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lullaby  作者: 伯耆
29/52

返還









帽子屋が自分の気まぐれに後悔することになるのには、そう時間がかからなかった。


街へと出かけて早3時間。



あちらこちらへと引っ張りまわされたのは、大目に見てもいいだろう。しかし・・・



「あいつ、どこいった」



アリスとはぐれていた。



「あんの田舎もん」



ぶつぶつと小言を言いながら、辺りを探して見るが見当たらない。


帽子屋は深いため息を一つ吐いて、「チェシャ猫」と小さく呼びかけた。



「いるんだろう?出て来い」



その声に答えるように、カメレオンのように景色と同化していたかと思うほど、どこからともなくチェシャ猫が表れる。



「まったく~、私は便利屋じゃありませんよ?」


「あのバカ探せ」


「相変わらずのお転婆さんのようで・・・

少しお待ちください?」


「ああ」



チェシャ猫が鈴を一つ鳴らしは姿を消すと、帽子屋は近くの小さなベンチに腰掛けた。


当のアリスが帽子屋と逸れたことに気が付いたのは、しばらくしてであった。


それは彼女が舞い上がって、帽子屋の先をどんどん進んでいた為である。


気が付いた時には既に一人の状態で、そこは薄暗い路地裏。


前に注意されたことを思い出すが、確か路地裏は危険だと言っていた記憶がある。



アリスはせめて大通りに出てると誰か知っている人に会うんじゃないかという淡い期待を胸にゆっくりと歩み出した。



すると突き当たりの角を曲がった先には薄暗い路地裏に光が差し込んでいる。


迷路のようなこの路地裏の出口だ、と思いアリスが駆けて路地を出ると、なんとも言えない感触が頬を伝う。



最後の一歩がまるでスローモーションのようにゆっくり、はっきり着地した。



違和感に気が付いて、辺りを見渡すと、周りは淡く光る七色の光が乱れるように光っている。


振り返るが先ほどの道はない。


七色の光に包まれて、まるで雲の上にいるような錯覚を覚えさせる、そんな所であった。




戸惑うアリスはとにかく一歩を踏みだす。



すると周りの景色が一変。



心地よい風が吹き通る丘陵へと様変わりした。


障害物が一つも見当たらない丘陵のてっぺんには大樹が影を作っていて、そこに少女が2人いることに気が付く。



「ねぇ、あなたたち・・・」



歩み寄ろうとすると、また景色が一変。


騒音の鳴り響く住宅街。



一歩踏み出す度に景色が変わることを知ったアリスは、そっと後退してみるが、勿論、先ほどの丘陵に戻ることはなく、変わった景色は真っ暗な狭い路地。



そして女性の笑い声。



アリスはその笑い声がした方向へと目を凝らした。



黒いフードを被った女性が、高く積まれた木箱の上に足を組んで腰かけている。


その手前にはそんな女性を見上げる若い男性の姿。





「アナタの願い、叶えてあげましょうか?」





良く知っている声だ。


闇溶けそうな漆黒の髪が被られたフードから垣間見え、大きく意思の強そうな瞳は妖艶に弧を描かれている。


前の景色から逃れるようにアリスは再び一歩、二歩と後退した。


一瞬にして色んな景色へと移り変わり、色んなものへとたどり着く。



「ぃやっ・・・」



恐怖に身が竦み、後ろへとバランスを崩しそうになったが、その先には壁があった。


壁へと背を預け、ずるずると座りこんでしまう。



「平気か?」



声がした方を見上げると、赤い髪をだらしなく垂らした若い男。


その瞳は彼女の良く知る猫のように奥が読めない、そんな瞳をしていた。


低いテノールのボイスと赤く揺れる長い髪。


だらしなく引きずるサンダルに着崩した洋服。




知っていた。




「誰―――?」


「我を忘れたのか?汝に名と存在意義をくれてやった我を・・・」




意識が朦朧をしてきた彼女を見降ろしながら、肩にかけているローブを腰までずらしてそのまま腰に手を充てた。



「哀れな子よ。長に存在を認めてもらえなかった堕ちた子よ。

全て思い出すがいい。余興はこれからなのじゃからのぅ」



男はそう言って目を弧に描くと、ローブをアリスの頭へと無造作にかけた。



「汝は血塗るられし罪深き子よ。

己が業の深さを忘れるでない」









―――二代目剥奪者よ・・・・









「なん、の・・・こと?」




ローブに阻まれた視界で声がした方へと顔を上げようとするが、意識が途切れて行く。


それを許さないかのように、男はローブを彼女から外すと、そっと彼女の額に手をふれた。




刹那、走馬灯のように記憶が彼女の頭へと巡る。




「ゃっ・・・、いやぁぁぁぁああ!」




アリスの絶叫と、男のうすら笑い、最後に聞こえたのは聞きなれた懐かしい鈴の音。












「まったく・・・」




アリスの絶叫に急いで駆けてきたのはチェシャ猫であった。


焦点の合っていない彼女の視界を奪うように両手で顔を包むと、彼女は糸の切れた人形のように意識をなくした。



「これは・・・」



チェシャ猫はアリスの足元に落ちているローブを拾い上げ、忌々しげに顔を顰めた後、彼女を抱きあげる。



「まさかこんなにも早く自分の記憶に辿りつくとは・・・


まぁ、ここは記憶の溜まり場のようなものですから当たり前ですかぁ。

剥奪者に名を奪われた人間の、ね」




チェシャ猫は手にとっていたローブを投げ捨てると、踵を返してその場から消えた。



時間からして10分とたっていないだろう。


どこからかの路地裏からアリスを抱えたチェシャ猫が姿を現したのは・・・




「大丈夫なのか!?」




ベンチが立ち上がり、アリスを抱えるチェシャ猫の元へ駆けよる帽子屋に、チェシャ猫はため息と共に、乱暴にアリスを彼へと引き渡した。



「国の外へ足を踏み入れてしまっていたようです。

発狂しそうになっていましたから、意識を飛ばしましたが・・・」


「国の外だと!?」


「ええ、どこかの路地の道が何かしらの拍子で外に繋がったのかも知れなせんねぇ」


「そんなこと聞いたことが・・・」




チェシャ猫は何かを模索するように目を伏せて、帽子屋へと近づくと、ふと額に手を充てた。



「私が見たローブです」



チェシャ猫の記憶を垣間見た帽子屋は眉を顰める。



「あの男が動き出したのか」


「ええ、この国に潜んでいることは知っていましたが・・・

まさか自ら動きを見せるとは思っていませんでした。

この国は壊れ始めている。彼女の来訪とともに・・・」



帽子屋の傍を通り抜けたチェシャ猫が姿を消す直前に帽子屋は彼を呼びとめる。


「ああ、一つ言い忘れていましたが・・・」



帽子屋が切り出す前に、チェシャ猫が振り返らず帽子屋の背へと言った。



「もうすぐ皆さんが帰って来るようです。

また、城でお会いしましょう」












私は名前も持たずに生まれた。


いや、生まれることすら出来なかった中途半端な魂だった。


誰かに名前を呼ばれることすらなく、また延々と続くような長い軌道へと魂を預ける。


そう思っていたところにあの男の声が私へと呼びかけたのだ。






―――さぁ、おいで




と。



燃えるような、それでいて血のような深く赤い髪。


その頃はまだ顔もはっきり見えるくらいに短かった記憶がある。



男は名前を名乗らなかった。代わりに自分は‘剥奪者’だと言った。



白いローブを肩にかけ、常に格好はだらしがなく、長い袖と長いズボンの裾を引きずって歩いているイメージが強い。




私の魂はその男に拾われた。



別について行く必要はなかった。また軌道に乗って何年も先で人間として生まれるだろうという予測はあった。



しかし、何年もの眠りは苦痛でもある。



私は気まぐれに男に付いて行き、二代目剥奪者として育てられた。


男についていて分かったというよりも、本能的に感じ取ったことがいくつかあった。


彼はあまりに繊細で、この永久の時を生きるという状態に耐えられなかったのだ。





帽子屋が口にした‘管理人’


私が疑うこともなく、彼ら‘管理人’の傍に身をおき任せたのは、男と似たものを感じていたからなのかもしれない。



だから今になっては予測の範囲でこう思う。


初代剥奪者は多分、元は管理人側の存在だった。


なにをどう間違えて、管理する筈の人間の名前を奪おうという考えに至ったのかまではわからないが、何かが・・・そう、あまりにも長い時間が彼を狂わせたのかも知れない。



「ねぇ、もしかしてこれって」


「なんじゃ?」


「アナタの暇つぶしなんじゃない?」



どこだったかは分からない。


確か、珍しく男が出かけるといって、どこか見覚えのあるような景色の良い丘に連れて行ってくれた記憶がある。


私はそう問うと、男が目を瞬かせた後、高笑いを上げた。



「汝はほんに、物おじせぬ娘じゃのぅ。

そんな所もあやつに似て、憎たらしい」


「あやつ?ってか、答えてよ」


「パパと呼んだら答えてやってもよい」


「じゃあ、いいわ」



剥奪者とは何なのか。


私は彼から色んなことを習った。


名前とは人間そのものの存在を指す。


勿論、人間が自ら名前という存在を捨てることはないし、出来ない。


しかし剥奪者とはそれを奪うことが出来る、というもの。


何故、彼が私を選んだのか。


何が目的で彼がそんなことをするのか。


私は聞かなかったし、どうせ聞いたところで彼は答えないことを知っていた。




どんなに長い間、一緒にいたかは分からない。


人間世界を観察していて、30年くらいだろうと勝手に思っていた。



「我は、汝のこと好きじゃぞ。

勿論、育ての親として・・・じゃが」



良く2人でいる人間世界とその上にある世界の狭間で、男は唐突に私の背へと告げた。


その頃には髪は腰まで長くなっていたと思う。


私も正直、この男のことは嫌いではなかったが、実は胸の奥底に男に対する言い知れぬ恐怖感もあったことは事実だ。



「何よ、いきなり。気持ち悪い」


そう突き放すと、良くする高笑いを一つ上げて、一瞬だけ悲しそうな目をしたものだから、咄嗟に私は狼狽てしまった。



「まぁ、汝を選んだことは間違いではなかったと我は自負しておるぞ」


最近どこかで手にいれたという扇子で仰ぎながら、彼は自信ありげに笑っていた。


そんな矢先、彼は唐突に私の前から姿を消した。






数日なら良くあることであったが、姿をくらまして一年たった時。


ああ、もう彼は戻らないんだな、ということを理解した。


まるでいつの間にか巣立った鳥のような気分がして、ほんの少しだけ寂しかったのを覚えている。



私を剥奪者としたのはあの男。


私がそう存在する必要はなくなったのかも知れない。


もう一度、魂の軌道へと戻れるのなら戻って、訪れるであろう来世で人間として暮らしたいという願望も胸に抱きはじめていた。




けれど、そんな私を制するように男は一度だけ、姿を現し―――




「汝はもう、本来あるべき所には戻れぬ。

汝は我と同じく、穢れ堕ちた魂じゃ。数多の魂の居場所を奪い、穢した。

愚かな子よ、汝の居場所は我といたそこにしかないことを知るがよい」




脅迫じみた呪いの言葉だけを残して行った。



その時になって、自分が彼に唆され、やってきた行いがどれだけ罪深いことなのかを思い知らされた。


そして彼がいなくなって初めて、私は一体何者なのか、という疑問に辿りついたのだ。


人間でもなければ、ましてや神と等しい存在といったわけでもない。


しかし人間が欲した時、私がその人間との繋がりを欲した時に人間には私の姿が見えて繋がりが持てる。


それはまるで幽霊、いや悪魔のような存在にも思えた。



だから私は自分の居場所を求めて、相変わらず人間と取引を続けていた。






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