第五十二話 エイミー
第五十二話 エイミー
☆沼の迷宮
「……何と言う濃いい瘴気だ…」
開拓村からジェラルドによって派遣された僧侶であるサロメは、その余りに濃いい瘴気に思わず息を呑んだ。
比較的道が良好である沼の迷宮へは八時間もあれば十分に辿り着けるし、水晶の迷宮と同じく馬車も何とか通り抜ける事が出来る。
だからこそ緊急でサロメが送り込まれる事になったのだ。
「僧侶サロメ、よくぞお越し頂きました」
この沼の迷宮探索部隊を束ねるハウンドが到着の報を受け本部テントから出迎えの為に宿営地の外まで出迎えに現れる。
二人は関係者であり事前の打ち合わせでは岩の迷宮に向かう手筈であったのだが、この時点で計画は大きく狂っていた。
二人は目配せをし問題の沼の迷宮入口に向かう。
「こちらです、サロメ殿」
「う、うむ、先ずは現状を確認させて頂く」
二人は仮設の柵を越え、沼地を護衛の騎士と共に抜けて行く。まだ不死者達が発生している訳では無いが、その禍々しい瘴気はかなりの濃度になっていた。
沼地を縫うように進み、問題の沼の迷宮入口に辿り着くと、僧侶サロメは手にした聖水を使い、簡単な浄化を行った。
ハウンドも騎士達に祝福を施し自らにも呪文を唱え防備を固めた一団はゆっくりも沼の迷宮に足を踏み入れて行く。
「……これは…」
「昨日より酷くなっているようです」
(これは自然発生した物とは思え無い。まるで地下墳墓の様だ)
不浄の土地ならいざ知らず、ダンジョンコアを討ち取られた迷宮がこのら短期間でこれ程悪化する事は考えられ無い。
僧侶サロメの顔が曇る。
つまりそれはこの国の者では無い、何らかの目的をもった集団がこの仕掛けを施したという事を如実に表している。
まだ王宮の反対勢力の可能性も有るが。
(にしては打ち手がおかしい)
この迷宮は岩の迷宮とは違い小規模とは言えない三階層有る。
もしもいち早く探索隊を送り込んでいれば無傷で討ち取れた可能性も有るのだが──
「……遅かったか」
サロメは吐き棄てる様に呟く。
もしもハウンドが密命の事を知らなければもっと早く手を打った可能性もあったが。
「……オオオッ…オオッ……」
迷宮の奥から響く呻き声
その声をサロメは良く知っていた。
それは不浄の者達が漏らす苦悶の鳴き声
「何と言う事だ、再びこの地に死霊の巣窟が噴き出すとは」
その声は徐々に生者の持つ光に釣られる様に近ずいて来ていた。
地上の戦場で動死体が湧き起こるのとは違う。
この三階層の迷宮に溢れた報われぬ不死なる者の魂が這いずり出ようとしていた。
そして──その闇の中を駆け抜ける影
「ガアアアアッ!」
「!!! な、何だ!」
突然闇の中から飛び掛かって来たのは紛れもなく緩慢な動死体や骸骨などでは無かった。
「ぎゃあああっ!」
「サ、サロメ殿! おのれ!」
喉を食い破られたサロメが薄れゆく意識の中で見たのは
『…屍…屍食鬼……』
それはつまり
この迷宮の中に高位の死霊術師が恐るべき確率で入り込んでいる事を意味していた。
不死者とは言え屍食鬼は簡単に現れる訳では無い。
しかもこの屍食鬼は恐るべき俊敏さを持っており、暗い闇と濃い瘴気に紛れ込み狙い済ました様に襲い掛かって来た。
(……は、謀られた…)
しかしそれをサロメは誰に伝える事も出来無い。
「サ、サロメ殿!」
「ハウンド隊長! ま、周りを囲まれ──ぎゃあああっ!」
「な、何だと!」
そして何時の間にか数十匹の屍食鬼がハウンド達を取り囲んでいた。
「……そ…そんな…」
動死体や骸骨の群れなら多少の損害が出ても遅れを取る事は正規の騎士なら切り抜けられるだろう。
だが……
迂闊にも斥候を放ち、瘴気は濃いいけれど緊急性は低いと判断していた所為で愚かにも自ら罠に堕ちたハウンド
その目には絶望の色が滲む。
それはその背後から地上への道を塞ぐ様に現れたさらなる不死者の所為だった。
現れたのは死霊騎士を従えた魍魎君主の一団
間違い無く最凶の不死の化物である。
(だ、だめだ! 専門の退魔師か聖騎士でも無ければ勝てる訳が無い!)
立ち尽くすハウンドを闇の中から黒いローブの男が伺っていた。
その者は手に死霊魔術の触媒となる骨片を握りハウンド達をジッと見詰めている。
迷宮に断末魔の叫び声が響く
幾ばくかの抵抗をハウンド達は試みたが──心の折れた刃では災厄を振り払う力には無らなかった。
僅かばかりの時を重ねたに過ぎない。
そして──黒いローブの男はニヤリと笑うと物言わぬ屍となったハウンドやサロメ達の所に歩み寄る。
「ひひひっ、ちゃんとお友達にして上げるよ、君達もそこそこ優秀そうだしね」
フードの下に隠された笑みは間違い無く狂気に彩られていた。
もしも
岩の迷宮の異変が無ければ
女勇者はこの沼の迷宮に気が付いたかもしれ無い。
そうなればこの後の展開もまた違う物になったのだろうが、折り重なった意思の積み重ねがジュール大森林をさらなる混迷に導いて行く事になる。
しかし奸計はそれだけでは無かった。
♢
黒いローブの男は沼の迷宮最下層に向かう。
そこには数人の術師と思しき一団が居た。
「ひひ、無事に討ち取りました…ふひひっ」
リーダーと思しき者が黒いフードの下でコクリと頷く。
(どうやら首尾良く事が運べそうだな)
そして沼の迷宮最奥部の一室で大きな青いクリスタルに向き直る。
そして──その傍らには全身に杭を打たれ、目隠しと猿轡を施され石柱にまるで縫い付けられる様に磔にされた少女
そう、それはまだ未定着では有るが紛れも無くダンジョンコアとダンジョンコアメンタルだった。
「さあ、仕上げにかかるよ」
フードを外したその姿はエルフではあるがエルフでは無かった。
特徴的な耳は同じ
ウッドエルフであるエレノアは金髪碧眼と白磁の様な美しい肌が特徴だが、その者は銀髪蒼眼に、美しい褐色の肌を誇っている。
その姿は紛れも無く闇に身を落としたエルフの末路
ウッドエルフとハイエルフ達の最も忌み嫌う存在
【ダークエルフ】だった。
比較的スリムな者が大半であるウッドエルフとは違い、有り得ない程の巨乳と豊満な肢体を誇るそのダークエルフの女は磔にされた少女の頬を撫でる。
「さあ、ダンジョンコアメンタル様、ご機嫌はいかが?」
そう言ってダークエルフは指で男を誘う。
「カズマ、お仕事の時間よ」
すると──ニヤリと笑うとその男はフードを取る。
その姿はまるで高校生程の年恰好だった。
そして年に似合わぬ好色な笑みを浮かべる。
その眼には狂気に支配されている様で、それでいて何も受け付けない様な深い闇を潜ませている、まるで二重人格の様な不可思議な相貌をしていた。
磔にされた少女を目の前にして全く心の揺れぬその心底には何が潜んでいるか分からぬ怖さがある。
だがそれをしてなおその者が残念な事に愚鈍では無い才気を放っているのは間違い無い。
「……ああっ…オルヴァ…任せておけ」
そして──オルヴァと呼ばれるダークエルフもこの少年に賭けていた。
そして二人は一度だけ視線を合わすと、その少年は磔にされた少女に語り掛ける。
「エイミー、さあ、再び始めようか」
そして、エイミーと呼ばれた少女のくぐもった悲し気な嗚咽が、そっと沼の迷宮を包み込んでいった。




