680.陰陽師 5
光の呪符が輪になり、幾重にも重なって稜真の周りに浮かんでいる。手の動きに合わせて呪符は飛び、ゴーストを消し去るのだ。
流れるような動きと輝く呪符。
アニメのシーンを体現している稜真に、いつものアリアなら周囲の状況そっちのけで萌えまくるのだが、今回はそうはいかない。
無数のゴーストがうめき声を上げて迫って来るのだ。
稜真の呼吸や呪文を聞き逃すなんてあり得ないのに、今回ばかりは両手で耳をふさぎたかった。けれど手を離せば尻尾から落ちてしまう。ガタガタ震えるアリアは、全身でもふもふ尻尾にしがみついて顔をうずめながら、時々萌えの補給をする為に顔を上げて、稜真の背中を見つめていた。
壺が集めているゴーストはどこから来ているのか。
これらは壺に入れられたモノだけではないだろう。稜真は壺に向かって、ゆっくりと歩を進めているのだが、歩きにくいったらないのだ。ただでさえ九尾に違和感を覚えているのに、人1人がしがみついているのだから。
「………アリア。いい加減離れてくれないか?」
「む…無理ですぅ。怖いんだもん…」
「だから外に出なくていいかと、何回も聞いただろうに…」
「聞かれたけど! こんな機会は2度とないかも知れないのに、稜真から離れるなんて選択肢はなかったもん!」
「それなら耐えろ」
「へ? ──ひいっ!?」
耐えろと言ってから、稜真は尻尾をうねらせてアリアを弾き飛ばそうとした。──が、アリアは尻尾の毛を手にしっかり絡めていて、何度振り回しても離れなかった。
「ううう…。稜真ったら…ひどいよぉ…」
アリアは半泣きである。長い尾を振り回された時に呪力結界からはみ出して、ゴーストの中を通過したのだ。
(まったく……)
壺に手を加えたモノの相談をしたかったのに、今のアリアでは無理そうだ。存在に気づいていると知られたら逃げられる可能性がありそうだ、と、稜真は相談を断念。
呼吸を整え、呪力を巡らせて。口にするのは大祓の祝詞。──こちらのゴーストに祝詞が効果を発揮するかどうかは、神威の矢で実証済みだ。
『高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて
我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと』
ここの探索をしている間意識を変えていたので、安倍晴明の力を使うのはたやすかった。アリアの誘導で変身させられた感が拭えない稜真だったが、体が変化し、息をするように呪力が使える開放感は心地よく感じていた。聖女モデルの像に関する悩みがちっぽけに思える程に。
大祓の祝詞と共に、稜真が放つ清浄な呪力は波となった。たゆたう波に洗われて、生前の姿を取り戻したゴースト達は消えていく。
『事依さし奉りき 此く依さし奉りし國中に
荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて
語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて』
淡々と唱えられる祝詞は、心を静める効果がある。もちろんアリアにとって稜真の声は、内容はどうあれ癒し効果があるのだが。恐怖心が薄れ、尻尾に顔をうずめていたアリアは顔を上げた。
生前の姿になったゴースト達は、稜真に感謝するように消えていく。
『ありがとう』
『キュンキューン』
『グオウ』
それぞれの言葉を遺して、光になって宙にとける。それは儚くも美しい光景で、アリアは怖さを忘れた。──忘れるといつもの感情が蘇る。
(うわ~い! まさか、大祓の祝詞が聞けるなんて思わなかった~。抑揚を押さえた声が、いつにも増して気持ちよく感じる……はっ!? 気をしっかり持たないと浄化されちゃう気がする!!)
体が軽くなって行くような感じがしたのだ。アリアは現実感をかみしめようと、しっかり尻尾に抱きつく。その姿は大木にしがみつくコアラである。
『此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して
高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ』
祝詞を唱えながら、稜真は地下を探っていた。自分では力不足だが、呪力解放した安倍晴明は全盛期の力がある。
(さすがは最強の陰陽師。あんなに深い場所の存在を探り当てられるのか…)
探り当てられたと言ったが、かすかに存在を感じた程度。
それは、嗤いながらこちらを見ている。その雰囲気を稜真は知っていた。
それの存在をしっかり把握するまで探れば、逃げられる予感がある。
稜真は波のように放っていた呪力を瞬時に集めて槍に変え、それに投げつけた。
《ギャアァ…》
かすかな悲鳴が稜真に届く。
(……逃げられた…な)
一撃は与えられたが、どこまでダメージを与えられたかは疑問が残る。ともあれ、槍を作った余波を浴びたか、ゴーストは極端に数を減らしていた。
槍を投げた間も稜真は祝詞を続けていたので、祝詞の効果もあっただろう。
『根底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば
根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す』
長い大祓の祝詞を唱え終わると、パリン、と何かが割れる音がした。地下にたゆたわせていた呪力を一気に引き上げたからか、それとも力を貸していた存在が逃げたからか。呪物の壺が真っ二つに割れていた。
壺の横にぼやけたローブの男が立っている。不思議そうに辺りを見回していたが、その姿は徐々に薄くなって、静かに消えていった。
何かで壺の封印が緩み、魔法使いが壺に取り込まれたのだろう。もし魔法使いが壺に取り込まれながら封印を施していなかったら、次々に犠牲者が出ていたかも知れない。集めた魔法具の管理を怠った責任をとったのだから、術者としては見上げたものだ。
伊吹が壺に入れた魔道具も、全て粉々になっている。
「依頼完了…だな」
稜真はそらの目を借りて外の様子を見たが、特に変わりはない。いや、林が明るく感じられるようになっていた。
さて姿を戻すか、と稜真は思ったのだが、アリアに止められた。
「仲間には変身を見せて、共有しておかなくちゃと思うの~」
「……はぁ」
気は進まないが、アリアの言い分も理解できる。
ここは広い地下空間だ。もし気まぐれに訪れた人間がいても、対処する時間は充分にある。ため息をつきながら、稜真は皆を呼んだ。
ちょうど手が空いていた瑠璃と、きさらも石笛で呼んだ。
姿が変わっていても、稜真を見間違う仲間はいない。もっふもふになっている稜真に、全員がすり寄り、尻尾に登る。
1番ご機嫌なのはきさらで、稜真の尻尾が自分とお揃いだと大喜びである。
仲間には共有しなくちゃ、はアリアの方便だ。
ただ単に、もう少し稜真の変身姿を堪能したかっただけだった。せっかくの変身なのに、最初に正面から見た以外は尻尾の感触しか覚えていないのだ。それと、このまま帰ったら悪夢を見そうな気がしていた。
もふもふ稜真と戯れる瑠璃と従魔を見て、アリアは満足した。
(狐耳と九尾は至高~。金の獣瞳も格好良い~。あ、笑ったら犬歯が見えた!! 今日は九字切りを見られたし、祝詞も聞けたし、あ、そうだ!)
アリアは思い出した。会話相手は不明だが、念話スキルが生えているかも知れないと。鼻歌交じりに、取り出したギルドカードを見たアリアは「ひぇ!」と声を上げた。
「どうした?」
アリアは震える手で、稜真にギルドカードを見せた。
スキル欄に、神託と書かれているではないか。
神託スキルを生まれながらに持つ者は神殿に入れられ、聖者や聖女とされるのは程度の違いこそあれ各国共通だ。入れられた者は多少窮屈な生活になるが、衣食住が提供され、人々から崇められる存在となる。
そうなった者はまだ自国にいられるが、行方知れずになる者も多い。
「神託? 何があったんだ?」
「それが…」
アリアはスキルがついたであろう時の話をした。
「それ…相手は女神さんだろう?」
「言われてみれば…他にいないね…」
アリアと話したかったからスキルを与えたのか。
稜真の変身を見て、はしゃぐ余りにうっかり付けてしまったのか。
「後の方だと思う」
「俺もそう思うよ」
聖女の稜真に、神託スキル持ちのアリア。地雷が増えてどうするのか。
変身は隠しておきたいが、神託スキルについては責任者様達に話しておかねばなるまい。
現実逃避したくなった2人は、アリアは稜真の尻尾に、稜真はきさらのお腹にうもれたのだった。
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