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第三章

第三章 絶望に至る病


 それは、琉歌の眼には朽ち果てた巨人の遺骸のように見えていた。窓ガラスの割れたコンクリート、剥き出しになった鉄筋。もはや、生きているモノなど何も存在していないかに思えた。だが、死体には蛆虫が集ると、相場が決まっている。

「何ッ……!?」

 それは、明らかに生き物が放つ音ではなかった。金属と金属の擦れる音、エンジンが起動する爆音、熱を過剰に含んだ煙が噴き出す音。

 それは、琉歌の目にも明らかだった。どの生物にも当てはまらないひょろ長いシルエット。頭部に当たる部分には口は無く、真っ赤なモノアイがせわしなく収縮を繰り返している。手足は頼りなささえ感じる棒状。だが、折れることも曲がることもなく力強く大地に突き刺さる。

「ちぃッ!」

 この忌々し気な声は琉歌から放たれたモノではなかった。顔面全体を頑強に覆ったヘルメット、強い太陽の光を跳ね返し黒光りする。それにも負けない、ぎらぎらした輝きを照射するのは二つの丸いカメラだ。全身の要所にも黒いプロテクター。如何にも戦士、といった様相だ。だが、その戦士も防戦一方、対称的な色合いのロボットに押されていた。

「加勢するよッ!」

 琉歌は堪らず走り出した。この距離ならば見て見ぬ振りだって出来た。でも、それは出来なかった。例えどんな結末が訪れようとも首を突っ込まざるを得ない。それが琉歌の持って生まれた性分だった。

「うおおりゃぁぁぁッ!」

 それは、戦士の眼には夜空を斬り裂く一迅の流星にしか見えなかった。今迄に、数々の激戦をくぐり抜けて来たから解る。明らかに人間の動きでは無い。明らかに人間の持てる威力では無い。

「おりゃッ! おりゃッ! せいやぁッ!」

 十二分な助走に強靭な脚力を持って跳ね上がった琉歌の身体。爪先は閃き、そのままの勢いにロボットの横っ面を激烈に蹴り付ける。例えるなら荒れ狂う暴風雨。空中に留まったままの旋風が一度や二度で収まる訳が無い。文字通り、嵐のような殴打がロボットを襲っていた。

「げふぅッ!」

 だが、ロボットが倒れることは無い。まるでゴミに集る蝿を追い払うかのような乱雑な仕草で琉歌を弾き飛ばす。内蔵が飛び出しそうになるほどの衝撃。華奢な身体がピンボールのように転げ廻る。琉歌でなければ即死だっただろう。

「このまま黙ってやられるかッ! 加勢するぞッ!」

 耳を劈く破裂音の連続。黒いプロテクターは右手に構えたマシンガンを命中精度など考えずにぶっ放す。ただ、相手に当たれば良いと考えているようだ。だが、鋼鉄の鎧に身を包むロボットに傷一つ付けることが出来無い。足止めにすらなっていなかった。

「そんな豆鉄砲で何が出来るってんだよッ!」

「なッ!? 豆鉄砲とは何事だッ! H&K MG4、ヘッケラー&コッホ社が開発したベルト給弾式軽機関銃ッ! 一秒間に七七六発の銃弾を発射ッ! 五センチの鉄板だってぶち破るッ! ああっこの形ッ! まさに男の為のマシンガンッ! それを豆鉄砲だとぉッ!」

「ああ、豆鉄砲だねッ! そんなもんッ!」

「んなッ!?」

 黒いプロテクターは何かに足を掴まれたかのように、その場を動くことが出来無くなってしまっていた。そう、ただ眼の前の少女は右手を構えた、それだけのことだった。それなのに、この威圧感はどうだ。動いてしまえば確実な死が訪れる。そう戦士の直感が告げていた。

「陽電子砲ッ!」

 その言葉よりも先に視界は白く灼け付いていた。ヘルメットに装備された赤外線カメラが許容出来る光量を遥かに超えてしまっていた。幸い、自分の眼に異常は無い。焦りに震える手でヘルメットを脱ぎ捨てる。

「そんな、まさか……」

 外気に触れたその眼で最初に見たのは、数百メートルも一直線に抉り取られた地面。追い掛けていた獲物はもはや存在せず、勝ち誇った少女の高慢ちきな笑みがそこにあるだけだった。

「へっへーん、どんなもんだいっ! って、アレ?」

 琉歌はてっきりこの男から礼を言われるものとばかり思い込んでいた。生命を救ってやったのだから、それが当然だろう。だが、そんな思いとは裏腹に男は鬼気迫る形相で琉歌に詰め寄る。

「いったいどうしてくれんだよぉッ! 三十六層チタン装甲も、多方向思考性CPUも、みんな吹っ飛んじまったッ! 大事なことだから二回言うぞッ! いったいどうしてくれんだッ!」

 ざんばらな黒髪を振り乱して男はがなり立てる。きりっと形の良い眉に力強い瞳。やり場の無い感情に顔を歪めてさえいなければ美形と言っても差し支え無かっただろう。

「そ、そんなこと言われたって……それよりも、救けてやったんだから礼くらい言えよッ!」

「誰が救けてくれなんて頼んだよッ!」

「あんな機械の怪物に襲われてたら誰だって救けようとするだろッ!」

「そこと、そこッ! 指向性の小型爆弾が仕掛けてあるッ! ここまでおびき寄せりゃあ無傷で手に入れられたんだよぉッ!」

 そこまで捲し立てて、大きな溜息を一つ。男は暫く俯いたままだった。沈黙の後、意を決したようにして頭を振り上げる。その顔は、今迄とは比べ物にならないほどスッキリとしたものに変わっていた。

「ま、いいや。あんたおっぱいでかいし、可愛いし、おっぱいでかいから許すわ」

「はぁん?」

 琉歌は、それこそ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするしかなかった。面と向かっておっぱいでかいなんて無礼なことを言われるなんて初めてのことだ。怒ればいいのか、恥ずかしがればいいのか解らなかった。

「取り敢えず、礼だけは言っとくぜ」

 ニカっ、と笑った口元から白い歯が覗く。とても礼を言っているような態度には思えなかったが、琉歌の瞳はその顔に釘付けとなっていた。何処までも続くこの荒野に咲いた白薔薇、琉歌にはそうとしか見えなかった。

「ん? どうかしたか?」

「いや、別に……」

 琉歌は、この気持ちを知っていた。まだ人の身であったころに持っていた淡い感情。だが、その気持を信じたくないという想いもあった。初めて会った男にそんな感情を抱くなんて、私はそんなに尻の軽い女じゃない。

「俺はクーガってんだ。あんたは?」

「あ、あたしは琉歌」

「リュカ、か。良い名前だな」

「え……」

 琉歌はもう、どうしていいか解らなかった。良い名前だ、なんて褒められるなんて、これもまた初めてのことだった。自分でも人工血液がみるみる上昇しているのが解る。だが、そんなときめきの時間も長くは続かなかった。

「しっかし、もんのすげえ馬鹿力だったなぁ。どこにメタルマッスルを仕込んでんだ?」

 琉歌の身体に甘い痺れが走っていた。クーガは感心しきりな表情で琉歌の身体を所構わず撫で回している。決して雄としての本能がそうさせている訳ではない。知的欲求というか、飽くなき探究心がそうさせていた。だが、おぼこ娘の琉歌にとっては少々刺激が強過ぎたようだ。

「きゃああッ! なにすんのよッ!」

「どげぇッ!」

 渾身の力を持って、クーガを吹っ飛ばす琉歌。散らばった瓦礫をまるでビリヤードのように弾き飛ばしてゆく。その勢いがようやく止まったのは、ビルの残骸に突っ込んで土煙を上げてからのことだった。

「おーい、ガーディアンの反応が消えたみたいじゃが……ってなにやっとるんじゃ、クーガ?」

 瓦礫の影からひょっこりと顔を出したのは、禿げ上がった頭に黒縁の眼鏡、白鬚をたっぷりと蓄えた老人だった。ボロボロになったツナギが良く似合っていたが、戦場に赴くには余りに軽装だ。

「いや、こちらのお嬢さんを口説いてたらぶっ飛ばされてな。いやあ、シャイなところも可愛いっ!」

「ほっほっほ、相変わらずのプレイボーイじゃのうっ!」

「へっへへ……色男は辛い、ってね」

 砕けた破片から顔を出したのはクーガだった。これだけの破壊をもらたしたにも関わらず、その表情はケロッとしていた。全身を防護するプロテクターの性能の高さを伺うことが出来るというものだ。

「ときにクーガ、ガーディアンはどうしたんじゃ? 反応は消えておるようじゃが」

「ああ、あのお嬢さん、リュカがぶっ飛ばした」

「へ?」

「ぶっ飛ばした」

「いったいどうするんじゃッ! 三十六層チタン装甲も、多方向思考性CPUも、みんな吹っ飛んじまったじゃとッ!? 大事なことだから二回言うぞッ! いったいどうしてくれるんじゃッ!」

「ドクターギート、それさっき言った」

 血圧が上がり切ったギートをどうどうとなだめるクーガ。そんな二人を眺めながら、琉歌の胸にはある疑問が浮かんでいた。

「なぁ、なんでわざわざ、ガーディアンっていうのか? あんな機械の怪物と戦ってたんだい?」

 琉歌の言葉にクーガとギートは思わず顔を見合わせる。一方、琉歌は二人の様子に面食らっていた。どうやら、この地ではよほど突拍子も無いことを言ってしまったらしい。

「お嬢ちゃん、この土地の者ではないな。」

「ああ、ずっと、向こうから来た」

「ふむ、それでは知らんのも無理はあるまい。ここは骸骨都市と言ってな、前文明の遺跡じゃ。ワシやクーガのような学者が調査をしとるのじゃが……」

「何が学者だよ、ただの墓荒らしじゃねえか。格好付けんなよ」

 ニヤけた顔で茶々を入れるクーガ。かなりの年長者に対して礼儀も尊敬も、欠片も感じることが出来無い。もしかしたらそういう信頼関係なのかもしれないが。

「うるさいわいっ! ごほん……話を元に戻すぞ。じゃが、護るべき主を亡くしてもなお、この朽ち果てた都市を護り続ける、哀れなほどに忠実な存在がおったわけじゃ」

「それがさっきのロボット、ガーディアン、ってわけさ」

「ヤツらを倒した後の骸骨都市にはお宝がこれでもかっ! というほどでな……無論、ガーディアンのパーツそのものも高く売れるっ!」

「やっぱり墓荒らしじゃねえか」

 ぱしっ、と手の甲でツッコミを入れるクーガ。だが、琉歌はそれを見ても笑うことも無く、沈痛な面持ちで俯いたままとなっていた。

「あたし……そんな大事なのを……ぶっ飛ばしちゃったんだね……謝っても誤り切れない……!」

 堪え切れない感情が、涙となって瞳から溢れ出した。草一本生えることの無いこの荒野で生きていくことがどれだけ困難なことであるか、琉歌は知っていた。自分は、その生きる術を潰してしまったのだ……!

「お、おい……そんなに泣くなってっ! また別のを探せばいいだけだってっ!」

 狼狽えたようにあたふたとするのはクーガだ。どうやら、女の涙には不慣れらしい。どうして良いのか解らず、ただ琉歌の前で右往左往とするだけだ。

「お二人さん、乳繰り合うのは良いが後にしてくれんか。これだけの骸骨都市じゃ、運び出すんは山ほどあるぞい」

「じゃあっ! あたし手伝うよっ! 罪滅ぼしになるとも思えないけど……」

「うむ、それでよい。償えない罪など無いのじゃからな」

 ギートは皺だらけの顔を更に皺苦茶にした。亀の甲より年の功とでも言うべきか、女の子の扱いはクーガよりもずっと上手なようだった。

「うんっ!」

 秋の空同様にころころと変わる琉歌の顔。産まれたての雛鳥がそうするように、てちてちとギートへついて行く。クーガは砂を噛んだような、憮然とした表情でそれを見るしか無かった。

「全く……なんだいなんだよッ!」

 クーガが女心というものを理解するのは、まだ先のようだった。

                   ・

 琉歌たちが骸骨都市出るまでには軽く数時間を要した。武器に、食料に、衣類。両手では抱えきれないほどのお宝。クーガとギートが乗ってきたジープにも積みきれないほどだった。

「すごい……町がある……!」

 ジープから身体を乗り出した琉歌は思わず驚嘆の声を上げた。骸骨都市と比べれば遥かに小さい、レンガや土塀で出来た粗末な小屋の群れ。だが、そこには人々の息遣いが確実に存在していた。

「よし、到着じゃ。ご苦労じゃったの」

「そうだ、ドクターはドクターっていうくらいだから科学者なんだよな?」

「ああ、もちろんじゃっ! 考古学に文学に工学に化学に、一通りなんでも取り揃えておるぞっ!」

「ただの山師だろ」

「うるさいわいっ!」

 どうにも、琉歌がギートに懐いていることが気に入らないクーガだ。明後日の方を向いたまま、口を尖らしている。それなりに年齢を重ねているのだろうが、こういうところは子供っぽかった。

「ドクター、ちょっと身体を診てもらいたいんだ」

「なぬっ!」

 俄にギートの眼の色が変わった。年齢にはとても似合わない欲望の色。身体を見る、ということはつまりそういうことだ。歳を取っても男としての本能も欲求も変わらないということか。

「駄目だッ! 駄目駄目ッ! 女が身体見られるってどういうことか解ってんのかよッ! その立派なおっぱいを俺よりも先にッ! 見るってことなんだぞッ!」

「ああもう、うるさいなぁ。ほれっ!」

「うばおッ!」

 それはクーガにとって余りに突然な行為、そして余りに衝撃的な光景だった。何の躊躇いも無く上着のベルトを外した琉歌は、そのまま上着を捲し上げる。眼に映るのは、真っ白い肌と慎ましやかな桃色。クーガの鼻からは真っ赤な鮮血が噴き出していた。

「さ、ドクター。頼む」

「お前さん、目茶苦茶やるのう……ま、いいか」

 血溜まりに突っ伏したままのクーガを放って、琉歌とギートは他の家より倍ほど大きい建物へと入る。嗅ぎ慣れない饐えた土の臭いが鼻を突く。広い、とは言えない部屋の中に乱雑に散らばった書籍や見たことも無い機械類が床を埋め尽くしている。

「そのベッドの上に座ってくれ。診察を始めよう」

「ああ、よろしく頼む」

 わきわきと、ギートの指先がいやらしく蠢く。しかし、琉歌はそれを意に介することも無く服を脱ぎ捨てる。眩いまでに白い肌がギートの眼に火花が散ったような衝撃を与えていた。

「むふふ……むふふ…………ふむ……ふむ……」

 始めの内こそ好色な男の本能の赴くままに琉歌の身体を弄っていたギートだが、その顔付きは、徐々に科学者のそれへと変わってゆく。知り得る限り、やれるだけの方法で琉歌を調べた。だが、調べれば調べるほどにその謎は深まってゆくだけだ。

「お前さん、いったい何者じゃ? 人間でないのは解る。じゃがロボットでもない。ナノマシンで構成された身体……」

「あたしはとんでもない病気に罹ってたらしくてね、父さんと母さんが、治療法が見つかるまでってこの身体を用意してくたのさ」

「失われた技術の集合体じゃな……とんでもない科学者じゃよ、お前さんの両親は」

 ギートは遠い眼で彼方を眺めた。この歳になるまでに、詰め込めるだけの知識を詰め込んだと自負していた。探究心を満たす為に危険も顧みず骸骨都市に足を踏み入れることなどしょっちゅうだ。だが、そんな時間と労力を持ってしても辿り着けなかった領域が眼の前に存在していた。

「ところでドクター、いつまでおっぱい揉んでんの?」

「ん? これは触診じゃ、触診っ!」

 ギートの顔が一瞬で弛緩しきったものへと変わる。琉歌の言葉通り、ギートの指は琉歌の柔肉にずっぽりと沈み込んでいた。指の間からはみ出る肉がなんとも煽情的でどうしようも無いほどに欲望をそそる。

「ドクター、ガーディアンぶっ壊したのも悪かったと思ってるし、身体を診てもらった礼もあたしは持ってない。だから、おっぱいくらは揉んでも構わない。でもリズミカルに乳首を弾くのはやめろッ! ぶつよッ!」

「ひゃあッ! 老人虐待反対ッ!」

 さしものギートも琉歌の剣幕に手を離さざるを得なかった。名残惜しそうに指が宙を掻くが、振り上げた拳を見れば大人しく引っ込めるしか無い。

「まったく、もったいない……こんな美乳、滅多に無いぞい」

「しょせん、作りモンだよ……」

 自暴自棄に呟いたのは琉歌だ。もう自分がどういう姿をしていたのか、ということすら記憶が曖昧になっている。そんな絶望をわざと解らない振りをしているのか、おどけた調子でギートは言う。

「こんな役得滅多に無いんじゃがなぁ……」

「ドクターが足腰立たなくなったらおしめくらい変えてあげるわよ」

「ふほほっ! そりゃあ楽しみじゃのう」

 ニヤけっ放しのギートを他所に、着衣を整えた琉歌の顔は聞きたいことが山ほどあるという表情を隠していなかった。

「なぁ、ドクター。前文明……前の世界のことも詳しいんだろ。教えてくれないか」

 それは、琉歌にとって長い間の疑問だった。目覚めたとき、既に世界は崩壊していた。どれだけの月日を歩いたか、それすらも遥か記憶の彼方だ。自分が生きた世界が何故滅んだのか。友が、父が、母が、何故死んだのか、教えてくれる者は誰もいなかった。

「ふむ……ワシもその全てを知る訳では無いが……今から五千年ほど前のことじゃ。地球では無限に降り注ぐ太陽光を利用したエネルギーで文明の発展はピークを迎えておった。しかし、どんな山でも頂点に至れば後は下るだけじゃ。あのでかい太陽をお前さんも見たじゃろう。地上の発電装置はたちまち暴走を起こし、地球は蒸し風呂じゃ」

「でも、そんだけで滅んじまうほど人間はヤワだったてのかい?」

「無論、それだけではない。何かに引き寄せられた、としか言いようがない。無数の災害が地球を襲ったのじゃ。嵐、噴火、地震……そして極めつけは隕石の落下じゃ」

「い、隕石ぃッ!?」

「そう、隕石じゃ。その凄まじい衝撃は前文明が生み出した破壊兵器以上の威力で地上を焼き尽くした。あらゆる生命が絶滅したかに見えた。じゃが……」

「人類は死に絶えてはいなかったッ!」

「それはワシのセリフじゃッ!」

「それはともかく、あたしが眠らされてる間に、そんなことになってたなんてね……」

「それだけではない……」

「え?」

「百聞は一見に如かず、じゃ。丁度戻って来おった」

 ギートの視線が琉歌よりも更に奥へと向けられる。勢い良く薄いドアを蹴破り踊り込んで来たのは、ようやく鼻血地獄から復活したクーガだった。

「おいッ! リュカッ! 大丈夫かッ! ジジイにエロいことされてねえかッ!」

「揉んだり吸われたり挟んだりされたよ……もうお嫁に行けない……」

「てめえッ! ドクターてめえッ! なにしやがってんだッ!」

「違うッ! そこまでしてないッ! 揉んだだけじゃッ!」

「やっぱ揉んでんじゃねえかッ! 俺だって揉んだこと無いのにッ!」

「ひゃあッ! 老人虐待反対ッ!」

 ドタバタと土埃を立て、二人は追い駆けっこを始める。クーガの体力が尽きるまでこのドタバタは終わることが無かった。

「ぜーッ……ぜーッ……リュカ、紹介したい人がいるんだ。ちょっと来てくれないか」

「うん?」

 猛牛並みに荒々しい呼吸をようやく沈めてクーガは立ち上がった。何故だろう、今迄と変わらないクーガの顔であるはずなのに、その瞳の色がやけに哀しく見えていた。琉歌はその顔を真っ直ぐに見ることが出来ず、つい視線を逸らせてしまった。

「こっちだ」

「うん……」

 琉歌は言われるままに階段を昇る。今日初めて会った男だというのに、警戒感などというものは全く存在していなかった。この瞳は信用するに値する、と乙女の本能がそう教えていた。

「あ……」

 階段を昇った先は、一階とはまるで違って整理整頓された部屋だった。瞳いっぱいに広がる赤色。最初はカーテンがはためいていたのかと思った。だが、眼を凝らせばその一本一本が揺れていることが解る。ベッドから垂れ下がった長い髪の毛が風にたなびいていた。

「ファイだ。無礼だとは思うが、起き上がることが出来なくてな」

 クーガの言葉は、まるでそれが当然であるかのような口振りだった。琉歌はその重っ苦しい言葉に押し潰されるような感覚を堪えながら、恐る恐るベットに寝ている少女の顔を覗き込む。

「……ッ!」

 琉歌は思わず口元を覆った。眠っているハズ、と思い込んでいたファイの真っ赤な瞳が自分を真っ直ぐに見据えていたからだ。

 ルビーと見紛うほどの眼差し。しかし、鮮やかであったハズの光は失われてしまっている。ふっくらとした頬に瑞々しい唇。嘗てはどんな笑顔で、どんな笑い声を上げていたのだろう。だが、今はその全てが、ただ虚しい。

「絶望症候群っていうんだ。生きてはいるんだが、動くことも喋ることも出来無え」

 ベッドに座ったクーガは愛おしそうに、慈しむような優しい手付きでファイの頭を撫でる。だが、ファイは何も言わない、微動だにしない。ただ、指が髪を掻く音だけが部屋を占領する。それだけが唯一のコミュニケーションだった。

「絶望症候群って、何なの……?」

「俺も良くは解からん。隕石が落ちた後に、生き残った人間に蔓延したらしい。ドクターが言うには絶望がスイッチになって脳味噌が萎縮しちまうんだとさ」

「クーガ……」

 琉歌の胸は有刺鉄線で締め付けられたような痛みに襲われていた。クーガの瞳に映る色、哀しみ、憎しみ……そして限り無い愛情。絶望すらも超越する強い意思。けれど、だからこそ、それが空虚だった。

「クーガが骸骨都市に行ってるのって……」

「こいつともう一度笑い合いたい、もう一度一緒に走りたい。それだけなんだよ」

「だから、治療法を探すために……」

「ああ、どんなことがあろうとも、俺はコイツを治してみせる……!」

 ここまで誰かに想われたことが琉歌にあっただろうか。嘗て、人の身であった頃には、男子など遠巻きに自分を眺めているだけで、声を掛けてくることなど皆無だった。身を焦がすほどの情熱。今迄の琉歌には知り得ない感覚だった。

「あたし、手伝うよ」

「へ?」

「ファイが目覚めるように、手伝う。あたしも一緒に笑ったり、走ったりしたい」

「リュカ……お前、いいヤツだな」

「なんだ、今頃わかったのか」

「おっぱい揉ませてくれたらもっといいヤツなんだけどな」

「……ぶつよ?」

「ひゃあっ! 青年虐待反対っ!」

「ぷっ……くくくっ!」

「あーっはっはっはっはっ!」

 透明度の低い窓ガラスからやわらかな陽射しが差し込む。穏やかな、三人だけの空間。ゆっくりと、優しい時間が流れる。何時までも浸っていたい。しかし、そんなひとときも長くは続かなかった。

「うおおいッ! 大変じゃ、クーガッ!」

「おう、どうしたドクター。とうとう尿漏れでも始まったか?」

「そうなんじゃ……すっかりオムツが手放せなくてな……ってそうじゃなくてッ! ヤツらがここまで乗り込んで来おったッ!」

「ちッ……とうとうここまで来やがったか……!」

 クーガの表情が午後の陽射しでも溶かすことの出来無い硬く、険しいものへと変わる。あからさまな敵意、ありありとした憎しみ。抑えることの出来無い怒り。琉歌にとっては初めて見るクーガの顔だった。

「ねぇ、ヤツらって……?」

「助け合わなきゃ生きていけねえ、こんな時代に奪い、殺し、てめえの欲だけで突っ走るクソ野郎どもだッ!」

 猛々しい語気。侮蔑の言葉だけでは飽き足らず、クーガは窓から外へ飛び出す。ただならぬその様子に、琉歌もそれに習うしか無かった。

「なるほど、ね……」

 超長々距離望遠レンズで構成された琉歌の瞳がそれを捉える。けたたましい爆音と共に土煙を捲き上げるバイクの群れ。確かに、クーガの言う通り、どいつもこいつも欲だけで突っ走るクソ野郎そのものといった顔だ。

「ひゃーっはっはっはっはッ! 奪えッ! 殺せッ! この手でぇッ!」

 その野卑た怒声はセンサーを使わずとももはや明確な距離まで接近していた。琉歌は耳障りなその声をこの世から消してしまいたかった。

「……殺してもいいのか?」

「女の子が手を汚すもんじゃねえよ」

「もう、汚れてるけどね」

「ん?」

 琉歌の言葉は、バイクが撒き散らす汚物のような騒音に掻き消されクーガの耳に届くことは無かった。琉歌は右手を大地に水平に構える。血に汚れた自分の身体など、こう使う以外にどう使えというのか。

「陽電子砲ッ!」

 瞬間、視界が真っ白に染まる。金色の閃光、横薙ぎに一閃。だが、その直径は親指の先程度、明らかに今迄より弱い威力だ。だが、それ故に陽電子砲は十分な破壊をもたらしていた。

『うおおおあああッ!』

 バイクの放つエンジン音はもう聞こえない。代わりにどよめくのは地の底から沸き出るような男たちの呻きだ。最小まで威力を抑えた陽電子砲は鋭い刃と化しヤツらが乗るバイクを真っ二つに斬り裂いていた。

「ざっと、こんなもんよっ!」

「一撃でか……いや、まったくすげえな……」

 クーガは芋虫さながらに地面へと這いつくばる男たちを眺めていた。これだけの数を相手にするのだ、生命までとはいかなくとも、腕の一本や二本は覚悟していた。それを、このリュカはいとも容易く沈黙させてしまったのだ。感嘆の息を漏らす以外に何をすれば良いのか。

「んで、コイツらどうする? 殺す?」

「折角手加減したんだ、殺すなよ……そうだな、どっか遠くに捨てるか」

 捨てる、という言葉はまさにそのまま、その通りだった。連中に目隠しをし、身体をふん縛り、トラックへと押し込める。道を気取られぬようにぐるぐるとあちこちを周り、クーガたちの住む集落から遥か離れた岩場に辿り着いた。

「くそッ! とっとと放しやがれ、このゴミ野郎ッ!」

 トラックから放り出されたリーダー格の男が口汚くクーガを罵る。だが、それを聞いても我関せず、クーガは涼しい顔だ。どれだけ喚かれようとも圧倒的な優位に変わりは無いのだから。

「それだけ元気なら大丈夫だな。三日分の食料と水だけくれてやる。ま、これで行けるとこまで行くんだな」

「ふざけやがってッ! 覚えてろよッ! 倍返しどころじゃすまねえからなッ!」

「はいはい、元気でな」

 そう言い残すとクーガは洋々とアクセルを踏み込む。真っ黒な排気ガスが男たちを包み込んだ。だが、助手席では琉歌が呆れたように溜息を付いていた。ジトっ、とした横目でクーガを睨んでいる。

「どうした、可愛い顔が台無しだぜ?」

「今からでも遅くない。アイツら、轢き殺しちゃおうよ」

「お前は可愛くておっぱいもデカいのに言うことは物騒だな」

「お姫様のように気品漂う顔も、まろやかな曲線で男を誘惑するおっぱいも関係ないよ。今殺っとかないと絶対に戻ってくるよ?」

「物凄い自信だな……それはともかく、折角この世界に産まれた生命だ。むざむざ潰すこともねえさ」

「甘ちゃんだね……」

 そう言う琉歌だが、不快ではなかった。永遠にも等しい旅路をどれだけ歩んで来ただろうか、人間らしい甘さを何時の間にか忘れてしまっていたらしい。クーガの甘さが、琉歌の胸に染みこむ。出来ることならこのまま溶け込んでしまいたいくらいだった。

「でも、嫌いじゃないよ、そういうの」

「んー? なんか言ったか?」

「なんでもないよ」

 それだけ言うと、琉歌は運転をするクーガの横顔を眺めた。既視感とでも言うべきか、何時の日か確かに見た横顔。そう、ずっとずっと昔に夕暮れの教室で見たあの横顔だった。

                   ・

 琉歌がクーガたちと出会ってから数ヶ月が経っていた。琉歌とクーガ、そしてギートは数多くの骸骨都市を巡った。それは、ただ一つの目的の為に。

「しかし、すごいもんだね。ドクターの造ったラッシュギアは」

「なあに、お前さんに比べりゃまだまだじゃ」

 朽ち果てた前文明の残骸、骸骨都市。それを護る忠実な番犬、ガーディアン。だが、もはや駆動音を鳴らすことも無い。その残骸の上に座るのは琉歌とギートだった。

「謙遜すんなって。クーガの装備してるラッシュギア、何回もぶん殴ってるから解るよ。あれだけの機動力があるのに耐久性が劣ってるワケじゃない。本気でやりあったらあたしだって勝てるかどうか解かんないよ」

「あんま殴ってやるなよ……」

「だって、何かに付けておっぱいさわろうとするんだもん」

「さわらせてやれよ。好きなんじゃろ? クーガのこと」

「う……そりゃそうだけど……」

 琉歌の頬が紅く染まっているのは、沈みかけた夕日のせいだけではない。初めてクーガに出会ったときに灯った小さな火種は、今や煌々と燃え盛る恋の炎へと育ちきっていた。

「でも……でも……クーガはやっぱり……今日だって……」

 恋する乙女の顔は秋の空よりもくるくるとめまぐるしく変わる。曇った表情で俯いたままの琉歌は深く大きな溜息を付いた。確かに、この場所にクーガはいない。ガーディアンを倒すなり、その後処理を二人に頼んでそそくさと骸骨都市の探索に行ってしまった。

「ならとっとと行かんかい。恋は追い掛けるもの、奪うものじゃっ!」

「へぇ……ドクターの口から恋なんて言葉が聞けるなんてね」

「年寄りをからかうもんじゃないわいっ! ほれ、こっちは任せてとっとと行けいっ!」

「へいへい。ありがとよ、ドクターっ!」

 やはり女心は秋の空、とギートは心底思っていた。ぱあっとひまわりのように明るくなった琉歌は、その顔をギートに向けることも無く建築物の残骸へと乗り込んでゆく。

「ええのう。若いもんは」

 当然、その言葉も琉歌の耳に届くことは無い。琉歌の聴覚センサーは愛しい男の為だけに作動していた。十キロ先の犬のくしゃみさえ聞き分ける琉歌のセンサーはドスドスと無遠慮に歩を進めるその人を簡単に見つけていた。

「おーい、クーガっ!」

「ん、リュカ。こっち来たのか」

「ああ、探すの手伝うよ」

「うん、頼む」

「了解っ!」

 ただ嬉しかった。愛する男の役に立てる、そのことが嬉しくてたまらなかった。それが、自分以外の女に向けられた情熱だとしても……。

「ふうむ……」

 しばらくは靴音と物色する音だけが辺りに響いていた。だが、見つかったのはありきたりな薬品のアンプルと一般的な医療書だけ。絶望症候群の治療に役立つとは到底思えなかった。

「やっぱ、見つかんないね……」

「そう簡単に見つかるもんじゃないさ。そんなに簡単に見つかるなら絶望症候群だってもう治っちまってる」

 クーガはまるでそれが当たり前のような口調た。絶望症候群という名が表すように、その治療の道程は文字通り絶望的なものなのだろう。だが、クーガの眼に諦めの色は無い。絶望症候群を発症していないことこそ、なによりの証拠だった。

「ここが駄目なら次を探す。それだけのことだよ」

「うん……」

 今、琉歌は自分を許すことが出来無かった。胸の内にあるのは焦がし爛れるような嫉妬。どうして、こんな子供染みた感情を抱いてしまうのか。どうしようもなく嫌だった。だが、ファイに向けられる想いを独り占めしたい。それもまた偽らざる感情だった。

「クーガっ……!」

「……うぷっ!?」

 それは、お互いにとっても唐突な行動だった。淹れたてのコーヒーより熱く、そして甘い。触れ合う唇と唇。男のものとは思えないやわらかな感触が琉歌の口中いっぱいに広がる。琉歌も、クーガも息をすることすら忘れてしまっていた。

「ぷぁっ……リュカ……」

 二人だけの空間で唇を奪われた。これが何を意味するか、それが解らないほどクーガは朴念仁ではない。人相応に、いやそれ以上に男としての欲望を持っている。考えるまでも無い、右手が動いていた。

「あ……ちょ……クーガ……」

 それは本能に根差した行為だった。クーガの掌は琉歌の豊かな乳房を揉みしだく。邪魔な服をひん剥いてこの真っ白な肌を露わにしたい。この舌で、指で、そして自分自身で汚してしまいたかった。

「やめて……お願い……」

「今更、止めることなんて出来るかよッ……!」

「やめて……っつてんでしょおぉぉぉッ!」

「どばぐろぉッ!」

 琉歌の全力は象の大群の行進に等しい。その怪力でぶっ飛ばされてもなお、クーガの生命を護ったのだから、やはりラッシュギアの秀でた耐久性は褒め讃えられるべきだろう。

「まったく……ちょっと気を許したら直ぐスケベなコトしようとすんだからッ!」

 ぷいっ、とそっぽを向いたままボロ雑巾同然となったクーガには眼もくれずその場から立ち去る琉歌。本当はこのまま抱かれてもいいと思っていた。でも出来無かった。琉歌の頭に、見たことの無いファイの笑顔が過ったからだった。

                   ・

「ね、ファイ。どう思う? あんたの旦那、とんでもないドスケベなんだよ」

 ベッドに横たわるファイに語り掛けるのは琉歌だった。指先一つ動かすことが出来なくともファイは確かに生きている。何時の間にか、その世話をするのは琉歌の役目となっていた。女の子同士気兼ねが無いということもあるだろう。

「男ってみんなそうなのかねぇ……」

 ファイから返事が返ってくる訳ではない。けれど、ファイとの声無き対話は琉歌にとって大きな楽しみとなっていた。とても恋敵と過ごしているとは思えないほど穏やかな時間が流れていた。しかし、その静寂を破ったのは他でもない、奪い合うあの男だった。

「リュカ……」

「なによ」

 好きな男が来てくれて嬉しくないハズがない。だがここで甲高い声でも出そうものならまた図に乗るのは目に見えている。声だけはあくまで厳しく。しかし、反対向きの顔だけはニヤケっ放しだった。

「今日のことは謝らない」

「ふうん」

「あれはリュカが悪い」

 クーガの言う通りだ。キスをしたのは確かに琉歌からだった。クーガがその気になったとしても仕方が無いことだろう。それを寸止めにされるなどと、蛇の生殺しもいいところだ。

「だったら、どうすんのさ?」

「こうする」

「ひゃっ!」

 さしもの琉歌もそれを予想することなど出来はし無かった。後ろから抱き着いてきたクーガは、そのまま床へと琉歌を組み伏せる。視線と、視線が交錯する。お互いの熱が伝わる。

「あたしが本気になったら、クーガくらいぶっ飛ばせるの、忘れたワケじゃないよね?」

「ぶっ飛ばされたらまた押し倒す。それだけだ」

 クーガの瞳に迷いは無かった。きっと、ここで押しのけても諦めることは無い。琉歌はその熱き情熱に琉歌は撥ねつけることが出来るのだろうか。

「クーガ、あたしね、汚れてるの……」

「汚れてる?」

「大事な、友達を……この手で殺したの……」

「殺した……?」

「そう……あたしの手は血で、汚れてる……」

 琉歌の胸に暗い影を落とすあの日の記憶。救けることが出来無かった少女。その瑞々しい萌芽をこの手で摘み取ってしまった……今の自分に、人に愛される資格などあるのだろうか。

「洗えばいいんだよ」

「え……?」

「汚れてるなら洗えばいい。それだけだ」

「それで、許されるの……?」

「償えない罪なんてないよ」

「あ、こら……クーガ……」

 クーガの唇が琉歌のすらっとした首筋に触れる。舌先が巧みに弱い部分を責め立てる。このまま快楽に身を委ねてしまいたい。そんな欲求に駆られる。しかし、眼に入ったのはベットから垂れ落ちた赤い髪の毛だった。

「クーガ……ファイが見てる……」

「見ちゃいねえよ。喋りもしねえ、動きもしねえ……俺は、もう我慢出来ねえんだよッ……!」

「クーガ……」

 琉歌は、クーガがファイにするように、その頭を優しく撫でた。愛しい人が直ぐ側にいるのに、話すことも出来無い、触れることも出来無い。これこそ、生殺しと言うに相応しいだろう。

「いいの……?」

「良いも悪いも無えよッ……! 俺は、俺はリュカが好きなんだッ……!」

 愛する人から言われる好きだという言葉。だが、それが空虚で空々しく響くのは、その言葉が真実ではないからだろう。眼を見れば解る。クーガは自分が好きなのではない。ただ、内に溜め込んだ欲求を解消したいだけだ。だが、それでも……。

「リュカ……」

「ん、ふ……」

 今度は、クーガから唇に触れる。脳が痺れるような刺激。身体が溶けてしまいそうな感覚。クーガが自分を好きでないことなど関係無い。だって、あたしはクーガのことが好きなのだから……。

「んぅ……」

 クーガの手慣れた手付きがリュカの服を一枚ずつ脱がしてゆく。異性の前で肌を露わにするという羞恥よりも、その慣れた手付きが悲しかった。自分以外の女を、同じように扱ったということだ。今、そこのベッドで眠っている女を……。

「リュカ、いいな……」

「ひゃ……やぁ……」

 クーガの男にしては細い指先が琉歌の柔肌をなぞる度に電流にも似た刺激が琉歌を苛む。口から漏れる甘い吐息を押さえることが出来無かった。好きな人の、想い人が寝ている部屋での秘事にはしたなくも興奮を抑えることが出来無かった。

「な……クーガ……どうしても聞きたいことがある……」

「ん……?」

 愛撫を止められ、少々不機嫌そうなクーガだが、琉歌にとってはどうしても聞いておかなければならないことがあった。

「なんで……ファイは絶望症候群が発症したんだ……?」

 琉歌は言って後悔した。今まで欲望の炎に燃えていた瞳からその色は消え、南極に放り出されたと錯覚するほどに冷たい視線が琉歌を射竦めていた。

「俺とファイは小さいころからずっと一緒に暮らしてた。俺も、ファイも親がいなくてな。ずっとドクターに育てられてたんだよ」

「幼馴染だったのね……」

「ああ。でも幼馴染というより兄妹、家族だった。でも、だからこそ、俺たちは結ばれちゃいけなかったんだ……」

「それって、どういう……」

「あるとき、俺は骸骨都市で大怪我を負った。出血多量で輸血しなければ死を待つばかりだった。だけど、輸血は出来無かったんだ」

「え、なんで……?」

「俺は百万人に一人いるかどうかって珍しい血液型だった。でも、俺と同じ血液型を持つ人が見つかったんだ。それが……ファイだった……」

「……ッ!」

「そうだ……俺たちは……俺たちは本当の、血を分けた兄妹だったんだよ……俺が怪我さえしなければ、ずっと知らないままだったのによ……」

「クーガ、もういいッ!」

 気が付いたときには、琉歌はクーガの頭を抱き締めていた。この言葉は刃そのものだ。クーガの心をズタズタにする錆び付いた刃そのものだ。それを止めるには唇を塞ぐ以外に方法などありはしない。

「んっ……ふっ……」

「あ……やぁ……」

 熱を帯びた水分。淫靡な水音だけが二人の間に存在していた。クーガの傷を癒せるのなら、その痛みを僅かでも忘れさせることが出来るのなら、この作り物の身体で慰めるなど安いモノだ。

「いいよ……全部、忘れさせてあげる……」

「リュカッ……!」

 琉歌の身体を構成するナノマシンは、男を受け入れる為に何をすれば良いのか理解していた。生身の女がそうであるように、貫かれる期待に秘所は洪水のように溢れ出す。だが、その想いが遂げられることは無かった。

「おいッ! クーガ、リュカッ! 大変じゃッ!」

『うひょおッ!』

 突然の闖入者に琉歌もクーガも素っ頓狂な声を上げるしか無かった。人間にとって最も隙の出来る瞬間に踏み込まれたのだから当然だ。

「おっほうッ! 取り込み中だったかのうっ! すまんすまんっ!」

「すまんで済むかッ! このクソエロジジイッ!」

 半裸の琉歌を目の当たりにして乗り込んできたギートの鼻下がだらしなく伸びきった。大慌てで着衣を整える琉歌は、ギッとした厳しい目付きでギートを睨み付ける。せっかくの、二人っきりの逢瀬を邪魔されたのだからこれでも足りないくらいだ。

「どうしたってんだよ、ドクターッ……!」

 苛立ちを隠せないのがクーガだ。荒々しい語気をどうしても抑えることが出来無かった。溜まったモノを吐き出せない。男としては一番辛い状況だろう。

「まぁ、そう怒るな。西の方にの、新しい骸骨都市を見つけたんじゃッ!」

「ほんとかッ! あの地方は砂嵐で入れなかったハズだが」

「ああ、今日の調査で砂嵐が収まっておることが解ってなッ! あそこは手付かずじゃから、何が見つかるか解からんぞいッ!」

「ああ、そうだなッ! こうしちゃいられねえ、とっとと準備だッ!」

 クーガの水晶よりも透き通った瞳が爛々と輝く。この勢いを消してなるものかと部屋から猛然と飛び出す。後に残されたのは琉歌とギートだ。

「ワシで良かったらお相手するけど?」

「ぶっ飛ばすよッ!」

 琉歌の怒声が部屋を震わせた。やり場の無い感情をどうしていいのか、解るハズもなかった。

                   ・

「リュカ、気を付けろよ。今までの骸骨都市とは何かが違う」

「ああ、解ってるよ」

 確かに、クーガの言う通りだった。今迄にクーガが調査した骸骨都市は、朽ち果ててはいてもガーディアンの一機や二機、待ち構えていることが普通だった。だが、この骸骨都市、砂嵐に守られていたのか原型を留めておりガーディアンが徘徊することも無い。しかし、そんな異変の真っ只中にいても琉歌の口調はぶっきら棒というか、不機嫌なままだった。

「まだ機嫌直らないのか?」

「……むすっ」

「なんか埋め合わせするからさ、いい加減機嫌直してくれよ」

「……むすすっ」

 前をゆくのはふくれっ面の琉歌だが、その実、機嫌などとうの昔に直っていた。ただ、クーガが自分の為だけに気を遣ってくれているのが何よりも嬉しい。仮に、治療法が見つかったのならその愛情はファイにだけ注がれることになるだろう。それまでのひととき、その想いを独占したとして、誰が琉歌を責めるだろうか。

「クーガ、ちょっと待って」

「ん?」

 突然、琉歌が右手でクーガを制する。これ以上行くな、というジェスチャーだ。琉歌の五感は常人のそれを遥かに凌駕する。赤外線センサーが装備された両眼が、その異変を察知していた。

「なんだぁ、こりゃあ……」

 クーガにとって、それは初めて見る存在だった。長く、ビロードのように伸びた色とりどりの髪。艶やかな、潤いのある肌。だが、その瞳に光は存在していない。まるで操り人形のようにカクカクと関節を鳴らし、確実にこちらへと迫って来る。

「おい、リュカ……」

 撃ってもいいのか、という意味だった。良くも悪くも、クーガは優しい。人の生命を奪う胆力を持ち合わせてはいなかった。機械に対しては卓越した戦闘力を誇るクーガだが、この乱世に於いて人を殺したことは未だ、無い。

「大丈夫だ、問題無い」

 琉歌のセンサーに、熱も呼吸も、生命を感知する反応は現れていない。人の形はしているが、確実に人ではない。

「あたしと、同じだよ……」

 クーガに聞こえないよう消え入るような小さな声で呟く琉歌。おそらくは、この施設を護るために造られたガードロボットだろう。自分と同じ、いや、目的があるだけ向こうの方がマシか。

「ぶっ壊して、構わねえんだな」

 殺す、という表現を使わなかったのはクーガの弱さだ。生まれる罪悪感を少しでも薄めたいという軟弱な理由に過ぎない。だが、琉歌はクーガのそういう弱さをこよなく愛していた。

「ああ。建物の中じゃ陽電子砲は使えない。突っ込むから合わせてよッ!」

「了解だッ!」

 床を蹴り、水平に跳ぶ琉歌。埃が渦を巻く。空気を斬り裂き人形の前に着地する。琉歌はここで初めてその顔を見た。端正な目鼻立ち。だが、人形という印象の通り、明らかに造り物だ。人形ならば遠慮は要らない。その綺麗な顔に

「ひぃッ!」

 思わず、琉歌は女の子らしい可愛い悲鳴を上げてしまう。目の前にいる人形は突如として敵意を剥き出しにし、ガラス玉のような瞳は見開かれ血走った色へと変わる。口からは牙のような犬歯が覗き、琉歌の頸動脈を断ち切る瞬間を今か今かと待ち構えている。

「うらぁッ!」

 だが、その牙が琉歌の肌に触れることは無かった。人形の頭は軽快な破裂音と共に跡形も無く吹っ飛ぶ。したり顔でクーガがぶっ放したのは、ガーディアンの装甲すらも撃ち抜く特別製の徹甲弾だ。

「くっく……ずいぶんと可愛い声出すんだなぁっ!」

「うっさいっ! あたしだって女なんだぞっ!」

「ああ、だから護ってやんないとな」

「クーガ……」

 ただ琉歌は嬉しかった。この人形と同じ造り物でしかない自分を護ってくれるというクーガの優しさ。だが、自分にそれを受ける資格はあるのだろうか。他に、その優しさを受けるべき恋人がいるのではないか。

「ファイは……どうするの……?」

「そりゃ、護るさ。俺の大事な……」

「妹だから……? 恋人だから……?」

「ぐ、む……」

 クーガは難しい顔をして黙り込んだ。今迄にろくに使ったことの無い錆び付いた頭をフル回転させる。数分も考え込んだだろうか、ショート寸前の単純なクーガの思考回路は一つの結論を導き出した。

「決めたッ! 俺はリュカもファイも幸せにしてやるッ!」

「へ?」

 それは琉歌にとって意外以外の何物でも無い言葉だった。二人の女を両方選ぶなどと、決して許される決断ではない。だが、それが余りにもクーガらしくて、琉歌は吹き出すことを抑えることが出来なかった。

「あーっはっはっはっはっはっ! そっか、あたしもファイも幸せにしてくれるってか!」

「おうよッ! 女の一人や二人幸せに出来ねえで、何が男だってんだッ!」

「いや、ほんと。クーガらしいよ……」

 改めて、琉歌は愛おしい男の顔を見た。好きな男の子の、横顔しか見ることの出来無かったあの日とは違う。真正面からその顔を見ることが出来る。そういう自分にしてくれたのは、他でも無い、目の前にいる男だ。

「なら、はやくファイを起こさないとな」

 琉歌は、その衝動を必死で抑えていた。抱き着いて所構わず口付けたいという衝動を。そう、今はまだそのときではない。この特異な骸骨都市ならば絶望症候群を治療する手掛かりが掴める。そんな予感が琉歌を前へ前へと突き動かしていた。

「おい、ちょっと待てよッ!」

「ぼやぼやしてると、おいてくよッ!」

「へいへい……まったく」

 琉歌とクーガは地下へ地下へと潜ってゆく。深さを増す度に、ガードロボットの猛攻も激しさを増す。だが、幾百ものガードロボットも今の二人を止める障壁とは成り得なかった。

「リュカ、これで最後か?」

「ああ、熱源反応は無いみたいだ」

「殺るも殺ったり、って感じだな……」

 長い回廊には、まさに死屍累々と言うべきか、ガードロボットの残骸が無残な姿を晒していた。見ていて気分の良いものではないが、ファイを目覚めさせるという決意だけがクーガの足を動かしていた。

「行き止まり、か?」

「ああ、そうみたいだね」

 回廊の袋小路には錆び付いた鉄の扉が行く手を阻むかのように重々しくそびえ立っている。煤呆けた表面を払うと、液晶やクリアパーツが姿を現す。だが、電気という生命が宿らないそれが光を放つことはない。

「どうすんだ、これ?」

「ちょっとどいてな」

「えっ……うおわッ!」

「陽電子砲ッ!」

 静寂を破ったのはその声だった。琉歌の右腕が閃光を放つ。準備の無かったクーガはもろにその光を浴びてしまう。視力がようやく戻った時、そこに行く手を阻む扉はもう欠片も存在していなかった。

「お前な……やるならやるって言ってくれよ……」

「あたしたちには立ち止まってる時間は無い、そうだろ?」

「ぐ……む……」

 いたずらっぽく笑う琉歌を見て、クーガはもう何も言えなかった。きっと、これから先もこうなのだろう。頭が上がらないというか、尻に敷かれるというか。圧倒的戦力の差を考慮に入れなくともきっとそうなのだろう。だが、決して不愉快ではない。むしろ、不思議な心地良さがそこにはあった。

「さ、探そう。お目当てのモノがありそうだよ」

「ん、そうだな」

 物怖じもせず踏み込む琉歌にクーガが続く。そこは、地上とはまるで別世界。多少の埃臭さはあるものの、平らな床に白い壁。ところ狭しと並べられた棚には書籍やディスクが整然と並ぶ。ギートの治療室とは大違いだ。

「こんだけありゃあ、探すのも一苦労だな……」

「いや、そうでもないよ。あたしはディスクを当たるから、クーガは本をお願い」

「ディスクって、再生機ももってきてないのに」

「あたしにそんなのは必要ないんだよ」

「へ?」

 琉歌はディスクを取り出すなり眼の前に掲げた。瞳から発射されたレーザーがまるで舐め回すかのように表面を這いずり回る。ディスクに記録された情報は隅から隅まで、余さず琉歌のハードディスクに記録されることとなる。

「うーん、関係ない薬のデータだ。次行こう」

「お前、何でも出来るんだな……」

「ん? そうだな……初めはさ、この死ぬことも出来ない身体を押し付けた親を呪ったりもしたけど、クーガの助けになるならこの身体も悪くはないかな、って思うよ」

「琉歌……」

 如何に鈍感で朴念仁のクーガでも解ってしまった。琉歌の胸の内にある苦悩。並外れた力を得たことは、琉歌にとって決して幸福ではない。ただ哀しみだけが琉歌の胸を押し潰そうとしている。

「リュカッ……!」

 クーガはもう堪えることが出来無かった。その呪われた忌むべき力を自分の為に使ってくれる。それが何よりも嬉しかった。この愛しい少女をどうして抱き締めないでおけるだろうか。

「クーガ……」

「いや、何も言わなくていい。俺には全部わかってる。俺に任せろ」

「クーガ」

「ん?」

「おあずけッ!」

「うひょおッ!」

 色に支配されたクーガは琉歌の声に怒気が孕んでいることに全く気が付かなかった。陽電子砲のレンズがクーガを捉える。これが起動すればどうなるのか、この部屋の扉を見れば明々白々だ。

「盛るのも時と場所をわきまえなッ! ほれ、とっとと探すッ! キリキリ探すッ! サクサク探すッ!」

「はい、心得ましたぁッ!」

 ありったけの怒鳴り声を浴びてクーガは脱兎の如く走り出す。大慌てで書類の束をまさぐる。だが、何処か不思議と心地良い。今、クーガは理解した。これが尻に敷かれるということなのだろう。だが、そんなくすぐったいような時間もそう長くは続かなかった。

「おい、リュカ……これ……」

「なんだ、ほんとにぶっ飛ばされ……なんだ、これ……」

 この部屋の奥の、そのまた奥。山と積み重なった書類に隠されるようにした場所にそれはあった。琉歌の胸に、あの光景が蘇る。この世界に初めて目覚めた時、最初に眼に飛び込んできたカプセル、いや棺。

「中に……入ってる。うへへ」

「このドスケベッ!」

「うぐおッ!」

 クリアケースに積もった埃を払うと、その中には眠るかのように目を瞑る女性が中に入っていることを視認出来た。当然、何も身に着けない一糸纏わぬ姿。助平のクーガの眼が釘付けになるのも当然だ。嫉妬の気持ちもあるが、一刻も早く確認したいという琉歌の気持ちがクーガを吹っ飛ばす。

「むむ……これ自体に保存の機能は付いていない……けど、中の人に変わった様子は無い……このカプセル、作られたのはずっと昔……千年単位だな……なら、この人自身が?」

 琉歌は首を捻る。ここに眠る女性は明らかに絶望症候群の症状だ。だが、千年も前の患者が今生きているハズもない。琉歌の知る症状はただ眠って起きることは無いということだけ。だが、この女性は明らかに違う。

「リュカ、ちょっとこれを見てくれ」

「なんだ、またぶっ飛ばされたいのか……ん?」

「このファイル……」

 ぶっ飛ばされ本棚に突っ込んだクーガだったが、逆さまになってまでも一冊のファイルを離すことは無かった。その瞳は真剣そのもの。ある種の気迫すら伝わってくる。ゆっくりと、その口を開いた。

「絶望症候群……それは、死に至る病ではない……」

「なんだって……」

「うん、続きを読む……天変地異により人間の住める環境ではなくなった地球。だが、その再生力を信じ、人間はある一つの選択をした……」

「そりゃ、いったい……」

「エネルギー消費を最低限に抑え、仮死状態となる……この状態ならば、千年、いや一万年は凌ぐことが可能だろう……私は揺り籠を造る。人間の眠りを助ける揺り籠を……」

 そこに記されていたのは、過酷な時代を生きた科学者の独白だった。家族が、仲間が次々と覚めることの無い眠りについて行く。それをどうすることも出来無い悲しみ、無力な自分への怒り。ならば、せめてその眠りを安らかなものとしたい。それが、この揺り籠だった。

「絶望症候群は、決してネガティブな結果じゃない……人類が生き残るための選択だったのね……」

「ああ、ならこの地球を元に戻せばファイも目覚めるってことだなッ!」

「そうだよっ! 昔みたいな地球に戻せば絶対目覚めるっ!」

「そうだ、そうだそうだそうなんだッ……!」

 まるで少年のように瞳を輝かせるクーガの手を、琉歌もまた同じ瞳で受け止めた。もはや、その表情に嫉妬や僻みなどの、負の感情は見て取れない。琉歌の心にあるのはクーガと同じ歓喜。初めて心が重なった喜び。

「どれだけ時間が掛るかわかんねえけどよ、俺はやるぜッ! 俺が無理でも、俺の子供、俺の孫が絶対に……!」

「あたしはずっと一緒にいるよ……十年も、次の十年も……」

 琉歌とクーガの胸には眩い希望で充ち満ちていた。道程は、果てし無く長い。だが、終わりが無い訳ではない。どんなに遠くとも必ずゴールがある。その現実が二人の想いを前へ前へと向けていた。だが、そんな幸せも長く続くことは無かった。

「クーガッ……! リュカッ……! えらいことじゃッ……!」

「おう、ドクター。いいとこに来た。絶望症候群はだな……」

「クーガッ! それどころではないぞッ……!」

「おい、いったいどうしたってんだ……」

 浮かれて舞い上がっていたクーガも、ギートの表情を見れば我に帰らざるを得なかった。顔面は血の気が一切失われたかのように真っ青なのに、呼吸だけが咽び泣く狼のように荒々しい。不安が矢のように一瞬でクーガを貫く。

「族が……村を焼いちまったッ……! 何もかも……!」

「な……!」

 それだけで十分だった。それだけの言葉で全てが解ってしまった。この後には、ファイが……と続くのだ。聞きたくなかった。耳を塞いでしまいたかった。だが、もう遅い。絶望が、暗闇よりも深く重い絶望がクーガの心を濁流のように押し潰す。

「ファイ……ファイ……」

「……ッ! クーガ、ダメだッ!」

 見開かれたまま、一点を凝視する両の瞳。口は食いしばられているが、端から涎が垂れる。全身は小刻みに震えそのまま赤子のようにうずくまってしまう。琉歌が懸命に肩を揺らすが、もう、その声は届くことは無い。

「リュ……か……」

 その言葉は、琉歌にとって救いだったかも知れない。愛しい人が最後に残した言葉は、恋敵ではなく自分だった。だが、この言葉の意味を、今の琉歌は理解することが出来無かった。

「クーガッ! クーガッ! クーガッ! クーガ……」

 それは琉歌にとって永遠に等しい時間だった。機械の身体、死なない身体を得てから、ただ無為に刻を過ごしてきた。だが、この一瞬の密度はどうだ。この世界に一人ぼっちで放り出されたあのときよりも苛烈な虚無が琉歌を襲う。

「クーガ……なんでだよ……」

 琉歌も、クーガと共に眠りに着いてしまいたかった。同じ床で同じ夢を見る、どれだけ幸せなことだろうか。だが、それは許されない。死ぬことの無い身体を持った琉歌には、それは許されない。今、するべきはクーガの横で涙を流すことではない。それだけは解っていた。

「ドクター、クーガを頼むよ」

「リュカ、何処へゆくつもりじゃッ!」

「あたしの足なら何分もかからない。やることは、決まってるさ」

 次の瞬間には、もう琉歌の姿はこの薄暗い地下室から姿を消していた。残されたのは、巻き上がる埃だけ。ギートはただそれを眺めることしか出来無かった。自らの犯した罪と共に……。

                   ・

「ぐッ……!」

 琉歌は思わず呻きを漏らした。村まではまだ距離がある。だが、望遠レンズを使うまでも無い、クーガが、ファイが過ごした村は赤々と燃え上がっていた。熱に強いはずのレンガをここまで焼いてしまう、いったいどれだけの燃料を使ったというのか。その炎、ヤツらの憎しみと欲望をそのまま現しているように見えた。

「クソッ……! クソッ……!」

 この高性能な身体が恨めしかった。人の肉が焼ける臭い。ガソリンのそれと入り混じり、吐き気を催す。こみ上げるえづきを止めることが出来無かった。口の中に広がる吐瀉物を必死で胃の奥に押し込める。吐くのは、全てが終わったあとだ。

「……ッ!」

 人も、家も紅蓮に包まれる中で、唯一その色を失わない建物。それは、短い間であったが琉歌がクーガと過ごしたギートの診療所。だが、それは決して喜ばしいことではない。この中に、ヤツらがいる、ということに他ならない。

「……ファイッ!」

 それは、想像していた通りの光景だった。衣服を剥ぎ取られ、白い肌を露わにされたファイ。だが、その色が琉歌に届くことはない。次々に覆い被さる男たちが、ファイを隠してしまう。

「お、なんだまだ生きてるのがいたか。それも上玉じゃねえかッ!」

 あぶれて順番待ちをしていた男が下衆な声を上げた。つかつかと無遠慮に琉歌の前まで詰め寄る。嫌らしいニヤケ面、舐めるような視線。それは、琉歌の神経を逆撫でするのに十分な行為だった。

「可愛がってや……ごふっ」

 男は奇怪な声を出す。だが、それ以上に奇怪なのはその光景だった。三本目の腕が、真っ赤に染まった腕が背中から生えていた。ファイの身体を貪っていた男たちも、俄に色めき立つ。

「き、キサマッ……!」

「ただで帰れると思うなよッ!」

 最初の男の死体を乗り越え、他の男たちが琉歌を取り囲む。だが、そんなものが今の琉歌にとって障壁になどなろうハズがない。今の琉歌を阻むモノなど、この世界には存在し得ないのだ。

「お前らこそ、ただで死ねると、思うなよ」

 それは、深く、暗く、冷たい声だった。此処に来るまでに、もはや全ての感情は捨て去っている。心にある決意は唯一つ。コイツらに、生きていることを後悔させる、ただそれだけだ。

「このやろ……ぎぇあッ!」

 無言だった。無言のまま、琉歌は襲いかかる男の下顎を抉り取った。その男は断末魔を上げることも出来ずに床に転げ回る。それを見てようやく他の男達は自分が迎えるであろう未来を知ることが出来た。

「ひええぇッ!」

「ゆ、許してくれぇッ!」

「許せ、だと……?」

 男たちは怯えた表情を隠すことも出来ずに、ただ琉歌に命乞いをするだけしか出来無かった。だが、まるで逆効果でしかなかった。その行為こそが琉歌の感情を爆発させていた。

「お前たちはッ! ここに生きる人たちに何をしたぁッ! 奪いッ! 犯しッ! 殺しッ! どうして許せるものかぁぁぁッ!」

「ひぎゃぁッ!」

「ぎゅあぁッ!」

「ぎゅえぇッ!」

 その有り様は、陰惨を極めた。腕を千切り、顔の皮を剥ぎ、骨をズタズタに砕く。血飛沫が、ファイの肌を染める……。ものの数秒も掛からなかっただろう。この狭い部屋には、もはや動くモノは琉歌だけとなっていた。

「ファイ……ファイ……ごめんな……」

 琉歌は服の袖を引き千切りファイの身体を清める。だが、赤い身体から流れ落ちる白濁した液体を見て、涙を止めることが出来無かった。何をされていたのか、如何に未通娘の琉歌にだって解る。女性の尊厳を、何よりも傷付ける蛮行だ。

「リュカ……」

 跪いたままの琉歌の後ろに立ったのは、眠ったままのクーガをおぶったギートだった。掛ける言葉も無い、というのは偽らざる本音だろう。事実、声を掛けるまでに数十分を要していた。

「ドクター、これから大変だろうけどさ、クーガとファイのこと、頼むよ……」

「お前は、どうするつもりじゃ……?」

「約束を、守るよ。クーガとの」

「約束、じゃと……?」

「ああ、この地球を元に戻す。そうすりゃ絶望症候群は治るんだとよ」

「じゃが、そんな途方も無いことを……」

「あたしの、この身体はそのために造られたのかも知れないね……」

 琉歌は最後に笑顔を作ろうとした。だが、長く激しい嗚咽によってぐちゃぐちゃになった顔は僅かに引き攣るだけだった。ギートには痛いほど解っていた。そうでもして虚勢を張らないと、押し潰されてしまいそうだった。

「じゃ、行ってくる」

 それは、まるで普段の挨拶だった。ちょっとそこまで散歩に行くかのような気楽な挨拶。だが、それは永遠の離別、最後に交わす別れの言葉だった

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