プロローグ
「じゃあ一か月前に話した通り、俺はパーティを抜けるから」
ここは今話題の喫茶店、このご時世にはまだ珍しい平民向けの甘味処ということで店内は大多数の女性客や極少数のスイーツ男子で賑わっているが、俺が座るこの丸テーブルはまるで通夜のように暗い、場所に合わせた表現をするなら砂糖もミルクも入っていない珈琲の様にどす黒い。
あれは人間の飲み物じゃないと思う、前にミルクと砂糖を入れずに飲んで死ぬほど後悔した。
それはさて置き、なぜこの明るい店内でここだけこんなにも暗いのかという話だが、それはこのソリッシュ・クラウゼビッツがパーティを脱退するからである。
パーティというのは、冒険者という……所謂傭兵稼業になるのだろうそれにおけるチームの呼称である。俺は冒険者として四年間このパーティでやってきた訳だが、それに終止符を打とうという話だ。流石にそれだけ長いこと一緒にやって来た奴との離別はそれなりに思うところがあるということだろう。
「ねぇ……やっぱり考え直さない?」
「何を今更。結構前から言って有ったろうが」
「それはそうなんだけど……」
タリサ・ヴェンデッタ、職業は戦士。
吊り目で気が強そうな印象を受ける顔立ちだが華奢でとても前衛職とは思えない体付きをしているが、見てくれに反して自分よりも大きなクレイモアをぶん回し、幾重にも剣を駄目にするような剛腕の持ち主で、その腕は街で戦士五本の指に入るんじゃないかと噂される程だ。大規模戦闘で大隊長を務めた事もある。
しかしその実態は『ホリデーキラー』。週に一度の休日は大体こいつの手によって食いつぶされる。あそこへ連れていけ、買い物に付き合え、同じ前衛として共同訓練をするしかない。等々誘い文句は様々だが、大体丸一日持って行かれるせいで帰省もままならない。
俺は孤児で、出生不明の教会育ち。ずっと世話になりっぱなしな神父様やシスター・ロロに少しでも報いたいのだが、タリサのせいで月一になんとか帰るのがせいぜいだ、ここ最近は忙しくてそれすら危うくなっている。
「ソリッシュはここ辞めてどうする気なの」
「んー……や、まだ何も決めてないが」
「辞めてから次を探すのは非効率。決めてから辞めるべき」
「いや、そうやってなあなあでかれこれ四年いるからな俺は」
エヴァ・レミオン、職業は魔道師。
無表情で何を考えているのか読み取れず、冒険者を始めたばかりの頃は一言も喋らなかった位寡黙で、なんというか扱いにくい奴だが、その腕は本物だ、攻撃魔法から回復魔法から補助魔法から、必要な魔法を必要なタイミングで行使する彼女の有り様は職人肌の仕事人を思わせる。
しかしそんな仕事中とは裏腹に、『洗濯物の悪魔』と俺が勝手に呼称する程日常生活が酷い。その名の通り、奴は洗濯物を貯める。俺がついうっかりエヴァの部屋へ洗濯物回収に行くのを忘れてしまった日が続くとまず間違いなくその尋常ならざる量に泣く事になる。なんか知らんが春夏秋冬三百六十五日全てにおいて通常では考えられないほど重ね着するのだ。
前に魔術的な意味があるとかないとか言ってたような気がするが、とにかくその量が凄くて一週間貯めるともう手が付けられなくなる。その服をクローゼットに収めるのも俺だぞ、どんだけスペース配分に気を使わなきゃいけないんだよ。エヴァの部屋の壁は全面クローゼットだ。
この二人とは、俺が教会を出てからずっとお世話になってる宿舎で一緒に住んでいる。……そのせいで掃除や洗濯といった家事全般を押し付けられ、二人の部屋が汚いと何故か俺がおやっさんにどやされる、『お前んとこのタリサの部屋から変な匂いがしやがるんだが』みたいな感じで。
「……そもそもソリッシュは何故急に辞めるなどと言い出したのですか?」
「うん……そこから? 一月前にも説明したと思うが?」
レーナ・アリエル・ルルベール、職業は魔法剣士。
家が伯爵家のガチお嬢様、何時も身だしなみが完璧で彼女の長い金髪はとてもガサツな冒険者とは思えない程綺麗なものだ、出自も身なりも冒険者らしからぬ彼女だが、その腕は本物だ、目にも止まらぬ速さで繰り出される剣技と、その隙間を縫うように繰り出される武詠唱の攻撃魔法はいとも容易く魔物を焼く。
タリサやエヴァと違い、彼女は自宅からの通勤であるから俺に変な被害が及ばないかと言えばそんな事もない。奴は『金食い虫』だ。お嬢様だからお金に困ってないかと言えばそんなことは全然なく、むしろ貴族の金銭感覚で散財し過ぎて冒険者としての収入じゃ全然支払いが追い付かず、いつも金欠。俺が居なかったら他所の町での依頼中に餓死確定である。
……そんなレーラのたかり攻撃とタリサとの休日遊ぶ金で俺の収入は大体吹っ飛ぶ。やばい位金が貯まらない、端的に言って不毛だよね、こんな状態。何のために金を稼いでるんだって話だよ。
――――四年の歳月を経て、俺は気づいたよ。
こいつらとこのまま一緒にいたらヤバいって。
「取り合えず、もう嫌なんだよ」
「嫌、というのは?」
「何がって……全て押し付けられる家事もそうだけどタリサがやらかして俺が一緒に謝りに行くのとか、エヴァが見知らぬ街でふらふらどっかって迷子になって探しに行ったりとか、レーナが散財しないよう見張るのとか……何で俺がんなことやんなきゃいけねぇんだよって思うこと全部が嫌だわ!」
「は、はぁ、それはご迷惑をお掛けしまして」
「本っ当にそれなっ! 何で俺がエンシェントドラゴンが本当にいるかどうかで近所のガキ共と喧嘩になったタリサを仲裁して、親御さんに謝罪しなきゃいけねぇんだよ! どうでもいいわ下らねぇ!」
「く、下らなくないわよ、とっても大事なことなのよ!」
「知るか! せめて自分で解決してこい! 何で俺が呼び出されなきゃいけねぇんだよ!」
その日は珍しくタリサが来なくて平和だぜひゃっほいとか思ってたらこれだよ!
「……後は、まあ俺の実力不足っていうのもあるわな」
「そんなことないわ! 来週の遠征で一緒にグレーター・デッドの軍勢と戦いましょ!」
「嫌に決まってんだろそんな物騒な魔物と戦い!」
「何でよ!」
「何でって……何でってお前! そんなん俺の加護が生産系で碌に戦えねぇからに決まってるだろ!」
この世の生きとし生けるものは、生後間もなく神より祝福を受ける。
神の加護は、十人十色、戦いに特化した加護を持つ人や、物を作る事に特化した加護を持つ人、色々な加護を少しずつ賜った人だっている。
三人は言うまでもなくガッチガチの戦闘特化、神の祝福を受けた戦乙女共だ。
だが俺はというと、魔道生成特化、分類的には生産系の加護だが生産系の中でも特殊な部類に入る加護、魔力を糧とした無から有を作り出すというものだった。
一見良いもののように思えるこれだが、無から有を生み出すなんて神の御業染みた事、阿保みたいに魔力を食うに決まってる、今でこそ一〇本剣を生成しても問題ないが、昔は塩一〇〇g生成しただけでも魔力が枯渇したものだ。端的に言って戦闘には不向き、それを何とか出来た俺は加護にこそ恵まれはしなかったが戦う才能はあるのかもしれない。
加護は行いによってその力を増す。
戦闘系の加護を持つ者は魔物を狩る事で力を増し、生産系の加護を持つ者は物を作る事で作るものの質を上げる。そもそも強化の方向性から違うのだ。
タリサが華奢な体であんなに強靭なのも加護のお陰という訳だ。他の二人だってそうだそれぞれ違う方向性だが確実に成長している。
それに引き換え俺はガッチガチの生産系、そもそもどんなに魔物を殺しても力は得られないし加護の力が増しても戦闘面で強くなったりはしない。俺には一かけらの戦闘系の加護も無いのだから。
何故か加護無しに初級とはいえ攻撃スキルを覚えたりもしたが、ミラクルもそこまでだった。以降スキルを習得したことはない。
「そ、それは……」
「……もうそろ限界だろ、てかその段階は二年位前に通り過ぎてる」
所謂成長限界がとっくの昔に来てるのだ、技術で何とか出来る次元もぶっちぎって、昨日のキリングアリゲイターの群れだって生き残れたのが奇跡だ、あんなん常人が戦う相手じゃねぇ、何だ全長四メートルの鋭利な形状をした硬い殻に覆われた鰐の大群って。
敢えて口の中へ入って甲殻を無視して切り裂くなんて人生で何回もやりたくねぇ。そして俺がそうやって倒せる相手を一撃で屠る奴らと一緒にやっていけると思うほど俺の面の皮は厚くない。
「別に問題ない。私が居ればソリッシュは死なない」
「いや死ぬね、流石にもう無理だ。」
「死なない」
「いやだから……」
「死なない」
「……せやな」
確かにエヴァの防御魔法や補助魔法は凄いがそれにしたって俺じゃないもっとちゃんとした奴にやればもっと効率も良いだろうに。
「だがそれは辞めない理由にはならねぇ」
「……それはどうして?」
「タリサ……それをお前が言うのか?」
「何よ」
「何よ、じゃねぇよ! そもそも俺は冒険者なんてやる気は無かったわ! 無かったんだよ! 何度も言ってるよな! それを何処かの誰かさんが無理やり冒険者にしたんだろうが!」
「誰かしら」
「てめぇだぁぁぁぁ!」
そう、四年も冒険者をやっておきながら実は俺に冒険者でありたいと思う気持ちはこれっぽっちも無かった。というのも、俺には神父様に頼まれた使いで冒険者ギルドを訪れた際にほぼ強制的に冒険者ギルドへ加入、パーティへの参加が決定づけられたという大よそ就職先を決めるには相応しくない経緯で冒険者になっている。そんな意気込みも何もない奴が死なないの? じゃあ続けよう! ってなるわけねぇだろ馬鹿じゃないのか。普通に死にかけるのも嫌に決まってんだろ。
……本当、目標も何もなくよくもまあ四年も続けたものだと思うよ。
「うっ……じゃあソリッシュはこの四年間、まったく楽しくなかったとでもいうの!?」
「いやそれとこれとは話が別だろ、何だかんだお前らは嫌いじゃないし、遺跡探索とか楽しくなかった訳じゃねぇ。だけどそれは辞めない理由にはならねぇんだよ。それを踏まえて俺は辞めるって言ってんだから」
もしも全く失って惜しくないのなら、そもそもこんな場を設けたりはしなかっただろう。四年も一緒に居なかっただろう、けれど、それは織り込み済みで、もう限界だ。
俺は……こいつ等のお父さんじゃねぇ! 確かに楽しいこともあったさ! 辛くても頑張れる何かがこのパーティにはしっかりと備わってた! けどよ、何が悲しくて俺は同い年の子供を持ったような気分にならなくちゃいけねぇんだ。外面ばっかよくて、家じゃ何にもしない駄目娘共の面倒を見続けなきゃいけない道理がどこにある!
「……本当に、辞める気?」
「あぁ」
「絶対後悔するよ? ソリッシュ無職になるんだよ?」
「なんか探すから問題ねぇよ」
「何なら私が養ってあげようかしら? なーんて」
「はは、ナイスジョーク」
絶対御免だな。
「…………」
「…………」
賑やかな店内の中で、この一角にだけ沈黙が訪れる。しかしそれは嵐の前の静けさとも言えるもので、次の瞬間には大爆発を起こしたタリサが身を乗り出して喚き散らした。
「バーカ! バーカ! ソリッシュなんて何処へでも行っちゃえ! アンタなんていなくても私等は全然困らないんだから! この……バーカ! バーカ!」
「あぁ言われずとも消えてやるよ!これで余計な事に手を煩わされないと思うと清々するぜ!」
きっと周りから見れば見苦しい光景だっただろうそんなやり取りの後に俺は冒険者ギルドでパーティ脱退手続きの後、冒険者ギルドも退会した。
ちなみに奴らを置いて店を出る時の捨て台詞はこんな感じだった。
「――――生産系の加護なのに冒険者なんてやってられるか!」