お茶会
翌朝。
アリスは随分と日が昇った時間に起床した。
昨日はあの後、帰って来た帽子屋と眠りネズミが作った晩御飯を頂き、すぐに眠ってしまったのだった。
10時間は寝ただろう、彼女だがまだ寝たりなかったし、誰も咎める者もいない。
再び浅い眠りに入ろうとした時、乱暴に扉が開かれた。
ちなみに彼女が宛がわれた部屋は二階の日差しが程良く入る広い部屋。
一階には応接間とリビング、キッチン以外にバス、トイレがあり、玄関から入って右側の扉は鍵が掛かっていて、入れなかった。
そして二階は広い部屋が4つ。
階段から一番近い部屋に帽子屋、その隣に眠りネズミ、一室の空き部屋を挟んだ一番奥がアリスの部屋として貸し出された。
「おい、こら起きろ!
いつまで寝りゃあ気が済むんだ」
入って来るなり大きな声を張り上げる帽子屋。
「あ~、朝からうるさいなぁ。
もうちょっと静かに起こせないの?」
ボブの髪を寝癖で所々跳ねさせているアリスは掛け布団を深く被りながら目だけ帽子屋に向ける。
「もう11時だ!さっさと起きて顔洗え」
「あれ?帽子屋はいつでも6時じゃなかったっけ?」
「知るか!
早く来ないと夜まで飯抜きになるぞ」
それだけ言い残して帽子屋は部屋の扉を開けたまま部屋を出て行ってしまった。
「というか今考えたらノックもなかったような・・・」
朝から元気な帽子屋とは裏腹に、アリスはダルそうに起きあがり、のそのそと準備を始めた。
彼女は昨日、気が付けば着ていた白のワンピースを寝間着に使っていたが、面倒くさいのもあって、そのまま一階のバスの前に設けられた洗面台へ行くと顔を洗い、昨日出してくれた歯ブラシで歯を磨く。
鏡の隣には洗濯機と洗面台の間に丁度フィットするようにダークブランの細長い棚があって、そこにはクシや、ピン、ヘアゴム、ドライヤー、寝癖直しのスプレーなど色々揃っていた。
丁度、短い髪の毛先が跳ねていたので寝癖スプレー(おそらく帽子屋が使っているのだろう)で直し、クシで整えて洗面台を出た。
今日も日差しは温かくて柔らかい。
どこからか良い匂いが漂ってきて、当然のようにキッチンへ赴くが、誰もいない。
彼女は首を傾げ、再びホールへと出たところ、玄関から入って来る眠りネズミがいた。
「お~、おはよ。アリスちゃん」
「おはようございます。帽子屋さんは?」
「あいつ、言わなかったのか?
天気も良いし、ブランチは庭でするんだ。
もう用意出来てるから行こう?」
キッチンへトングや皿などを取りに言っていたらしい眠りネズミを手伝い、庭へと出るとそこには昨日とは違い長方形のテーブルが用意されていた。
純白のテーブルクロスが敷かれ、沢山の料理が並んでいる。
「わぁ」
それほどお腹が空いていなかった彼女であったが、その料理を見た瞬間一気に食欲がわき出す。
「お前はここだ」
トンと後ろから肩を押されたのを振り返ると、癖っ毛な黒髪をブルーのリボンで括っている帽子屋がいた。
促されたのは家に一番近い日の差さない場所。
テーブルの上には何故か日よけのパラソルまで付いている。
「お前、昨日バカ猫にどこ連れられて行ったのか知らねぇが、顔が赤くなってたぞ」
どうやら彼なりの気遣いのようで、驚いたアリスは彼の顔を凝視するが、帽子屋はそれを交わすようにさっさと踵を返した。
「三月ウサギ。まだ食べるなよ」
ふと帽子屋が話しかけた先には三月ウサギが今か今かとフォークとナイフを持って待ち構えていた。
「あっ!三月ウサギさん!
おはようございます!」
彼女の歓喜の声が入り混じった挨拶に、三月ウサギと「げっ」と漏らし、顔を顰めた。
「来んな来んな!」
アリスは三月ウサギの方へ一目散に走って行くのを見て、三月ウサギはフォークとナイフを前に付きだして、接触を防ぐ。
「私はもっと三月ウサギさんと仲良くなりたいのに~」
断固拒否されたアリスは口を付きだして、ムクれた表情をするが、三月ウサギに一掃される。
「そんな顔したって可愛くないからな!」
「え~い。なら、強行突破!」
言いながらアリスはそのまま三月ウサギを抱きしめた。
「やめろ~!離せぇぇ!」
アリスの中で暴れるものの、体格の違いに足掻くだけ無駄に終わった三月ウサギを見て、眠りネズミは楽しそうに近寄って来る。
「お~、仲良いね~。
俺も混ぜてよ」
「良いから助けろ~!」
「え~、俺もアリスちゃんに抱きしめて欲しいなぁ」
「バカか!」
セクハラ発言の眠りネズミに持っていたトレ―で後ろから頭を叩きながら言ったのは帽子屋。
「ほら、アリスお前も馬鹿なことしてないでさっさと席に着け」
やっと助け舟を出したのは帽子屋で、アリスは納得いかない表情をしながらも三月ウサギを解放し、眠りネズミは少し頭を押さえながら三月ウサギの前へと座った。
「そっちが紅茶で、そっちが珈琲だ。
好きな方飲め」
テーブルの両端に置かれたポットを指差して帽子屋が説明する。
そのテーブルの中央にはイングリッシュマフィンが大きな皿に山積みにされていて、その周りにはジャムやバター、蜂蜜、オランデーズソースがある。
各自、自分の手元にはカップとポーチドエッグ、ベーコン。
そして2人ずつ手が届く範囲にミルクと砂糖の入った瓶に切り分けられたアップルパイとアイリッシュスコーン。
それで全部であった。
「すごい・・・
これも全部眠りネズミさんが?」
昨日の晩御飯が美味しかったのもあり、眠りネズミの料理はハズレなし、とインプットされていたアリスが尋ねると、隣の眠りネズミは彼女を見て、幾度か笑い声を上げた。
彼は持っていたフォークで彼女の目にいる帽子屋を差した。
「昨日はコイツが機嫌悪かったから俺が作っただけで、大体帽子屋が料理をしてるんだ」
「え、ほんとに?」
まさか、あり得ない。そんな聞こえない声が後を付いてくるようだった。
実際そう言おうとしたアリスであったが、沸点の低い帽子屋がキレると困るので口の中に留めておいた。
「なんだ?文句あるなら食わなくても良いんだぞ?」
聞こえない声を察したのか、気を悪くしたような帽子屋は紅茶に砂糖を入れてかき混ぜながら言う。
「全然、そういうわけじゃないです」
すぐに弁解の言葉を述べ、マフィンに手を伸ばす。
「帽子屋の料理は城のシェフに負けないくらい旨いんだからな」
斜め前の三月ウサギがアリスを睨みながら、頬張り過ぎて汚れている口で呟いた。
期待しながら温かいマフィンにポーチドエッグを乗せて一口。
香ばしいマフィンの香りと半熟のポーチドエッグが良い具合にマッチしていて、思わずアリスは微笑んだ。
そこにベーコンを乗せ、オランデースソースを加えれば、更に美味しいエッグベネディクトの完成である。
「美味しい~」
頬張りながら呟いたアリスは、口一杯に詰め込みながら食べている三月ウサギの気持ちがすぐに分かったようだ。
「ちなみにそのマフィンも帽子屋が生地から練って作ったんだぞ?」
まるで自分の母親を自慢するように、三日月ウサギがモグモグさせながら付け足す。
アリスは前の帽子屋を見るが、帽子屋は視線に気が付きながらもカップを口につけ、目を合わせない。
「おいおい、照れんなよ~。帽子屋」
「うるさい、死ね」
眠りネズミのからかいに帽子屋はいつもの調子で返し、それにアリスが失笑する。
「ごめんなさい、帽子屋さん。
凄く美味しい!」
「そうか。良かったな」
帽子屋はまるで第三者のように小さな声で返した。
そうして温かいブランチの時間はあっという間に過ぎて行った。
一時間と少し。
食べ終わった後も日向ぼっこのように外の風を受けていた帽子屋を除く3名。
帽子屋は食べ終わった食器や残った料理をキッチンへと運んでいた。
アリスは手伝いを買って出たが、帽子屋に拒否され、仕方なしに未だパラソルの下でぼんやりしている。
日は高くなって、パラソルのお陰で影を作って肌が焼ける心配はない。
眠りネズミは今にも眠ってしまいそうに、テーブルに頬杖を付きながらウトウトしている。
その前の三月ウサギは本を読んでいたが飽きたのか、立ちあがっては帽子屋の手伝いへとキッチンへと向かって行った。
「ねぇねぇ、眠りネズミさん」
「ん~?」
眠たそうに半目になりながら、眠りネズミは隣のアリスへと少しだけ頭を動かす。
「私ってどこに住めばいいのかな?
このままお邪魔になるわけにも行かないし、と言っても働き口をどう探せばいいのか分からないし・・・」
アリスは椅子に凭れ、青いパラソルを見上げる。
彼女の言葉に眠りネズミはおおきな欠伸を一つ、座ったまま伸びをして、テーブルに残っているポットのコーヒーを選び、自分のカップに注いだ。
注ぐ際、アリスにも注ごうとするが、彼女がそれを断る。
「ん~。まぁ、別に帽子屋は迷惑とか思っちゃいないはずだがなぁ」
「でも私の食費とか、昨日だって服買ってもらっちゃったし」
「ほんと、アリスは素敵な子だねぇ」
眠りネズミは良い子良い子といいながら、アリスの頭を撫でる。
「そういう細かいことは気にしなくていーんだよ」
「気にするから聞いてるのに・・・」
アリスはマトモに答えてくれない眠りネズミの反応に頬を膨らませて、拗ねたような顔をした。
眠りネズミはそんな彼女を見て、まるで恋人が拗ねた時のように愛おしそうに困った表情をしながら言葉を探す。
「ん~、そうだなぁ。
じゃっ、一つ良いことを教えてやろうか?」
「良いこと?」
「帽子屋の野郎は不器用なりに、アリスちゃんに気を使ってるんだぜ?」
「それは・・・知ってるようで・・知らないような・・・」
そう思うことも多々あったが、全部罵詈雑言で記憶が塗り替えられてしまっている。
「これ」
彼女が記憶を巡っていると、眠りネズミがパラソルを指差した。
「あぁ、そっか」
「だろ?チェシャのやつも結構気を使えるやつだけど、帽子屋もアイツとはまた違った方向で気付くやつなんだよ」
アリス自身、昨日自分が日に焼けて頬が赤くなっていること自体に気が付かなかった。