一章
1
まず、『青泉直』という名前を見つけた。
そのすぐ隣に『白野沙羅華』という名前があるのを見て、あたしは生まれて初めて教師に感謝した。名簿を二列に分けてくれてありがとう。
「あたしは運命っていうの、わりと信じる方なんだよな」
クラス分けの掲示を見てあたしが呟くと、すなおは九回ウラに逆転サヨナラホームランでも打ったみたいに笑った。
「さらかちゃんが運命なんて言うと、それだけで面白いね。あははっ、乙女って感じ」
すなおが笑うのも無理はない。運命なんて乙女っぽい言葉はあたしの柄じゃないんだ。でも、そんな言葉しか浮かばないくらいに状況は出来過ぎていた。保育園から小中学校、そしてこうして高校に至るまで、あたしとすなおは常に同じクラスだ。運命の赤い糸は誰にも切れないらしい。
「いいじゃん、べつに」
あたしが不貞腐れても、すなおは相変わらず小さな肩を揺らして笑っていた。ふわふわとボブヘアーが揺れて、すなおの甘い香りが辺りに漂う。
心底ばかにされているのがわかっているのに、その姿を見るだけで胸のむかつきが流れていき、それどころかすなおを抱きしめてしまいたくなる。こいつにはそういう、人の悪意をくじく力があった。どんなことがあっても、すなおが笑えば全て解決してしまう。
「私と一緒でそんなに嬉しい? さらかちゃん」
「……からかってんの?」
「うん!」
臆面もなく顔を綻ばせるすなお。可愛いのはいいけど、これはさすがにお灸を据えないと。あたしはお菓子のつかみ取りをするみたいにすなおの頭をわしづかみ、乱暴に撫でつけた。
「調子に乗んなよっ」
「わあっ! 髪の毛めちゃくちゃになっちゃうよ!」
慌てて頭を押さえるすなおの耳元に顔を近づけて、周りに聞こえないよう息を吹くように囁く。
「いいじゃん。乱れてるのも可愛いよ」
これだけ近くから見ていれば、すなおの顔にほんのりと朱が差したのもよくわかる。もっとも、いつもはもっと赤くなるんだ。今は人に見られているから我慢しているんだろう。可愛いやつ。
「もうっ、さらかちゃんがよくても私がよくないの!」
すなおは地面を踏みつけるようにして、中庭の方へと歩いて行ってしまう。あたしは緩み切った顔の筋肉を必死で引き締めながらその背中を追った。
建物に囲まれた中庭に入ると、全身に暖かい春風が吹きつけた。ぴたりと頬に張り付いたものを手に取ってみると、それは桃色の花びら。中庭の桜は満開を迎えていた。
中庭にはすなおとあたし以外の人影はない。クラス分けに沸く生徒たちの騒がしさから隔離された、箱庭のような場所だった。まるで桜色のスノードーム。すなおは桜の真下のベンチに腰かけて、舞い落ちる花びらを見上げている。
あたしは足音を忍ばせてすなおに近づくと、その鼻先にさっきの花びらを貼りつけてやった。
「なーにたそがれてんの」
「私ね。実は運命ってあんまり信じてないんだ」
すなおは花びらを払おうともせず、視線すら動かさずに桜の木を見上げている。
「へえ、意外。すなおは夢見る乙女だと思ってた」
「ついさっき夢が覚めちゃったの」
隣に座ると、すなおの表情が奥の奥までくっきり見えた。近づかないとどうしても見えないものはある。テレビのRGBみたいなもので、遠くから見えるのは混ざった色だけ。近づかないと元の色は見えないんだ。
すなおの表情は淡いブルーだった。遠くから見れば真っ白にしか見えないほど、ささやかな不安の青。
「高校ってさ、知らない人がたくさんいるんだね」
「そりゃあ、ほとんど持ちあがりだった中学とは違うよ」
「……さらかちゃんは怖くない? たくさん新しい人に会って、自分が少しずつ変わっていくの」
新しい人、新しい物。新しさは触れるだけで自分の中に入り込んできて、それまでの自分の形を変えていく。自分が壊されていくようなものだ。だから、いつだって新しい季節の始まりは怖い。そんなの誰だって同じだ。
でも、恐怖の青を忘れさせてくれるくらいに、始まりの春は鮮やかな色で溢れている。
「怖いさ。自分が変わるのも、すなおが変わるのも」
あたしは飛び跳ねるように立ち上がると、ダンスに誘うようにおずおずとすなおの手を取った。ようやく空から帰ってきたすなおの瞳に、あたしはとびきりのウインクをくれてやる。
「でも、あたしはずっとすなおが好きだよ」
すなおの顔から不安が流れ落ちていき、代わりに火が付きそうな赤さが広がっていく。
「もう! 私も好きですよーだ!」
どれだけあたしたちが変わっても、この関係だけはずっと続いていく。遮るものなんてなにもあるわけがない。あたしは心の底からそう信じていた。
けれど、柔らかな祝福の春風はいつまでも吹いているわけじゃない。いずれは必ず、暗く湿った梅雨が来るんだ。
季節の移り変わりを止めることはできない。人の変化だって同じ話だ。