甘いもの
木々が生い茂り、動物の足音や魔物の足音が交差する森の中――夕日が地平線の彼方へ指しかかった頃、男と女は疲れた体を癒すために宿へ向かっていた。
男の名前は「フォート」。茶髪のロングですぅっと吸い込まれそうな茶色い瞳が印象的な人間である。
「今日は一段と疲れたな……」
フォートは手に持っている剣を杖代わりに体を支え、よろよろになりながらも獣道を歩いていた。
本人曰く十六歳だそうだが、顔が若すぎるのか、多くの人は十二歳くらいの男の子として彼の事を捉えている。そのため、夜な夜な外を出歩いているところを誰かに見られたが最後、彼の故郷以外なら必ず通報される特性を持っていた。
「ふらふらじゃないですか、しっかりして下さい」
そんな彼の隣を歩いているのは「メイ」。腰の辺りから犬のような茶色い尻尾が生えており、頭の上に付いている三角形の犬耳がぴょこぴょこと風に揺れ、幼い顔立ちを更に幼く見せている愛らしい少女だ。
メイはフォートの手をぎゅっと優しく握っていた。フォートの事を心配そうに見つめ、前も見ずに「もう少しだから」、「頑張りましょう?」と気遣いの言葉を投げかけ続けた。
「……分かってる。心配かけてごめんな?」
フォートはこれ以上メイに心配をかけまいと笑って見せた。だが、長い付き合いであるメイにはそれが作り笑いだと見抜くのに刹那の時間も要しなかった。
「またそんな顔をして……無理をしないで下さい」
「やっぱり分かっちゃうんだ」
参ったなあ、と頭をボリボリ掻くフォート。困ったような嬉しいような微妙な表情をしながらも、内心は温かいもので一杯一杯だった。
「あっ!? メイ、危ない!」
「え?」
ハッとしたかのようにフォートが注意を促したが、皮肉にもその声がきっかけとなりメイは完全に前方不注意になってしまった。
ずてーん。
擬音にするならそんな音が聞こえるだろう。メイは盛大に転んでしまい、顔を赤くしながら立ち上がる事になってしまった。
「いたたた……」
どうやら顔から思いっきり地面とぶつかったらしく、メイは目を赤くしながらその場にうずくまった。
「だ、大丈夫か? 少し休憩して行った方が良いよな?」
「……うん」
メイの隣に座るとようやく聞こえるほどの声量で、彼女は小さく呟いた。
メイの傷の手当てを済ませた後のこと。互いに疲れが溜まりすぎており、夜道を歩くのは危険だ。という意見が二人の間で合致したので野宿をする事になった。
三角テントを張りながら、大きなため息をつく青年がいた。
「はぁ……」
どうしてこうなったんだろうな、と一人意味もなくフォートは考え始めていた。
フォートは名も無い村で生まれた青年だ。村の人と談話をして楽しんだり、農業に勤しんで汗をながしたりと至って平凡な青年として生活するはずだった。
だが現実とは非情なもので、彼の思い描いていた日常が訪れる事はなかった。
それもそのはず、フォートには決して人には言えない秘密がある。それは『勇者』という神にも似た特別な存在であることだ。
勇者とは、人間や動物などの『希望と絶望の力』を宿した者のことだ。フォートは幼い頃から(と言っても今も十分幼いが)その力を持つが故に、周りの者に奇跡も災厄ももたらしてきた。
ある時は村の作物が異常と言えるまでの豊作になり、またある時は村に疫病が流行り…死人が出たり……それがフォートのせいだと分かるや否や、仲良く遊んでくれた友達はフォートの事を魔王だの邪神だのと騒ぎ立て、フォートの事を可愛い孫だと言ってくれていたおじさんやおばさんからは疫病神と罵られて苛められてきた。
(何を思い出しているんだろう、僕は……)
フォートの心情を映すかのように日は完全に沈みきった。
「はぁー……神さまよー。次からは日が沈むまでに宿へ辿りつかせてくれぇ……」
焚き火に手をかざし、身体を温めるフォート。
そんなしょげているフォートの後ろから、柔らかくも暖かいものがフォートにのしかかった。
「神の存在に近いと言われるフォートが神頼みですか。面白いこともあるんですね」
「う、うるさい」
ふふっ、と微笑みながらそのままフォートの肩に手を回すメイ。フォートはメイを払いのけようと試みたのだが、のしかかられている部分――背中の辺りに当たっている二つほどの柔らかいものを意識してしまったりするわけで、恥ずかしさのあまり動く事が出来ずにいた。
「な、何してるんだよ……?」
いくら見た目が若くとも、実際は青年であり異性が気になるお年頃。心臓の早鐘が漏れていないだろうか――そんなフォートの気持ちなど露知らず。メイはフォートにこう言った。
「目、閉じて下さい」
「……はい?」
「早く、閉じて、下さい」
メイに目を閉じるよう強く言われ、フォートは渋々目を閉じた。
……思い返してみればメイは不思議な女の子だ。自分の生まれた村でメイとは出会い、よく一緒に遊んでは互いに心から笑いあっていた。
自分が勇者であるという事を誰かから耳にしたのか、村の人が自分に対する態度を百八十度変えた後でも、メイだけは一切態度を変えずに自分と接してくれた。……フォートの親ですら、フォート自身とどう接したら良いのか分からず妙な溝が出来ていたというのに、だ。
今もこうして、一緒に村八分にされてまで隣にいてくれている。
メイには感謝してもしきれないな――とフォートが考えていた時、口の中に甘い味が広がった。
「目、開けていいですよ」
メイにそう言われ、目を開ける。相変わらずメイは後ろからくっついているので、景色に変わったことはない。
(何を口に入れられたんだろう……?)
フォートはゆっくりと舌を転がしてみた。左へ、右へ。形状は丸っこくて、少し硬め。味はイチゴ味に似ていて――とフォートが考え抜いた結果、一つの結論に達した。
「ようやく分かったんですね? さっきフォートの口に入れたのはイチゴの飴ですよ」
どうして飴を?とフォートが聞こうとする前に、メイは続けた。
「時々、フォートは辛そうな顔をするから……甘いものは身体にも心にも良いって聞いたから、だから……」
……そんなに僕の事を心配してくれていたなんて。
そこまで言って何も考えていなかったのか、メイは黙り込んでしまった。
パチ!……パチパチ……
一段と大きい焚き火の音で、二人ともハッと気が付いた。
焚き火の勢いが弱くなっており、火が消える寸前だったのだ。
「あ!? 火が消えちゃいますよ! 私、何か燃えそうなもの持ってきますね!」
「え? 燃えるものなら……っておい!」
メイは何かを思い出したかのようにフォートから離れ、闇夜に紛れて走り去って行った。
「メイのやつ……燃えるものならそこら中にあるじゃないか……」
まだ口の中に残る飴を舐めながら、フォートはメイの後ろ姿を追いかけていた。……少しするとメイの後ろ姿は完全に見えなくなり、足音も無くなった。
「……そうか」
飴が溶けきる頃、フォートの心は暖かい甘いもので満たされていた。
それの正体が何なのか。彼は飴の甘さによるものでは無い事を今日知った。
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