57.怪我
今回も痛いです…。
「稜真ぁっ!!」
アリアが目にしたものは、地面に崩れ落ちる稜真の姿だった。
急いで駆け寄ったが、稜真は血だらけで意識がない。うつぶせに倒れている稜真を抱き起こす。力が抜けきっていて、その手から刀が落ちた。
「……っ!?」
アリアは悲鳴を飲み込んだ。稜真の胸元に、抉られたような深い爪跡が3本あったのだ。致命傷になる程の深い傷。軽鎧を付けていたのに、鎧ごと切り裂かれていた。
急いでアイテムボックスから、1つだけ持っていた回復薬を取り出し、震える手で傷口にかける。小さな小瓶の薬を、なるだけ全体にかかるようにする。この傷が癒しきれるのだろうか…、不安に思って見守った。
すると、薬がかかった部分の血が止まり、傷口が盛り上がって塞がっていった。アリアは息をついた。胸元の傷はなんとか塞がったが、傷は全身に渡っているのだ。
「…クゥ…」
そらがそっと稜真の頬にすり寄るが、反応がない。
「はぁはぁ…」
稜真の呼吸が荒い。
(どうして私、回復魔法を覚えてないの!!)
アリアは自責の念に苛まれていた。
そこへ、ようやくサージェイと共にアーロンが追いついた。アリアの姿は見えなくなっていたが、魔獣の残した跡を追って来たのだ。
アーロンは、跪いて稜真の傷を確認する。
「これは…、骨もやられているかもしれないな」
回復薬は傷を塞いでくれたが、やはり量が足りず、骨までは癒せなかったのだ。
「村に…回復魔法を使える人はいる…の?」
アリアは震える声で聞いた。
「隣の村に今、巡回の巫女が滞在している筈だ」
メルヴィル領では回復薬の普及もなく、薬に頼るしかない現状だが、神殿に仕えている神官と巫女は回復魔法が使える。彼等は、領地を巡回しているのだ。
その巫女が隣村にいるとは。回復魔法ならば、稜真も助かるかも知れない。
サージェイは蒼白な顔で稜真を見つめていた。アーロンはその肩を叩く。
「急いで村へ戻って、オルソンに巫女を連れて来るように頼んでくれ。オルソンは分かるな? あいつは山羊だけじゃなく、馬も飼っている。村の恩人の命に関わるから、何が何でも、巫女を連れて来いと言え。その後は、村長の家に怪我人を運ぶから準備を頼む。ずっと走っているだろうが、行けるか?」
オルソンは家畜小屋の持ち主だ。稜真が山羊の傷の手当てをしてくれた事を感謝していたから、間違いなく行ってくれるだろう。
「行く! 兄ちゃんの為なら、俺、なんだってやる!」
そう言うと、サージェイはすぐに走り出した。今回は1人だ。強大な魔獣の気配を感じてか、他の魔獣は息を潜めている。アーロンがここに来る間も、魔獣の気配は感じなかった。きっと村まで、無事に行けるだろう。
そらは、稜真の側を離れようとしない。
「お嬢さん、何か布持ってるか? 包帯になりそうな布だ」
思い当たる物はなかったので、アリアはアイテムボックスから、大きめの布を取り出すと、ナイフで裂く。
その間にアーロンは、稜真の上半身の鎧を外し、服も脱がせた。
「胸を固定する。体を支えているから、布をきつめに巻いてくれ」
アリアは言われるままに、布を巻いた。手当てが終わると、アイテムボックスから毛布を取り出して、稜真の体を包んだ。
「リョウマを村まで運ぶぞ。」
アーロンは、なるべく傷に触らないよう、そっと稜真を抱えた。そして、倒された魔獣を見やる。
「お嬢さん、あの魔獣」
アリアは見るのも嫌だと、顔を背ける。
「リョウマが命がけで倒したんだ。討伐部位だけでも、回収すべきだろう。リョウマの武器も、お嬢さんが持って来てくれ」
アーロンはそう言いながら、稜真に負担がかからないようにしながら早足で歩き出す。そらは後を追う。
うつむいたアリアは唇を噛みしめると、魔獣をアイテムボックスに入れた。
稜真が魔獣を倒し、手から落ちた武器。──稜真の横たわっていた所に落ちていたのは、ひと振りの日本刀だった。先程はそれどころではなかったので、まさか刀だとは思ってもみなかった。
(これは…迅雷…?)
見覚えのある刀に、アリアは村に来る前に稜真との会話を思い出す。刀を擬人化したゲームの話を。
迅雷は稜真が演じた刀だ。関連グッズを買いあさっていたアリアが見間違う訳がない。
あれを斬ったのに血の曇りもなく、白銀に輝いている。
迅雷を拾おうとしたが、パシンッと雷に拒まれた。
「迅雷。あなたの主は、今動けない。一緒に連れて行ってあげるから…嫌だろうけど、私に触らせて」
アリアが言うと、不満そうに刀身を走っていた稲妻は消えた。アリアは近くに落ちていた鞘に入れて、抱え持つ。アイテムボックスに入れる事は、どうしても許してくれなかったのだ。
アリアは急いで、アーロンの後を追った。
村では、村長が寝台の準備をしていてくれた。アーロンはそっと稜真を寝かせる。村に着く前にアリアは追い付いていた。
「オルソンさんが今、巫女様を呼びに行ってくれてる」
真っ青なサージェイが、震える声で言う。
「そうか。サージェイ、お前は家に帰れ」
「…でも」
「──お湯を貰って来る」
アーロンはそう言って、サージェイを連れて部屋を出た。
アリアがサージェイの存在で、ピリピリしているのを感じていた。このまま置いていては、お互いの為にならないだろう。
「ここにいても、お前に出来る事はない。何かあれば知らせる。お前は母さんに叱られて来い」
「……分かった…」
アーロンはサ-ジェイを見送ると、村長の奥さんにお湯と、綺麗な布を貰って部屋に戻った。
アリアは、寝台の壁に迅雷を立て掛けようとしたが、雷で抗議されたので、稜真の隣に置いた。そらは寝台の縁に止まり、じっと稜真を見つめている。
アーロンが持って来たお湯で、そっと稜真の傷口を清めていく。痣や傷に涙がこぼれる。拭き終わると、改めて包帯で胸を巻き、服を着せた。
傷のせいだろうか、熱が上がっている。アリアは水で濡らした布を額に乗せた。水と布もアーロンが運んでくれたのだ。水差しにコップも用意してある。
「はぁ…。うっ……」
稜真からは荒い息に混じり、時折、苦しそうな声が漏れる。
アーロンは外で巫女が来るのを待つと、部屋を出て行った。
時間が立つのが遅い。
巫女がもし間に合わなかったら……?
このまま稜真が目を覚まさなかったら?
絶望的な不安がアリアを襲っていた。
「はぁ、はぁ…」
呼吸が浅い。心音が弱くなって来たように思える。
「……やだよぉ。しっかりして、お願い稜真。私を置いて行かないで…」
アリアは、稜真の手を両手で握りしめて祈った。
バタン! トントントン!
階下の扉が開いた音。階段を上る音がした。アリアは、ハッと顔を上げる。
「お嬢さん、来たぞ!」
アーロンが部屋へ飛び込んで来た。巫女を抱いて、階段をかけ上がって来たのだ。戸口で下ろされた巫女は、胸を押さえて呼吸を整える。長く淡い金の髪を後ろで束ね、白くゆったりとしたローブを纏った初老の巫女だ。
ひと目見て、稜真の状態に目を潜めた。
「早速治療致します」
巫女は荒い息を整えながら、抱え持っていた荷物から、布に包まれた小さな女神像を取り出した。深呼吸をした巫女はベッドの脇に立ち、捧げ持った女神像に祈りをささげる。
『癒やしの女神、エドウィナよ。その慈愛を持って、彼の者の傷を癒したまえ』
女神像から淡い光が放たれて稜真の体を包んだかと思うと、その光に更なる黄金の輝きが重なった。ゆっくりと、全ての傷が癒されて行く。
「これは…!? この方は、随分と神に愛されておられるのですね。エドウィナ様への祈りに、高位の神の力が重なりました。酷い怪我でしたから、何度も祈りを重ねる覚悟でおりましたのに…」
少しずつ、稜真の呼吸も落ち着いていった。血の気のなかった頬に、赤みが戻って来た。
巫女は稜真の様子を確認する。
「もう大丈夫だと思います。傷は癒されております。ただ、この方は血をたくさん流されたようですね。魔法では、血を増やす事までは出来ません。目を覚ましたら、しばらくは安静にするように、伝えて下さいませ」
「ありがとうございました」
アリアは深く頭を下げた。
「あなた様も、お休みになられた方がよろしいですよ。顔色がお悪いです」
「いいえ。稜真についています」
「…そうですか。私は、今夜はこの村に泊まります。何かあればお呼び下さい」
巫女は部屋を出て行った。
アーロンが、稜真の体を支え起こしてくれ、着替えを手伝ってくれた。アリアが包帯を外していくと、痣や傷のない、綺麗な肌が現れた。
(…良かった)
稜真の汗と汚れを拭い、綺麗な服を着せる。着替えはアーロンが用意した。再び稜真を寝かせ、アーロンは部屋を出て行った。
「クルルゥ…」
そらが稜真の枕元に降り、そっと頭を擦りつけている。その温かさを確認するように寄り添う。そらも疲れたのだろう、そのまま眠ってしまったようだ。
アリアはベッド脇の椅子に座った。
稜真の手を握って表情を確認する。苦しそうだった表情も平常に戻り、普通に眠る様子に安堵した。まだ少し息が荒いが、熱も下がり始めたようだ。
額に乗せてあった布を濡らして絞り、もう1度乗せる。乾いた布で、首筋の汗を拭った。
そして、稜真の胸に顔を埋めた。
とくん、とくん…と、少し早い、しっかりした鼓動が伝わって来る。
体温が感じられる。ちゃんと生きている。──もう大丈夫なのだ、とようやく実感する事が出来た。
アリアは、稜真と出会った時の事を思い返した。
たくさん話をした。
一緒にいてくれた。
目の前で泣いて本音を言った。
憧れの人を巻き込んだ自分を嫌悪した。
そんな自分を許して、甘えさせてくれた稜真。お人好しで優しい人だとアリアは思う。──きっと子供を見捨てるなんて、考えもしなかったのだろう。
憧れの存在が目の前にいる、話して笑ってくれる。そんな夢のような毎日だった。ドキドキ、ワクワクする気持ちが、少しずつ変化した。
最近見せてくれる子供っぽい表情が目に浮かぶ。声が大好きだったけれど、稜真の事を知って全てが好きになった。どこまで好きになるのか、自分でも怖くなるくらいだ。
そらや瑠璃に嫉妬した。
コンプレックスで落ち込んだりもした。
それでも、自分の事を1番だと言ってくれた。
嬉しくて、どうしようもなく溢れ出してくる、この感情はなんだろう。こんな思いを抱いた事なんてない。前世でつきあった人もいたけど、全然違うのだ。
憧れではなく、なくてはならない人になっていた。
大切な、大切な人。
傷ついて倒れる姿が、アリアの目に焼き付いて離れてくれない。
「……稜真を傷つけるなんて…許せない…。そう…だ…。魔物なんていなければ…稜真は怪我…しなかった…。いなければ…いい…んだ…」
アリアの胸元で、魔石のネックレスが揺れる。
明け方には稜真の熱は下がった。
静かに寝息をたてる稜真を見つめると、アリアは部屋を出た。
次からは、そろそろいつもの感じに近くなっていきます。もう少し、シリアスにお付き合い下さい。




