lullaby
アリスを抱えた時、思ったより軽いことに驚いた。
本当に眠っているのか疑っていたが、俺に抱えられて怒らないということは本当に眠っているのだろう。
綺麗な輪郭、それにかかる漆黒の髪は透き通る雪のように白い肌の綺麗さを更に強調させている。
手も足も綺麗にまっすぐ伸びている。
鎖骨も綺麗な一文字の形で、胸のふくらみは年相応なのだろう。
ふと、そんなことを考えた自分の思考を慌ててかき消す。
そんな頃にはアリスの部屋の前に到着していて、抱えたままそっと扉を開いた。
腕の中の彼女がここに来たときとほとんど変わっていない部屋だ。
俺も眠りネズミの部屋も生活と管理人の仕事に必要な最低限のものしか揃っていない。
突然やってきた彼女の部屋もそうであった。
必要なものは好きに買え、といったが特別欲しがらなかったのもあって、部屋にはほとんど何も入っていないのクローゼットとチェストに円卓テーブルが一卓、椅子が一脚、ソファーにベッドとそのサイドテーブル。
そう言えば一つだけ彼女が欲しがったものがあった。写真だ。
知り合った皆と一緒に撮りたいと言ったが、皆が集まるなんて一年に一度あるかないかであったため諦めさせたが、アリスのお茶会の時に念願のそれが叶ったのだ。
この前、散々連れまわされた時に写真立てを買って、現像したものをアリスは大切そうにチェストの上に置いていた。
彼女をベッドに寝かせて、その写真立てを手にとる。
真ん中にアリスがいて、その隣には無理矢理彼女に抱きしめられている三月ウサギと白ウサギ。公爵夫人もきっちり目立つ位置にいて、一歩程下がった両隣にはフロッグとロウが姿勢よく立っている。
アリスの後ろでは喧嘩を続けていた俺とチェシャ猫、アリスの頭を撫でながら欠伸をしている眠りネズミ。
まるでどこかの漫画に出て来そうな絵のようだ。
微笑ましい、と素直にそう思った。
振り返ってスヤスヤと眠り彼女に掛け布団をちゃんと掛けてやると、起こさないようにそっと前髪をよけて頭を撫でてやる。
「おやすみ、アリス。良い夢を・・・」
ゆっくり背を向けた時、シャツの裾を掴まれた。
「帽子屋、さん・・・?」
「悪い、起こしたか?」
突然の声に起こしてしまったと思い、慌てて振り向くがそこにはうつらうつらしているアリス。
俺はシャツをどうにか掴んでいる手を取って、彼女の胸元へと戻すと、ベッドの淵にそっと腰掛ける。
Hush-a-by lady, in Alice’s lap!
Till the feast’sready, we’ve time for a nap
When the feast’s over ,we’ll go to the ball---
Red Queen, and White Queen, and Ailce, and all!
ゆっくりとした旋律。
昔は歌が上手いと評価されていたが、何年も歌っていないとこうも下手になるのか。
柄じゃないことをした自分に少しの羞恥を感じながらも、再びスヤスヤ眠りだしたアリスを今度は起こさないようにそっと扉を閉めた。
リビングへと戻るとすぐ視界には眠りネズミは入って来ず、ウッドデッキのお決まりの場所で未だにグラスを手から離していない。
俺が来たのが分かったのか、半身だけ振り返り手招きをする。
沈黙の中、俺用のグラスが置かれた彼の前へと腰を降ろすと、眠りネズミはニヤリと口元を歪ませた。
「天下の帽子屋さんの歌声が聞けるとは・・・
生きてたら何が起こるかわかんねーなぁ。
おかげで酒が器官に入るところだったぜ」
「嘘付け」
ムッとして、酒の入ったグラスに手をつけるが、結構飲んでいた自分を思い出し、躊躇った。
そんな俺を催促するように、眠りネズミは俺が手を添えているグラスに彼の持つグラスをぶつけると陶器が重なる音が響く。
仕方なく、一口飲んでゆっくりテーブルへと置く。
「なんでイカレ帽子屋がイカレてるか知ってるか?」
「水銀。知らないわけないだろう」
唐突な彼の質問に、俺は訝しんだ声で返す。
昔は帽子を作るために水銀を利用していた。そこから‘イカレ帽子屋’は由来している。
「ちなみに俺はイカレてない。ただの帽子屋だ」
「嘘付け。
それじゃあ、俺もただのネズミで、バカ猫もただの猫ってか?
ああ、それに白ウサギと三月ウサギは両方ともウサギになっちまうなぁ?」
そんなどうでもいいことでケラケラと笑いだす。
呆れて、再びグラスを呷ると頃には、前の彼は酒を注ぎ足していた。
コイツは底なしか。
「ああ、そうだ。
明日、青虫に会いに行こうぜ?
別れの挨拶をしに」
「そうだな」
後、どのくらい不思議の国には住人が残っているのだろう。
アリスが来た時点で国は閉ざされ、管理人たちは住人を魂の循環へと返す作業を繰り返している。
俺も毎日追われる仕事でそうしてきたが、今となっちゃ俺には関係ないことだ。
「眠りネズミ」
「あ?」
ふと真剣味を帯びた呼びかけに眠りネズミは目だけ帽子屋を見た。
「お前は神を信じるか?」
「それは・・・
人間のいう空想の神か?それとも俺達をこんなしょうもないゲームに巻き込んだあのバカか?」
「どちらでも」
眠りネズミは目を細めて、楽しいことでも思い描くような表情をした。
そして、テーブルに頬付けをついて、俺を見つめてくる。
「そーだな。
俺は新しい救いの神が訪れることを信じて待ちましょう」
答えになってない答えに俺は思わず失笑した。
「お前さんは?」
すぐにそう聞き返してくる。
「信じてたさ。
こうなったことも罰だと思っていた。
でもな、今の俺には神とはただ奪うだけの存在だ。何もかも、をな」
一度俯き、自嘲する。
「悪い。管理人の立場であるお前にいう言葉じゃなかったな」
「いや、受け止めるさ」
眠りネズミは緩やかに首を左右に振って、優しい笑みを浮かべる。
ふと、風が舞いあがり、それに促されるように彼は二階をちらりと見た。
「さっきの子守唄。
あれはお前さんの覚悟ととっていいのか?」
眠りネズミの言葉に俺は虚をつかれ、目を見開いたが、すぐに首を縦に振った。
「ああ」
「後悔、しないのか?」
「しないさ。俺は帽子屋でそれ以上でもそれ以下でもない」
「全く・・・お前さんらしいよ。
だから俺はお前さんが好きなんだ」
男にその言葉を言われるのは正直、気が引くがコイツの言葉は嬉しい。
「気持ち悪い言い方すんなってのかわかんねぇのか」
「へいへい」
微笑と失笑。
その中に遠のいていた違和感が波のように押し寄せて来た。
自分の顔から微笑みが剥ぎ取られていくのが分かる。
すぐに眠りネズミにも気が付かれるだろう。
「どうした?」
今、眠りネズミには俺の魂はどんな色に見えるのだろうか。
疑いと信用。多分、そんな色が混じり合ってるに違いない。
―――残念ですが、私はアナタを信用していません。
チェシャ猫が去る前にそう言っていた。
眠りネズミははぐらかすでもなく、真っ向からその言葉を受け止めた。
2人の間に一体何があったのか?
気が動転していたから、ちゃんとは覚えていないが、眠りネズミはチェシャ猫に何かした耳打ちをしていた。
その言葉を聞いたチェシャ猫は身を引いたし、眠りネズミは利害が一致しているとも言った。
あの時の2人の様子は敵対を宣言したようなのに、‘利害は一致している’。
どういうことなのか?
この状況で、何が起こるかわからない状況で、俺は一体誰を信じればいいのか?
「眠りネズミ」
お前のこと、信じてもいいんだよな?
その言葉が喉元まで出かかった。
しかし、自分に言い聞かすように俯き、ゆっくりと左右に首を振る。
「いや、なんでもない」
「そうか」
眠りネズミは食い下がってはこなかった。
全て見透かしたように、ただ、少しだけ安心する微笑を浮かべて、グラスを元へ付けただけ。
そんな彼に俺もすぐに心の動揺は収まり、グラスを傾けた。




