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前には既に酔って白ウサギに介抱されている三月ウサギや、公爵夫人にこき使われているロウ。
一人、部屋の隅のソファーに腰掛け、煙草を吹かしながら紅茶を入れている帽子屋に中央でシャンパンを飲みながらチェシャ猫と何やら真剣な面持ちで話しているフロッグ。
お茶会もそろそろお開きと雰囲気が告げている。
「元から協調性のないヤローどもの集まりだけど、今回も騒いだのは最初だけだったな」
呆れた声とは裏腹に愛おしそうに部屋全体を見つめる眠りネズミは立ち上がりながらそう言った。
「眠りネズミさんは・・・三月ウサギさんの気持ちには応えてあげないんだね」
アリスの少し切なげな声色に彼は驚いて、彼女を見た。
「こりゃあ、驚いた。
気が付いてたのか」
「まぁ、私も一応は女だからね」
アリスはウインクとともにいいやる。
「記憶が戻ったせいか、ちょっと雰囲気変わったな」
「私?」
「ちょっとだけ色気が出た」
「そんなこと言うから三月ウサギさんにセクハラとか言われるんだよ」
「俺は正直に褒めてるだけなんだがなぁ」
眠りネズミは困った時に良くする癖で頭を掻く。
「でも、ありがとう」
「ん?」
「私のこと知っていても、親しくしてくれて・・・」
「だたの監視、なのにか?」
「それでもただの監視がこんなに親しくしてれるの?」
「さぁ?俺はアリスちゃんみたいな素敵な女の子は大好きだからなぁ」
はぐらかす眠りネズミにアリスはふふっと小さく笑った。
眠りネズミはアリスに合わせるように、小さく笑った後、白ウサギに介抱される三月ウサギを目の端に捉える。
「まぁ、さっきの話だが・・・
それであいつは納得してるんだよ。だからいいんだ」
彼の言葉に次はアリスが驚いて、彼を見つめた。
「どうして分かるの?」
「あいつだけが、俺の過去を知ってる」
ずっと三月ウサギを捉え続ける瞳は見た事ないくらいに優しい眼差しであった。
「おっと、チェシャ猫が帽子屋に絡みだしたな。
ちょいと行くわ」
確かにそこには帽子屋が座るソファーの後ろからチョッカイを出し始めているチェシャ猫の姿。
眠りネズミは煙草を消して、壁から離れ数歩足を向かわせた先で思いついたように振り返った。
「そうだ、一つだけ言わせてくれるか?」
「何?」
「諦めるなよ、自分の幸せを」
微笑みと共に言われた彼の言葉は・・・
「眠りネズミさんに一番似合わない言葉ね」
「俺も言ってから思った」
お互いに失笑しながら、アリスは眠りネズミの背を少しだけ見つめ、部屋の中央へと移動した。
「フロッグさん」
そう呼びかけた青年と話をするために。
「アリス様」
少しだけ顔を顰められたアリスは申し訳なさそうに苦笑する。
「ごめん。なんか余計なこと言っちゃったみたいで・・・」
「いえ、私もそのことについては記憶を封じていたんで、少し混乱しただけです」
「それでもごめん」
小さく頭を垂れたアリスにフロッグは困ったように目尻を下げると、そっと彼女の両肩に手を置いた。
「私の考えが浅かったんですよ。
自己犠牲なんてただの自己満足であることを、あの日の私は気付けずにいた。
それほどあまりに若く、姉の最期を看取ることから逃げていた。
本当は・・・姉が限られた命であっても、最後まで傍にいてあげるべきだったんです」
フロッグの告白にアリスは目を見開き彼を見つめた。
「それに・・・ここに辿りついた私ですが、すぐに管理人に救われました」
「そっか。気付けて良かった」
「はい」
失礼します、と先にフロッグは踵を返してアリスの元から立ち去った。
アリスは何か言い知れぬ空しさを感じて、その場に立ちつくしていたが、部屋の片隅からした大きな音に肩が跳ねる。
嫌な予感がして、そっとそちらへ振り向くと、案の定喧嘩に発展している帽子屋とチェシャ猫、それを止めようと被害を受けている眠りネズミがいた。
「まったく、野蛮な人たちですわね」
「ホント仲良いよね、あの2人」
隣へと並んだ公爵夫人の怒りと呆れが混じった声にアリスは頷きながら呟く。
そこへ白ウサギがやってきて、アリスと公爵夫人に一礼する。
「申し訳ないんですが、三月ウサギさんがあの調子なので、先に城へ帰っておきますね?」
元はそんなに弱くない三月ウサギだが、雰囲気に酔って、ピッチの速さを誤ったのだろう、と白ウサギの背を見送る公爵夫人が付け足した。
白ウサギと三月ウサギが退室し、公爵夫人もロウとフロッグを連れて屋敷へと帰還すると挨拶しにやってきた。
未だに止まない喧嘩を尻目にアリスは公爵夫人より遣わされた使用人たちが片づけてくれるのをただ見守っていた。
しばらくすると疲れたのか、帽子屋とチェシャ猫はソファーに座ってピクリとも動かなくなり、一気に老けた眠りネズミがアリスの元へやってきた。
「お疲れさま」
労いの言葉に苦笑を浮かべた彼は椅子を持ってきて、腰を降ろす。
「全く、あいつらどうにかならねぇのか」
「公爵夫人にも言ったけど、仲良いよね」
アリスの言葉に眠りネズミは拍子の抜けた表情で彼女を見上げた。
「アリスにはそう見えんのか?」
「え?違うの?」
「いや、仲はいいんだろうけどよ」
納得いかないと言った様子で眠りネズミは煙草を吹かし始めた。
アリスはそんな彼の様子に首を傾げ、これからこの広い屋敷でどうしたものかと一人考え出した。
「元気ですねぇ、帽子屋サン」
「うるせぇ。お前が絡んでくるからだろう」
息を切らしながら、隣に並んで座った2人は未だに口喧嘩をしていた。
乱闘をした後にもかかわらず、涼しげな顔のチェシャ猫を帽子屋はもの凄い剣幕で睨みながら言い返す。
「もう、頼むから・・・俺にかまうな」
「構ってませんよ~。ただ私が疲れたから、近くにあったソファーに座ろうとした所に、たまたま、アナタが座っていただけです」
「それをわざと、って言うんだよ!
しかも部屋の中央からぜんっぜん近くねぇだろ!」
「おや?」
上半身だけ振り返っては部屋の中央を指した帽子屋にチェシャ猫はワザとらしく首を傾げる。
「まぁまぁ、落ち着いてお茶でも飲んだらどうですかぁ?」
「俺が落ち着きないみたいに言うな。
お前が来るまでは優雅にお茶の時間を楽しんでいたんだ」
舌打ちを一つ、お茶を注ぎ直した帽子屋。
チェシャ猫はただ帽子屋の様子を黙って見つめている。
「んだよ、用がないなら俺の視界に入ってくんな」
横に座っているため、嫌でも目の端に入るチェシャ猫に帽子屋は言いながら、カップに大量の砂糖を入れる。
「糖尿病になりますよ?」
「うるせぇ!俺の言葉が聞こえなかったのか!」
「私ももう年なんで・・・」
凄む帽子屋に対して相変わらずさらりと涼しげに返すチェシャ猫。
まるで拗ねて親に八つ当たりをしている子供、のような絵柄で喋れば喋るほど疲れるのは帽子屋だけになっている。
「もういい」
大きなため息と諦めた口調の彼に、チェシャ猫は席をたった。
「さて、私はアリス君に挨拶をして、帰りますね」
あっさりと立ち上がり、背を向けたチェシャ猫に、帽子屋は怪訝そうな顔つきで彼を呼びとめる。
「おい、バカ猫」
「はい?」
声だけで呼びとめた帽子屋の視線はカップに止まったままで、そんな彼へと優雅な立ち振る舞いで振り返ったチェシャ猫は首を傾げた。
二の句を告げない帽子屋に少し歩み寄ると、腰を屈めて耳打ちの態勢を取る。
「大丈夫。アリス君に八つ当たりをするほど、私は子供じゃあありませんよ。
まぁ、彼女がお茶会を開くのは今日が最初で最後には、なりそうですが・・・ね?」
その低くも軽い声色に帽子屋は眉を寄せて、チェシャ猫の顔を間近で睨んだ。
睨まれた彼はなんともなかったように微笑むと、さっと踵を返してしまう。
そんな背をもう止めることのなかった帽子屋は、震える手でカップを持ちあげた。
「大丈夫か?」
ふとチェシャ猫が去った反対側から声がして、同時に震える手をそっと包まれカップをそっと取り上げられた。
「お前のお気に入りのカップなんだろう?落としたら大変だ」
そんなことを知っているのは眠りネズミだけであった。
彼はゆっくり帽子屋のソファーへと腰を降ろすと、帽子屋の前へ手を差し出す。
それは煙草の催促だ。
帽子屋は煙草を二本取り出して、眠りネズミに渡した後、自分も咥え、眠りネズミに火を付けてやろうとした。
だが、眠りネズミはそのライターを帽子屋の手から取ると、自分がつけてやるというように、帽子屋の加える煙草に火をつける。
「猫になんか言われたか?」
自分も火をつけて、煙を肺一杯に吸い込む沈黙の後に彼は尋ねた。
2人分の大量の副流煙がソファーの周りに漂う。
「また、アリスのお茶会、したいな。みんなで・・・」
帽子屋がぽつりと呟く。
眠りネズミはその呟きをちゃんと聞きながら、どこか遠くを見つめるようにした後、そのニヒルな表情は失笑へと変わった。
「お前にそんな泣きごと言わせるなんて・・・
アリスはすげーやつだな」
「まぁ、な・・・」
「さすが・・・」
「言うなよ、本人には」
「勿論。これは物語の最後に明らかになる最大のネタバレ、だからな」
「あれ?どうしたの?なんかシリアスな場面だった?」
そこにアリスが介入する。
2人の間から顔を覗かせたアリスに眠りネズミは微笑む。
「アリスちゃん。そんなに近いとチューしたくなるから・・・」
「悪い、やっぱり友人は返上する」
眠りネズミに銃を突きつけながら、帽子屋はガンを飛ばす様子にアリスは呆れ、眠りネズミは両手を上げて、頭を下げる。
「帽子屋さん。いい加減眠りネズミさんの冗談になれたら?」
「慣れてたまるか」
宥めるように言ったアリスに帽子屋はすぐに反駁すると立ち上がり、煙草を灰皿に押し付けた。
「ほら、帰るぞ。眠りネズミ」
「あっ?お、おう。
でもアリスちゃんは?」
渋々立ち上がる眠りネズミは後ろのアリスを一瞥する。
「ああ、俺達は今から帰って飲み直す。
お前の家は別にここだけじゃあないだろう?
帰ってきたきゃ、勝手に帰ってこい」
既に扉の方へ歩み出していた帽子屋は振り返らず、歩みも止めずに言い放つ。
そんな彼の背を見ながら、2人は一瞬呆気にとられた後、お互い顔を合わせて失笑した。
「ったく、来てほしいなら素直に言えばいいのにな・・・」
眠りネズミの言葉が聞こえたのか定かではないが、帽子屋は不自然に帽子を深く被り直す動作をして玄関へと続く扉を開けた。




