白うさぎと三月うさぎ
「どうぞ」
白ウサギの執務室は白で統一されており、チェストなどは色んな柄のローレリーフで綺麗に彩られていた。
彼の執務室の隣はもう一部屋そこが彼の私室でもあり、一日のほとんどを城で過ごしている。
その執務用のデスクを占領して、三月ウサギは書類作成に勤しんでいたが、日が落ちた頃にやっと終わったようで、そんな三月ウサギを労った白ウサギは彼の好む種類の紅茶を差しだした。
置かれたのはデスクの前にある来客用の二つのソファーに挟まれたテーブルで、それを見た三月ウサギはデスクからソファーへと移動して、大きなため息をつく。
「お疲れ様です。私はこれを提出してきますんで、寛いででください」
三月ウサギは小さく頷き、天井を見上げた。
白ウサギはそんな三月ウサギを一瞥して、抱えるほどの書類を持って部屋を退出する。
三月ウサギは紅茶を一口だけ飲み、再びため息をついて執務室の窓から見える夕日を見た。
この国に四季はない。
ずっと温かい春のままだ。
それはまるで脳みそが溶けてしまいそうな陽気で狂いそうになる。
今、出て行った彼もそうだった。
自分と同じ髪の色に同じほど華奢な背格好には白の燕尾服が不釣り合いで、あまりにも幼さ残る顔つき。
城で仕えるには不釣り合いほど幼い。
容姿的な違いは瞳の色が特徴的だろう。
血の色である三月ウサギとは違い、彼はとても綺麗な金色をしていた。
その瞳が自分に向けるのは好意だと知ってはいたが、三月ウサギはどうも白のウサギを好きにはなれない。
そんなことを考えながら、白ウサギが部屋を出て、早くも3度目のため息。
何の変哲のない日々が繰り返される中、今日がその日々を覆すイレギュラーだったからだ。
いつもと同じようにとても仲が良いとは言えないものの、毎日顔を合わす男2人と面白くもないお茶会をしていた所に一人の少女の来訪。
いつも通り、女たらしの眠りネズミに動揺しっぱなしの帽子屋。
面白いものが見れるかなって思っていた所に間の悪い白ウサギの書類の要求。
そして何時間もかけた書類作成。
ツイているようで全くツイていなかった一日。けれど確実に違った一日。
「に、しても遅いなぁ。白ウサギ」
ソファーにだらしなく寝転がって天井を仰ぐ。
彼の執務室は1階。
白ウサギは王様に可愛がられていて、結構優遇された生活を送っている。
だから1階の広い執務室に私室。
書類を提出する場所はすぐ近くの筈で、渡して帰るだけなら3分もいらない。
カチカチと時計の音だけが響き、夕日が完全に沈んで行ってしまった。
「あ~!遅い!!!」
思わず癇癪を起して立ち上がり扉を開こうとした時、それよりも早く引き開きの扉が開かれた。
「わっ、何してるんですか?三月ウサギさん」
両者とも驚きながらも三月ウサギは前の彼が両手に慎重に持っているトレ―へと視線を落とした。
「昼ごはんも抜いてましたし、空腹でしょう?
どうぞ召し上がっていってください」
さっさと扉を閉めて、テーブルの上へと乗せたトレ―には野菜たっぷりのクリームチャウダーにサラダ、トマトソースのパスタが2人分乗っていた。
「城のシェフが作ったものですから美味しいですよ」
白ウサギはトレ―から料理を降ろして、私室から水の入った瓶とコップを二つ持ってきて注いだ。
白ウサギが遅れた理由を理解した三月ウサギはまさか自分の為に持ってきてくれた彼を責めることも出来ずに、大人しくソファーへと戻る。
前でなんだか長い祈祷を初めて手を合わせた。
「頂きましょう」
「うん」
まず一口、スープを口に運んだ三月ウサギは空っぽの胃がじーん、と温かくなって満ちて行くのを感じた。
次々と食が進む。
「アンタ、こんなの毎日食べてんの?」
「まぁ、用意されたものは残しては失礼ですし」
毎日まともな食生活をしていない三月ウサギにとって、それは嫌みにも取れるものでスプーンを口に含んだままムッとした表情になる。
「ほんとむかつくな、アンタ」
「え?私、何か失礼なこと言いました?」
前の彼は少し天然も入っている。
それが三月ウサギを溜まらなくイライラさせることもしばしば。
「そういえば・・・」
一度スプーンを置いた白ウサギを三月ウサギは手を休めないまま一瞥した。
「今日、とうとう来られましたね」
それが誰のことを差すのか。三月ウサギはすぐに理解した。
「うん。剥奪者がいなくなって10年。
その間に人員整理が終わって、この国も少しずつ変わって行った」
「はい。もう10年ですか・・・
三月ウサギさんはもっと前から、ですよね?」
「アンタもだろ。まぁ、ここには時の流れなんて存在しないけどね」
食事をかき込む三月ウサギは喋りながら食べていたせいで、器官に入り、むせ返る。
「大丈夫ですか!?」
しばらく咽る三月ウサギに白ウサギは水を渡して、ようやく収まった。
「あ、ありがと・・・」
けほっ、とせき込んで、ようやく一度フォークから手を離した。
一時の沈黙。
その間に白ウサギは何かを言うか言うまいかという感じでいたが、首を傾げた三月ウサギを見て、何かを言いかける。
「なんだよ?」
「それが、ですね。
上でちょっとした騒ぎがあったみたいなんです」
「騒ぎ?」
「はい。管理人の名簿長が改ざんされていたみたいで・・・」
「改ざん?誰が?」
「そこまで詳しいことは分かっていません。
でもどうやら長はしばらく様子を見るとの結論を下されたので、この騒ぎはあまり広まっていないのですが・・・」
「様子見、ねぇ。
それはそれは寛大な処置なことで」
三日月ウサギは急に嘲るようにして語調を変えた。
「全知全能である長がそんなことを知らなかったわけないじゃないか。
なのに放っておいたってことは・・・」
「そんな言い方はダメですよ!
私たちの父であるお方に!」
「あー、うざいなぁ!」
白ウサギの牽制に、三日月ウサギは立ちあがって、怒りを表した。
ほんの少し狼狽を隠しきれずに白ウサギはたどたどしく続ける。
「確かに長が知らない筈もないです。
でもそれは何かしらのお考えがあってのこと。
私たちが容易く読み取れるようなものでは・・・」
「だからうざいっての!
アンタが誰に忠誠を誓おうとアンタの勝手だけど、僕にまでそれを押しつけないくれる!?」
そんな激昂に、言葉を失った白ウサギを見て、三日月ウサギはハッと冷静を取り戻した。
「悪い、ついカッとなって言いすぎた」
「いえ。私こそ気に障ることを言ったようですみません」
ゆっくりと腰を降ろした三日月ウサギと白ウサギの間に重い沈黙が流れる。
三日月ウサギは再び食事を始め、白ウサギは前の三日月ウサギを窺うようにしてゆっくりと食事を口に運ぶ。
「とりあえずは・・・」
三日月ウサギは一旦手を止めて、ぽつりと呟いた。
「この国は完全に外から閉ざされたんだよな?」
「はい。今日、それが実行されたようです。あとは・・・」
「ああ、この壊れた玩具箱がなくなるまで僕たちは見届ければ良い」
それから沈黙の食事を済ませ、三日月ウサギは早急に立ちあがった。
「ごちそうさま。
今日は色々悪かった。
お詫びと言ってはなんだけど、今度家に来なよ。
大したもてなしは出来ないけどね」
恥ずかしそうにそっぽ向きながらいう三日月ウサギに白ウサギは驚いた後、歓喜に立ちあがる。
「はい!是非!」
城から出て、しばらくの一本道の先にはすぐ三日月ウサギの家があったが、家に帰る気にはなれなかった三月ウサギは、近くの公園に自然とたどり着いた。
寂れたブランコに乗って、小さく揺れるとギイギイと耳触りな音が響く。
まだ人影は少し見えるものの、随分と静かだ。
俯き、幾度か前後に揺れる。
「でも10年だ。
アイツがここで待った長い時間を無駄にはさせたくない」
誰にいうでもなくつぶやき、星が瞬く空を見上げた。
いつだって同じ位置に同じ星があり、それはまるで貼り付けられた絵のように薄っぺらく感じてしまう。
「長は一体、何を考えてるんですか?」
見えない誰かに問いかけるようにか細く呟いた。
刹那、弾けるような音が鼓膜を響かせる。
音のした方へと頭だけ向けたが、何もなかったように三日月ウサギはまたゆっくりブランコをこぎ出した。
ギイギイと音が公園を包む。
それを遮るように土を踏む音が数回。
「何してるんだ?こんなところで・・・」
良く知る声に足元から頭まで真っ黒な容姿。
既に影だけで分かるほど見慣れた姿。
ただほんの少しだけ白い部分が夜の景色に栄えている。
「アンタこそ・・・派手な音、響かせてたけど仕事?」
帽子屋は三日月ウサギの隣のブランコに腰かけ、「ああ」と返答する。
「女王のお気に入りは大変だね」
知らずの内に皮肉めいて出た言葉だったが、三月ウサギはそれに対して言い訳をしたり、取り繕ったりするわけでもなく、ただ帽子屋の返答を待った。
「いつになく突っかかってくるな。
白ウサギとなんかあったのか?」
思った返答とは違い。宥めるような優しい口調に三日月ウサギは思わず俯いてしまった。
「アンタはさ、いつまでそうしてるつもり?
今日はここにアリスが来たり、上は上で色々あったらしいよ。
名前の改ざんが見つかったとか・・・」
ほんの少しだけ反応を見せた帽子屋だったが、彼は前の闇を見詰めて「そうか」と呟くだけだ。
「なんでか知らないが落ち込んでるなら、明日また家に来い。
旨いブランチを用意して待っておくから」
ポンと三日月ウサギの頭を一度だけ撫でて、帽子屋は立ちあがった。
三日月ウサギは立ち去る彼の背を見て、一瞬迷ったようにした後、立ち上がる。
「ねぇ、長の手の平の上で踊らされてると知ってても・・・諦めないの?帽子屋」
澄んだ三月ウサギの声が虚空の闇に吸い込まれていく。
帽子屋は帽子を抑えて、少しだけ振り返るが、何も言わずにまた踵を返した。
三日月ウサギには振り返った時の彼は微笑んだ気がして、それ以上何も言えずにただその背が闇に見なくなった後も、そこにたたずんでいた。