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lullaby  作者: 伯耆
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小さな安堵の笑みを浮かべながら、アリスはゆっくりと頷く。



「お前さん・・・」


眠りネズミはどこか悲しそうな、少しだけ訝しむような表情の後、失笑を湛える。


帽子屋は眉を上げて、眠りネズミを一瞥。


ニヤリ、と口元を歪め、何か言葉にしようと薄らと口を開いたが、その前に他に興味が移ったのか、アリスの方へと再び視線を戻した。



「帽子屋?」


そんな帽子屋に違和感を感じて、眠りネズミは彼の名前を小さく呟く。


その違和感にアリスも感じとったのか、帽子屋を見ては心配そうに眉を顰めた。



「アリス。お前はお前の親を許せるのか?」


今までの話とはあまりにも無関係で唐突な問いにアリスは言葉を失い、見つからない答えに口をつぐんだ。


「親・・・・って、なんで?」


話がちゃんと飲みこめないのか、アリスが反対に聞き返す形になる。


眠りネズミは何も言わなかったが、何かを察しているように目で制止を訴えるように、帽子屋を睨む。


しかし帽子屋はその視線を目の端に捉えながらも言葉を続けた。



「お前は剥奪者としての過去しか持ち合わせていない。

それは当り前のことだ。人間として生を受けなかったんだからな。

でも俺は、お前の母親と父親になる予定だったやつのことを知っている。

お前が生まれて来れなかった理由も知っている」



帽子屋の語調は続きを聞くか否かを尋ねていると気付きながらもアリスは二の句を中々継げることが出来なかった。



束の間の沈黙。


予想だにしなかった過去の話を冷静に告げる帽子屋の声がアリスの耳の奥で反響した。


頭の中で反響する音と比例するように、風が三人の周りを気まぐれに戯れては舞い上がるその草木の匂いが鼻腔をくすぐり、ハッとした既視感にアリスは目を見開いた。



少し前に見た夢を思い出す。


闇の中で感じる温かさと体に直接響いた鼓動の音。


何かを挟んで聞こえる男女の幸せそうな会話。


「私の名前を、決めてた・・・」


夢の中での会話が反芻する。



「生まれてから、俺が呼ぶまでの楽しみだって・・・男の人が言ってたの」


視点が合わないアリスのたどたどしい言葉に眠りネズミは驚いたように目を見開き、少しだけ口も開く。


帽子屋は眉を寄せて痛みに耐えるような酷く切なそうな顔をした。


「ねぇ、帽子屋さんは・・・私の名前を知ってるの?」


風が止んだ。


無音の世界が広がり、そこにアリスの声が異常なほどまでに響き渡ったかと思うと、不思議なくらいにそれは無音に吸い取られていく。


その問いかけた声はあまりに不思議な声色であった。


例えて一番近いのは、初めて言葉を話した赤子のたどたどしくて澄み切った、そんな声。


帽子屋は彼女の前で初めて動揺に目を揺るがせた。


それが是との答えを示しているのに、帽子屋は何も言葉を紡がない。


いや、紡げないのかもしれない。



「ぼう・・・」


眠りネズミは放っておけない様子で、友人の動揺に目を瞬かせながら彼の肩を敢えて乱暴に掴む。


帽子屋を呼ぼうとしたが、それを途中で止め、肩を掴んだ手の力もそっと緩めて行く。


掴んだ彼の肩は小さく震えていたのだ。


そこまで狼狽え、何かに戦く帽子屋の様子を初めてみた眠りネズミは言葉を失った。


アリスはそんな帽子屋を見て、確信めいた視線を眠りネズミにぶつけたあと、小さく息をついた。



「ごめん・・・

何か混乱させたみたいだね」


アリスは俯いて、視線を膝へと落とす。


「悪いな、アリス。

あんな啖呵きっておいてカッコつかねーやつだよな。

でも剥奪者になんか言われたみたいだし、続き・・・俺が話してやるよ」


おいで、と立ち上がった眠りネズミにアリスは目を丸くする。


帽子屋を放置しておくのか、と少しだけ非難の色も含まれているように見える。


眠りネズミはその視線に困ったように目尻を下げ、手招きをしたのを見て、アリスは渋々リビングへと入った。



「なんでわざわざリビングに?」


既に言葉に動揺の色は消えていたアリスの声と彼女が指定のソファーに座った時のクッションから空気が抜ける小さな音が同時であった。


「深い意味はないけど。まぁ、これ以上あいつを混乱させないために、だよ」


ニヒルな笑みを浮かべて、ゆっくりと腰を降ろすと「さて」と区切りをつけるように眠りネズミはアリスを見た。


「これは俺が帽子屋に聞いた話だ。

帽子屋が何故知っているのか。それは俺の口かたは言えない。

けど紛れもない真実だ」



ほんの一瞬、緊張を促す間を作って眠りネズミは小さく息を吸い込み続ける。



「前にこの不思議の国の基盤となった物語を作った男の話はしたよな?」


覚えているのかの確認としての眠りネズミの言葉にアリスは深く頷いた。


それを見て、今やっと意を決したような目つきになった眠りネズミは発したのは同時にどこか呆れたような口調だった。



「それがお前の父親だよ」


聞いた瞬間がアリスは呆気にとられ、理解出来ずにいた様子だ。



「‘アリス’・・・は、アリスの母親の名前。

前話した時は省略した部分がある。

2人の短い幸せな時間に、アリスは子供を身ごもった。

もう少しで生まれるって時にアリスは不慮の事故で子供もろとも死んだんだよ」


「その子供が私・・・?」


「そう」



眠りネズミは一度、目を伏せて何かを言うか言うまいか、悩んでいるような素振りを見せた。


アリスはそれにすぐに気が付き、訝しげに「続きがあるの?」と尋ねる。



「こんなこと、言いいたくはないんだが・・・

お前さんが呼ばれる筈だった名前が確かに存在した。


だが、実際のところお前さんに名前はないんだ。

生まれなかったと同時に名前を呼ばれることは・・・なかったから、な」



ハッと気が付いたようにアリスは目を見開き、眉を寄せて受け入れられない現実に目を幾度も瞬かせる。


「アリス・・・」


眠りネズミは言い知れない罪悪感を感じた時のような声色で、なんとも頼りなく彼女の名前を呼んだ。


アリスは子供が駄々をこねるように幾度も首を左右に振る。



「聞きたくない!やめて!」


非道で残酷な剥奪者の影などこれっぽっちもない。


眠りネズミの前で聞きたくない現実を拒むのは、小さな小さな‘ただの平凡な少女’であった。



「アリス」


全身で拒否するアリスを宥めるような語調で呼びかける。


やさしく、やさしく。まるですぐ割れてしまうシャボン玉が目の前にあるような柔らかい声・・・


耳を両手で塞いで「いや、いや」と繰り返す彼女にはその声は聞こえない。


「アリス」


眠りネズミはそれでも呼びかける。


次は諭すような語調であった。


理性の糸が切れたアリスが子供のように叫ぶ心境は眠りネズミには理解し難いものだ。


それを知っていて、彼は再び呼びかけた。


幾度も幾度も、何度繰り返し呼んだかは分からない。


奇声と呟きが幾度も交わり交差する。


眠りネズミはその彼女を前に立ちあがって、ゆっくりとウッドデッキへと出て行く。


それでもアリスは奇声を上げることを止めなかった。


壊れた玩具のように、ただ首を左右に振って叫ぶだけ。


眠りネズミはその声と様子を背に感じながらゆっくりと帽子屋の背へ近づき、先ほど自分がされたように彼の頭を小突いた。


どうやら随分頭は冷えたような、そんな顔付きをして眠りネズミへと首だけ振り返る。



「おい、自分で言いだしたんだ。

責任取れよ」


眠りネズミは厳しい眼差しで帽子屋を見下ろしながら、親指で後ろにいるアリスの方を指す。


帽子屋は一つ、頷きゆっくりと立ち上がる。


ゆっくり確実に、一歩一歩が固い覚悟の音を刻むような足音が小さく響き、歩調も次第にしっかりしだしていく。


帽子屋はローテーブルを少し後ろに滑らせて、彼女の座るソファーとローテーブルの間にゆったりとした空間を作ると、そのに膝をついてアリスを見上げた。


帽子屋が前に来たことも気が付いていないのか、奇声は止まない。


そんな彼女を帽子屋は見つめて、目を細め微笑んだ。



「アリス」


眠りネズミが幾度もの呼びかけでは見せなかった声の色であった。


それは本当に愛おしい人にしか呼びかけることの出来ない語調であり、響きである。


声帯を通り、歯の間、唇、そこから紡がれる一息一息が愛に包まれた、言葉では到底表現出来ないそんな呼びかけ。


まるで必然のように、アリスはその声に耳を傾けた。


そっと両耳から手が離れて、合っていなかった視点は除々に帽子屋へと集まる。



「アリス」


次は子供を宥めるように呼ぶと共に、そっと彼女の左頬へと右手を添えた。


アリスの手がその手に応え、2人の手がそっと重なる。


眠りネズミはその様子を見て、呆れたようにため息をつくとキッチンから酒瓶を一本取り出し、一口ラッパ飲みをした後にウッドデッキへとそそくさと出て行ってしまう。


アリスはそんな眠りネズミを尻目に、ゆっくりと帽子屋の目を見た。


無遠慮な視線がお互いを覗きこむ。


その間の沈黙は決して恋人のように甘いとは言えない。


ただただ、そこにあるお互いの意思を確認するような沈黙であった。


帽子屋はゆっくりアリスの視線から自分の視線を外すと、呆気なく手を離しては彼女の頭へと置いた。



「落ち着いたか?」


「あ、うん。ありがとう」


先ほどの騒然としたリビングには帽子屋の声と共に平安が戻って来る。



「とりあえず俺はお前の傍にいるから、何かあったら俺を頼れ」


「何それ。告白みたい」


「まさか」


アリスにはキッチンへと背を向けた帽子屋の背が微笑んだ気がした。


帽子屋はいつもより少なめの酒瓶とグラスを手にどうやらウッドデッキへむかうらしい。



「飲むだろ?」


少しだけ酒瓶を掲げて尋ねた帽子屋にアリスは満足そうに微笑んだ。





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