終結への足音
招集がかかったのは、すぐであった。
思いつめた顔をしている帽子屋の雰囲気はいつもとどこか違っていて、招集の合図にも気が付いていない様子である。
「チェシャ猫。俺はこいつと残るわ。
他の管理人に言っておいてくれ」
その言葉に帽子屋は初めて、招集がかかっていることに知ったようだ。
チェシャ猫は怪訝そうな表情の後、眠りネズミはジッと見つめた。
「帽子屋サンのこと、お任せしても、よろしいのですね?」
何かを確認するような意味が含まれている。
それをはぐらかすように眠りネズミは笑って見せたが、それが逆効果だったらしい。
チェシャ猫は残念そうに首を左右に振り、眠りネズミから帽子屋を遠ざける。
「残念ですが・・・その言葉には応じられそうにありませんねぇ。
私はアナタを信用していませんので」
はっきりとした声はは明らかに疑いの色があり、その場にいた帽子屋と三月ウサギ、アリスはチェシャ猫の言葉に耳を疑った。
「その言葉そっくりそのまま返すぜ、バカ猫」
眠りネズミはチェシャ猫の手を引っ張り、自分に近づけさせると周りに聞こえないように耳打ちした。
「こいつ、ピアスを取ってやがる。
信用しろ、俺は帽子屋に危害は加えない」とだけ。
それで意味を理解したのか、ゆっくり眠りネズミから自発的に離れたチェシャ猫の目が酷く揺れていた。
「俺とお前の利害は一致している。
だから、行け」
犬でも追い払うように、三月ウサギとチェシャ猫に手を振る。
「ちょっ、僕にも分かるように話せ!
このままで仕事になんか行けるか!」
状況を理解出来ていない三月ウサギは全身で訴えるが、チェシャ猫はそんな彼女の手を取った。
「帰ってきたら教えてやるよ。気を付けてな」
眠りネズミの言葉とチェシャ猫のテレポートが同時であった。
ズーン
そんな効果音が聞こえてきそうなリビングに漂う、冷たく重たい沈黙。
中央のソファーで膝に肘をつき、俯いたままの帽子屋に眠りネズミは紅茶を出して、そっとウッドデッキへと出た。
日は温かい時間なのに、リビングは極寒のように冷え切った雰囲気だ。
アリスはそれに耐えかねたのか、何故落ち込んでいるのか分からない帽子屋を刺激しないよう気をつける素振り見せながらそっとウッドデッキへと出た。
2人の大きなため息が自然とやってきては止む気配を見せない。
眠りネズミは手すりに背を任せて、沈黙しながら煙草を吹かしている。
その表情にいつもの飄々さは感じられず、彼もどこか思いつめているようにも窺える。
アリスも沈黙してはいたが、把握出来ない状況にジッとしていられなかった。
ウッドデッキの端から端を行ったり来たり。
最初はそんなアリスを目の端に捉えていただけの眠りネズミだったが、あまりの鬱陶しさに手の中にあった新しい煙草を一本折ってしまう。
「あ~、やめろ」
彼にしては珍しく不機嫌な声にアリスはそっと眠りネズミを振り返る。
アリスの表情には怖気がにじみ出ていて、眠りネズミは彼女を見るなり、頭を掻きむしり舌打ちを一つ。
その舌打ちがアリスをもっと緊張させたことを知った眠りネズミは自分を落ち着かせるように大きく深呼吸を繰り返した後、中央の円卓へと歩を進める。
「ほら、座れよ」
いつもなら椅子を引いて、アリスを誘導してくれる彼は、その余裕すらなかったのか、自分が座った前を指差した。
アリスはそんな眠りネズミを一瞬だけ一瞥して、俯いた。
「あ~、ピリピリして悪かったって。
別に怒ってねーから。つーか、お前さんに怒る理由がねーわけだし」
漸く、アリスがそっと眠りネズミが座る前へと腰掛けるが、何故か背筋は伸びたまま前の男と目を合わせようとしない。
眠りネズミは今一度、自分の態度を思い返し苦笑すると、テーブルを挟んで座るアリスの手を引いてそっと包んだ。
「悪かったって。怖がらせたな」
殺気すら放っていたかもしれない眠りネズミの空気は、元剥奪者といっても今はただの不思議の国の住人であるアリスを恐怖させるには十分だったに違いない。
包まれた手の温かさに、その恐怖が和らいでいくのを感じたアリスがゆっくりと幾度か頷いた。
「ねぇ」
「ん?」
アリスの小さく呼びかけに眠りネズミは優しく応えた。
「何にも起こらないよね?」
小さな希望を交えた声色に眠りネズミはいつものように、はぐらかしはしない代わりに顔を曇らせた。
つい先程、はぐらかしたことにより不信を呷る結果になったこともそうだが、今前にいる彼女に嘘を付きたくないという心の表れでもあったのかもしれない。
アリスはアリスで、現実を知っていながら、前の彼であれば何もない、と笑い飛ばしてくれるだろうという希望的観測だったのだろう。
もし、眠りネズミが一時の安心を与えてしまったら、現実を目の前にした時、今の数倍の苦しみが待っている。
そうなることが知っているのなら尚更、前で弱弱しく現実を拒むアリスには覚悟を決めてもらわなければならない。
まさかアリスが眠りネズミの考えをそこまで分かっているとは思えないが、彼女は彼女なりに、少しずつ言葉を紡ぎだした。
「私ね、私がここにずっと大人しくいれば、皆はいつまでも変わらず幸せに笑ってくれると思ってた。
短い付き合いだし、どんな理由があったにしろ二代目剥奪者だし、出しゃばってると思われるかもしれないけど・・・
皆ともっとずっと、それこそ永遠に楽しくおかしく暮らして、それで私に最期の時が来たら、皆はちょっとだけ悲しんでくれて。
そうしてこのアリスのための物語は終わればいいなって。
皆もここでの役目は終わって、こんな国から解放されて、ね。
バカみたいでしょう?
そんな夢物語を抱いてたなんて・・・」
今にも泣きそうな自嘲の笑みを浮かべて、眠りネズミの瞳を見詰めた。
「アリス・・・お前・・・」
眠りネズミには何の言葉も思い浮かばない。
ただ唖然と前の壊れてしまいそうな少女を見つめることしか出来なかった。
そして、彼女が気付いている事実を知ってしまった。
「この国のこと・・・」
「うん、記憶取り戻してから分かったの。
ここは、この不思議の国は私を閉じ込めて消滅へと導く、私だけの為に用意された魂の焼却炉。
剥奪者が作り出した世界なんだから、剥奪者が責任持ちなさいってやつだよね。多分」
そう、この国はアリスの来訪と共に外の循環軌道から完全に閉ざされ、残った管理人は不思議の国の住人を片っ端から送っていたのだ。
そして迷い込んだ魂も還していた。
最終的にこの国にアリスだけを残すために。
この国の人口は底知れない。随分時間がかかるだろう、と予測はされていたが、今管理人の予想とは違う方向へと物語は進んでいることを2人は知っていた。
「受け入れたいと思うの」
言葉を失う眠りネズミにアリスは幾分、落ち着いた口調で続ける。
「今から何が起こっても、全部初代剥奪者が・・・
長が決めた運命だって、受け入れる」
大きな漆黒の澄んだ目がまるで聖母のようにそう語るが、次第にその瞳が酷く絶望に揺れ、涙をためて行く。
「っていうのは・・・ただの強がりだよ・・・
こんなの受け入れれるわけないよ・・・
確かに私は沢山の名前を奪ったかもしれない。
でもどこから間違えたの?私はただ、生まれて来れなかっただけなのに・・・
ねぇ、なんで・・・なんで・・・どうして・・・」
握ったアリスの手は震え、眠りネズミの手に大粒の涙が次から次へと落ちてくる。
眠りネズミも俯いては顔を歪めた。
「お前さんは悪くないよ。
お前さんが奪った存在は一つたりとも失われていない」
その言葉に涙の溜まった瞳がより一層大きく開かれ、驚きを示す。
開かれた瞳からは綺麗な雫がポトリ、と一粒落ちた。
「アリス。俺の言ったこと覚えてるか?
お前さんは自分の幸せを諦めちゃいけない」
アリスは返答が言葉にならなかったのか、必死に応えようと一つ頷いた。
「まだ諦めるには早すぎるだろう?
お前さんは何一つ、悪くない。
アリスはただ、この悪趣味な物語の主人公として巻き込まれただけだ。だからお前さんは何も悪くないんだよ」
本音からの言葉を紡ぐが、それは彼女にとって何の慰めにはならないだろう。
しかし、彼は何かを言葉にしなければやるせない自分の気持ちを形にした。
お互いに感じとった、沈黙が訪れる絶対的な予感を打ち破ったのは、眠りネズミの頭を小突いた帽子屋の存在であった。
「お前の言葉には説得力がねぇんだよ」
どこから持ってきたのか、木製で合わせたテーブルと2人の座る椅子には不釣り合いの豪奢な椅子を引きずり、2人の間にドンっと鎮座する。
先ほどまでそれこそ闇へと引きずり込まれそうなほど落ち込んでいた帽子屋の登場にアリスは目を瞬かせながら、その表情には少しの安堵が窺える。
眠りネズミも目尻を下げながら、どこか安心した笑みを浮かべた。
「アリス。俺が出来る約束を一つだけしてやる」
帽子屋は眠りネズミを一瞥した後、アリスの瞳を真っ向から見つめて、ふてぶてしい態度のまま声色だけ真摯に言い放った。
アリスは答えないが、合わさった視線だけはその言葉の続きを要求しているようだ。
「俺はお前を見捨てない。必ず守ってやる。
いいか?忘れるな?
俺が死ぬことがない限り、お前は最後まで足掻き続けろ」
何を根拠にそんなことが言えるのか、アリスにも眠りネズミにも全くわからなかったが、そこはっきりとした物言いには確信めいたものが込められてあった。
信用してもいい。
心がそう認める何かがあったとアリスが感じた。




