ボルダン校長走る
イツキの動揺を見たギニ副司令官は、己の言動を後悔しつつ、カルート国にある飛び地のロームズが、ギラ新教に介入を受けている可能性に、怒りと恐怖を覚えた。
そしてイツキは「これはブルーノア教会の仕事です」と言った。それは、ギニやレガート国の干渉を受けない活動をするということだ。
リース(聖人)として動くイツキを、何人も止めることは出来ない。
「承知しました。しかし、どうしてもロームズに行かれる時は、フィリップと他に数人は警護として、いえ、反乱の確認に赴く【治安部隊】と、行動を共にしていただけないでしょうか?」
ギニ副司令官は、言葉を選び直してイツキにお願いした。警護と言えば必ず断るだろうと思ったのだ。リース様であるイツキを、まだ14歳であるイツキを、レガート国のロームズの為に、一人で行動させる訳にはいかない。
「分かりました。先発隊として【王の目】のドグさんとガルロさんを送ってください。前回と同じ冒険者の身分でお願いします。この2人は、統治官と補佐との面識はありませんよね?」
イツキは1回目の隣国の戦乱の時に、共に旅をしていた【王の目】の2人なら、ロームズの町の人は受け入れてくれると確信していた。
1回目の戦乱の時、ロームズの危機を救ったイツキたち8人のことを、ロームズの町の人々は必ず覚えていると思ったのだ。
ドグとガルロは、前回ブルーノア教会の魔獣調査隊警護(冒険者)としてロームズに入っていた。今回も冒険者として入れば、ギラ新教の者も用心しない可能性が高い。
「はい、面識はないと思います。先発隊として送る2人は、情報収集だけでいいでしょうか?他にすべきことがあればご指示ください」
ギニ副司令官は、出来ればイツキをロームズに行かせたくなかった。
これまでも充分にレガート国の為に働いているし、教会の活動を兼ねているとはいえ、結果的にレガート国は守られてきたのだ。これ以上甘えられない……無理をさせることは出来ない……そうでなければ大人として、レガート軍の副司令官として情けないではないかと思う。
「一つだけ・・・ロームズの住民が、決して早まった行動を取らないよう、2人に説得して欲しいのです」
そう言いながらイツキは頭の中に、ある光景がはっきりと視えた。
軍人か傭兵と思われる男たちに、ロームズの住民が暴力を受けている光景が・・・泣いている女性や子どもたちの顔が、はっきりと視えてしまった。
それは現在起こっていることなのか、これから起こることなのかイツキには分からない……
イツキの両手は強く握られ、怒りで微かに震えていた。何も出来ない自分が悔しくて、知らないうちに涙を零していた。
イツキの涙を見たギニと校長はギョッとして驚いた。
2人は何故イツキが泣いているのか分からなかったのだ。もしかしてリース様であるイツキ君は、何かを感じ取ったのだろうかとギニは思ったが、真意は判らない。
「イツキ君?大丈夫?何か、何かあったのかい?泣いているじゃないか」
校長は泣いているイツキに心配して声を掛けた。
「えっ?いえ、なんでもありません」とイツキは答えて、自分が泣いていたのだと気付き、慌てて涙を拭いた。
ボルダン校長は、さっきからずっと気になっていたことがある。
何故軍のナンバー2であるギニ副司令官が、イツキ君に敬語を使っているのだろう?何故学生のイツキ君に指示を仰いでいるのだろう?イツキ君は【治安部隊指揮官補佐】だったはずだが……それにブルーノア教会の仕事って何だろう?……と。
ボルダン校長は軍学校の校長から、イツキはミノス正教会から預かっていると聞いていた。前は教会が身元引き受けだったイツキ君は、今ではキシ領の子爵であり、身元引き受けはキシ公爵と目の前のギニ副司令官である。
キシ領の子爵になったのは、レガート式ボーガンの開発や、他にも軍の活動に協力したからだと思っていた。しかし、どうやらそれだけではないような気がする。
そうでなければ、ヤマノ侯爵がいきなりイツキ君に伯爵位を授ける訳がない。
それはいったい何なのか……?
レガート軍ナンバー2の副司令官が敬語を使うような、特別な理由が他にも有るはずなのだ。
ギニ自信気付いていなかったが、教会の仕事と言われた瞬間から、ギニはイツキをリース(聖人)として意識していた。そこに校長が居たことを忘れて、思わず敬語を使っていたのだ。
「イツキ君、質問してもいいだろうか?私はまだ、大切な何かを知らされていないと思うのだが?」
意を決して校長はイツキに質問した。当然それはギニ副司令官に問うたも同然ではあったが、顔はイツキに向けられていた。
「それはどういう意味でしょうか?」
敢えてイツキは意味が判らない振りをする。イツキもロームズの暴動疑惑のことで、ギニとの会話に配慮を欠いてしまう程に、動揺していたのだ。
校長が多くを知ると、それだけ気を使わせてしまうことになる。
何よりイツキは普通の学生として、この学校で生活したかった。既に普通の扱いから外れてはいるのだが、イツキの身分を知った校長が、このまま自分を学生として、特別扱いをせずに接することが出来るのか……学生を続けさせてくれるのか……、それはとても難しいことだろうと思っていた。
「イツキ君、僕は校長にも知ってもらって、強い協力体制を築いた方がいいと思うんだ。これからギラ新教との戦いは本格的になっていくだろう。だが、イツキ君という人間は1人しか居ない。だから、1人で抱え込まずに、我々大人をもっと頼って欲しいんだ。頼りないかも知れないが、俺もアルダスも奇跡の世代だって全力で協力する。校長だってきっと同じだ」
立場が違うことは重々承知している。生まれた時からずっと戦ってきたことも知っている。どれだけ努力してきたのかも想像できる。でも、全てを1人で背負おうとしているイツキに、日頃から思っていたことを、ギニは言葉にして伝えた。
「・・・・・しかしそれでは・・・戦いに巻き込んでしまいます」
イツキはそう答えて俯いた。ギニの言葉は嬉しかった。しかし、これは命を懸けた戦いだ。校長は教育者であり、大切な使命を既に背負っている。そう考えると危険に巻き込むことが怖かった。
「イツキ君、ギラ新教との戦いは、学校の中でも起こっているよね。ここも安全ではないんだ。どういう立場にイツキ君がいるのか分からないけど、ギニ副司令官の言う通り、困ったことがあれば、もっと大人を頼っていいんだ。君は私の大切な教え子だ。教え子を守るのは教師の務めだよ」
校長は戸惑うイツキの方を向いて、優しい声で頼ればいいと告げた。何かを抱えて苦しんでいるイツキを、少しでも助けてやりたいと心から思ったのだ。
「ありがとうございます。ギニ副司令官、ボルダン校長。そうですね……僕は間違っていたのかもしれません。自分の使命に皆を巻き込むべきではないと思ってきましたが、既に僕は数人の友を巻き込んでいます。皆の協力でここまできたことを……きたことを……感謝しています。でも……ずっと申し訳ないとも思ってきました」
イツキは言葉を詰まらせながら、懸命に涙をこらえて話し始めた。
その姿が小さく見えて、いや、元々小さかった肩が震えている。
ギニはエントンが言っていた言葉を思い出した。
イツキ君はレガート国のことを考えながら、常にランドル大陸全ての人のことを考えていると。
イツキ君の背負っている多くのものを考えると、それがたとえ神が決められた運命であったとしても、1人で背負う必要はないはずだとギニは考える。
だからこそリーバ(天聖)様は、イツキ君を上級学校に入学させたのではないか……友を作り、共に戦う同志を得よと願いを込められたのではないか……いや、同志を得られると確信されて命じられたのではないのか……と。
レガート国の上級学校を選ばれたということは、イツキ君がレガート国の為に動き、我々がイツキ君の為に動くと思われてのことであると、ギニは思えてならない。
イツキは顔を上げ、ギニ副司令官の焦げ茶の瞳を真っ直ぐ見て、ゆっくりと頷いた。
ギニは同じように頷き、立ち上がりドアの前まで下がると、最上級の礼をとり深く頭を下げた。
「リース(聖人)イツキ様、私ギニ・ノバ・バイヤは、これからも変わらぬ忠誠を誓います。どうぞ背負われた使命を、私にお分けください」
言い終えたギニは顔を上げると、何が起こったのか分からないという表情で、固まっている校長にはっきりと告げた。
「ボルダン校長、イツキ君は、いえ、イツキ様はブルーノア教会のリース様です」と。
「リ、リース様?」
校長はガタンと音を立て椅子から立ち上がり、大きく目を見開いたままイツキを見る。
校長の頭の中は真っ白になっていた。ギニとアルダスがイツキをリースだと知った時も、暫く驚き過ぎて脳が停止していたのだから、当然の反応なのかもしれない。
校長の予想では、イツキの正体は王族の一員(隠し子)ではないか・・・または、6カ国語が話せるところから、他国の王族関係者ではないかと思っていたのだ。
王族の一員という予想は当たっている。だが、ただの王子であれば、なんの遠慮もなく堂々と学生をしていられるイツキである。
4月30日、今日は9つの上級学校長の、半年に1度の定例会議である。
会場はラミル上級学校の会議室。議長は持ち回りでマサキ上級学校の校長。進行はボルダン校長である。
イツキの正体を知ったボルダン校長は、次の日からレガート城に行ったり、ラミル正教会に行ったり、薬種問屋に行ったりと忙しく走り回っていた。
また、ギラ新教の情報を集めて回り、校長会議に出席してくれるゲスト役を頼みに行き、資料を作り自分の意見をまとめた。
夏大会で薬草不足を解消するために、全上級学校に協力して貰う為の資料を揃え、何度もレガート城と教会を往復し、イツキの指示に従いながら教師たちへの説明もした。
会議前日の夜には、早目に王都ラミル入りをしていたマサキ上級学校の校長と、事前に会って打ち合わせもしていた。
「本日は定例の議題の他に、学生たちを襲う危機について、特別にお時間を頂きたいと思います。ゲストも呼んでありますので、最後までよろしくお願いいたします。それでは議長どうぞ……」
9つの上級学校のトップに位置するラミル上級学校長のボルダンは、笑顔で挨拶し定例会議は始まった。
先ずは春休みに行われた上級学校対抗武術大会の、成功のお礼と反省が、ヤマノ上級学校長から述べられた。
そして次は、夏大会についてのお願いである。
資料を見た校長たちから驚きの声が上がり、急に予定を変更するのは、教師も学生も大変なのではと、反対ではないものの難色を示す意見が出された。
「皆さんの意見は充分理解できます。かくいう私も現実を知るまでは同じように考えました。そこで1人目のゲストに登場していただきましょう」
そう言うとボルダン校長は、教員室から薬種問屋のオーナーを呼んできて、レガート国の薬草不足の実情と原因を説明して貰った。
「このままでは、冬前に暴動が起こるかもしれません。もしも学生さんたちが協力してくださるなら、これから先、上級学校で栽培された薬草は、責任を持って買い取りさせて頂きます。勿論種や苗も提供いたします。お願いします。我々を、いえレガート国民を助けてください」
薬種問屋のオーナーが、涙ながらに現状を語り退室した後、もう一人のゲストが会議室に入室してきた。
その姿を見た校長たちは、慌てて立ち上がり礼をとった。
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