50.瑠璃
稜真はそらを肩に乗せて、沼のほとりまで歩く。少し薄暗くなって来たが、暗くなるまではもう少し時間があるだろう。
ピリピリした空気を感じてか、瑠璃は宙に浮かずに歩いてついて来ていた。
「瑠璃。何か言うことは?」
瑠璃はうなだれたまま答えない。稜真はため息をつくと続ける。
「さすがにアリアに対する扱いが目に余る。仕えているお嬢様だから、敬って欲しいと言った筈だ。それが難しいのは分かっていたけれど、あれはやりすぎだろう」
瑠璃は無言のままだ。
「瑠璃は俺の事や女神さんの事を知っている、唯一の仲間なんだ。それなのに──」
そこでそらが「クルゥ…」と、悲しそうに鳴いた。
「ごめん。そらも大切な仲間だよ。俺が違う世界から来たと知っていて、女神さんに会った事があるという意味で言ったんだよ」
稜真が優しく言えば、そらも納得してくれた。
「──とにかく瑠璃。アリアへの態度がこのままでは困る」
「だって、小娘はずるいですわ。いつも主と一緒にいて、主も小娘を第一にして、大切にしていますし…。私がうらやましく思っても、仕方ないと思いませんか? それとも、使役する精霊の気持ちはどうでも良いのですか?」
「どうでもいいなんて思っていない。瑠璃には今までたくさん助けて貰っている。俺は、そらも瑠璃も大切な仲間だと思っているんだ」
「私の事も…大切、と…思って頂けていたのですか?」
瑠璃は弱々しい声で言った。
「はぁ…そこからなのか…」
稜真は瑠璃に対する怒気を弱めた。直接言葉に出して言った事はなかったが、助けて貰ってありがたいと思っていたのも本心だ。その都度ありがとうと言っていたのだが、それだけでは伝わっていなかったらしい。
「だって、主は迷惑そうにしていましたもの。いつも困ったような顔で、私を見ていましたわ」
「それは……。最初にあんな事をされたら、警戒するだろう」
出会ってすぐに口づけられた事を思い出す。半分騙されたように契約して、何度も口づけられていては、警戒するのは当たり前ではないだろうか。
「だって、私は世界を渡ったばかりで、魔力が足りなかったのですもの。仕方がなかったのです。人間の事も知らず、幼いままこの世界に来て…。私には主しかいないのですわ」
稜真はおかしな事を聞いたような気がして瑠璃を見た。20代半ばに見える、いつもの妖艶な姿だ。
「幼くは見えないけど、瑠璃は何歳なんだ?」
「精霊に年齢はないようなものですが、私が生まれて5年程でしょうか」
「5歳!?」
思い返してみれば、アリアと稜真を取り合う所は子供っぽいと言えなくもない。先日魔力を持っていかれた時の態度を思うと微妙だが。
「…瑠璃。年相応の姿になれるかな?」
「この姿は主の好みではないのですか? 女神様にこの姿をとるように言われましたのに」
稜真は思わず額に手をやった。頭が痛い。
「…あの女神さんは…幼児に何を吹き込んだ…」
「年相応では、胸、ありませんのよ?」
「…この間から…その手の話は食傷気味だから…。止めて欲しいな」
瑠璃は不思議そうに首を傾げてから姿を変えた。
稜真よりも高かった身長は見る見る内に低くなる。肉感的で妖艶な美女が、可愛らしい幼女へと変化した。切れ長の緑の瞳は丸く愛らしくなり、顔の輪郭も丸みを帯びる。
踝まであった青く波打つ髪は、腰にかかるくらいになっていた。
この姿なら5歳というのも頷ける。何故、初めからこの姿でいてくれなかったのか。
「こっちの方がいいな。それとも、力を使うのに問題がある?」
瑠璃は少し高くなった可愛らしい声で答えた。
「特に問題はありませんわ。あの…主。…この姿なら…早く離れろって、おっしゃいませんか?」
(…そう言えば、いつも早く離れてくれとばかり思っていたっけ)
「それは…悪かったね」
首を横に振って微笑んだ瑠璃は、自分が生まれた世界の精霊の話をしてくれた。
──その世界で、精霊は世界の知識を持って生まれて来る。
瑠璃は精霊界に生まれ、水の精霊ウンディーネばかりが住んでいる都で暮らしていた。
精霊は精神の成熟が早く、あの姿を取った事も間違いではない。皆、自分達の好きな年齢の姿で、気ままに生きていた。瑠璃は大人の姿よりも幼い姿を好んでいた。時と共にゆるりと成長していたのだ。
知識を持って産まれた精霊は仲間と過ごし、その世界で他の精霊と触れ合ったり、人間の世界へ行く事で、知識が身について行く。
精霊は何百年も生きる。
まだ生まれて5年の瑠璃は、知識を使いこなせているとは言えなかった。人間や人間界の知識はあっても、実際に見た事はない。友人とそろそろ人間の見物に行こうかと話していた、そんな時だ。
──突然、こちらの世界に召喚された。
人間に召喚されて使役される話は、仲間に聞いた事があった。召喚した人間が寿命を全うして帰って来る精霊もいれば、使いつぶされて消えてしまった精霊もいたそうだ。まさか自分が召喚されてしまうとは、思ってもみなかった。
自分の前に立っているのが、呼んだ人間なのだろうか? そう思った瑠璃の前にいたのは、創造神ルクレーシアだったのである。
ルクレーシアは、自分が加護する稜真に呼ばれた瑠璃に知識を与える為、召喚に干渉したのだと言った。そして稜真とアリアの事を教えてくれた。
「女神様は、主がいた世界を見せて下さいましたわ。あちらの知識も少しですけれど、教わりましたの」
日本語も読めるのです、と瑠璃は言う。一体どんな知識を教わったのだろうか。
そうして瑠璃は稜真の前に現れ、ルクレーシアに言われた通りに事を運び、稜真に使役される事となった。
この世界に来てしばらくは世界になじめず、力を上手く使うのにも時間がかかった。稜真と別行動している間に勉強して、今では元のように使えるようになって来ている。
こちらの世界の知識は、木の精霊に教わっている。木の精霊に教わる時は幼女の姿なせいか、まるで姉のように可愛がってくれている。けれど同じ仲間はいない。こちらの世界の水の精霊に会った事もあるが、どことなく違和感を覚えて寂しかった。
「主といると寂しさや不安が消えるのです。ですから主に会うと嬉しくなって、くっついてしまっていましたの。その力を感じたくて魔力をおねだりもしましたわ。でも…いつもいつも、早く離れて欲しいという気持ちばかりが伝わって来ましたの」
稜真がゲームキャラのスキルを使って召喚した瑠璃。
瑠璃がいた世界は、どんな世界だったのだろう?
ゲームの世界だったのか、全く別の世界だったのか、稜真には分からない──。
稜真は、小さくなった瑠璃と視線を合わせる為に、しゃがんで片膝をついて話を聞いていた。話し終わった瑠璃の頭をくしゃっと撫でると、目を細めて気持ちよさそうにする。
「俺のせいで仲間から引き離されたんだな…。ごめんな瑠璃。俺の事、恨んでもいいよ」
「主を恨むなんて、ありえませんわ! 大好きですのに!」
瑠璃は力を込めて言った。
「女神様は私に選択肢を下さいましたわ。主と会ってから、どうするか決めなさいと。元の世界に帰らない、主と共にいる。そう決めたのは私ですの」
「……そうか」
「主の魔力は優しくて温かいのです。魔力で主の本質が伝わって来たのですわ。ずっと一緒にいたい、この方の力になりたい、心からそう思えたのです。召喚された時は、どんな人間が主になるのか、怖くて怖くて仕方なかった。女神様にお話を聞いても、まだ怖かったのです。──でも主に会ったら、そのような気持ちが吹き飛んでしまいました。私は、優しい主が大好きですわ」
瑠璃は一生懸命に言ってくれた。そらも稜真の肩で静かに話を聞いている。
自分は何を見て来たのか、稜真は情けなく思った。初対面からの苦手意識が強すぎたとしても、瑠璃と向き合って来なかった事に自己嫌悪を覚えた。
こんな情けない自分を、大好きと言ってくれる気持ちが嬉しかった。
「ありがとう」
稜真はそう言って微笑んだ。
「…あの…主。くっついても…よろしいですか?」
「おいで」
しゃがんだまま優しく呼ぶと、瑠璃は嬉しそうに胸に飛び込んで、ぎゅうっとしがみついて来る。抱きしめた体の小ささに、稜真は罪悪感で一杯になった。しばらく抱きしめていると、満足したのか瑠璃の方から離れた。顔を上げた瑠璃は涙を零しながら、幸せそうに笑っている。
稜真はハンカチを取り出して、涙をぬぐってやる。
「…私、小娘に謝って来ますわ」




