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「あ~、なんだろう・・・」
いつの間にか再び眠っていたようだった。
目が覚めると、外はすでに日が落ち切っている。夜のようだ。
「懐かしいなぁ。あの頃は良かった」
どんな日でも過ぎ去れば、全ていい思い出とは言うものの、彼女にとっては3人で過ごした日々がそても充実していたように思える。
―――そういえば、あの後・・・長に呼ばれた理由を尋ねた気がする。しかし知らないということは教えてくれなかったのだろう。
一体彼は長とどんな話をしたのか―――
乾いた喉を潤すために、いつも勝手に使っている白ウサギの冷蔵庫から水を取り出し、コップに並々注ぐと、一気に飲みほした。
何時頃なのだろう、と執務室へ向かうと、明かりはまだ付けられていてそろそろ10時と4分の1ほど進んでいる。
「お~い、白ウサギ?」
辺りを見渡すが白ウサギの姿が見当たらない。
明かりを付けたまま外出するような性格でないころは知っている。
部屋をぐるりと回ると、先ほどの場所からは死角になっていたソファーで眠っていた。
三月ウサギはベッドを使っていたため、ここで眠ったと思うと途端申し訳なくなってしまい、けれどこんなに熟睡している彼を起こすのも憚られる。
仕方なく、ベッドから掛け布団を持ってきて彼の上へとかけてやった。
そして明かりを消し、「ありがとう」と聞こえないだろうが一応感謝を述べて、部屋を出た。
彼女が出たと同時に白ウサギはぱちり、と目を開ける。
仮眠のつもりだったため、眠りが浅かった彼は、実は三月ウサギが起きたと同じくらいに目を覚ましていた。
が、ぼーっとしていたため彼女が部屋へと来た途端、何故か狸寝入りをしてしまったのだ。
好意を寄せる彼女に寝起きの顔を見られたくなかったのかもしれないが、だからといって寝顔を見せるのはどうか、と狸寝入りを決め込んだ自分にツッコミを入れる。
しかしそれは功を奏した。
まさか彼女が自分に気をつかって掛け布団をかけてくれるなど・・・
酔った彼女をこれ見よがしに、介抱すると名乗り出た下心に罪悪感がなかったわけでもないのだが・・・
白ウサギが三月ウサギに好意を寄せている、ということはあまり知られていない事実である。
三月ウサギが眠りネズミに好意を寄せている、ということが広く知られているために、上手く隠れているのかもしれない。
とりあえず結果が良かったためいいか、と自己完結して、彼女が被せてくれた布団を頭まで被った。
最後に聞こえた「ありがとう」も彼にとってはにやけてしまう程、嬉しかったのである。
三月ウサギがそんな彼の気持ちを知ることは一切ないのだろう。
こんな高ぶった気持ちでは、もやは仕事は手に付かない。
彼は淡い想いに浸りながら、再び目を閉じた。
午後11時30分を過ぎたところ。
帽子屋はウッドデッキで一人、月を見上げながら煙草をふかしていた。
つい先ほどまで、部屋で大暴れしていた眠りネズミは夢の中である。
眠りネズミは飲みすぎると眠ってしまう方で、チェシャ猫はこれまたタチが悪かった。
いつも以上に絡んでくるわ、人の紅茶に色んな種類のお酒を投入するわ、で何杯紅茶を無駄にしたかわからない。
しかしチェシャ猫とあんなに親しく話したのは最初であり、多分今回が最後になるだろう。
眠りネズミは、帽子屋とチェシャ猫が話す度に気に食わない表情をしていたのは知っていたが、帽子屋にはその表情が謎のまま解き明かされることはなく、チェシャ猫もそれを知っているようだった。
まさか、ヤキモチを焼いていたわけではあるまい。
そんな幼稚な感情を彼は持ち合わせてはいないだろう。
とにかく帽子屋とチェシャ猫が楽しく会話しているのが気に食わなかったようだ。
そんな彼の眠気には勝てずに先に眠ってしまうと、チェシャ猫は一旦、アルコールを置き、ウッドデッキへと帽子屋を誘った。
―――夜風にあたりませんか?
体が火照っているのも事実で、何より断る理由もない。
ウッドデッキの手すりに体重を任せて、まるで子供がするように遠くを眺めるチェシャ猫。
その後ろでは円卓に灰皿を置き、木製の椅子に腰かけた帽子屋。
2人の間に会話はない。
もともと、お互いそれほど好いている仲でもなかったわけだから、この距離間がいつも通りで、先ほどまでがイレギュラーだっただけの話だ。
「心地の良い風ですねぇ」
ふとチェシャ猫が彼方を見つめたまま、誰となく言った。
答えてやる義理はなかったが、「そうだな」とだけ呟いてみる。
するとチェシャ猫はクスクスと笑い始め、帽子屋は眉を寄せる。
「今日は、いつになく優しいですねぇ」
手すりに凭れたまま、振り返り言った。
コイツも酔うんだな、と心の中で呟きながら、前の男の紅潮した頬を見る。
「お前に場所を聞き出した見返りだ。有難く思え」
「その傲慢なところも、横暴なところも・・・素直じゃないところも・・・
アナタはかわりませんねぇ」
帽子屋はその言葉を聞いて咄嗟に後ろを振り返るが、そこにはぐっすり眠っている眠りネズミが見えるだけ。
「おい、言葉を慎め。
ああ言った手前、聞かれたらどうする?」
「大丈夫ですよ」
前の男が大丈夫というのだから、大丈夫なのだろう。
何故かそういう確信はあった。
深々とため息を一つ。煙草を一度吹かす。
「お前は・・・随分と変わったな」
「それは・・・ねぇ?
変わらなかったら、反対に大変ですよ~?」
「どうやって管理人になった?」
「企業秘密です~」
夜に栄える白い指がそっと彼の口に当てられる。
「まぁ、どうでもいいがな」
妙に腹がたって、そう言い捨てると新しい煙草に火をつけた。
チェシャ猫は空を見上げ始め、帽子屋は変わらず何を考えるではなく煙草を吹かす。
「帽子屋サン」
ふと空を見上げたまま、前の男の呼びかけに、そっと視線だけそちらへと向けた。
「そろそろ・・・夢は終わりですねぇ」
清々しそうにも、切なそうにも聞こえる声色。
「そうだな」
そう答えた帽子屋だったが、一拍置いて言い直すように続けた。
「悪かったな」
何故か謝罪を述べる帽子屋にチェシャ猫は今までになく怪訝そうな顔をした。
「どうしましたぁ?何かたくらみでも思いついたんですかぁ?」
何に謝っているのか。気付いていてチェシャ猫ははぐらかすように冗談めかした。
目はいつも帽子屋をからかうように弧を描き、口元にもボンヤリと笑いを含ませる。
「いや、なんでもない」
「まぁ、気持ちだけ受け取っておきますよ。
私にアナタを責める理由はないんですから・・・
所詮、私は良く立たずな猫ですし」
にゃあ、と猫の鳴き真似をして再び、空気をはぐらかせた。
ふと、チェシャ猫は本当に猫の目のようにキョロキョロし始めると、そそくさと帽子屋の隣を通り抜けて、部屋へと戻って行く。
「おい、どうした?」
「お客様ですよ、アナタに。
なので私は退散します~。ベッドお借りしますねぇ」
「あっ!おい!
俺の部屋で寝るなよ!」
思わず煙草を持っていた方の手で、チェシャ猫に訴えるが、ちらりと後ろを気にしただけで彼はそのまま中へと入っていった。
追いかけるのも面倒だったので、そのまま深く背凭れに凭れ、その客とやらの来訪を待つことにした。
「帽子屋」
すぐに訪れた来客の声はよく知る、幼さ抜けない声色だった。




