ルイス・キャロル
男はイギリス生まれの飛びぬけた才能を持つ数学者だった。
数学だけではなく、写真家でもあったし、論理学者、作家、詩人でもあった。
それも後の世界に多大な影響を及ぼすような作品を沢山残して行った。
まぁ、俺から言わせたら、ただの変態の変人だがな。
もとからどうしようもない目立ちたがり屋、自己顕示欲の塊みたいな男で、人の前に立つのが大好きだったし、歌もうまかったらしい。
その男、ルイス・キャロルが特別に贔屓していたのが、リデル3姉妹だ。
中でも次女であったアリス・リデルにはとても執着を示して、アリスもルイスを慕っていた。
そんなアリスが10歳の時、彼女が自分の物語を書いてくれと強請った。
勿論、ルイスに断る理由はない。
これがまた単純な男で、アリスのお願いが嬉しくてか、徹夜して出来たのが、不思議の国のアリスの始まり。
おかしいだろ?今や世界で一位二位を争う書籍、そしてこのくだらない世界のモチーフとなった作品が・・・ただ一人叶わぬ恋の相手へ捧げた、彼女のためだけの物語だったんだ。
そうさ、ルイスは自分より幾分年下の少女が好きだった。
中でもアリスは特別だったようだ。
男がおかしいことに周りの大人はすぐに気が付いた。
まぁ、凡人には天才を理解出来ない、ともいうしな。
だからリデル夫人はアリスをルイスから遠ざけて、会わないようにしたんだ。
けれどもルイスはアリスのための物語の続きを書いた。
そうして、随分と月日がたったある日、2人は偶然再会した。
最初には気が付かないほど、アリスは変わって、大人の女性になっていた。
9年という長い月日がたっていたからな。
けれど、ルイスの書いた‘物語のアリス’はまだ10歳のままだ。
ルイスは現実と物語のギャップについていけなくなった。
元からイカれてた男だったが、アリスに恋人がいるという事実を知って、壊れたのさ。
アリスを無理やり奪うほどの、度胸はない臆病者でもあった。
しかも相手が国の第3皇子ときたら、手を出すことも出来ねぇ。
まっ、平民のアリスと一国の皇子が結ばれるなんて、それこそお伽噺のようなことはなかったがな。
現実の前でどうしようもないことと知っておきながら、アリスは苦しみ傷ついた。
卑怯な男だ、そこを狙ったのさ。
ルイスは今度こそ無理やりアリスを奪った。既に壊れてたんだろうな。
しかしアリスは彼から逃げるどころか、そんな男を受け入れ愛した。
そうして結ばれた2人が幸せな時間を送ったのは僅かな時間だけだった。
「アリスが死んで、おしまい?」
ずっと黙っていたアリスが眠りネズミが言う筈の結末を先に言った。
眠りネズミは思わぬ声に苦笑を洩らす。
「まぁ、そんなところだ。
ここで狂ったルイスがアリスを撃ち抜いた、なら少しは物語として成り立ちそうだが。
アリスを失った理由は、つまらない・・・不慮の事故という、とてもつまらない理由さ」
「在り来たりでつまらない人生ね。
でも、なんでだろう。その人といたら楽しいかもって、そう思ったかも」
「こりゃあ、さすがアリスの名前を貰っただけある。
ひとつ間違えてれば、お前さんが‘アリス’だったかもな」
冗談混じりの言葉にアリスはクスクスと笑い声をたてた。
「まぁ、まだ続きがあるんだ。
ルイス・キャロル。まぁ、ちゃんと本名があるんだが。
その男は、自分がアリスと時間を共にしたこと自体を悔やんだ。
自分がアリスに執着しなければ、アリスは幸せになっていた。
自分がアリスと出会っていなければ、よかった。
そこに剥奪者が表れ、ゲームを提案したんだ。
しかしだな。俺の知る限り、ルイスと初代剥奪者がしたゲームはお前さんが知っているのとは、少し違っていた」
「違っていた?運命を変える代わりに名前という存在をかけるっていうゲームじゃなくて?」
「ああ。全く趣旨が違っていた。
その悪趣味なゲームを持ちかけたのは剥奪者の方らしいが」
「焦らさないでよ。なんなの?」
「おっと。もう6時だ。
悪いな、アリス。帽子屋が帰って来た」
帽子屋の真似をして、まるでその瞬間を見計らったように帽子屋がリビングの扉を開けた。
「眠りネズミさん。騙したわね」
「騙したなんで人聞きの悪い。
俺はお前さんが楽しめる物語を話しただけさ。
さぁ、お子様はネンネの時間だぜ」
「気になって眠れないじゃないの~」
2人の会話を飲みこめない帽子屋は、とりあえず一人仕事に駆り出されたストレスを2人にぶつけることにした。
「うるせぇ!
てめぇら、俺が仕事から帰って来たって言うのに、労いの言葉一つもねぇのか!?」
大声で怒鳴り散らした帽子屋に2人はキョトンと呆気にくれている。
「おかえりなさい~。ぼうしやさん」
羅列の回らない‘演技’をして、アリスは幼い笑顔を弾けさせた。
「おう、お疲れ。帽子屋」
その傍らでは興味が薄そうに眠りネズミが軽く手を上げて、一応労いの言葉をくれてやった。
「死ね。お前ら!
つーか、アリス!てめぇ、俺が出かける前も演技だったなぁ!?」
「なんのことですかぁ?沸点の低い帽子屋サン?」
「猫の真似をするなぁ!」
アリスの言ったように相変わらず沸点の低い帽子屋を面白がりながら、アリスはわざとらしく欠伸をした。
「私、結構飲んだからもう寝るね~。
お子様はお休みの時間だし・・・」
ちらり、と眠りネズミを一瞥すると、バツが悪そうに頭を掻いた。
誰の返答も待たずに立ち上がったアリスはキッチンへと水をコップに汲んで、扉に手を掛ける。その背を帽子屋が呼びとめた。
可愛らしい微笑みとともに傾げられた首は少しだけ、後ろへと振り向く。
「おやすみ。良い夢を」
ゆっくり歩み寄り、ポンと手を置きながら帽子屋はそう呟いた。
「うん。また明日ね。
おやすみなさい~」
アリスは空いた手で2人に手を振ると、扉の向こうへと消えて行った。
※ルイス・キャロルの説明にて一部ノンフィクションのことを書いていますが、実在の人物とは全く関係ありません。




