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混乱する日々

それから私は、高田馬場駅の近くにある“治療科”といわれる場所に、何か月か居ました。

私はそこでいろいろな世代の、似たような境遇の子ども達と関わりあいました。全てが初めてでした。衣食住が全て整い、職員の人はみんなやさしい。お散歩に出かけたり、絵を描いたり、マンガを読んだりと比較的自由な環境でした。当たり前ですが、ホームシックになって夜な夜な泣くような事はなく、すぐに環境には馴染めました。ただ人間関係はうまくありませんでした。

お風呂は何人かで入る決まりになっていました。私はその当時小学二年生で、小学五年生と中学二年生の女の子と一緒に入る機会が多かったです。幼い頃から上辺の人付き合いは、母の影響で身についていたので、会話に関しての苦労はありませんでした。しかし私は常識が大きく欠けていました。その子達が職員に、

「あの子は身体をきちんと洗わないでお風呂に入る」

と苦情を言ったのです。確かに私は身体を洗うという概念がなかった。身体を洗う事は、清潔を保つためという事をまるで知らなかった。母との生活では「きちんと洗いなさい」と言われたこともなく、母に連れられてシャワーを浴びるだけだった。私は他人と会話が出来るだけの“野生児”と同じでした。お風呂場ではその子たちに、

「今、十五秒しか身体を洗っていない!」

と中学二年生の子からかわれて、顔から火が出る思いでした。私は他人から“どう思われているか”に酷くこだわりました。だから嫌味や嘲笑うような視線には耐えられず職員に、

「お願いです。一人でお風呂に入らせてください」

と、泣きながら訴えました。それでも職員は首を縦にはふらず、私はお風呂の時間になると、胃が痛くなり、どうやったら言われなくなるか必死に考えました。そしてだんだんと身体をゆっくり丁寧に洗うポーズが身に付き、

「最近ましになったじゃん」

と言われるまでに成長したのです。

毎朝ラジオ体操の放送が各部屋に流れ、起きて布団を畳む。日中は各々に合わせた時間を過ごし、寝る前には必ず暖かい牛乳をみんなで輪になって飲む。私はそこでも四六時中、置いてあったマンガを読んでいました。一人でソファの上で寝そべりながら、名探偵コナンを読んで、ご飯になったら食堂に行く。毎日そんな暮らしをしていました。私の人生の中で一番平穏な日々でした。

突然、違う場所に行くと言われました。少し寂しい気持ちにはなりましたが、特に不安はありませんでした。出発の日、着てきた服を職員が出してきてくれました。

「どうしてもパンツだけが見つからないのよ」

私は体がひやりとしました。とっさにお得意の嘘で、

「どこかに紛れちゃったんですかね…。小さいし」

「でも無くなるなんてことは滅多にないのよね…」

「そうですか。でも見つからないのなら、代わりのでもいいですよ」

「そうねぇ。仕方ないわね」

私はほっとしました。急いで着替えると、児童相談所のおじさんが待っていて、二人で車に乗り込みました。会話は覚えていません。私は八王子から出たことがなかったので、都会がもの珍しく、車から流れる風景にひたすら目を奪われていました。


私は一生忘れません。今でも思い出すと涙があふれ出てきます。

車から降り立ち、白い歩道橋の下、風がびゅうびゅうと激しくうねっている。広い青空、透き通る海、潮の香り。とにかく風が強く、私達は飛ばされそうでした。

私の中ではっきりと“何か”がこみ上げてきました。今でも昨日のことのように、鮮明に思い出されます。波乱なのか希望なのか、はっきりしない“何か”。車から降りて、風に触れた瞬間、身体が空気と一体化したような、不思議な感覚でした。「ここで生きなければならない」という、言葉では表現しようがない、覚悟だったのでしょう。


涙が出そうになる

私の人生をぎゅっと濃縮した忘れられない場所

消し去りたい恥ずかしい過去

消えてしまいたい自分

出来ることならもう一度やり直したい


つらい時、わんわん泣いて叫んで

誰にも分かってもらえないと、ふてくされて歩き

真夜中、雨の中を自転車で走り抜けた


いつも穏やかに流れる川

土手の草花、オレンジ色の夕陽、とんびが空を舞う


私のかけがえのない居場所だった


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