008
『マリアンヌ』の外装は至ってシンプルだ。
三角屋根の木造建築二階建てで、扉の上に看板が掲げられている。お店というには随分シンプルなものと言えるだろう、改装したばかりという事もあって小奇麗だけれど飾り気が無くて、商品の質と長い月日で培った信頼で勝負しているといった風である。
こうしてみるとお洒落の最先端でなければならない洋服店としてはどうなんだろうと思うし、俺みたいな新参者にしてど素人のペーペーが経営する店となればこれじゃあ駄目だ。まず店の外装でアピールしなければそもそも気付いてすら貰えない。
じゃあどうするか、取り合えず店に入りやすくするべきだ。
そんな訳でまずはこの店内が殆ど見えない状況をどうにかしよう、じゃあ窓の増設と拡大だ。
ではどうやって窓を拡大するのか。
案一、業者に頼む。
無理だ、金が無い。
厳密に言えばなくは無いし、何度か依頼を受けて顔見知りのところもある。が、しかし今後の事を考えればあんまり好ましくは無いだろう、別に俺は霞を食って生きられる訳じゃない。金に困って冒険者に逆戻りなんてのは笑えない話である。
案二、ノコギリを〈生成〉して自力だ。
かなり厳しい。
そんな技術が備わっていないのもそうだが、相手は薄い木の板じゃないんだからノコギリで切るったってどんだけ時間が掛かるんだよって話である。というか壁の内側まですべて木でできてるのか? それこそ大工でもないとその辺はさっぱりだ。
故に今回用いるのは案三だ、魔法を用いる。
こんなことなら昨日エヴァが居るうちに頼めばよかったと思うが、昨日は全然思いつかなかったのだからしょうがない、そもそも外装のレイアウトすら現在進行形で考えているのが実状で、無計画な俺にはこの位のミスで済んで居る内が花である。
問題ない、この程度の魔法なら俺が行使しようではないか。
俺にも魔法適正はある。
エヴァやレーナに比べれば塵屑もいいところのなんちゃって才能だし、実戦での有用性は皆無と言って相違ない。折角適正が有るのだからと覚えた知識は記憶の奥底で埃を被っている。
けれど一度叩き込んだ技術というものは錆びはしようとも朽ちたりはしないようで、基本的な事や注意点はしっかりと覚えているのだから俺の記憶力も侮れないものである。
師事したレーナの教え方が良かったのもあるだろう。因みに何故魔法を専門とするエヴァから教わらなかったのかと言えば単純に奴が人にものを教えるという事が向いていなかったというだけの話である。奴は事もあろうに最初から何の詠唱をする事も無く魔法を行使して見せて、ただ無言のままにこれをやって見せろという視線を向けるだけの案山子だった、自動迎撃機能搭載の案山子だった、端的に言ってこんな教わり方で魔法の行使は不可能である。頭の出来が違うエヴァは何でできないのかわからないと首を傾げていたが、あれで分かるのは感覚で魔法を行使できる天才だけである。
というか今この時になってもエヴァが一番最初に見せてくれた魔法は使えるようになってないからな。
あんまりに見込みが無くて途中で辞めちまったってのもあるんだろうが、俺にはエヴァが当たり前に行使する魔法すら遥か高みにあったのだ。
閑話休題、兎にも角にも俺は魔法を使え……なくもない。
しかも、偶然だが今回の案件には最適の魔法が使える。
間違いなくえっらい時間が掛かるが綺麗には仕上がる。
Divine Skll>≪生成:チョーク≫
凡人の魔法には、下準備が必須である。
火を起こそうと思ったら薪が必要だし、飲み水が必要だと思えば水そのものは必要だ、正直何かを創り出す時は魔法を使うより加護の〈生成〉を使う方が何千倍も速い、何せこっちは一瞬だから。
だから辞めた、何せ攻撃魔法なんて使えなる気もしないからな。
なんだありゃ、つかそもそも空中に魔力で魔法陣を描くとかマジどうやってんだか理解出来ねぇ。
魔法使いは当たり前にやってるが、あれだって十分過ぎる程すげぇ技能だ。
この世界においては魔法適正がある=総じて魔法使いかその予備軍みたいな方程式が出来上がっているがそんな訳はない。お前は地面を強くけれるのだから早く走れる筈だと言われている気分になる。
だから貴族間ではその子供が結構可哀想な事になることが有るらしい、なまじ中途半端に魔法適正を持って生まれようものなら親から将来は魔法使いだなんて迷惑なレッテルを張られて伸びもしない才能に金を積まれて英才教育だ、まあ魔法って神の奇跡に近いものがあるから、お偉いさんには眩しいんだろう。
一種のステータスになる、みたいな。魔法の不出来は自分が一番よくわかるから最も惨めなのも自分で、きっとこの上なく苦しい筈だ。同じく塵屑程度の適正しか持たなかった俺としては親近感すら湧いてしまう。
そんな傷の舐め合いはさて置き、俺は〈生成〉した青チョークで正面入り口の扉横の両側にまっすぐな線を引いていき、綺麗な長方形を描く。
線をまっすぐ引くだとか、綺麗な円を描くだとか、そういうのはそれこそ魔法使いの基礎中の基礎、これだけは結構さっくり出来る様になったもので、俺の手は定規要らずだ。後は角度を見るのとかも得意だな。まあ必要だったらだったで定規を〈生成〉すればいいだけの話なんだが……。
扉と合わせて横長の十字架みたいな感じにしてから一度距離を置いて全体を確認してバランスを見る。
うん、微妙だ。
チョークを水でしっかりと洗い流して乾くのを待ち、その間考えていた外観を形にしていく。
その際に既存の窓をすっかり忘れていたことを思い出して、取り合えず窓本体は外して隅に置いておく。
硝子は高価だし、意味もなく砕け散らせる意味は無いだろう。
その後何度か描いては消してを繰り返している内に昼になった。
……これ絶対事前に何か別のモノへ描いて考え方が絶対早い。
生憎ともうイメージが固まりだしていて今更間が半端ないが、次回からそうしようとありもしない未来を思う。
「はーい、ソリッシュ。差し入れだよぉ」
「……シスター・ロロ? 何故ここに」
何処かで昼飯を調達しようかと考えたところで後ろからふわりと纏わりついてきたのは何時も通り修道福に身を包んだシスター・ロロ。気配を消した魔物にだって鼻が利くのに何でこの人は何時も俺の背後をとれるのだろう。
後ろから回された手にはバスケットが握られていて、恐らくはこれが差し入れだろう。
「主が頑張っているソリッシュに差し入れせよと仰せになったのでぇ」
「主が一個人に肩入れするかよ」
「してもいいでしょー? それこそ主の思うがままにー」
シスターが神の言葉を偽造とか普通に世も末だよな、まあ教会のお偉方になればそんなのしょっちゅうやり過ぎてるだろうからこの程度は可愛いものなんだろうけれど。
「ソリッシュ! 遊んでくれよ!」
「あー! シスター・ロロが抜け駆けしてる!」
「ソリッシュはわたしのなんだからね!」
ガキ共も来たらしい、シスターロロに習ってか俺の足に纏わりついてくる。
「はーいみんなぁ、取り合えずご飯にしましょうかぁ」
「えーソリッシュと遊びたいー」
「ソリッシュで遊びたいー」
「こらこら、ソリッシュは今お仕事中なのだから邪魔しちゃいけませんよぉ」
どの口がいうのか。
というかガキ共を連れて来た時点でこうなる事は予想出来ただろうに……やれやれだ。
とかなんとか思っても頬は緩むし口には出さないし、丁度いい位置にあった頭を撫でるのは必然で、それで更に嬉しそうに笑ってくれるのだからもうどうしようもない。
まあいいかという結論に至って店の中で昼食となった。
台とかは全て処分してしまったし、残したものは奥にしまい込んであるから店内スペースは何もないから敷物を〈生成〉してそこに全員で円を作っての食事となった。
差し入れの中身はサンドイッチだった。
きっとこの後は腹ごなしにガキ共と戯れることになるのだろう、なら少しでも進展させる為に食事中に窓が出来上がった後の事も考えてみる事にしよう。
ついでに意見でも聞いてみようか。
「店の色ぉ?」
「そう、何色が良いと思う?」
色は人に与える印象を決める重要な要因の一つで、窓の形を変えて、色を塗り替えれば外装からはほぼ『マリアンヌ』を感じさせる事は無くなるだろう。
「青緑色!」
「山吹色!」
「ソリッシュを私色に染めたいわ」
「緑、とか?」
うん、何だろうね。ツッコミ処が満載な気がするのは気のせいだろうか。
ついでに一人は兎も角三人は結構まともに答えてくれている筈なのに一人しか真面目に考えていない気がするのは錯覚か?
紛れもない現実だ馬鹿野郎。
「うーん……オレンジとか? お日様色のお家なんて素敵じゃないですかぁ」
「オレンジか」
じゃあ屋根を緑にして外壁はオレンジにするか……山吹色を含めりゃオレンジ二票だし、ガキ共で唯一ちゃんと考えてくれただろう奴が緑っつってるし。
後回しにしてたが店内レイアウトも考えなきゃな……それによってどんなものを〈生成〉するかも変わってくるし……。
その後昼食を終えてから三時間位ガキ共と戯れてからシスター・ロロが引き連れて行った。取り合えず早くしないと手元が見えなくなる、俺は壁にチョークを走らせた。
「まあ……こんなもんでいいか」
そう呟く事が出来たのは急がなければと口にしてから随分と時間が経過してからのことである。
俺って妥協を知らなかったのか、等と思いつつ今度はその四角形の中に魔法陣を描く、四角形一つにつき一魔法陣だ。そうして最後に四角形がちゃんと線で繋がっていて切れていないかを確認することで漸く準備完了である。
因みに線が切れてたりすると偉いことになる。具体的に言うと壁が吹き飛ぶ。
魔法陣は発動キーで、四角形はその効果範囲、範囲指定しないでこの魔法を行使すればここぞとばかりに魔力を食い潰し、届く限界まで効果を齎すのがこの魔法だ。
「……あー、いー、あー。……よっし」
少しの発声練習と深呼吸をして、一字一句間違えない様に頭の中で呪文を反復、そうした後に漸く俺は魔法の言葉を紡ぐ。
「『これは滅びでなく、切削である、切削であるが故に必要を必要とするだけを削り抉る魔なる理。無と有の境界線を見極む己れの眼は何処じゃろな、切り取る御手々は何処かいな。嗚呼、その何方も無いではないかこの己れには。嗚呼、なんと虚しき現実か、己れの虚ろをそいつで埋めてくれ。そいじゃ足りないもっとくれ、そいじゃ足りないもっとくれ、そいじゃ足りないもっともっと寄越すのだ。嗚呼、孰れ虚ろが埋まるその日まで、魔を炉にくべて、贄を己れに賜ふ』」
Magic Skll≪ボーダーイーター≫
よし、発動したな。
そう考えた次の瞬間チョークで描かれた魔法陣とそれを囲む四角形が発光して、消失した。
文字通り、俺が描いた通りの四角形に大穴が空いてる形だ。
これが俺が使える魔法の中で一番難しい〈ボーダーイーター〉。範囲消失の魔法である。
詠唱は正直疲れる、特にこういう破壊系魔法の詠唱は、何処か狂ってる。正直声に出すのも悍ましい。
〈生成〉の練習で物が溢れない為に覚えた訳だが、ぶっちゃけ普通に廃棄するかエヴァに頼んだ方が早くて滅多に使わなかった。だからこんな形で役立てる事になるとは夢にも思わなかった。
そして窓が入る穴さえ開けば後は……。
Divine Skll>≪生成:ウインドウ≫
このように丁度ドンピシャの窓をワンセット生成するだけである。
完璧なまでのピッタリ寸法で、クギを打たなくてもびくともしない窓枠の構造と通常は加工が難しいような装飾を施せればもう言うことは無い。しかも人の手で作ったわけではないから、壊れやすくなるような接合部分はない。
俺的に完璧……じゃねぇ。
ヤバい、壁の色塗ってからやればよかった。〈生成〉すれば色もなにも出来上がって創られるのだからそっちの方が楽に決まってる、間違って窓枠にペンキつける心配も無くなるしな。
……ま、まあやっちまったことは仕方ない。
残りも同じようにやってしまおう。
……魔力足りるだろうか?