキは制服の上着を脱ぐと、白いシャツの袖を捲り上げて深呼吸をした。
「フォース先生、発明部のイルート先生に、工作室の糸ノコギリと鋭利な工具を全種類持ってくるよう、至急伝えてください」
イツキの鬼気迫る指示に、皆は従うしかない。ここに居る学生は、自分には医師の資格が有ると言い切ったのだ。フォース先生は頷いて保健室を出て行った。
「それからポート先生、薬剤を確認してください。止血用の薬と痛み止は何が有りますか?校長先生少し替わります。保健室の外の先生方を、保健室から10メートル以上離れるよう指示してください」
イツキは自分が治療していることを知られないよう、慎重にことを運ばなければならないのだ。
校長は頷き保健室の外に出て、心配して様子を伺っている先生方に、教員室に戻るよう指示を出し、再び戻るとイツキと交替してパルの腕を持った。
「イツキ君、止血用の薬はヒツラミンしかない。痛み止は解熱剤のゴルゴドではダメだろうか?」
ポート先生と看護師さんは、薬箱と薬棚の薬を急いで確認するが、大ケガに対応できる薬は置いていなかった。
「ポート先生、痛み止の替わりに、温室で栽培していたエピロボスグリナ草を使います。止血剤は・・・マハラの実で代用できます。ああ、それから昨日僕が置いておいた【ポックの木の樹液】も持ってきてください」
「しかしイツキ君、エピロボスグリナは取り扱いが難しいと思うが?」
「大丈夫ですポート先生、強い睡眠作用は既に実験済みですから、それに眠らせておいた方が治療しやすいです」
「・・・」
ポート先生は、イツキの知識に驚きながら、今は指示通りに動くしかないと保健室を出て行った。途中【治安部隊】、【指揮官補佐】とブツブツ呟きながら・・・
保健室に残った校長先生は、看護師に聞かれてもより安全なように、ハキ神国語で質問してきた。
「イツキ君、これはただの事故ではないと考えているのかね?それから、君はいったい何者なんだ?」
イツキの行動が普通でないこと、任務で学校に来ていることは分かっているつもりでいたが、医師資格に薬剤師資格まで持っているとは、想像すらできなかった校長である。
「校長先生は軍学校のハース校長をご存知ですか?」
イツキは意識のないパル先輩の呼吸を確認しながら、落ち着いた口調で質問する。
「ああ、よく知っているよ。彼は上級学校時代の後輩だし、時々会って食事をする仲だ。イツキ君はハース校長を知っているのかい?」
校長は腕を持ったまま、何故軍学校の校長の話が出るのか首を捻りながら考える。
「はい、よく知っています。僕は9歳の時から軍学校で研究者をしていました」
パル先輩の着ている制服の肩から下を、ハサミで上手に切りながらイツキは答えた。
「えっ?ちょっと待ってくれ・・・それじゃハース校長が話していた、ブルーノア教会から預かっている天才先生とは君のことなのか?それで・・・それで【キシ組】と【治安部隊】なのか・・・いや、でもハース校長はこのことを知らないようだが?」
校長は驚きを通り越して、混乱する頭で情報を整理しなければと、深く息を吸って吐いた。イツキ君が、あの軍学校に居たイツキ先生なら、入学試験で満点を取るのも頷けるし、確かハース校長は、軍学校の医師資格のある教官をも上回る知識を持っていると自慢していた気もする。
しかし、そんな子どもが本当に居るとは、どこか信じられない気がしていたし、ハース校長が大袈裟に誇張して話していると思っていた。
「では君が、あのレガート式ボーガンを発明したイツキ先生なんだね?」
「そうです校長先生。黙っていて申し訳ありませんでした。今回の上級学校への入学は別の任務でしたので、学生たちや教師の皆さんに、危険が及ぶようなことがあれば話そうと思っていたのです。しかし、僕の予想以上に危険が迫っていた現実に、正直読みの甘さを後悔しているところです」
イツキはパル先輩の顔を見ながら、敵の洗脳の恐ろしさを改めて痛感した。
「詳しいことは、今日の騒ぎを聞き付けて明日にでもやって来る、【治安部隊】の上の者に聞いてください。これからは学生や教師の命を守るために、協力し合わなければなりません」
「教師もですか?」
校長は、イツキが守るべき者の中に、教師を含めていることに驚きを隠せない。
「そうです。それは校長先生でも例外ではありません」
「・・・」
そこへ工具箱を持ったフォース先生が帰ってきた。校長の顔色が真っ青なので、パルに何かあったのかと顔を除き込む。
バタバタと数人が廊下を走る足音が近付いてくる。
ガラリと戸が開くと、そこにはラミル正教会病院の医師や看護師が立っていた。
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