006
おじいさんの荷物は鞄一つだけだった。
大きさこそそれなりだったが、引っ越しの荷物にしては随分と少ない。本当に必要最低限といった感じで、持ち運びには俺の手一つで事足りた。荷物を教会まで運ぶと部屋は長らく使われてなかった客間を引用するということなので、その部屋に置いて、俺は直ぐに『マリアンヌ』までとんぼ返りだ。
その前に神父様とおじいさんと共におばあさんの墓参りだ、お墓の前でただ何も言わずに祈りを捧ぐ。その間、横を見たりは間違ってもしない、後は……まあ俺は何も聞いてないよ、此処最近耳が遠くてさ、聞くべきでない音は聞こえないのだ。
「ダン、そろそろ行こうか」
「……あぁ」
「じゃあ神父様、俺はこのまま『マリアンヌ』に戻りますね」
「分かった、手伝いが必要な段階になったら何時でも呼びに来なさい」
「あ、それと今日はもう教会に戻りません、宿舎の方の身辺整理もあるので」
「……もしかしてそれは私がロロに伝えるのかな」
おじいさんの荷物を置きに行った時には会えなかったし、昨日夜ふかししたせいかシスター・ロロは今日朝寝坊して会えていない、まあ必然的に言伝をお願いする形になるわけだ。
「すみませんですがお願いしてもいいですか?」
「……ロロに言ってから作業に行ってもいいんじゃないかな?」
「すみませんがよろしくお願いしますね」
「ソリッシュ!?」
いやシスター・ロロに直接伝えたらそれだけで終わらないから、作業が明日からになりかねないから。俺、昨日神父様に見捨てられたの忘れないですからね。というか神父様が慌てるとか滅多にない事なのにこんな場面でか。おじいさん滅茶苦茶笑い堪えてるんだけど。
シスター・ロロ強し。
俺は俺を捕まえようとする神父様の手をすり抜け墓場を後にする。
冒険者は体力が命だ、結構距離あるけどこのまま走り切ってしまおう。これからは運動不足が天敵になるだろうし、毎朝起きたら健康の為に走るのもいいかもしれない、後は寝る前の筋トレとか? 客商売を継続して行うのがどれ程大変か分からないけど、習慣にしてしまえばいずれはそれを含めて慣れちまうだろうさ。
「さて、やりますかね」
走り切ってみると、歩いてる時の半分位の時間で到着できた。多少の疲労感はあるが、息を荒げると獣に見つかりやすいので呼吸のリズムは崩れていない、一見この位の距離なら走るのも余裕なように見えなくもない、誰に見られている訳でもないが。
Divine Skll>≪生成:荷車≫
俺みたいに一から作りだすような加護は珍しいが、実は何処からともなく物を出現させるような加護は結構ありふれている、例えば商人系の加護に亜空間収納……荷物の重さもサイズも無関係に人一人の手で難なく運ぶことの出来るものがある。別名荷馬車要らずと呼ばれるそれは言うなれば収納専用の小さい世界を作り出せる加護だ。
人によってその容量や効果は結構違うらしいが、最近では行商人なら必須の加護ともいえる代物になっている。一応、魔道具に似たような効果を持つものはあるらしいが、盗まれる可能性がある以上下位互換としか思えない。
話がずれたがつまりは、俺が唐突に荷車を出現させても通行人は誰も驚かないって事だ。
まあ何で荷車を出したんだろうとは思われるだろうけど。
さて、じゃあまずは中のモノを運び出しますかね。
一人でやるとこれだけで一日作業になりそうだが、ガキ共は戦力外だしなにより今教会に戻ったら間違いなくシスター・ロロに捕まる。それだけは避けたい。
「ソリッシュ、何をしている?」
「あん?」
振り返ると、エヴァが居た。
昨日のタリサみたく完全武装とかいう阿保みたいな恰好じゃない、普通に私服だ。
「どうしたよこんな時間に」
「今日は休日。もう忘れたの?」
「あぁ、だっけか」
「で?」
「ここの家の中のモノを全て出すんだよ」
「ふーん。一人で?」
「おう」
「阿保か、効率悪すぎ」
「ほっとけ」
罵倒されながら作業するのは御免なので、さっさと店内へ入る。ここの商品は捨てるには高価過ぎるし別の形で処理しよう、で、二階にあるものは……言われた通り処分しなきゃ駄目だろうな、それこそこの店をやっていく上でずっと世話になっていた物ばかりだろうし。
「おい」
「うお!? なんだよ何でまだいんだよ」
「何故効率が悪いと分かった上で何故人を頼らない?」
「何故って、何だ? エヴァが手伝ってくれるのか」
「…………別に構わないが?」
「え、マジでか」
「暇だから」
予想外過ぎる、何時も休みの日は何処かへ消えるからてっきり忙しいのかと思ったが、実はそんなことも無かったのか? 四年一緒に居たが日常生活におけるコイツの行動パターンは本当に読めないな。
「何をすればいい」
「えーと、さっきも言ったが家を空っぽにしたい。この辺にある服関係は今外にある荷車に乗せるとして、二階の物は……そうだな、エヴァが手伝ってくれるなら全部塵にしてくれ」
「いいの?」
「出来れば中とか確認して本当にやって良いのか微妙なモノが有ったら俺に教えて欲しい」
「分かった。じゃあ私は二階にいるから」
「頼んだ」
エヴァは消滅魔法なる恐ろしい魔法も会得していて、文字通り何かを消したい時にはうってつけだ、野宿の際に出たゴミとかもこの魔法で消滅させる。
奴が居るだけで作業速度は倍以上に跳ね上がるだろう……さて、俺もやりますか。
Divine Skll>≪生成:ボックス≫
何の変哲もない箱を出現させ、綺麗に畳まれた服を丁寧に仕舞っていく。
八百屋とか武器屋に比べて、商品の数はそれ程多くない、元々おばあさんの服を売り切ったら辞める気だったのを差し引いても、こういった新品の服を取り扱う店で店頭に並ぶ品というのは少ないものなのだ。こういった店をよく利用するようなお金持ちは体形に合った服を探すよりも、服を体形に合わせて作るのが主流だからだ。おばあさんが作った洋服が店頭に並ばずお客さんの手にそのまま渡る所は何度も見た事がある。
箱三つ分ってところだろうか、店内に残ったのは商品が乗っていた台だけになっていた。これらも後でエヴァに頼んで処分だな、次はおばあさんの工房、か。中に入ってみて、そこがビックリする位変わらなくて、俺は思わず目をそらした。
様変わりしていた店内に手を付ける事へは、然程抵抗がなかった。だが正直言ってここほど俺が手を付けることに躊躇する場所はない、だって馴染みが深すぎる。何処を見ても懐かしい。神父様の言っていた改築というのは店内と外装だけだった様で、生活スペースとこの工房は昔のままだ。
……ここを、俺が壊すのか、
おばあさんが使いやすいように最適化されたその空間は、今すぐにでもまた服作りを始められそうな雰囲気があった、そしてこれこそがおじいさんのいう消してほしい『マリアンヌ』なのだろう。……このまま残しておくことは、許されない。それに俺じゃあここを思い出のまま腐らせるだけだ。
……だから、やらなきゃな。
そう自分に言い聞かせて、綺麗に整理された型紙を箱に詰めていく。だが作業する手は鈍る一方だ、すべてを処分しなければならないと思うだけで型紙一枚がオーガよりも重い。
このままじゃ終わらない、取り合えず処分するかどうかは保留することにしよう。
おばあさんの手がけた洋服に纏わるものはすべて残っていた、完成図のデッサン画から型紙から殴り書きのメモから、全てだ。それは最早一種の教本であり、レシピだった。マリアンヌという女性が生涯を賭けて残した成果だ。
実際目の当たりにして気づく、おじいさんの処分して良いという言葉の重さは俺ごときじゃ到底背負いきれるものじゃなくて、『マリアンヌ』を消すという言葉は何も残さないということではないと解釈させて貰う他ない、俺には無理だ、目の前のこれらを焼くことは。例え腐らせてしまうとしても、捨てられない。
おばあさんの姿を幻視する。泣き言を言う俺をただ微笑んで見守るだけの彼女が視界を掠めて、本当に泣きそうになる。
エヴァもいるし、泣き顔なんか曝せない。
「ソリッシュ?」
「っ⁉ ど、どうした?」
なんつうタイミングで降りてくんだよ、もう少し早いか遅いかしてくれたなら平常運転の顔だったのに。
振り向かずに返事を返し、俺はいつも通りで、作業に集中していて振り向かないだけだという立ち振る舞いを取りながら、手を動かす。慌てていても粗雑には扱えない、そんなのは当たり前だ、一つ一つ丁寧に箱に収納していく。
あれ、つーかエヴァは何で黙って……。
Magic Skll≪ハイ・ヒーリング≫
突如、俺を淡い緑色の光が包む。
これは……回復魔法?
「どうした、は私の台詞」
「エヴァ……?」
「何でソリッシュは泣いてるの」
「は……? 泣いてねぇし」
実際、泣いては居ないはずだ。頬を水が伝ってはいないし、笑えと言われれば笑えるだろう。
というかもし仮に泣いていたとしても、そこで回復魔法を使うか普通、流石エヴァとしか言いようのない行動だ。
Magic Skll≪ハイ・ヒーリング≫
Magic Skll≪ハイ・ヒーリング≫
「何処が痛い。治癒するから言って」
エヴァは人の話も聞かず回復魔法を行使する、何度でも、何度でも、何度でも。
それ以外にやり方を知らない見たいに。
Magic Skll≪メンタル・ヒーリング≫
Magic Skll≪ポイズン・ヒーリング≫
Magic Skll≪エンジェル・ヒーリング≫
「はは……」
「ソリッシュ?」
つーかマジかよ、エヴァに心配される程分かりやすく俺はやばかったのか。俺は思わず振り返って、エヴァの顔をまじまじと見つめる。
何時も通りの無表情、だが何処か顔色がよくない、どうしていいかわからない時エヴァはこういう顔をする。
いや、ほぼ変化ないんだけどな? 相変わらず表情筋は仕事してない。
「大丈夫だ、ありがとう」
「ソリッシュは弱いんだから無理するな」
「いや、本当に大丈夫なんだ。エヴァの回復魔法のお陰でもうすっかり元気だよ」
「……負傷の隠蔽は命取りだと理解してる?」
「わかってるよ」
「ならいい、痛いなら言え。何度だって直すから」
「あぁ、ありがとうな」
「…………」
「どうした?」
「別に」
急に降りて来たエヴァの要件はなんてことない、処分して良いか分からないものが出てきたから尋ねに来ただけのことだった。
聞きたい事を聞き終わったらさっさと二階へ戻って作業を再開する辺り、流石としか言えない。それに引き換え俺は相変わらず気は重い作業スピードも上がらない、だけどこれは悲しいからだけじゃない、しっかりと残すモノと処分するものを選別しているからだ。
『マリアンヌ』はこの町から消える、だけど俺の中からは消せないから。
作業終わりは、何だかんだやっぱり日暮れまで掛かった。
結構処分したが、結構そのままになってしまった、そんな感じの締めだ。
「今日は助かった」
「別に。それよりここでソリッシュは何をするつもりなの」
「……そういえば言ってなかったな。ここはさ、俺の店になるんだよ今日のは開店準備の一つってところか」
「ソリッシュは冒険者辞めて二日でこんな場所にお店を持ったってこと?」
「あぁ……そういや、そうなるのか」
全然実感湧かないが。
エヴァは少し黙って、ぽつりと一言だけ言ってスタスタと歩いて行ってしまった。
「凄いね、ソリッシュ」