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帽子屋宅はリビングの引き違い窓を開けると、比較的広いウッドデッキが設けられてあった。
そこには一つだけ円卓が設けられてあって、帽子屋は面倒くさがりながらも、テーブルに置かれてあった諸々をワゴンへと移すと、ウッドデッキのテーブルの横へと付けた。
「まぁ、この国のセンスがある点は5月4日ってところだな」
眠りネズミは吹き抜ける丁度良い風を浴びながら、両腕上げて大きく伸びをする。
その隣で木製のテーブルにグラスだけ置いて、これまた木製の椅子に足を組んで腰かけた帽子屋は日が沈む丘陵を眺めながら伸びをする男の背に尋ねた。
「水割りでいいか?」
「ああ」
眠りネズミと自分の分の水割りを作り、彼が座るだろう椅子の前にグラスを滑らす。
「ほんと、ここはつまらねぇ国だな」
夕日を眺めたままの眠りネズミの声だ。
「そうだな」
帽子屋がグラスを傾けると、カランと氷が涼しげな音が響かせた。
「今回のこと、誰があんな悪質な噂をたてたんだろうな。
アリスを食らえば、この国から出られる、なんて・・・」
テーブルに肘を付きながら、グラスを眺める帽子屋が独り言のように呟く。
そのグラスからは太陽の赤が反射して、眩しく輝いている。
「誰でもないだろう。
全てはこの不思議の国のせいだ。
そうしときゃ、楽なんじゃねーか?」
「そうだな。
三月ウサギの様子から、上も今回の騒ぎにはあまり目を止めていないようだしな」
「上は上で、まぁ・・・色々と忙しいんじゃねぇの?」
意味深な言い方に対して、帽子屋の言い分を窺うように、彼はフェンスの手すりに凭れ、帽子屋へと振り返った。
そんな男の行動を尻目に感じながら、グラスから目を離さない。
「三月ウサギにも言われた。
俺は長の手の上で踊っているだけだ、と・・・」
「おー、もしかして自覚なかったのか?」
「まさか。
それに俺についているお前らも人のこと言えないだろう?」
「まぁ、それもそう・・・だな」
眠りネズミは欠伸をしながら、ゆっくりと帽子屋と向かい合う椅子に腰かけた。
「俺は、運の良いほうだと自覚している。
それが例え、運命と位置づけられた必然であったとしても、だ」
「おうおう。
帽子屋、やっぱりお前は乙女思考だ」
グラスの底を帽子屋へと振りながらいう彼に、帽子屋は怒るわけではなく、可笑しそうに笑った。
「でもまぁ、その気持ちは・・・
誰かを愛したことのない人間には・・・俺にはわかんねぇのかもなぁ」
「おいおい。あまりピッチが速いと悪酔いするぞ」
「はいはい、ママ」
「ママ言うな」
「だって、することも言うこともママだろ?」
条件反射のように反駁した帽子屋に、当たり前の如く返した眠りネズミ。
帽子屋はそんな彼に眉根を寄せながら、ため息を一つつき、前の男と目を合わせないようにグラスへと視線を注ぐ。
「お前の母親だけはごめんだ」
「それはさすがに凹むぞ」
明らかに視線を逸らされて、言われた言葉に眠りネズミは珍しくムッとした表情をあらわにしたが、そんな彼の表情を見なかったが、いつもとは明らかに違った声色に対して、帽子屋はすぐに返答する。
「最後まで聞け。
俺はお前の親友って位置が落ち着くんだよ」
グラスからゆっくりと眠りネズミへ視線が移され、帽子屋をかち合った視線に彼は驚きに目を少し開いた後、照れたのを隠すように高笑いを響かせた。
その笑いを楽しむかのように、帽子屋も微笑みながら彼に酒を注ぐ。
「こっぱずかしいやつだなぁ。
でも、まぁ・・・悪くない友人だ」
「当たり前だ」
ふん、と笑い帽子屋は一旦、グラスをテーブルに置いた。
眠りネズミもそれに倣い、背凭れに凭れると、ゆっくり息を吸って言葉を紡ぐ。
「俺はな・・・
俺には誰かを愛するなんて大それた想いを抱く資格なんてないんだ。
だから、‘アイツ’のことも・・・知ってても、答える気はない。
俺は、人と同じものを与えられちゃあいけないんだ。
だから、帽子屋。
友人もお前さんが最初で最後だ」
「そうか」
帽子屋は眠りネズミの言葉を肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ彼の想いとして受け止めたようだった。
「お前は俺の過去を知ってるが、俺はお前の過去を知らない。
だが、お前がそう答えを出したのなら、それでいいんじゃねぇか?」
「気が合う友人で良かったよ」
「ああ、でもな。
一つだけお前に言っておく」
まるで釘を指す様に、眠りネズミの注意を引くように、故意にも思える沈黙が流れた。
ゆっくり帽子屋が息を吸い込む。
「‘この物語’が完結した後も・・・お前は変わらずここにいろよ」
帽子屋の言葉に呼応するように、一陣の風が2人の間を吹き抜け、眠りネズミはその一瞬に眉を寄せたかと思えば、目を伏せたち、幾度か目を瞬かせたりもした。
「それは・・・どう解釈すれば正解なんだ?」
やっと見付けた言葉で返答すつが、帽子屋はゆっくりと首を傾げる。
「さぁな」
どうやら、答え合わせはないらしい。
眠りネズミは幾度か頷き、グラスを呷った後、満足気なため息を吐き出した。
「まぁ、心配するなよ。
お前にはとっておきの切り札があるだろう?」
眠りネズミは少なくなったブランデーのグラスを揺らしながら、ニヒルな笑みを浮かべた。
「切り札?そんなもの・・・」
「お前の切り札は俺だ。最高だろう?まっ、俺様を信用としとけって」
そう言いのけた彼に帽子屋は「信用してるよ」と微笑んだ。
「何はともあれ」
眠りネズミは一息ついて、背凭れから起きあがると氷が溶けた帽子屋のグラスにブランデーをギリギリまで注ぐ。
「おっ、おい!」
「仕切り直しだ。
ほら、グラス上げろよ」
「どう考えても零れるだろ」
「いいからいいから」
「お前、後で誰が掃除すると思って・・・」
帽子屋は呆れながらもグラスも上げると、グラスのぶつかる景気の良い音がした。
「この退屈で平和な毎日の終わりに・・・乾杯!」




