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歯車が狂い始める

私にちょっとした幸運が舞い込みます。小学六年生の頃です。

養護施設の中で実験的に“グループホーム”をやろう、という企画が立ち上がりました。グループホームとは養護施設の団体で暮らすのではなく、どこかのマンションの一室などを借りて、少人数で暮らします。普通の家庭に近い環境で、例えば、自分たちでスーパーに買い物に行き、料理を作る。より子どもが自立できるようにする仕組みです。(養護施設だと管理栄養士がいて、コックさんがいる。配膳室に食事を取りに行くだけ)

希望者を募ったところ、沙織が行くと名乗り出たのです。ジーザス!!ようやく私に微笑んでくださった!今までそっぽ向きやがって。

そして、美代子も実家に戻ることが決まり、退園することになりました。願ってもいないことでした。さらば!沙織、美代子。この恨み、一生忘れないからね!!


たけ寮に残ったのは、同い年の勝とボスの冬美くらいで、人も入れ替わり、幼児も入ってきて、ずいぶんと様変わりしました。

冬美は絶賛ギャル街道をばく進中。髪の毛も赤や金などに、日替わりで染めて、タバコ、マリファナ、クラブ、お泊り生活。寮にいることは、ほとんどなく、「美容師に私はなる!」といつも豪語していました。おしゃれなのか、いつも真黒いダボダボした服を着ていて、私たちは陰で「カラス」とあだ名をつけていました。高校二年生、中だるみの時。学校生活を謳歌されていました。勝もお姉ちゃんがいないとただの雑魚。束縛と恐怖からの解放。平和の訪れです。私は荒れた反抗期に突入しました。


「ふざけんじゃねぇー」

部屋の壁を蹴り倒し、麦茶を職員にぶちまけて威嚇した。

当時一緒の部屋だった、一つ下の優子を自分の子分のように扱かった。

優子は五人姉弟で、寮は違いましたが、みんな養護施設にいました。男三人、女二人の次女。お母さんはキャバクラ嬢。お父さんは不明。

優子は何でも言うことをきく、いい子でした。それは、とてもかわいそうだった。

お母さんのことが大好き。だから、優子は派手な服装やメイクにあこがれ、ピンクのものばかり身に着けていました。

「優子が一番好き。ってお母さんが言ってくれるんだ!」

「良かったじゃん」

「うん。うちが一番ちゃんとお母さんの言うこときくからって!!言うこときかない子は嫌なんだって。だから、お姉ちゃんのことが一番嫌いって、いつも言ってるんだ」

キラキラした笑顔で言うのです。

ああ、ここにもどうしようもない親がいる。自分勝手で傲慢。言うことをきかないと、自分の子どもじゃないのかよ。あんた、子どもを産んだっていう自覚がない。育てていく覚悟もない。最低の母親だ。子どもを作るのは簡単だろうね。好き勝手に遊びほうけていれば、自然と子供ができるさ。それでほいほい子どもを作って「あれ、また出来ちゃった~!」って感じでしょう、きっと。

子どもはニキビじゃないんだよ。

大好きなチョコレートばかり食べて、ニキビが出来る。自業自得。ただ、みっともないだけ。潰してしまうか、オロナイン塗って治癒させるかは、人それぞれ。でもバカな人は食べ続ける。自分の欲望のままに。どんどんニキビが出来て、それが当たり前になって、気にも留めなくなる。

ニキビだったら自分のことだ。好きにすればいい。

でも子どもは命がある。心がある。あんた達が人の運命を、捻じ曲げていいはずがないんだ。


悪循環は止まりません。

「優子、リモコン持ってきて」

「甘いの食べたいから、クッキー作って」

何でも命令しました。優子は笑って従います。

気分がむしゃくしゃしたら、自分勝手に、八つ当たりもしました。

優子が学校から帰ってくる前に、部屋にある物を全てぐちゃぐちゃにして、布団はベランダに、お母さんと写っている写真たてはリビングに放り投げ、割りました。さらに布団には納豆や卵をかけ、友達からもらった手紙はゴミ箱に捨ててやりました。職員は唖然、優子もその惨状を見て、静かに泣いていました。

「ごめんなさい…」

優子はずっと謝り続けました。

「はぁ?謝って許してもらえると思ってんじゃねぇーよ!」

と、私は食器戸棚のガラスを蹴って割った。

優子が謝る必要なんてない。私も何でこんなに怒っているのか分からない。誰も止めてくれない。誰も分かってくれない。収拾がつかなかった。

「おいおい、どうしたんだよ。あやかもとにかく落ち着け!ガラス危ないから、先生、掃除機!早く!」

隣のいちょう寮にいた、高校生のお兄さんが駆けつけてきた。静まり返った空間に動きが生まれた。

「うん」

私も電池が切れたロボットのように、その場にしゃがみ込んだ。この一言をずっと待っていた。

「ごめんね」

と言って、外の空気を吸いに行った。


こんなことは日常茶飯事になった。

職員に食べた食器を洗えと言われて、

「優子、洗っといて」

「優子はあんたの召使いじゃない!」

「え、うち洗うよ。暇だし」

「優子は洗わなくていいのよ。あやか、早く洗いなさい。自分が食べたものでしょ。今度から食事抜きにするわよ」

と職員が口を出してくる。そこから頭に血が上り、椅子を投げつける。リビングにケチャップとマヨネーズをまき散らす。職員に「やめなさい」と言われても、止まらない。手あたり次第なんでもした。新聞をびりびりと破ってそこら中紙くずだらけにする。生ごみのバケツをひっくり返す。職員も意地になって、片づけないからそのまま放置。事務所の園長や係長が見に来る事態。何か注意されても、

「うるせぇ」

と言って、部屋に引きこもる。


私がなぜ、このような態度をとるようになったのか。反抗期が来たから、では片づけられないと思う。そんな簡単な問題じゃない。

私は小学二年生の終わりにここの養護施設に入った。

本当につらかった。私が今まで書いてきたことが、全て真実だとは限らない。私だって人間。自分に都合が悪いことは書かない。あと忘れてしまったことも、たくさんある。不思議なもので、つらく悲しい記憶は消し去ることができる。それは自分のちっぽけな殻に閉じこもって、これ以上傷つかないように、目を瞑る。過去をなかったものにしようという、私なりの生きる術だったのかもしれない。でも本当につらかったのは、確かな事実。

私は悩んでいることを、打ち明けられる人が一人もいなかった。つまり信頼できる大人がいなかった。

小太りの男に変ないたずらをされ、沙織たちに奴隷のような仕打ちをされて、学校でいじめられた時も、職員は誰一人、

「あやか、大丈夫だった?」

と言葉をかけてくれなかった。いつだって、私に無関心だった。

だからよく体を壊した。高熱が出て、肺炎にもなった。ストレスで過食をするようにもなった。昼ご飯は、ミートソーススパゲッティを二人前とチャーハン二合を、ぺろりと平らげた。夜ご飯には、うどんとラーメン二人前ずつ。そんな食生活を五年近く続けた。体重は一か月で、十キロ太ることもあった。私の自己ベストは、中学三年生で六十五キロでした。小学四年生までは三十キロ程度だったのに…。

どんどんおかしくなっていく、私。

もう止まらない。誰も止めてくれないから、仕方なかった。


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