晴耕雨読
7段目
「ボンボンそこのバケツを持ち上げてみろ!」
指示通り僕はその木のバケツを持ち上げる。
激臭と確かな重み。僕は理解できないその物体に反射的に恐怖を覚えて声が出た。
「うわっ…これは…」
「下肥だ。」
知識でしか知らなかった。そうだ、この時代の肥料は糞尿なのだ。
「クソって結構重いだろ。」
「えぇ、とても。下の物など触ったこともありませんでしたから。」
「だからお貴族はダメなんだ。自分が自然の一部ってことはわかっちゃいない。」
「おら、ポカンとしてねぇで畑に撒くだ。」
三部会の召集令の判子を打った僕の手が、ラソレイユ憲章にサインをした僕の手が、マリアを抱いた僕の手が、この地上に於いて最も高貴である僕の手がクソで汚れてゆく。
「撒き終わったらこっちこい。ボンボン、お前名前は?」
「テュラン・レクスです。テュランでお願いします。」
汗ばむ額を袖で拭き、水気を纏った天パを振る。
「おー人間らしくなったな。」
「人間らしく?」
「あぁ、最初は見た時は綺麗すぎて人形かと思ったからな。人間なんてちょっとクソがついてるくらいが丁度よかだ。」
「これ持つだ。」
年数を感じさせる鍬を渡される。体感ではロングソードと同じくらいの重さがある。
「祈る者(お前ら)が持ってる剣擬きよりもずっと重いだろ。」
「おら、みとけ。まずはこう持って、こう振り下げる。」
男は鍬を両手で持ち上げて鍬を天に見せる。そうしてそれを振り下げた。
その動作はある種祈るようにも見えたし、大剣を振り下ろすようにも見えた。
やはり第三身分とは全てなのだろう。
「やってみ。」
僕はその男の動作をトレースし、鍬を地面に振り下ろす。しかし男のようには上手く行かなかった。
「腰に力ば入ってねぇだぁ。だから振り下ろしでズレる。もっと全身を使え。」
何度か鍬の扱いの手解き受けて、一応耕せる程度には扱うことができるようになった。
「んじゃお前ばそっちからやれ。おれはこっちからやる。」
神に祈るように天に鍬を掲げ、敵を殺すように振り下ろす。それを何十、何百回も繰り返す。
つまり第三身分とは全てなのだ。
僕らはそれを知らずして人を支配してきた。
だから革命起きたのだろう。
僕はやっと解った。革命の根本的原因は不作でも財政赤字でもない。これだったのだ。
僕がクソも触ったことがない潔白の手で王印を押したから、貴族達が鍬も持ったことない手で羊皮紙に文字を綴ったから、戦士達がパンも捏ねたこともない手で人を殺したから、だからこの革命は起こったのだ。
「どうだぁ!キツイか?」
「えぇもちろん。でもやらなきゃならないから!」
滴る汗が目に染みる。舞う土がズボンを汚す。汗で濡れたシャツに塵が着く。
「おーい!あんた!」
「あぁ!先程の産婆様!」
「産まれたよ!母体共々健康にね!」
産婆の吉報に僕は鍬を地面に刺して、涙が溢れぬよう天を仰いだ。
そうしてこう叫ぶのだ。
「よかった…!」
八段目
水車小屋に赤子の声が木霊する。青と赤のおくるみが血に染まる。
革命の中で産まれた子、ソフィア・エレオノーラ・カペー。
マリアに似たグレースピネルの輝く瞳僕に似た金色の髪。
あぁ、ソフィア。僕らの元に産まれてきてくれてありがとう。
聡い兄達が君を導き、パパとママは命に変えても君を守るよ。
「マリア、大義であっ…違うな。よく頑張ってくれた、本当にありがとう。」
「あなた、ソフィアを抱いて上げてください。」
その腕の中で眠る赤子を僕は優しく抱き上げた。
僕が衰えたのかあるいはソフィアが健康優良児だからなのか、テレーズやシャルルを抱いた時よりもずっと重く感じた。
彼女の瞼が開く。未だよく見えない目で僕の顔をまじまじと見た。
僕は彼女の可愛らしい表情に笑みが溢れた。
「元気な奴め、テレーズのときはもっと静かだったぞ。」
僕の腕の中で彼女はいきなり泣きだし、その小さな、しかし確かに力強い四肢で暴れた。
僕は確信した。きっとこの子なら、この不条理な世の中でも健やかに生きていける。
ソフィアの生きる意思はこの小屋にいる誰よりも強いのだから。
「すいません、陛下。お喜ばしい中申し訳ないのですが…」
ベルナールは深刻そうな顔をしながらこの幸福空間に割って入る。
「外で話そうベルナール。」
風車小屋の外、ベルナールと僕は向かい合う。そしてベルナールはただ一言こう話した。
「先程の男の居た小屋で詳細はお話いたします。」
「余程のことなんだろうな、ベルナール・ナポレオーネ。そうでなければ私は貴公を信じきれなくなるぞ。」
ベルナール・ボナパルト・ナポレオーネ。コルセ島訛り彼は特別有能な男だった。誰よりも実直であり、戦に於いて誰よりも論理的に先を見据えていた。
だから僕は彼に全幅の信頼を寄せているわけだが、そんな彼があんな深刻そうな顔であの空間に割入ったのだ。
それがどのようなことを意味しているのか、僕にはまだ分からないが、ただ恐怖だけが心臓を握る。
「陛下、お先にお入りください。」
ミゲルの小屋、その扉のドアノブを掴む。右に半回転させて扉を開けた。
「母子共にご無事で何よりです。陛下、いえ、オーギュスト・カペー氏。」
そこに居たのは亡霊でも何でもない、紛れもなく奴だった。
「テルミドール・マクシミリアム、なぜ、なぜお前がここにいる…?」
僕はその光景にただ口を開けて唖然とするしかできなかった。
「陛下、貴方を逃亡の罪で拘束させていただきます。」
後ろから聞こえたベルナールの声、僕はただ、何も考えたくはなくなった。
ちょうど半分過ぎた頃だと思います。
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