悲劇の誕生
進一郎が左反の訃報を聞かされたのは、その日の晩の出来事だった。
半信半疑ながらも自宅を飛び出し左反の部屋の前まで駆けつけると、連絡者であるラウムに中に入るよう促される。
室内にはすでにブラックシネマを含めた団内のすべての魔人が集まっていた。進一郎は彼らの視線の先を追う。
本人の要望に答えて整えた簡素なリビングルーム。その中央に置かれたテーブルの横に左反の遺体と思しきものがあった。
それは一言で言うなら灰の塊だった。かろうじて伏した人間の形をしているように見えないこともないが、この塊から左反の面影を探し出すのは不可能だった。
「どういうことだ。何があったか説明しろ!」
進一郎は側にいた真理恵に大声で訊くが、彼女はまるで死人のように青ざめた顔で口をぱくぱくと開閉するばかり。何かをしゃべろうとしていることは理解できるがまるで言葉になっていない。
茫然自失の真理恵に代わり、ラウムが進一郎に状況を簡潔に説明する。
今晩9時30分頃、いつまでも食堂に夕食をとりに来ないことを不審に思った真理恵が左反の様子を確認しに行ったが、いくらチャイムを鳴らしてもインターホンから返答がなかったため、住居区の管理担当である布留火からスペアカードを借りて室内に入ったところ、すでに焼き尽くされて灰と化した左反の遺体を発見したそうだ。
「左反さんが仕込んだ悪戯の可能性は? こうも見事に灰になっていると元が何なのかまるでわからん」
「私もそう思ってまっ先に調べてみたけど、この灰の構成成分には天使の霊子が多量に含まれているわ。にわかには信じ難い話だけど……左反さまの御遺体と考えるより他ないわね」
進一郎は鬼のような形相ですでに灰と化した純天使の遺体を睨みつける。
自分はともかくブラックシネマまで呼び出しているのだ。死体の身元が判明していないはずがない。目の前にあるそれは、地獄を統一した希代の英雄の、あまりにもあっけなさすぎる最期の光景だった。
「団内のセキュリティは万全のはず。賊はどうやってここに進入したのだろうか」
進一郎はラウムに心当たりがないか尋ねるが、皆目検討もつかないとただ首を横に振るばかりだった。
――頭領より直々に護衛を任されておきながらこの失態!
ブラックシネマの前故に冷静さを装ってはいたものの、進一郎は自らのふがいなさに怒りで頭が沸騰しかけていた。
「……神」
震える声でそう呟いたのは布留火だった。全員の注目が彼女に一斉に集まる。
「布留火の未来視を覆し、難攻不落の団内に誰にも見つからずに侵入し、最強の悪魔である左反さまを瞬く間に灰燼に帰す――これはもう、神の御業としか」
――思えません……か。
進一郎の脳裏に昨晩出会った神の姿が浮かぶ。
最初に出会った時からあれは危険だと感じていた。理屈ではなく肉体が、魂が、頭脳に直接訴えかけていた。
『こいつは我々の敵である』と。
自らの直感が今、最悪の形で証明された。
あの時、頭領の制止を振り切ってでも神を撃ち殺すべきだったか――進一郎はそのようなことを考え、すぐに頭から振り払おうとする。
地獄の総戦力をたったひとりでいとも容易く撃退できるのだ。あれは人の手でどうこうできるような次元の相手ではない。すべてが無為。何もかもが無駄。誰もが無力。神とはそのような超越者なのだ。
撃っても無駄だ。
戦っても無意味。
だが、どれだけ自分にそう言い聞かせても、進一郎の自分への怒りがおさまることはない。
たとえそれがどれほど無駄で無意味で愚かしい行為であろうとも、あのとき自分は撃つべきだったのだ。それが神に弓引くと決めた者、二神進一郎の矜持だったはずなのだ。
あの夜、二神進一郎の精神は不覚にも神に屈服していた。
それが何よりも許せない。
「そうか、神の手で逝ったか」
まるで懺悔するかのように左反の遺体の前でひざまづいていたブラックシネマは、布留火の言葉に頷き静かに立ち上がる。
「ならばルシフェルも本望であろう。後のことは私に任せて、どうか安らかに」
ブラックシネマは最後に一言「解散」と叫ぶと、紅蓮のマントをはためかせて部屋を出ていった。
その背中があまりにも小さく、あまりにも悲痛で、進一郎は声すらかけられなかった。
※
「戻りましょう。いつまでもここに居たところで死者は還らないわ」
部屋に取り残された三人の幹部の中で、真っ先に口を開いたのは最年長のラウムだった。
「見たところバエル公も怒ってはいないようだし、このまま解散しても罰せられるようなことはないと思うわ」
「ラウムさんは先にお戻りください。私たちはまだやることが残っていますので」
ラウムの声に応えたのは進一郎だった。動揺を感じさせないハッキリとした口調で彼女の提案を辞退する。
左反の警護担当としてこのまますごすごと帰るわけにはいかないという進一郎の説明に納得すると、ラウムはあまり根を詰めないようにと忠告してから、静かに部屋を出て行った。
「さあ、今度こそすべてを説明してもらうぞ――真理恵」
ラウムの退席を認めると、次に進一郎は真理恵に鋭い視線を投げつける。
何もせずただ呆然とその場に立ち尽くしていただけの真理恵だったが、そこでようやく意味のある言葉を口にした。
「任務失敗の責、この生命で償いたいと思います」
真理恵の身体に巻き付いていた大蛇の身体がまるで鮮血のような深紅に染まると、次の瞬間その口を大きく開けて彼女に襲いかかった。
致死の猛毒を持った大蛇の牙が真理恵の頸動脈を捉えようとした刹那、進一郎は素早く拳銃を引き抜き蛇の頭部を撃ち抜いた。
「誰が勝手に死んでいいと言った。余計な手間をかけさせるな」
「しかし、私にはこれ以外に皆に償う方法が……」
感極まって泣き出す真理恵の頭を銃座で殴りつけると襟元を掴んで一喝する。
「いいか、この際ハッキリ言ってやる。おまえの生命なんてな、俺たちにとっちゃこの弾丸一発分の値打ちもねえんだよ。それでも助けてやったのは、その生命に宿る意志に大いなる価値があるからだ。おまえも誇り高きブラックシネマ団の一員ならば、生命ではなく全身全霊を我らに捧げろ!」
これだから悪魔は困ると吐き捨てて、進一郎は真理恵の襟元から手を離して拳銃をしまった。
悪魔はとかく何かの生命を要求するし、その逆もまた多いのだが、進一郎からすればすべてがナンセンス。人や悪魔の魂は魔術的に見れば多少は価値があるのだろうが、長期的な目で見れば、生きて生産されるエネルギー総量に遙か遠く及ばない。
責任をとるために自決するなどナンセンスを通り越して愚鈍の極み。何の解決にもならないただの責任逃れも甚だしく、死体を片付ける手間が増えるだけだ。
そんな進一郎の考え方に同意し、共感してくれたからこそ彼は今、こうしてブラックシネマに仕えている。死んで責任をとるなどというやり方は、二人の信念が決して許さない。
「いいか、俺が知りたいのは事件当日の現場の詳細な状況だ。昨晩のおまえの行動を余すことなく俺に教えろ」
「ちょっと待ってください! なぜそのようなことをする必要があるのですか!?」
進一郎の話に横やりを入れてきたのは布留火だ。こちらは真理恵よりは余裕があるらしく、その瞳にはすでに理性の光が戻っていた。
「無論、犯人捜しさ。このままやられっぱなしというわけにもいかないだろう」
「無意味です。我らの世界で神は森羅万象そのもの。神の手で死した者は天寿を全うしたものと見なされます」
そうやって悪魔たちは神に敗北した過去を受け入れて生きてきたってわけか。進一郎は心中で毒づくが、元よりそのようなことで喧嘩をする気はない。
「これが神の御業だというのなら俺も納得するさ。頭領の仰るとおり左反さまも本望だろう。だが、そうであると決めつけるのは神に対していささか失礼じゃないか?」
「しかし、このようなことができる者は神以外にいるはずもありません」
「果たしてそうかな。少なくとも俺には、できる人物について心当たりがある」
そして進一郎は、決して疑ってはならぬその人物の名をあえて口にした。
「不可視の魔人ブラックシネマ――我らが頭領だ」
布留火は耳を疑った。
魔王殺しの下手人に自らの主の名を出すなど重大な背信行為だった。
「頭領なら布留火如きの未来視など軽く覆し、誰にも気付かれずに左反さまを殺害することが可能だろう。何しろ我らごときとは格が違う。そのことについてはブラックシネマ団随一の <変換器> であるこの俺が保証する」
「ありえない! あなたは頭領を疑うというのですか!?」
「疑ってなどいないさ。俺……いや私は、ただ可能性の話をしている。つまり……」
進一郎は真っ白になった人型の灰を一瞥すると、
「……この殺人は、神でなくても為し得るということだ」
布留火たちに厳然たる事実を突きつけたのだ。
「馬鹿げています。時間の無駄です」
「忘れたのか布留火。無駄無理無益大いに結構。ブラックシネマ団は結果ではなく過程を求める集団だということを」
――この殺人は、神の御業か人の仕業か。
たとえ無意味であろうとも、事の真相は調べなくてはならない。それなくしてどうして万全を尽くしたと言えるのか。進一郎の任務は終わってなどいない。むしろ今から始まるのだ。
「このドアにロックがかかっていることはちゃんと確認したのか?」
「はい。閉扉を示すレッドランプを視認しています」
真理恵に問いかけるとすぐに返答が返ってきた。
どうやら進一郎の括が利いたようで、その瞳には普段の強き意志の灯火が蘇っていた。
「布留火、スペアカードの管理は万全だろうな」
「愚問です。布留火の指紋、声紋、虹彩の三重ロックで厳密に管理しています。魔術を一切用いていませんので、頭領ですら突破は不可能です」
だから時間の無駄だと言っているのですと、布留火は怒ったように言う。どうやらへそを曲げてしまったらしい。
「カードがなければロックのかかった部屋への出入りはできない。つまりこの部屋は完全に密室だったということか」
――とうぜん現場には一切手をつけていないよな?
進一郎の質問に二人は同時にうなずく。
「ならば……この部屋の指紋をすべて洗い出してみるか」
テーブルの上に置かれたIDカードと飲みかけの二つのティーカップを凝視しながら、進一郎は今回の事件におけるありとあらゆる可能性を考えていた。
今より始まる物語は、二神進一郎という名の道化師の、憤怒と懺悔の舞台劇。
振り上げたその拳は愚者の暴挙か裁きの鉄槌か。すべては地に堕ちた神のみぞ知る。
出題編完結。
捜査編へと続きます。




