間者
登場人物紹介⑨
ミュセル 悪魔。大悪魔フルフルの息子。今ドキの悪魔
就業中の進一郎が布留火から、ラウムの自供の裏付けが取れたという報告を聞いたのは、休み明けの正午のことだった。
「いくらなんでも早すぎるだろう」
さすがの進一郎もこれには驚いた。
どれだけ早くとも一ヶ月以上はかかるだろうと踏んでいたからだ。下手すればラウムの自供の内容よりも驚いたかもしれない。有能なのは知っていたがよもやここまでとは思わなかった。
「そんなに驚かれても困りますよ。本日早朝、わざわざ地獄から私のところにクレームをつけに来てくださった使者の方を、ほんの少し締めあげて吐かせただけですから」
連日連夜の大会議で団を留守がちにしていたブラックシネマだが、週の初めということもあって本日は団内に滞在していた。おおかた表だって彼を非難できない弱腰の悪魔たちが、使者を使って間接的に抗議しようという腹積もりなのだろう。
もちろん任務を全うできなかったこちら側にすべての非があるのは事実だが、いくらなんでもしつこすぎる。終わったことをいつまでもネチネチと責めても仕方あるまい。お灸を据えてやった布留火はいい仕事をしたと言える。
「詳細が知りたいな。録音はしたのか?」
「それよりも、直接お会いしたほうがよろしいかと思われます」
布留火が手を叩くと、地獄からの使者と呼ばれた悪魔がどこかおぼつかない足取りで部屋に入ってきた。口から垂れたよだれを拭くこともせず、その眼はどこか虚ろだった。
「催眠術か?」
「ご名答」
布留火の操る火占術は様々な応用が利き、通常の占いはもちろんのことラウム戦のように攻撃用途や今回のように服従の暗示をかけることもできるのだ。
世間では何かと真理恵ばかりがもてはやされるが、布留火もまた底知れぬ実力を秘めた恐るべき悪魔であることを進一郎は知っていた。
「……どこかで見た顔だな」
「ソロモンの悪魔であるフルフルさまのご子息らしいですよ」
この厳めしい鹿面と背中に生えた蝙蝠の翼は、なるほど悪魔フルフルによく似ていると進一郎は納得する。
地獄からの使者は面倒な受肉を嫌って召喚という形で地上に訪れる事が多いので、人の形を取っていないことが往々にしてある。それでも郷に入っては郷に従えということわざどおり、地上に来訪する以上は神の似姿である人型で来るのが礼儀なのだが、未だに不毛なクレームをつけに来るような愚物がそのようなことを気にするはずもない。
「まあ、こいつがどこの誰だろうがどうでもいい話か。眠っているようならそろそろ叩き起こせ。俺もこいつと直接話がしたい」
魔円陣と魔三角陣が描かれた携帯用シートを敷きながら、進一郎は布留火に催眠術の解術を命じる。
魔円陣は防御用、魔三角陣は召喚及び束縛用の陣であり、古来より伝わる伝統的な魔術儀式だ。普段ならこのような古臭い儀式に頼る進一郎ではないが、今回は使者を屈服させて真実をしゃべらせる必要があるのでやむを得ずだ。
「ここのところ悪魔とはずっと拳銃片手に交渉していたから、なかなか勝手が思いだせんな」
「そのような乱暴な儀式を行う御方は、世界広しと言えども進一郎さまだけでしょうね」
布留火は呆れたようにそう言うと、催眠により前後不明になっている使者を足蹴にして魔三角陣の中に放り込んだ。どっちが乱暴なんだか。
礼儀作法の善し悪しはともかく陣の中には入った。進一郎はすぐに呪言を唱えて結界を展開し、地獄からの使者を拘束する。同時に布留火は催眠術を解いた。
「おいフルカぁ! これはいったいなんの冗談だ!?」
正気を取り戻した使者は開口一番、自分に暴行を振るった布留火に対して怒鳴り散らした。
当然の反応と言えばそれまでなのだが、言葉遣いが馴れ馴れしいのが少し気になった。
「もしかして知り合いか?」
「いえ、知らない方ですね」
「婚約者の顔を忘れる奴があるか!」
――婚約者?
進一郎が尋ねると、布留火は大きなため息をついてから事実関係を認めた。
「親同士が勝手に決めた話ですよ。布留火には関係ありません」
「どうしてそう頑なに俺との結婚を拒絶するんだ。没落した家柄の君が伯爵に戻れるまたとない機会じゃないか」
布留火の婚約者らしい使者――名をミュセルというらしい――は諭すように言うが、彼女は「爵位に興味はありません」とあっさり切り捨てる。
二人の話を横から聞いていると、どうやら布留火は幼なじみでもあるこの男と結婚するのが嫌で地上に逃げてきたようだ。政略結婚とは悪魔社会は未だ旧態依然の貴族社会のままらしい。
「君のお父上が、君のためにと苦心して結んだ婚約だぞ。こんな良い縁談はもう二度と来ないかもしれないんだぞ。それに名家との婚約を破談させれば当然その噂は地獄中に広まる。君はお父上の顔に泥を塗る気なのか?」
「布留火は布留火の自由に生きます。頭領のご理解も受けておりますのでご心配なく」
「そんな身勝手なことでいいのか! 君ももういい齢だろう、子供のようなわがままを言わず、おとなしく御家の意向に従え!」
――そろそろ黙らせるか。
布留火には悪いが進一郎にとっては正直どうでもいい話であり、さっさと用件を済ませて次に進みたい。
その後も激しい言い争いを続ける二人に進一郎は、この層の支配者が誰であるかを教えるべく天井に向かって発砲した。
銃声を聞いた二人は会話を中断し、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらに注目する。
やはり拳銃はいい。古臭い陣よりはるかに効果的だ。
「ご旧友同士が親睦を深めているところ誠に申し訳ありませんが、こちらも少々多忙な身の上でしてね。ミュセルさまには色々とお聞きしたいことがあります」
「なるほど、それで神の名の刻まれたこの陣か。いいだろう、なんでも答えてやるよ」
弾丸一発で神妙になってくれるのであれば安いもの。進一郎はすぐに質問に移る。
「布留火から話を聞いていますが、ルシフェルが地上にスパイを送り込んでいた事実をどこで知ったのでしょうか」
「親父からだ。魔王の側近なら誰でも知っていることだとさ」
「ではラウムが我が団のスパイだと知っていたのは?」
「実は俺もこの団にスパイとして送り込まれる予定だったからだ」
進一郎は涼しげな表情を少しだけ崩す。
「何を驚くことがある。バエルはルシフェルと同格――いや、それ以上の魔力を持つ、かつては神と呼ばれたこともあるほどの大悪魔中の大悪魔だぞ。いずれは反旗を翻されるかもしれんのに地上に野放しにしておけるものか」
そのとおりだと進一郎は思った。
たとえ親友であろうと公私は混同しない。進一郎が左反と同じ立場でもきっとそうすることだろう。
「俺は今回の魔王外遊を受けて増員として送り込まれる予定だったのだが、投入直前にとつぜん予定が変わったのだ」
「どうして?」
「わからん。何も聞かされていないし聞いても教えちゃくれない。ただ重い箱をポンと手渡されて『これをラウムに届けろ』と命じられただけだ。その口振りからして命じたほうも事情を知らない様子だったな」
――『箱』か。
そんな話はラウムから聞いていない。どうやらもう一度、彼女を問いただす必要があるようだ。
「俺は言われるがまま受肉して渡された箱をラウムに渡してそれでお役御免。その後、再度の命令を待ったが、魔王の死によりすべてがご破算。出世も地上への長期滞在の機会もパーだよ、くそったれ。俺の知っていることは以上だ」
「非常に有益な情報、誠にありがとうございます。しかしいいのですか? 重要な地獄の機密を監視対象である我々に易々と話してしまって」
「陣の中で嘘はつけねえよ。それにもう機密でもなんでもない」
ミュセルはおどけるように肩をすくめると、どこか投げやりな物言いで続ける。
「魔王が死んだんだ。現体制はもうおしまいだよ。これからは群雄割拠の血みどろの戦国時代の始まりだろうな。あんたらがその引き金を引いたんだ。さすがは地上有数の悪の組織さま、これ以上ないってレベルの大悪事だ」
ミュセルの皮肉に進一郎は反論しない。代わりに拳銃をしまい、
「すべては私どもの責任です。なんの申し開きもできません」
と、深々と頭を下げた。
必要以上に卑屈になるつもりはないが、これから戦乱の世に巻き込まれるかもしれぬ者に対しての最低限のけじめだった。
「俺に謝る必要はねえよ。俺も親父も魔王に対する忠誠心なんて皆無だからな。戦争は正直かったるいが、久しぶりのビッグイベントをせいぜい楽しむとするよ」
「それでは、どうして我が団に抗議を?」
ミュセルはその質問に答える代わりに、ちらちらと布留火のほうに視線を送る。
それで大体の事情は察したので、偉大なる悪魔のご子息の名誉のためにも、これ以上の追求は避けることにした。
「そんなことより契約の話をしよう。俺はおまえに知りうる限りの情報を渡した。だから今度はそっちが対価として俺の知りたい情報を提供するべきだ。契約とは対等であるべき。陣の強制力による一方的な情報の搾取など時代遅れ。違うか?」
「仰るとおりです。私でよければなんなりとお聞きください」
「おまえ、フルカとやけに馴れ馴れしく接しているが……もしかしてつきあっているのか?」
どうやらミュセルは二人が恋仲かもしれないと疑っているらしい。
進一郎と布留火は顔を見合わせると、二人同時に口を開いた。
「違います」「そのとおりです」
――おいっ!
「恥ずかしながら進一郎さまとはここのところ毎晩のように逢い引きしております。この間も激しく愛していただいたばかりで……」
怒りで顔がタコのように赤くなっていくミュセルを見て、進一郎は慌てて布留火の口を塞いだ。
「いつ俺が君とつきあったんだ。誤解されるようなことを言うんじゃない」
「いえ……地上で恋人ができたと知れば、あれも諦めるかと思いまして」
「あいつが地獄に戻った時のことを考えろ。人間との熱愛発覚なんて噂をたてられたら洒落にならんぞ」
「布留火はいっこうに構いませんが」
――俺が構うんだよ!
その後も布留火は小声で何度も婚約を解消するために協力してくれとせがむが、悪魔との契約の対価で嘘をつくわけにはいかない。
進一郎はミュセルに自分と布留火の関係を事細かく説明した。
「人間が幹部で一代限りの身分とはいえ伯爵だと……バエル公は変わり者だと聞いていたが、よもやここまでとは思わなかった」
驚き呆れはしたがミュセルは進一郎の話を決して疑わず、しばらくは布留火を預けておくが絶対に手は出すなと警告して地獄へと還っていった。
家柄を盾に女性を口説く甲斐性なしではあるが、フランクな態度で話しやすく、度を超えた神や大魔への崇拝もない、進一郎としては概ね好感が持てる悪魔だった。
あの鹿面は少々鼻につくが、もしも予定通り受肉し魔人となって入団してきたら、もしかしたら友人になれたかもしれない。
「どうしてあいつの求婚を断ったんだ? 俺から見ても良縁だと思うが……」
「主に顔ですね。あの鹿面を見るとうんざりします」
これにはさすがの進一郎も苦笑するしかなかった。