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既に祭りの気配すらもなくなった薄暗い道を楽しそうに歩くアリスへと帽子屋は幾度か振り返ると、何度目かの曲がり角で立ち止り、余所見をしていたアリスはその背にぶつかる。
「アリス」
そう囁かれ、帽子屋が振り返ったと同時に抱きしめられたと理解した瞬間、脳天に響く銃声がした。
彼女は振り返る暇もなく、何故か遠のく意識の片隅で帽子屋の表情を垣間見た。
そこには彼女の知る彼ではなく、冷徹な‘管理人の帽子屋’がただアリスの後ろを見据え、その口はアリスへと囁いたのだ。
―――良い夢を、アリス。
「いやはや、勘違いしていないようで助かりますよ。帽子屋サン?」
帽子屋は眠ったアリスを抱き抱えながら、後ろからした声に眉を寄せて、漆黒の銃を右側の腰にあるフォルダーへと慣れた手つきで仕舞った。
「これは俺の仕事じゃないだろう?
お前、自分の領分くらい守れよ」
「だってアナタの道具の方が闇夜には便利ですし。
アリスを守るナイト気分でも味あわせてやろうかと思いましてねぇ?」
「ふざける暇があるなら、こいつを家まで運べ」
帽子屋はいつもとは違い冷静にチェシャ猫との会話を成立させながら、アリスをチェシャ猫へと引き渡す。
「おや?アナタは?」
「ついでに仕事を終わらせてくる。
どうせ、明日も街に付き合わされる羽目になるだろうしな」
そう言って、優しい表情でアリスを見た帽子屋にチェシャ猫は気に食わない、と書かれたような表情をした。
そんなチェシャ猫の気持ちを読み取ってか、帽子屋は踵を返すと来た道を帰りながらチェシャ猫へと告げる。
「大丈夫だ。俺は自分の立場を理解している」
「なら、いいんですよ」
帽子屋が闇にい姿を消すのと、チェシャ猫が帽子屋の家へと消えるのは同時であった。
カーテンに遮られた日差しとだるい体。
頭は鉛にように重く、鈍い痛みが走り、喉が異常に乾いている。
そんな最悪な目覚めであった。
これがかの有名な二日酔いか。
この国に来て初体験な出来ごとに妙な自己分析をしながら、ゆっくり起きあがり、重い足をキッチンへと向かわせる。
「気分悪くないだけ、マシかな」
カクテル三杯で次の日に響くとは、自分でも思っていたが、やはりお酒には強くないようだ。
と、アリスは次からの教訓にしようと私室からキッチンへと向かう間に決心した。
キッチンから見えるリビングの時計はまだ朝の5時過ぎを差していた。
コップに水を一杯入れて、アリス専用へと生まれ変わった一人掛けのソファーへと腰を降ろす。
そこで漸く気が付いたが、L字のソファーには帽子屋がいつもの服装にコートを脱いだだけの格好で眠っていた。
疲れているのか、いつもなら眠っていてもアリスが近づくと目が覚める彼も爆睡したまま目を覚ます気配がない。
アリスは持っていたカップをテーブルに置き、ソファーで眠ってしまう人用にリビングに常備している薄手の掛け布団をかけてやると、再びソファーへと腰を降ろしたアリスは昨日のことをふと振り返った。
バーから出て、彼の背にぶつかり、抱きしめられた途端の銃声。
そして遠のいた意識に次に目が覚めた時にはもう帽子屋の家にいた。
今さらそんなことで驚く彼女ではなくなっていたが、解せないことがないわけでもない。
あの銃声は、彼がアリスの後ろを見据えていたことから、アリスの後ろの誰かを狙って撃たれたものだったのだろう。
それはお婆さんの時とは違った銃声にも聞こえた。
帽子屋がレティシアと呼んで送ったお婆さんの時は、銃声でももっと高くて、それでいて優しい音であったが
昨日の意識が途切れる前の音は、まるで獣が獲物へと飛び付くような、残酷で激しい音であった。
そして、一番違ったのは帽子屋の表情だ。
見た事のない残酷で冷徹な顔。
思い出しただけで寒気がするような恐怖すら感じる表情であったが、彼はその表情のまま優しい声で彼女へと祈りの言葉を告げた。
アリスは一言一句を思い出すために目を伏せた。
自分には知らなくていいことなんだろう。
そう彼女は思っていたし、それが当たり前であり、世の中の正解とも言えるものなどいうことも知っていた。
しかし同時に近くにいる管理人のことについて知りたい。
この国の詳しい設定というものや、構成について知りたい。
そう思う自分もいることをアリスは感じていた。
彼の言葉が本当ならば短くて100年。
それが彼女の猶予期間であり、記憶を取り戻すまでに与えられた魂の消費期限でもあった。
その間に記憶を取り戻したのならば、それでいいがこの国のことも管理人のことを知らずに、多分彼らとはさよならになるだろう。
しかし記憶が戻らなければ、色んな意味で本当に‘さよなら’なのだ。
「まぁ、考えすぎか・・・」
アリスは水を一気に飲み干すは立ち上がる。
「そう言えば・・・」
帽子屋の寝顔を見たことがない。
それに気が付いて、そっと彼の顔を覗きこむ。
彼の肉体年齢がどれくらいなのかアリスは知らなかった。
しかし、眠る彼はいつもより表情が安らかで幼い。
「いつもこんな表情してたら、モテると思うんだけどなぁ」
ふと思ったことを口に出して言う。
まぁ、彼はそれを望まないだろう、と心の中で付け足した。
彼女はそのまま、私室へ帰ってもう一寝入りしようと立ち去ろうとしたが「アリス・・・」と小さく帽子屋が呟いた。
起きていたのかと思わず身を固くして振り返るが、そこには先ほどと同じくスヤスヤ眠る帽子屋。
「寝言?」
何故、寝言で自分の名前を呼ぶのか。
「どんな夢見てんのよ」
訝しげに眠っている彼に告げるが勿論、返答するわけもなく、さっさとリビングを出て行った。
次に彼女が目を覚ましたのは丁度正午になろうかという時間になっていた。
その頃には頭痛はすっかり治まっていて、少し体にダルさが残っている程度であった。
そしてベッドから出た瞬間、派手にお腹が鳴る。
「朝から元気だな。
その様子じゃあ、デブ街道まっしぐらなんじゃあないか?」
扉にはいつの間にか帽子屋がいた。
「ちょっと!勝手に入ってこないでよ」
「起こしにきてやったんだろうが」
「一応、ノックするとかあるでしょう?」
「ここは俺の家だ。俺がルールだ」
アリスの最もな反駁に、もやは言い返す余地もない言葉で彼女の呆れさせた帽子屋。
「ほら、軽めの昼食作って置いた。
腹、減ってるんだろう?」
そうして、お決まりのお食事タイムに突入するのであった。
彼の作る料理は文句のつけどころがないくらいに美味しい。
否、家事全般が出来ないアリスにとって食事を作ってくれる彼の料理が少々不味かろうが、文句を言える立場ではないのだが。
おまけに前で優雅に新聞を読みながら、珈琲を啜る男は、見た目と違って家事全般を粗相なくこなす上に割と器用で細かい。
主夫とはこういう人をいうのだろう、としみじみアリスは感じていた。
ちなみに今日の昼食はチーズと玉ねぎのオムレツにサイドサラダ、クリームチャウダースープに焼き立てのパンとグラタン。
彼の気分なのだろう今日は珈琲と、山盛りにされている角砂糖が妙に目立ち、その隣にはベリーのパイが切り分けられている。
基本、好き嫌いのない彼女には毎回豪華で美味しい料理は幸せ満喫できる時間なのだが、その度に思っていたことがある。
何故、この男は毎回食べきれない量の料理を作るのか。
そこが非常に疑問であった。
時々、食卓に残りもの(ほとんど自分の好きな甘いもの部類だが)が並ぶことはあったが、ほとんどは残った料理はその後、姿を見せずにいた。
もしや捨てているのか、と疑問に思ったこともあるが、細かく実は倹約家な彼がそんなことをするはずがない。
どこかでそう信じていたアリスは中々聞きだせずにいた。
「ん?どうした?」
目の前のオムレツを真剣に見つめながら手を動かさないアリスを新聞越しに見た帽子屋が訝しげに尋ねる。
「なんだ?太るって言ったこと気にしてるのか?」
「うっ・・・、それもあるけど・・・」
「なら、心配するな。
お前はもう少し太れ」
そう言って、手に取ったフォークでアリスを指した。
これも彼女が毎回思うことだが、帽子屋は行儀が悪い。
今のようにフォークやスプーンで人を指すことはしょっちゅうであり、酷い時はソファーの前に設けられたテーブルに足を乗せる始末。
昨日のバーでも思ったが、せめて指で指すくらいなら我慢できるものの、グラスの底で人を指すとはどういうことだ、と彼女は思っていた。
しかし彼女が言ったところで、帽子屋が直すとは到底思えなかったので黙っているのだ。
そんな楽しい昼食が終わり、いつものようにゴロゴロしていると、片づけを終わった帽子屋がコートと帽子を被り、出かける準備を始めた。
「お前、少しは片づけ手伝おうと思わないのか?」
「あれ?あっ、そっか。仕事だもんね」
「スルーするな」
既にリビングの扉の前へといる帽子屋の呆れた声がしたが、アリスは気にしない。
「暇だから早く帰ってきてね~」
帽子屋が先ほど呼んでいた新聞に目を通しながら、彼を見ずに適当に手を振る。
そのまま出て行くだろうと思われだが、足音が近づいてきて新聞を取り上げられたアリスは目を丸くして帽子屋を見上げた。
「せっかく昨日の内に仕事終わらせて、お子様の相手してやろうと思ってたが・・・
行かないのから、俺は寝る」
言いながら、コートを脱ぎ始めた帽子屋に、一瞬言葉を理解出来ていなかったアリスが慌てて、立ちあがった。
「行く!行きます!」
「なら、さっさと着替えて来い」
アリスは駆け足で二階へと上がる為にリビングの扉に手をかけるが、ふと帽子屋へと振り返る。
「なんか帽子屋さんが優しいと気持ち悪いけど・・・
何かたくらんでる?」
「あ~、やっぱりナシの方向にするかぁ」
「あっ、今のなし!5分だけ待って!」
そうして、10分後降りて来たアリスに小言の一つも言わずに帽子屋とアリスは家を出た。




