生れて
「この子に指一本触れないで!!」
家庭裁判所内で一人の女が泣き叫んだ。
母の無責任なこの一言で私の運命が決まりました。たったこの一言で。
ここで言わせていただきたい。そこに居た傍聴人の祖母、叔母、父よ。このありさまを見よ!たった二十一年間の私の人生、散々じゃないか。風化なんかさせやしない。私たちは無関係と、顔にありありと書いてあるんだよ。以前、祖母は言った。
「一美が言うことを聞かなかったから…」
あんたの娘はいくつだ?言うことを聞かなかったから?精神疾患の女がまともに子供を育てられるとでも?
私たち家族は“馬鹿の集まり”だ。
生まれてすぐに、両親が離婚しました。だから、私は父親の顔も名前も知らない。父親は、「あやか」という名前だけを付けて去りました。二十一年たっても姿を見せやしない。
以前、祖母から新しい家庭を持って、子供がいると聞かされました。
なぜ?肉親でしょ?私にはあなたの血が流れている。自分の子供が育っていく中で、私を思い出さないのでしょうか。
「薄情」この言葉しか出てきません。
生まれて八年間(養護施設へ引き取られるまで)、ずいぶんと悲惨な人生でした。誰にでも話せる内容では
決してありません。話すと、「大変だったね…」という、ありきたりな同情が九,九割です。時に、感情豊かな人は涙します。でも私は常々思うのです。あなたに私の本当の苦しみは分からない。泣きだしたいのは私の方だよ、って。
この大事な期間に、私の人格が形成され、"人間不信"となるきっかけをつくりました。
他人が煩わしいけど、いつも寂しい。誰一人頼れる人がいない。いや、違う。心から頼れる人がいないのだ。だから苦しい、悲しい、寂しい。
駅からの家路、車がびゅんびゅん通る大きな街道。私は一人寂しく、星空をひたすら眺め歩きます。途中にあるファミレス。ガラス越しに見える、和気あいあいとした家族連れ、幸せが見て取れるカップル、他愛もない話で盛り上がる学生。その場所を通る度に、私は胸が押しつぶされるような苦しみを覚えます。「私も仲間に入りたい」と。
でも私の内向的な性格や卑屈さで、なかなか他人と馴染めず、いつからか、それらをことごとく避けるようになった。私は他人を信用出来ない人間に育ちました。
毎日、母親の虐待にあいました。生活も汚く、健全な人間が住める環境ではありませんでした。
凄惨な日常が、当たり前であると信じていました。ぶたれても、蹴られても、万引きするよう命令されても、「怖い」と思っても、黙って耐えるしかなかった。誰にも助けを求められない。誰に助けを求めていいのか分からない。きっと、このままどす黒く染まった人生を、この母と歩み続けるのだと思っていました。ずっとずっと、永遠に。
家は一戸建てのボロ屋でした。そしてゴミ屋敷、汚物のかたまり。
部屋の中を歩くと、自然とナメクジを踏む。見たこともないヌメヌメした虫が風呂場を何匹もうろついていました。あとは想像の通り、「不快」の一言です。
猫は十匹以上、ウサギ三匹、カメ、ヤドカリ、熱帯魚など。いつどれが死んだかなんて分からない。
動物を一か所にまとめておく“収容所”がありました。みんな小さなケースに入れられて、歩くスペースなどなく、猫は糞をしたトイレの砂の上で寝ていることもあります。
物心ついた時から、動物の世話はすべて私の仕事。母は無関心で一切何もしませんでした。
自分の子供の世話もろくに出来ないのに、動物を飼う気が知れません。
私が最初の記憶として思い出すのは、黒猫がケースの中で血だらけになって死んでいたことです。多分三歳の終わり頃でしょう。
今思うと、自分が恐ろしい。私も動物の“命”について、微塵も関心がなかったのです。猫の入っているケースは二段になっている。ご飯をあげる時は柵の上から、猫の餌をばらまく。下のケースの子には横から投げつける。彼らは懸命にばらまかれた餌を食べていました。
そしてその日も朝起きて、ご飯をあげに、“収容所”に入ったら黒猫が死んでいたのです。
当然、死体処理も私の役目です。私は、「かわいそうだな」と思うこともなく、血が流れていることに怖さも感じず、淡々と庭の土を深く掘り猫を埋めました。
ウサギが死んだ時には、一日経って掘り返したこともありました。
ただ単純に「土に埋めたらどうなるのか」疑問に思ったからです。ひたすら一日中、スコップで掘り返しても、かすかな白い毛しか出てこなかったのは、今でも不思議に思います。
五歳ごろ、ある飼育本で「カメはぬるま湯につかるといい」と書いてあって、実践しました。私は間違えて湯沸かし器から熱湯を注ぎ、カメを六匹程殺してしまいました。
薄緑色にふやけた皮膚を何のためらいもなく掴み、じっくりと観察しました。
でもカメは生きていたのです!私も目を疑いました。一か月ほど経ち、一人、庭で遊んでいるとカメがいるのです。しかも歩いている。
私は生きたカメを釜茹でにし、生き埋めにもしたのです。きっと閻魔大王もお怒りのことでしょう。散々な目に合わせてしまった、カメの花ちゃん。その後は立派に大きく育ち、長生きしたそうです。最期まで虐待を受け続けた哀れなカメでした。
今思うと、私はあの子たちと一緒でした。
"命"を大切に扱われない存在。「助けて」ということが出来ない存在。“収容所”に入れられた生きものは、みんな目がうつろで、心臓だけが動いている置物でした。
私は母と同じ罪人です。異常だったのです。私も苦しかったように、あの子たちも苦しかった、痛かった、生きたかった。
私には一つ烙印があります。
餌をあげようと缶詰を開けていたら、猫がいきなり左足のすねの横を思いっきり噛みちぎったのです。今でもそこには穴があいています。それを見るたびに、過去を思い出し、涙が流れ、罪の意識を強く感じ、二度と同じことをしてはならないと自分を戒めます。
文章内容は重たいですが、自分自身と真摯に向き合って最後まで書ききりたいと思います。悲しくつらい体験をして、幸せをつかみ取りたいともがき苦しんでいく姿を見てくださるとうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。