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転生特典なし悪役令嬢、辺境でなんとか暮らしてます 神様、便利スキルはいつ届きますか?  作者: 奈香乃屋載叶(東都新宮)


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10/22

夕方の丘で

 私はセシリアが持ってきた紅茶を飲む。

 砂糖は少ないけれど、はっきりとした甘さを感じた。

 そこそこ良い茶葉を使っているのかな。

 飲みながら、この屋敷の事を思った。

 倉庫、廊下、客間、掃除されているけれど、最低限。

 豪華でも、温かくもない。

 けれど、住める。


(ほんと、”生きるための家”って感じだなぁ)


 王都の屋敷とは全然違う。

 ビュージンゲン邸では気楽で何も考えずに過ごす事が出来たけれど、ここでは私も考えないといけない。

 気楽って言っても、記憶を取り戻す前だよ。

 ああ、もっと前から思い出せば良かった。どうして前日なのよ。

 追放される前の記憶を思い出す度に、神様を恨みたくなる。

 転生特典なんか無いみたいだし。


「とりあえずーー必要な事をしましょう」


 頭の中で愚痴を言ったって、何も動かないので。

 紅茶を飲み終わったので、私は机の上の書類を片付けようとした。

 ずっと書類がこっちを見ているから。

 逃げても追ってくるタイプの現実。


「メリッサ様、今日のところはこの辺りで区切りにしましょう」


 ミカエラが静かに言う。


「そうなの?」


「いきなり全てを理解する必要はありません。この地は、一日で壊れるほど脆くも、一日で変えられるほど単純でもありませんから」


 面倒なのね、このマドレーヌ辺境領って。


「……助言としては、優しい方ね」


「事実を述べただけです」


 そう言って、彼は軽く頭を下げると部屋を出ていった。

 入れ替わるように、セシリアが紅茶の器を回収しながら私を見る。


「今日は、とても良い一日だったと思いますよ」


「えっ、これで?」


「はい。”逃げ出さずに机に向かった初日”は、だいたい良い日です」


 さらっと言う。


「……基準、低くない?」


「この領地の基準に合わせました」


 にこっと笑うその顔は、なえか負けた気分にさせてくる。


「でも、ありがとうございます。助かっているわ、あなたがいて」


「その言葉は、明日以降も繰り返しお願いいたしますね」


「努力します」


 軽口を交わしてから、私は書斎を後にした。

 屋敷の外に出る。

 丘の風が頬を撫で、遠くに港町が見えた。

 でも、あの港町はまだ知らない場所。

 明日は、ちゃんと向き合わなきゃね。

 夕焼け。

 少しオレンジが強い。

 風は冷たいのに、不思議と心が落ち着く。


(……変なの)


 今日は人生の大分岐点。

 追放。

 失脚ルート確定。

 本来なら、もっと泣いててもおかしくない。

 もっと折れててもおかしくない。


(なのに、なんで、こんなに息しやすいんだろう)


 胸が軽い。

 王都を出た不安。

 これからの生活の苦労。

 本当にやっていけるのかという恐怖。

 全部あるのにーーそれでも心が何故か、静かだった。

 日本で一人暮らししてた時より、なんかメンタル安定してるの何。


「まあ、いいか」


 私は小さく笑った。


「とりあえず、今日のところは生存。それで充分よね」


「はい、充分です」


「居たのね」


 振り返ると、いつの間にかセシリアがいた。

 いつもの落ち着いた笑顔。


「この屋敷、なんだか……落ち着くわね」


「そうでしょう?」


 セシリアは、少しだけ遠くを見る目をした。


「昔から言われているんです。このマドレーヌの丘は、”見ている誰か”に守られているって」


「守られている?」


 ホラーじゃないよね、それ。


「大丈夫ですよ。怖いものではありません。むしろ、この土地が生きていられる理由、かもしれません」


 それだけ言って、セシリアは深くは語らなかった。

 でも、不思議と。

 怖くなかった。


(見られてる、って言われれると普通は嫌なはずなのに)


 むしろーー


(少し、安心するって何)


 自分で自分にツッコミを入れながら、私はもう一度港町を見下ろす。


「じゃあ、これからよろしくね。マドレーヌ辺境領」


 港町に向かって、軽く手を広げて言ってみた。

 もちろんーー返事なんて来ない。

 風だけが、少し強く吹いた。

 それで終わり。

 私は屋敷へ戻るために踵を返した。

 背後で、丘が静かに揺れる。

 薄い夕暮れの空に、雲がひとつ流れていた。


 誰も気づかない場所で。

 誰にも聞こえない、小さな声が。

 そっと、風に溶けた。


「よかった。今回は、割とまともそうな子」


 そして、ほんの少しだけ嬉しそうに。


「ちゃんと、生きてね。あと、ほどほどに幸せになって。できれば、ちょっと楽しく。私も楽になるから」


 風が笑うように丘を撫でた。

 それでも世界は、何も起きていない顔で夕暮れを続けていた。

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