56.魔獣との闘い
シリアス回。痛いです。
そこは林の中だった。
木の隙間から魔獣と子供が見える。子供の特徴からして、探していたサージェイに間違いないだろう。魔獣はこちらに背を向けていて、稜真には気づいていない。稜真は身振りで、そらに離れているように指示を出した。
そらは戸惑った様子を見せたが、指示に従って離れてくれた。
「ケケッ」
魔獣は笑いながら、サージェイに腕を振り上げる。
そっと近づいて、まずはサージェイを救い出すつもりだったのに、これでは間に合わない。稜真はとっさに剣を抜いて投げつけた。剣は真っ直ぐに飛び、魔獣の左肩に深く突き刺さった。
「グルゥオォオオオオオッ!?」
魔獣は咆哮を上げる。
だが、大したダメージではなさそうだ。魔獣は右腕で剣を抜くと、苛立ちを込めて遠くに投げ捨てた。
駆け込んだ稜真は、魔獣の前方にいたサージェイを抱き抱えた。急いで離れようとした稜真の背を、魔獣の爪が襲う。
「クルルゥ!!」
そらが鋭く鳴いた。目の端に写る赤い腕を必死に避けるが、避けきれない。
「くっ!」
左肩が切り裂かれた。稜真はサージェイをかばいながら、地面を転がり魔獣から距離を取る。
「に、兄ちゃん…」
「怖いだろうけど、少し我慢していてくれ」
「……分かった」
サージェイは変に力を入れず、稜真に体を任せてくれた。稜真はしっかりと抱きしめ、魔獣を見据える。
「ケッケッケッ」
自分が傷つけられた場所と同じ位置を狙ったのだろうか。爪についた血を舐めながら、目を弓形に細めた魔獣が笑う。
(……随分と…性格の悪い魔獣だな)
稜真は少しずつ距離を取りながら、魔獣と見合う。武器もなく、サージェイを抱えたままでは、長くは持たないし、走っても逃げきれないだろう。
魔獣は稜真の逃げ道を塞ぐようにひょい、ひょいと小刻みにジャンプを繰り返す。巨体のくせに素早い動きだ。合間に腕が稜真を襲う。
(くそっ! このままではじり貧だ! 何か逃げる方法は…)
稜真は対抗する手段を探して、アイテムボックスの中身を思い浮かべる。武器になりそうなのは料理用の包丁くらいだった。
(……そうだ。あれがあったな)
稜真はピーターから貰った、嗅覚を麻痺させる効果付きの目潰しの事を思い出した。
魔獣の爪を避けながらアイテムボックスから取り出し、手に握り込む。これ1つしかないのだ、失敗は出来ない。
魔獣はいたぶるように腕を振る。爪が稜真の体を何度も掠める。わざと大振りの攻撃をして、こちらの恐怖を煽っているのだ。
サージェイを降ろして逃がしてやりたいが、その隙が見つからない。今は目潰しを当てる事だけを考える。
──そしてまた。
わざとらしく、大きく腕を振りかざしたその時、稜真は魔獣の顔めがけて、目つぶしを投げつけた。
目潰しの袋は、魔獣の顔の真ん中で破裂した。
「ギャッ!」
慌てて顔を擦る魔獣。
(これで、少しでも時間が稼げれば──)
稜真はサージェイを降ろした。自分よりも、この子の方が土地勘がある。
「走れるかな?」
「うん!」
2人で、木の隙間を縫って走る。離れていたそらが、稜真の右肩に乗った。
「この辺りに隠れる所がないか、知らないか!?」
「向こうにあるよ! こっち!」
サージェイの案内でたどり着いたのは、木の陰になった小さな洞窟だった。ここならば、外からは見えないだろう。
2人はほっと息をついた。
「兄ちゃん、血が……。ごめん、俺のせいで」
「かすり傷だから、大丈夫だよ」
稜真は笑ってみせる。
バキバキッ!と木が倒れる音がした。
「静かに…」
洞窟で息を殺していた2人と1羽の前を、魔獣が通り過ぎて行く。
目つぶしの効果がどれほど持つのか分からないが、ここにいても、見つかるのは時間の問題だろう。
(剣を手放したのは、最悪の選択だったかもな。お陰で、この子を助けられたけど──)
「君は…サージェイで間違いないかな」
「うん」
「村まで1人で走れるかい?」
見た所、サージェイに怪我はなさそうだ。魔獣にどれだけの時間追われていたのだろうか、不安そうな表情を浮かべる。
「村まで…1人で…?」
「そうだよ。兄ちゃんがあの魔獣を引き付けるから、その間に助けを呼んで来て欲しいんだ。赤っぽい金髪の、アリアってお姉ちゃんがいるからね。村の近くで君を探している。俺を助けると思って、呼びに行ってくれないかな」
「兄ちゃんを助ける為…。頑張ってみる」
「そら」
手に止まったそらに、村までの安全な道を先導し、アリアを探してくれと頼む。稜真から離れたくないのだろう。そらは首を横に振る。
「アリアならあいつを倒せる。それまで頑張るから、頼むよ」
「……クルルゥ…クゥ!」
「ありがとう。サージェイ、この子が案内するからね」
魔獣は、この辺りに2人がいるのに気付いているのだろう。ふんふん、と鼻を鳴らしながら、魔獣が戻って来た。嗅覚が回復して来たのか、辺りの匂いを嗅ぎながら探している。稜真の血の匂いだろう。
「あの魔獣が兄ちゃんを追いかけたら、すぐに反対方向に走るんだよ」
頷くサージェイに微笑むと、稜真はそっと洞窟を出てから、わざと音を立てて走る。視力と嗅覚は回復しきらなくても、聴覚に不自由がない魔獣はすぐに気づき、稜真を追った。
「クルルッ!」
そらにうながされ、サージェイは走り始める。
そらの先導で駆け出したサージェイは、他の魔獣に襲われる事なく、無事に村に到着した。そのままの勢いで村に近づくと、入り口にいた男が出迎えた。
「お前、どこ行ってたんだ! テレサ、サージェイが戻ったぞ!」
男は大声で叫んだ。
サージェイは、声を聞いて飛んで来た母親、テレサに抱きしめられた。
「良かった…。無事で良かったよ、サージェイ…」
「母さん、心配かけてごめん。本当にごめん。後でいっぱい謝るから。今、俺を助けてくれた、兄ちゃんが危ないんだ。冒険者のお姉ちゃんがどこにいるか知らない!?」
テレサは涙を押さえ、事情を聞かず答えてくれた。
「畑の向こうの方に、あなたを探しに行ってくれたけれど、今どこにいるかまでは…」
「探して来る!!」
駆け出そうとするサージェイの前に、そらが舞い降りた。
「クルルルル!!」
「お姉ちゃんのいる場所がわかるの?」
「クゥ!」
そらは頷いた。
「案内して、お願い!」
「クルルッ!」
飛び立ったそらをサージェイは追う。
アリアはアーロンと一緒に、西側の森の中で子供を探していた。アーロンの心当たり先にはいなかったからだ。
「男の子の名前、なんだっけ?」
「サージェイ」
「サージェイ、どこにいるの!」
何度か声を張り上げていたが、答えはない。
「ついでに魔獣が見つかればいいのにね。危なそうな奴だし、早く倒さないと」
バサッと羽音が聞こえた。見ると、目の前の木にそらが止まった。
「そら? どうしたの? ──稜真は?」
「クルッ! クルル!!」
落ち着かない様子のそらに、嫌な予感がする。
そこへ、サージェイが駆け込んできた。
「お姉ちゃん見つけた! 兄ちゃんが危ないんだ! 早く助けに行かないと!!」
「サージェイ。兄ちゃんって、リョウマか? 危ないって、どういう事だ?」
アーロンが問いかける。
「村を襲ってた魔獣だと思う。プルムの木の所で見つけた。──俺、追いかけられて…。兄ちゃんが囮になって、逃がしてくれたんだ。俺に、急いでお姉ちゃんを呼んで来てって言って! 早く、早く行かないと!!」
「そら。稜真の所まで案内して」
アリアは静かな声で言った。
「クルル!!」
「行くわ」
本気を出したアリアに、ついて来れる者などいない。
「俺達も行くぞ。サージェイ、案内出来るか?」
「うん!」
稜真は、ただ走る事しか出来なかった。
走りながら対抗手段を考える。何か武器なしで、魔獣を倒す力がなかっただろうかと。
だが考えても、焦って何も思い浮かばない。
肩からの出血が体力を奪って行く。
(あの子…無事に村に着いたかな。アリアが来るまで、なんとか持ちこたえないと…)
稜真は九字を切り呪文を唱えた。
『風よ、風精よ、我の元に集え。からみつけ風の蛇! 我が敵を捕らえよ。戒めの鎖!!』
風の蛇が魔獣の足を縛る。蛇はほんの一瞬、魔物の動きを止めたが、すぐに散らされてしまった。
(駄目か! くそっ!!)
魔力をありったけ込め、風刃を放ってみたが、剣無しでは効果が薄いのか、魔獣の毛皮の防御力が高いのか、全くダメージを与えられなかった。
自分1人ならば逃げられたかも知れない。本気で走れば振り切れる可能性はあった。
だが、手負いになった魔獣は、次の闇夜を待つ事はしないだろう。稜真を見失えば、きっと魔獣はサージェイを追い、村を襲う。だから、逃げる事が出来なかった。──そうこうする内に、振り切る体力はなくなった。
木を盾にして避け続けてきたが、とうとう岩場の方へと抜けてしまった。隠れる物もない。
それでもなんとか避けていたのだが、稜真の動きも鈍っており、とうとう、いらだった魔獣の大きく振りかぶった腕に振り払われてしまう。
「うわぁぁああ!!」
弾き飛ばされ、岩に全身を強打した。
「ぐ…ぅっ……」
目がくらむ。意識が遠くなる。
そこへ魔獣の爪が襲いかかった。
「がぁ…っ……ぅ!」
深く切り裂かれた胸元が熱い。
「ケケッ」
魔獣は笑っている。
稜真を追い詰めた事を理解したのか、いたぶるような攻撃に変わった。
爪が腕を切り裂く。ふらつく足でかろうじて避け、深い傷にはなっていない。いや、避けられる程度の攻撃にされているのだろう。よろよろと魔獣から後ずさって距離を取る。
(武器……)
意識が朦朧とする。
村まで歩いていた時にした、アリアとの会話が頭の中を流れた。
『どこかに日本刀がないかなぁ。転生物でチートなら、日本刀使わないとね~』
『俺は転生者じゃないから関係ないよ。それに、チートじゃないし…』
『……』
『………』
『……………』
『もしこちらに日本刀があってもさ、俺は剣道経験がないんだからね。使いこなせる訳がないよ』
『ん~? 稜真、日本刀の役、やってたよね?』
『──ああ、刀の擬人化ものね。やったけど…』
(雷を呼んだという伝説があったな、あの刀。鬼も切ったとか)
『……呼んで。……を、呼んで…』
(懐かしい声が聞こえる…な…。女神さん…か?)
『刀の名前を呼んで……』
(刀の…名前……)
意識に浮かんだ言葉を、そのまま口に乗せる。
「其は雷を操る者、其は鬼を切りさきし伝説の刃、我が分身である雷の剣、迅雷よ。我が手に来たれ!」
(……頼む…)
「ケケケケッ」
魔獣は笑っていた。
最初の生き物より、少し大きな生き物。自分に傷を負わせたから、いつもより長く遊んでやった。爪に付いた血をペロリと舐めると、甘く口に広がる。
そろそろ遊ぶのにも飽きて来た。その血肉を貪りたい。血でこれだけ甘いのだ。肉はきっと美味いだろう。恐怖に満ちた顔を見てやろうと、魔獣はわざとゆっくり近づいた。
だが、この生き物は、どれだけ傷つけても恐怖を見せない。
ただ真っ直ぐに自分を見る。泣きわめかない。面白くなかった。
──もういい。しとめてくれる。
笑いを止め、生き物までの距離を一気に詰め、一撃で殺そうと力を込めた腕を振りかざした。
稜真の霞んだ眼に、一気に近づいて来る魔獣が見える。血が額を流れるのを感じる。
──その時。
魔獣と稜真の間に雷が落ち、稜真の手には、ひと振りの日本刀があった。
鞘から抜き放ち、雷で目がくらんでいる魔獣に踏み込み、袈裟懸けに切り裂いた。
それは、あり得ないような切れ味で、魔獣はあっけなく絶命したのだった。
(なん…とか…なった…、な)
安心したとたん、血の気が引いて目がくらんだ。
もう立っていられない。地面に倒れ込んだ時、アリアの声が聞こえた気がした。
「………ぁっ!!」




