59.目覚め
目を覚ました時、稜真は1人だった。──いや、顔の右横にぬくもりを感じる。頭を傾けると、水色の柔らかな羽が見えた。
「…そ…ら…」
力のない声しか出ない事に驚く。
そらは稜真の声で飛び起きた。
「クゥ! ク、クゥ…ルル、クル……ルゥ…」
鳴きながら、稜真に頭をすりつける。
「心配…かけた…ね。…ご…めん」
思うように上がらない手をなんとか持ち上げて、そらを撫でる。
魔獣から負わされた傷はどうなったのか。
体はだるいが、痛みは全くない。手探りで触れてみたが、胸を切り裂かれた深い傷が消えている。腕にあった浅い傷も見当たらない。
(いったいどうやって…。魔法なのかな…? そんな事よりも、早くアリアを追いかけないと…)
稜真はゆっくりと体を起こしたが、ベッドを降りた途端、めまいがして床に膝をついた。
「くっ…」
体に力が入らない。回復の手立てが色々あるとルクレーシアに言われたが、頭に霧がかかったようで思い浮かばない。
「クルルゥ…」
そらが心配そうに稜真に寄りそう。
その時。
『主! 私を呼んで下さい! 早くっ!!』と、切羽詰まった瑠璃の声が、頭に響いた。
ベッド脇には水差しとコップが置いてある。この程度の水でも呼べるのだろうか?
『瑠璃、おいで』
すぐに現れた瑠璃に、ものすごい勢いで詰め寄られた。
「主! どうして怪我をする前に呼んで下さらなかったのですか!? あのくらいの魔獣、私なら倒せましたのに!」
「……倒せる、んだ。…だって、ね。水が…見あたらなかった…から……」
「確かに最初の頃は水がなくては、主の元に来られませんでしたが、今では力も戻りましたし、どんな場所でも呼んで頂ければ行けるのですわ! 次は、怪我をする前に呼んで下さい!」
畳みかけるように、叫ぶように言われた。
水がなければ呼べないと思っていたのだから仕方がないが、これも自分の確認不足である事は否めない。
「…それに…どれだけ心配したと思うのですか…。主の様子が伝わって来るのに、何も出来なくて…。お側についている事すら出来なくて…。もう…もう…会えなくなるのではないかって…!」
瑠璃は膝をついている稜真に抱き着くと、ぽろぽろと泣き始めた。瑠璃が転移出来るのは、行った事がある場所か、稜真がいる場所だ。例え稜真がいても、呼ばれなければ転移出来ない。
「心配…したのですわ…」
「…ごめ、ん」
ひとしきり泣いた瑠璃は、息を整えて赤い目で笑った。
「私、回復魔法が使えるまで、力が戻りましたの。主をお助けできますわ」
そのまま顔を近づけて来た瑠璃を、稜真は身振りで止める。
「…アリアと、約束…したから、…口は駄目。…それに…その姿だと、…俺、犯罪者…みたい、だし、ね…」
かすれた声で途切れ途切れに言うと、瑠璃の目に、また涙が浮かぶ。
「お助けしたいのに…。それでは、こちらの姿ではいかがですか?」
瑠璃は以前の妖艶な美女へと変わった。
「姿の…問題じゃ、ないから。…瑠璃に、負担が…掛かるなら、なんとか…自分で動く、よ」
稜真は立ち上がりかけて、またふらつく。瑠璃が抱きとめてくれた。自分の体がままならない事が、歯がゆくてならない。
「もう! 主の意志を尊重しますけど、私の負担うんねんではありませんのに。回復力が違うのですわ!」
瑠璃は稜真を抱いたまま、回復の魔力を注いでくれた。瑠璃から流れて来る優しい魔力が、ゆっくりと体を満たして行った。まだ体のだるさは抜け切っていないものの、これなら動けそうだ。
「ありがとう、瑠璃」
「もう無茶しないで下さいませね? ──主、どうして目をそらすのですか?」
「アリアを迎えに行く」
「無茶しないでと、言っているではありませんか!」
瑠璃は言われて初めて、この部屋にアリアがいない事に気づいた。あのアリアが、意識のない稜真を置いていなくなるのはおかしい。
「アリアは、どうしたんですの?」
「俺が怪我した事で切れたらしい。魔物を殲滅しに行ったと、女神さんが教えてくれた」
「アリアは馬鹿なのですか!?」
「俺もそう思うよ」
殲滅とはどこまでやるつもりでいるのか。アリアは今、どういう状態なのか。止めに行くのは、歪みの問題だけではない。クロというドラゴンを殺し、あんなに苦しんでいたアリアを、一刻も早く止めてやりたかった。
「主は女神様にお会いしたのですか?」
「さっき、夢の中でね」
「私も行きますわ!」
「駄目。1人で行かせて。切れているアリアが、どんな状態か分からないんだ。アリアを止めたら呼ぶから、そらと一緒に湖で待っていてくれないかな?」
「私達を…お留守番させるんですの?」
「クルルゥ…」
瑠璃は幼女の姿に戻り、その肩に止まったそらと一緒に、うるんだ瞳で稜真を見上げる。
「…その攻撃はずるいよ。でも、駄目。一緒に留守番していて、お願い」
稜真に困ったような顔で言われてしまっては、それ以上無理は言えなかった。
「もう! 分かりましたわ。でももし主が倒れたら、この姿で口から回復しますからね!」
「それだけは勘弁して…。倒れないように気をつけるよ」
そして瑠璃とそらを、一緒にそっと抱きしめた。
「心配かけてごめん。行って来る」
「主の方がずるいのですわ。呼んで下さるのを待っています」
「クルルゥ」
瑠璃とそらを見送った稜真は、コップに水を注いで飲みほした。服を着替え、ベッドに置かれていた迅雷を腰に下げると、村長を探して部屋を出る。稜真がいた部屋は2階にあった。
まだ少し体がふらつくので、壁に手をついて、ゆっくりと階段を降りる。
話し声が聞こえる部屋に入ると、村長とアーロンが見知らぬ女性と話していた。
村長は稜真の姿を見て、慌てて立ち上がる。
「リョウマ様、まだ起きてはなりません!」
「大丈夫です。ご心配をおかけしました」
稜真は頭を下げた。
アーロンは稜真の顔を見て肩をすくめた。
「村長、これは言っても無駄だ。せめて、話す間は座らせてやろう」
アーロンが椅子を引いてくれたので、稜真はありがたく座らせて貰い、「はぁ」と息をはいた。
隣の椅子に座っていたのは、長く淡い金の髪で白い服を着た年配の女性だ。心配そうに稜真を見つめている。稜真を癒してくれた巫女だと村長が紹介してくれた。
以前イルゲに回復薬の話を聞いた時、神官や巫女が人々を癒したと言った。着替えた時に確認したら、胸の傷は綺麗になくなっており、あちこちに付いていた傷も消えていた。
「ありがとうございます。お陰様で助かりました」
「確かに傷は癒しましたが、失った血は戻っておりません。しっかり食べて、眠らなくてはなりませんのに…。まだ体はお辛いのでしょう?」
「今は、寝ている訳にはいかないのです」
「お身体で痛む所はございませんか?」
「痛みはありません」
痛みはないが、体力が落ちているからか頭がぼうっとしている。早くアリアの元に向かわなくては、と気持ちばかりが焦る。
村長の妻が、パンとスープを持って来てくれた。
「どうぞ、お食べ下さい。その間に、アリア様の事をお話します」
「…頂きます」
話を聞かねば動きようがない。稜真はスプーンを手に取った。稜真が口に入れるのを確認してから、村長は話し始めた。
「明け方に、アリア様はお部屋から降りていらっしゃって、馬を用意するように言われました。家にも馬がおりますので、その馬をお貸ししようとしたのですが、馬が、どうしてもアリア様の言う事を聞こうとしないのです。他の家にも声を掛け、馬を連れて来たのですが、どの馬もアリア様を、そう、怖がっていたようなのです。私から見たアリア様の雰囲気も、今までとは違って感じられました。──結局、アリア様は徒歩で行かれました」
村長はゆっくりと話してくれた。話し終わる頃には、稜真は食事を終えていた。
「アリアは、何か言っていましたか?」
「魔物を片づけて来る、そう仰っておられました」
徒歩で向かったのなら、馬を使えば追いつけるだろうか。
「……ごちそうさまでした。俺はアリアを止めなくてはなりません。馬をお借りできますか?」
「リョウマ様」
立ち上がった稜真に巫女が声をかけた。
「あなた様は、本当に危なかったのです。もしも、私が後一歩遅かったとしたら……。そんなあなた様のお側に、ずっとついておられたアリア様のお気持ちは、考えて差し上げて下さい」
そこまでの状態だったとは知らなかった。巫女に癒され、瑠璃にも回復されたのに、体が異常に怠いのは、そのせいか。
村長の家を出ると、いつの間に外に出たのか、アーロンが馬を引いて待っていた。いつもながら手回しの良い人である。
「俺の馬が村で1番大きく速い。乗せて行ってやる」
「アーロンさん、俺は1人で行かないと…」
村長の話を聞いた限りでは、アリアの精神状態は危うい。他の人間を連れてはいけない。
「ふらついてる奴を、1人で馬に乗せられるか。それに、山へ着いたら馬はどうするつもりだ?」
魔物の出る山に馬を連れて行けない。繋いでおく訳にもいかないだろう。稜真は、そこまで考えていなかった。
「……あ」
「馬を連れて帰る者も必要だろう。俺はリョウマを送ったら村に戻る」
「ありがとうございます。ドラゴンの棲む山まで、お願いします」
ドラゴンの棲む山は、ドルゴ村で見た時よりも大きく見える。
アーロンは稜真を前に乗せ、後ろから体を支えるようにしてくれた。馬を駆けさせず速歩にしたのは、稜真の体を気遣っての事だろう。
揺れる馬上で、稜真は眠ってしまっていたようだ。馬の動きがおかしくなり、目が覚めた。
「すみません、アーロンさん。眠っていたみたいです」
「少しでも休めたなら、それでいい。山の麓が近くなったら、馬の様子がおかしくなった。──何か感じているのだろうな。どうやら、馬で行けるのはここまでのようだ」
そう言われて山を見た稜真にも、不穏な空気は感じられた。
敏感な馬は、もっと鋭敏に感じているのだろう。
「ありがとうございました。ここからは歩いて行きます」
稜真は馬を降りた。
「…まだ顔色が良くない。止めても無駄なのは分かっているが、お嬢さんと会う前にやられるなよ」
「はい」
「必ず村に2人で戻って来い。皆で待っている」
馬首を返して立ち去るアーロンの後ろ姿に頭を下げ、稜真は山へ向かった。




