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家族

小学三年生の五月ごろ、母と会いました。

いや、正確にいうと、会わされました。学校から帰ると、

「今日お母さん来ているから。応接室に行くわよ」

と職員に言われました。私はとっさに、

「嫌だ!会いたくない」

「せっかくお母さん会いに来てくれてるんだから。ねぇ?五分でいいから。顔だけでも見せたらお母さん喜ぶから」

「なんで会わなくちゃいけないの?てか、来るって聞いてないし」

「おじさんも一緒にいるから大丈夫よ。さあ、行きましょう」

問答無用でした。私は半ば強引に、引きずられながら連れていかれました。

来てくれている?お前の顔なんか二度と見たくなかったよ。どうして、もう終わったと思ったのに。また現れるんだよ。疫病神。もう消えてくれよ。

「あやちゃん…」

母は会った瞬間に泣き崩れました。ああ、気持ちが悪い。私は嫌気がさして、

「もう帰っていい?」

「あんた、会ったばかりでなんだから、少しは話したりしなさいよ。ねぇ、お母さん」

お前は黙ってろ。何も知らないくせして。今、会うこと事態が、大きな間違いなんだよ。子どもの意見も尊重しろ。ここはどこだ?「児童養護施設」だろうが。子どもを守るのを主眼に置いているはずじゃないのか。

「いや、時間は関係ありません。一瞬でも会えたことが大きな進歩です。あやかさん、今日は来てくれてありがとう」

と、児童相談所の人は静かに言いました。その間も母はひくひく泣いていて、鬱陶しい。

「はい。私もこの子に会えて、一生会えないと思っていたから、今日は嬉しかったです…」

母は蚊の鳴くような声でした。まるで悲劇のヒロインのように、顔を醜くゆがめ、豚に見えました。

私は黙って退室しました。嫌悪感だけが残り、いつも通り外に出かけに行きました。


母と会ってすぐのことです。

「かわいそうな、恵まれない子を助けたい」という、慈愛に満ちた方々が支援してくださる、“養子縁組”というものがあります。

私には何も教えられないまま、見ず知らずのお家に、二日ほど泊まりに行きました。

いきなり知らないおばさんと面会し、「さあ、今週末泊まりに行ってらっしゃい」というノリです。いやいや、そこらのスーパーに行くのと訳が違う。と思っても、行かされるのです。私に発言権と拒否権はありません。

そこの家族構成は、おばあさん、お母さん、お父さん、大学生の男兄弟でした。いかにも裕福そうで、暗さもなく、健全な家族の姿がありました。

ソファで編み物をしたり、パンを作って食べたり、お散歩したり。私には味わったことのない平穏があり、やさしさに溢れている。それがとても居心地が悪い。

そして私の“病気”が発症しました。大学生の男兄弟が「気持ちが悪い」のです。私に屈託のない笑顔で、妹のように接してくれる。でも私は被害妄想的に「私に変な気持ちがあるんじゃないのか」「私に何かしようとしてる」と身構えてしまうのです。洗濯機の横のかごに、白いブリーフを一枚見るだけで、男を感じて、寒気がする。

三回目、施設に帰ってきた時に、

「男の人が気持ち悪い…」

と泣きながら、職員に訴えました。それ以降、その家に行くことはありませんでした。


それからは祖母の家に泊まりに行くようになりました。

祖母は私のために、たくさんの料理を振る舞ってくれました。そして料理がものすごく上手かった!

ここで私の不必要な気遣いが発揮されます。元々は食が細かったのですが、「残したら悪い」という気持ちから、おなかを壊し下痢をしながらでも、

「おいしい~!お替りください」

と笑顔で愛嬌をふりまくのです。過剰なサービス精神です。祖母もまんざらでなさそうに、

「あやかがいっぱい食べてくれるから嬉しいわ」

と言って、「ここは相撲部屋か!」ってくらいの量を、毎回出してきます。というか、徐々に量が増えている…!おーい。待ってくれよぅ。ありがた迷惑この上ない。ごはんの間に何度もトイレに行っているのだから、健気な子ども心に気づきなさいよ。明らかに顔色悪いけど、こらえてますって感じじゃん。腹さすってめちゃくちゃ苦しそうにしてるじゃん。耐えろってか?これは新手の修行なのか?

夏休みなどの長期休みだと二,三週間泊まるのですが、おなかが破裂しそうに膨らんで、体重も五キロは増えました。これは今も苦しみ続ける、過食症の原点になりました。人の顔色を窺って断ることができない。無理して明るく振る舞う。これは私の欠点であり、“病気”だ。


「あやちゃん、シャワーはきちんと止めなさい!朝起きてぽたぽた音がすると思ったら、シャワーの音だったのよ。水道代がもったいないでしょう!!」

と、朝起きたらすごい剣幕で怒られた。「…ポタッ、…ポタッ、…」程度なのに。

そのおかげで、今でもガスの元栓はしめたか、ストーブが付けっぱなしになっていないか、家の鍵は閉めたかなど、何度も確認作業をしないと外に出かけられなくなりました。


今でも忘れられない。

小学四年生の夏、蝉の声がうるさい午後、私は生まれて初めて、祖父と会いました。

祖父は薄汚いアパートの二階に住んでいて、祖母は肺がんになった祖父の食事の世話をするため、一日三回この部屋に通っていました。

祖母は一人で行くことが耐えられなくて、私を連れて行ったのでしょう。部屋に入った瞬間、寂しい気持ちに襲われました。冷蔵庫しかない四畳半の部屋、汚い畳、日が差し込まないどんよりとした空間。祖父はベッドから起き上がり、

「あやかなのか…?」

「…うん。」

「大きくなったんだな」

と、嬉しそうに言いました。

祖母は冷蔵庫からめんつゆを取り出し、家で茹でてきたそうめんを祖父に渡しました。そこにやさしさはありませんでした。ただ淡々と、祖父に餌を与える、それだけです。地獄のようでした。

私は祖父が高校教師だったこと、ギャンブルが好きで、祖母との間に大きな溝があることしか知りません。

誰も祖父のことを話さないのです。

私たち家族は、どこか他人行儀で、重苦しい雰囲気が漂っています。世間体ばかり気にして、常識人のふりをする。やさしさが欠けているのです。

数か月後、祖父は死にました。

祖母の行動は正しかったのか。もし、母が倒れたら私は世話をするのか。きっと私は見捨てるでしょう。

正しいとか、間違っているとかで人間の心は片づけられないです。

どんなに苦しんで、死にそうになっていても、心から憎んでいる相手には同情はできないものでしょう。それが不道徳だって分かっていても。理屈じゃないです。

そして、私が客観的な立場だったから、祖父をかわいそうに思い、祖母を冷たいと感じたのです。

哀れな人間の最後、祖父はどんな顔をして死んだのでしょうか。


祖母と一緒に八王子のデパートで、母と待ち合わせをしたことがあります。

なぜ会うことになったのか、分かりません。そんなことはどうでもいいのです。そこにはソファがいっぱい置いてあって、憩いの場のような空間でした。何か口論になり、いきなり母が私の頬っぺたをぶん殴ったのです。ははは。笑えます。周りは騒然。何事かと、他人の目が私たちに注がれます。

「これじゃあ、話にならないわね。あやちゃん行きましょう!」

私は呆気にとられました。まさかこんな場所で殴られるとは思ってもいなくて、涙も出てきません。祖母は私の手を強く引っ張って、帰ろうとしました。急いで二人してエスカレーターに向かうと、

「どうしてよっ!!なんで帰るのよ!!待ちなさいよ!!!!」

と言って、追ってくる。しかも大声で、しかも泣いている。「きちがい、きちがい、きちがい…、怖い!」私はただただ、恐ろしくて堪らなかった。私と祖母がエスカレーターを駆け下りても、ものすごい形相で、大声で、泣きながら、追いつめてくる。これは誰?人間?

「あんた、これ以上近づいたら、本当に警察に行くから!!!」

祖母が怒鳴った。母は、それ以上は追いかけてきませんでした。私は泣きました。


それから祖母が、

「あの子に急に道端で会ったら殺される…」

「家の場所を教えたら、どうなるか…。家の前で泣き叫んだり、近隣の人に迷惑をかけたりされたら、私ここに住めなくなっちゃう…」

恐怖に顔をゆがめ、泣きそうになりながら、叔母と話していました。

私は母のことは十分に理解していたので、「ああ、おかしな家族だな」と心の中で笑いました。何をいまさら。そんな、きちがいは野放しにしないでさっさと精神病棟に入れればいいのにと。


祖母と母の関係もよく分かりません。

でも母は祖母への愛情に飢えているような面が、確かにありました。表面的には出さないけれど、言動の端々に"寂しさ"が見え隠れしていました。

祖母は動物や自然、宇宙が大好きです。

動物を飼ってはいけない団地に住んでいるのに、いつも隠れて野良猫を一匹飼っていました。ハトや川の鯉、何十匹の野良猫に餌をやるのも日課でした。

ある時、家の近くの木々が切り倒されると聞いて、市役所に抗議文を出すほど、"生きもの"を愛していました。

きっと、母は祖母の面影を追っていたのです。

祖母との忘れがたい幼い記憶を辿って、興味もない生きものに執着をしたのでしょう。だから私が物心ついた時から、動物がわんさかいたのだと。


母には四つ違いの妹がいました。その人のことも私はよく分かりません。でも祖母への異常な執着心は感じます。四十歳過ぎても同じ団地に棲み、どんな些細な事でも祖母に相談していました。上司に電話一本かけるのにも、

「こんにちは。の後は何て言えばいいかしら?」

「これで良いと思う?」

と何度も念を押して聞いていました。いつも全て祖母と同じ意見。ピーチクパーチク。自分たちの法律を、常に上から押し付けてきます。そしてヒステリック。まるでドッペルゲンガーのようです。

晩婚で、旦那さんは九州の方でした。その旦那さんは向こうでの仕事や親、親戚を置いて、小さな団地で祖母達と暮らしています。子どもは男の子で五歳頃でした。いつもニコニコしていて邪気がなく、かわいらしい。どこにでもいる幸せな家族がそこにはあります。疎外感、疎外感、疎外感。

「どうして私だけが、こんな運命なんだろう」

と、何度泣き出したくなったことか。


子どもは親を選べない。それは親も同じだ。どんな環境に生まれてくるか、運命には逆らえない。でも親は“子どもを産まない”という選択は出来る。育てる自信がないのであれば、その選択が尊い命を奪うことになるとしても、将来的にはその子どもを救う選択になるのではないか。“無責任”は罪なのです。


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