真実
「三月ウサギさん!?」
デスクで仕事をしていた白ウサギの元へ扉を開く大きなな音を響かせて、三月ウサギが飛び入ってきた。
突然の予想もしていなかった来客に白ウサギは驚愕し、椅子から立ち上がる。
足元が覚束ない彼女の様子を察して、すぐに支えるように彼女の元へ駆けよると、異変の原因にすぐ気が付いた。
「お酒を呑まれたんですか?
顔を赤いですし」
息が切れている彼女はどうやら走ってきたのだと窺える。
彼女は一人酒をするような性格でないことを白ウサギは承知していて、となれば帽子屋の家しかないのだが、どう考えても遠すぎる距離を走ってきたとは考えにくかった。
―――チェシャ猫、ですかね?
ふと、あのいけすかない顔を頭の隅に過らせる。
とにかく弱っている三月ウサギをソファーに座らせて、水を持ってくるとそのグラスを彼女に持たせた。
「また日も落ち切っていないのに、こんなに飲んで・・・
帽子屋さんたちと飲んでいたんですか?」
こくり、と頷く彼女に冷水で濡らしたタオルを渡すと、三月ウサギは顔に押し当てた。
「いきなり、ごめん」
「構いませんよ。
それより、アナタが私のところに来るなんて、余程のことがない限り・・・」
「なぁ?迷惑ついでに・・・お前を利用するような真似、していいか?」
三月ウサギは俯きながら、震えた声で尋ねる。
そんな彼女の‘お願い’を白ウサギが断れる筈がない。
「ええ。
アナタになら私はいくらだって利用されてもいいんです」
そっと彼女の隣に腰かけ、優しく答えた。
途端、三月ウサギは子供のように、わんわんと声を上げ、泣き始めたのだ。
突然のことで白ウサギは驚いたが、すぐに自分の腕の中で泣く小さな体をそっと抱き締めた。
「大丈夫ですよ、大丈夫」
白ウサギは呪文のようにその言葉をかけながら、彼女が落ち着くまで子供をあやす様にずっとそうしていた。
「あ~、しぬ~」
リビングのソファーからガラガラに乾いた声が弱弱しく訴えた。
昨夜、ウッドデッキで開けたブランデーが空になった後、帽子屋はそれで終いにしたが、眠りネズミはその後に結局ウイスキーに突入したのだ。
あの量のアルコール、しかもチャンポンにすれば二日酔いはお約束であり、まさに今彼はそうなっていた。
「ぎぶんわるぐて・・・しぬ~」
「死ね!吐くならトイレ行けよ!」
帽子屋も頭痛に悩まされながら、昨日散々散らかしたキッチンの片づけをしていた。
彼の座るテーブルには一応水は置いてあるものの、大分気分が悪いようで手を付ける気配はない。
「一応、鎮痛薬だ。
少しはマシになるだろう」
帽子屋は寝たままの眠りネズミに薬を渡す。
ゆっくりと水で流し込み、苦しそうに立ちあがった。
「悪いな、ママ」
「冗談言える元気があるなら、大丈夫だな。
自分の部屋で寝とけ」
「ああ。
あっ、そう言えば三月ウサギ、もう起きたのか?
昨日、知らない内に二階に上がってたみたいだけど」
平然を装って尋ねる眠りネズミを見て、先ほどまでのは半分演技だったことを理解した。
「ああ、お前が起きる前に仕事に行った」
「へぇ~、相変わらず強いね~
女のくせに」
毒づいた後、やはり気分悪いのには変わりないようで、うぷっとゲップじみた声と共に口を抑える眠りネズミに、帽子屋は呆れて追い打ちをかける。
「誰かさんは、その酒に強いアイツのことを、酒の飲み方も知らないお子様とか言ってたけどな」
「え~、それはどこのネズミさんでしょうか~」
「いいから、さっさと上がれ。
掃除の邪魔だ」
眠りネズミを二階に上がらせた帽子屋は昨日のことを思い出していた。
日がすっかり暮れ、知らない内にソファーからいなくなっていた三月ウサギが二階に上がって寝たものだと2人は考えていた。
二階の空き部屋は三月ウサギが泊まるためにある部屋のようでもあったからだ。
しかし眠りネズミがイビキを掻きながら、ソファーで爆睡した頃、静かに開けられたリビングの扉の向こうには目を腫らした三月ウサギの姿があった。
その手には見覚えのある標が刺繍されたハンカチ。
帽子屋は三月ウサギが白ウサギの元へ行き、そして先ほどまで泣いていたことを知った。
何故、泣くに至ったのか。
考えずとも理解した。
「お前・・・まさか・・・」
「ん?どうしたんだよ?」
腫らした目で何事もなかったように振る舞いながら、キッチンの冷蔵庫から水を取り出した。
「なんだ。眠りネズミ酔い潰れたのか?ダッセー」
明らかに狼狽する帽子屋を気に留めず、水だけ飲むとすぐにリビングから立ち去ろうとする彼女。
「おい、ちょっと待て」
帽子屋は思わず彼女の腕を掴んでいた。
「離して!」
振り払いながら拒否したその声は、三月ウサギからは聞き慣れない女性のものであった。
ハッと気まずい表情で振り返った彼女は自嘲気味に少し笑う。
「ごめん」
「大丈夫か?」
心配そうに声をかけるそれは、いつもとは違い、前で弱っている女性に対して発せられた言葉だった。
「うん。このことはアイツには黙っててくれな」
「三月ウサギ?」
「だって、僕だけなんか・・・かっこ悪いだろ?
80年も一緒にいたんだから、分かってた筈なのに・・・さ」
刹那の沈黙を置いた帽子屋は、彼女の性格を十分理解していたため、それ以上は何も言わずに頷いた。
「ああ、わかった」
泣きそうに顔を歪ませた彼女を帽子屋はそっと胸へと収めて、その頭を軽く撫でた。
すぐに解放すると、彼女を見て幾度か頷く。
「三月ウサギ。
おやすみ、良い夢を」
最後に一度だけ、ポンと頭に手を置く。
「ありがと。帽子屋もね」
それだけ言うと、すぐに踵を返して二階へと上がって行ったのだ。




