手あたり次第
話を寮生活に戻したいと思います。
盗みをしました。施設の同学年の数名の子と一緒に。
百円ショップに行き、ありとあらゆる物を、各々が万引きしました。誰が言い出したかも思い出せません。ノリでやりました。
私は缶バッチやシールを盗みました。総額で二千円くらいです。
それを自分のカバンにつけて、
「ねぇねぇ、土井先生見て見て~。かわいいでしょう」
と何事もない顔で、得意げに自慢をしました。
後に、他の子がヘマをして万引きをしたことがばれました。みんなで百円ショップに謝りに行き、お金を支払いました。
その時の土井先生の顔。
「私は信じていたのに。普通の顔して言ってたじゃない…」
言葉を詰まらせていました。
「あなたは変わらないといけない。このままだとダメよ」
土井先生は泣きそうになっていました。私はちっとも悲しくなくて、「ああ、ばれちゃったな。めんどくさい」としか思いませんでした。
小学生高学年になると、みんな、多感になります。
「人と違う」ことはおかしい。変だ。
親がいないのはおかしい。変だ。
施設で生活しているのはおかしい。変だ。
あの子はおかしい。変だ、変だ、変だ!
「ねぇ、何で施設にいるの?」
「お母さんやお父さんがいないってホント?」
子どもは残酷です。容赦ない。
すると、クラスで何かイベントごとや、内緒の話があっても、
「あいつ、施設だから言うなよ!」
と仲間外れにされるのです。
気にしないように笑っていました。でも心はズタズタでした。
私の居場所がなくなっていきました。
寮では奴隷。学校でも変な目で見られるようになってきた。
私は養護施設にいたくなかった。
母には頼ることができないから祖母にすがりました。でも決して受け入れてはくれなかった。
「一美は親としての責任を果たすと、私たちに、あの時、誓ったんだから」
悲しかった。苦しかった。みんな、きちがいだ。私の幸せはどこにあるの?
それでも、祖母にすがった。何度も泊りに行き、「もしかしたら、ここに住めるかもしれない」という、淡い希望を、私は捨てきれなかった。それが何よりの敗因だった。
毎回、夏休みや冬休みなどの長期休みのお泊りは、嬉しくて、つらかった。
NHKの天気予報を見るたびに、帰る日にちが迫ってくる。そしてお腹がキリキリと痛み出す。「あそこに帰りたくない。まだここにいた方がましだ」
私はどうにかして、この養護施設から逃げ出したかった。
でも誰も助けてくれない。誰も救ってくれない。誰も気にかけてくれない。
私は母親の家に戻ろうと、決意しました。
養護施設も嫌、学校も嫌、祖母には拒絶される。だから断腸の思いで諦めたのです。「私にはあの母しかいないんだ」
土井さんと一緒に、母のアパートを掃除しに行きました。
まず、臭い。ひどい、ひどい悪臭。
腐海の森。動物がガラクタのように、たくさんいた。
「え、あんまり中まで入ってこられるのは迷惑です…」
母は明らかに、嫌がっていました。そこは土井さん、百戦錬磨の猛者
「な~に言ってんのよ。みんなできれいにすれば気持ちいいから!」
と笑顔でズカズカ部屋に押し入ります。
まあ、全国のごみ屋敷ランキングがあれば、十位圏内に入るであろう。畳の端の方から出てきた焼きそばには、謎の汁が垂れていた。釘が溶けている。それにも謎の汁が垂れている。ベルトが一つにまとめて置いてあって、全て白くカビている。豚のように太っているから、ベルトの使い道がなく放置していたのだろう。畳が腐って大きな落とし穴ができていてその上にビニールシートを敷いていた。…隠してるつもりなのか?より一層みすぼらしい。食器戸棚を開けたら、茶色いものがびっしりと大量のゴキブリの死骸が詰まっていた。冷凍庫の中が黒々と大量のハエの死骸が…。
ハムスターが十匹以上いる。全て“H”が名前を付けたそうで、主にエヴァンゲリオンのキャラクターの名前。それなのに猫が三匹もいる。うち一匹はロシアンブルー。(二匹は私と住んでいた時からいた猫たち)“H”に買い手がいないと言われて、分割で買った猫だから特別に大事にしていた。それと犬も一匹飼っていた。
書いたらキリがないのでこれにて終了。要約すると「人間の住む場所ではない。」
私はここで母と一緒に住むために、泊まらなければなりませんでした。面会や泊りの実績をたくさん作って、「この家庭に子どもを戻して大丈夫だ」と、児童相談所や養護施設に、認めさせなければなりませんでした。そういうルールなのです。
二匹の猫の話をします。
西八王子駅のぺットショップの店頭で、「里親募集中」の猫が、二匹ケージの中にいた。
そして四年ぶりに、「はち子」と「はつ子」に会った。(私が命名した。)
はつ子は一匹だけケージに入れられていた。
「言うことを聞かないから入れた」
と母は言った。いてもたってもいられなくなって、私は、はつ子をケージから出してあげた。
はち子の方は、体重が1キロぐらいだったと思う。ガリガリにやせ衰えていた。とてもじゃないけど、見られなかった。
夜、寝ていると、はち子が私のおなかの上に乗ってきた。はつ子も私の隣で寝た。
ずっと会わなくても、私を覚えてくれていたことが嬉しかった。
そして、自分だけこの地獄から逃れたことが、本当に嫌だった。
猫たちの運命をめちゃくちゃにしたのは、私なのに。
なにも疑わず、私のそばに来てくれた猫たち。ただただ、涙が出た。
数日後、はち子は死んだ。
真夏でエアコンもかけず、密閉状態の汚い部屋には耐えられなかったのだろう。
「はち子の死骸が部屋のどこにあるか分からない」
と母は言った。見かけないから多分死んだだろう、と。
「苦しかっただろうな、辛かっただろうな」
思い出すだけで、涙が出てくる。猫と自分が重なるのだ。
そして、何もできなかった自分が情けない。
母は犬も飼っている。
犬はプラスチックのキャリーバックの中で、一日中暮らしていて、外に出られるのは散歩のときだけだ。
「この子、ヘルニアなのよ」
と母は言った。
虐待を受けている動物は、目にすべてが現れる。目の焦点が合わず、きょろきょろし続けたり、鋭い目つきで人間を見たり、悲しい目をしている。
動物も人間も、みんな一緒だ。
人間よりも弱い立場で、話すことが出来ない動物。命の大切さを身に染みて感じた。
私は母の家に戻ることを諦めました。
またあの場所に、戻りたくない。今度こそ死ぬ。
もう二度と戻らないと決心しました。