アリスのお茶会
―――そうだ、記憶をなくしながらも何度も思い出しそうになった記憶・・・
それは有りふれたスラム街の路地裏。木箱の積み重ねられた上に私が座っていたら一人の青年が私を見上げて、懇願するように見つめて来た。
ああ、この子は私を見付けたのか、と顔のまで被るフードを少しずらして青年の顔を見つめた。
暗い路地裏でも美しく輝く銀髪と綺麗な顔をした青年。
身なりもそれなりにキチンとしていて、青年が私も見付けたことを最初は疑問に思った。
私も見付けることの出来るものの大抵は明日生きられるかどうか、と切羽詰まった種類の人間ばかりで、そんな人間の願いのほとんどは人生を変える‘金’であった。
しかしこの青年はなんだろう?
「アナタの願い、叶えてあげましょうか?」
いつもの言葉を呟く。
「対価はアナタの存在をかけた私とのゲーム。
そのゲームに勝てばアナタの願いを一つ、叶えてあげるわ。
でも負けたら、アナタの名前を頂く」
「いい」
青年はまっすぐに私を見つめて言い放った。
「俺の存在は諦めるから・・・
願いだけ聞いてくれ」
今までの人間とは違う種類の人間だと分かった。
彼には自分の幸せよりも優先したいものが・・・
自分を捨ててまでも幸せにしたい誰かがいるのだろう。
「頼む。存在でも名前でもなんでもくれてやるから、姉さんを助けてくれ!」
膝を地について泣き叫ぶような青年の声が路地裏に響く。
「分かったわ。叶えてあげましょう、アナタの願い」
それが私の狩った最後の名前。
青年の名は確か―――・・・
天井が近い。
違う。見慣れない天蓋だ。
天蓋の内側に刻まれたレリーフは見覚えがあるものだった。
いつもより頭がはっきりして、まるで今まで夢を見ていたように頭が軽い。
「そうか。だから私はアリスか・・・」
全てを納得したような落ち着いたアリスの声色が誰もいない部屋に空しく響いた。
ゆっくりと起きあがり、部屋を見渡す。
おそらく城のどこかなのだろう。
公爵夫人の屋敷にあったレリーフと番をなす蝶のレリーフからそう彼女は推測した。
視界がいつもよりクリアに映る。
まだこの国にきて2週間ほどしかたっていないというのに、慣れ親しんだような空気が彼女の全身を取り巻いていた。
そこに見計らったようなノックの音。
「失礼します」
数日見なかっただけで懐かしく思える顔があった。
「フロッグ」
「御無沙汰しております。アリス様」
銀髪に整った顔。柔らかい物腰に左耳に光る管理人である証のピアス。
「アラン・ヴァルセーナ・レグナード」
ゆっくり、確かめるような声色とアリスの透き通るような視線にフロッグは目を見開き、自然と一歩退いた。
アリスの瞳はゆっくりからかうように細められ、口は弧を描かれる。どこか妖艶さを感じさせる表情。
「私が剥奪者として、最後に狩った名前よ」
フロッグは顔に驚愕と恐怖を交えた色を浮かべて、咄嗟に踵を返して部屋を出て行こうとしたが、それは彼の後方からやってきた人影によって阻まれた。
「どうかしたのか?フロッグ」
やってきたのは相変わらず眠たそうに欠伸をする眠りネズミであった。
「あっ、いえ。少し用を思い出したので失礼します」
フロッグはそっとアリスを一瞥して部屋を出て行く。
「おう、3日?ぶりだな。
倒れたって聞いたけど、大丈夫か?」
「うん。私、どれくらい寝てたの?」
「ん~、俺らが帰って来たのが昨日の夕方だから約一日?
今、昼すぎだし」
彼は部屋の時計を指差すと、そこには13時前を指す時計。
「寝すぎでしょ、私」
「寝る子は育つんだよ」
惰眠を貪るのが好きな彼はアリスを責めることはなく、反対に肯定の意を示した。
「さて、起きてすぐになんだが・・・」
眠りネズミに手招きされ、部屋の入り口に行くと外には三月ウサギの姿。
彼女の姿にアリスは思わず、三月ウサギを抱きしめようとするが、それを予測していた三月ウサギは眠りネズミの背後に隠れて、それを避ける。
「あれ?ここって、お城じゃないの?」
「お~、さすが俺のアリス。
レリーフに気が付いたのか」
‘俺の’発言に反応した三月ウサギは後ろから彼の脛を狙って、一度蹴りを入れるが、眠りネズミはそれを間一髪の所で交わして、三月ウサギを持ちあげた。
「とりあえずついて来いよ、アリス」
離せ、とバタつく三月ウサギを所謂お姫様抱っこしながら先を進む彼にアリスは小首を傾げながら、その背に続いた。
眠りネズミの背を追いながら、色んな絵画や花瓶が並べられた廊下を見渡すが、そこは彼女の知るどこでもなかった。
広さは帽子屋の家の倍はあるだろう。ならば一体どこなのか。
その疑問はすぐに理解へと変わることになる。
廊下をまっすぐ進むと、大きな観音扉にさしかかり、漸く三月ウサギを降ろした眠りネズミはその扉を開いて、アリスに入るように促した。
途端、小さな破裂音が数回。
「ようこそ、アリス」
彩られた広い部屋と立食用のテーブルか沢山並び、扉の周りには彼女の見知った顔が全員正装の姿でクラッカーを鳴らしていた。
「え・・・、え?」
戸惑う彼女に眠りネズミは部屋の真ん中に促す。
そこにはシャンパンタワーが設置されていて、彼がアリスを担ぎ、肩へ座らせると、隣から帽子屋が透明な液体の入ったフルボトルを差しだした。
「ほら、注げよ」と帽子屋に言われ、そっとタワーのてっぺんに注ぐと綺麗に下へとシャンパンが泡を立てながら伝って行く。
全て注ぎ終わり、未だに戸惑いを見せる彼女をゆっくりと降ろした眠りネズミと帽子屋を交互にみて、アリスは説明を求める。
そこに割り入って入るように公爵夫人が訪れると恭しく挨拶をした。
「遅くなりましたが」と前置きをする。
「ようこそ、不思議の国へ。アリス」
バラバラであったが、数人の声が重なった。
「ここが、アナタの家ですわ。
用意するのに時間がかかってしまって申し訳ありません」
「え?ここが!?
広すぎないですか!?」
誰かの屋敷なのだろう、と思っていた彼女はまさか自分に当てられた家だと聞いて、分かりやすく驚愕を示した。
「使用人も付けてくれるそうだ。
これで家事の心配はないな」
嫌みったらしく上からそう見下ろして、鼻で笑う帽子屋に、アリスは一睨みきかせ、そっぽ向く。
そんな彼女の手を引いたのが三月ウサギと、隣にいた白ウサギであった。
「とりあえずは・・・」と三月ウサギ。
「アリスのお茶会です」続けて白ウサギが楽しそうにアリスへと微笑みかける。
お茶会と称しながら、初っ端から先ほどのシャンパンに手を付け出した男性陣。
テーブルに並ぶ料理の数々はアリスが眠っている間にシェフとともに帽子屋が腕を振るったのだと眠りネズミが教えてくれて、さっきの言葉が許してやろうとアリスは思った。
まるで夢の一ページのような時間が過ぎて行く。
自分のために開いてくれたパーティーにアリスは、最初は照れていたものの、次第に雰囲気に乗り、皆とともにお酒を嗜みながら、あっという間に時間が過ぎて行った。
「どうですか?楽しんでいますかぁ?」
チェシャ猫が話しかけてきたのは、珍しくお茶会も終盤に差し掛かった時であった。
「あれ?チェシャさん」
「すみませんねぇ。少し急用が入って、少し前に来たんですよ」
グラスを片手に謝罪の意を述べたチェシャ猫と何故かそんな彼を訝しげに見たアリス。
「なんです~?」
「いや、チェシャさんってこの国に来る前に会ったことってあったっけ?って思って・・・」
「ないですねぇ」
アリスの問いにチェシャ猫は間髪いれずに断言した。
「本当に?」
「疑うんですかぁ?」
芝居がかった口調にアリスは怪しそうに大きく頷くと、「おや」と一言チェシャ猫は肩を竦めた。
「アリス君に嘘をついたことありましたっけ?」
質問で返されたアリスは思い返して見て首を傾げる。
「分かんない」
「まぁ、これは本当ですよ。
アナタと私は会ったことありません。
他の方なら、もしかしたらあり得ることもないかもしれませんが・・・」
「そっか」
チェシャ猫の言葉に納得したように頷いたアリスの後ろをチェシャ猫は見やった。
「おやおや、アリス君の保護者の帽子屋サンがこわ~い顔で睨んでますので、私は退散します~」
さっさと踵を返したチェシャ猫の言った通り、後ろを振り返った方には帽子屋が不機嫌そうな表情でこちらを見据えていた。
「何の話してたんだ?」
「こんな強面の保護者は嫌」
思わずそう言ったアリスに帽子屋は加えていた煙草を吹かした。
「は?こっちだってお前の保護者なんか願い下げだ。
監視してねぇと何仕出かすかわかんねぇだろ、お前は・・・」
そう言ってヤニ臭い指で額をつつかれたアリスは嫌そうな顔でその手を払う。
「別に頼んでないんですけど~」
「陛下の命令だ。こっちだって面倒くせぇから嫌なんだよ。
ほんと可愛くねぇな」
「可愛くなくて結構です~」
べーっと舌を出したアリスに帽子屋は眉を寄せる。
「こらこら、痴話喧嘩なら余所でやってくれよ。お二人さん」
そこに仲介に入ったのは眠りネズミだ。
「いいねぇ、妬けるねぇ」
「お前の目が腐ってんじゃねぇのか?このどこか痴話喧嘩に見えるんだ」
テーブルに設けられてあった灰皿に煙草を押しつけ、忌々しそうに言いやると、眠りネズミはアリスを見ながら目を瞬かせた。
「どっからどう見ても痴話喧嘩だよ。犬も、いや、ネズミも食わないってやつだ」
「お前、もう一度国語勉強しなおしてこい」
「アリスちゃん~。優しいジェントルマンとお話しね~?」
帽子屋の言葉を無視して、彼はアリスの肩を抱いた。
眠りネズミはそのままアリスと帽子屋の隣を通り、その時そっと耳打ちをする。
「帰ったら飲み直そうぜ」
そんな言葉に帽子屋は失笑を一つ、新しい煙草をくわえた。
「悪いな、アリス。
あいつは間の悪い男でな。パーティーの前に色々あったんだわ」
「そうなの?別にいつもと変わらなかった気がするけど」
「なら、いいんだけど・・・」
眠りネズミは帽子屋と同じ銘柄の煙草を取り出して、火を付ける。
「ねぇ、眠りネズミさん」
灰皿が置かれているテーブルに届く位置にあった壁に眠りネズミは背を預け座りこむと、アリスを見上げた。
「私ね、皆のこと帽子屋さんから聞いたよ」
「ああ、知ってるよ。
管理人のことだろ?」
「うん。後、自分の記憶も取り戻した」
「ああ、それも皆知ってる」
「そっか」
触れ合う距離の2人に短い沈黙が訪れた。




