4.
マッハボイス事件から二週間が経過した。
『広瀬です!マッハで電話出ろ!』
朝六時の時報が街中に響く中、カケルは布団から這い出した。もう慣れたとはいえ、毎朝自分の声で目覚めるのは複雑な気分だ。
「おはよう、マッハおじさん!」
宿屋の廊下で、掃除をしていた子供が手を振った。街の子供たちは、すっかりカケルに懐いている。
「おはよう…でも、マッハおじさんはやめて」
「えー、でもみんなそう呼んでるよ?」
「それが問題なんだよ…」
一階に降りると、食堂には既に常連客が集まっていた。商人のガレス、女冒険者のミラ、そして魔導学院から派遣されている研究員のエリザベス博士。
「おはよう、カケル」ハルネが微笑みかけた。「今日も元気にマッハってるわね」
「マッハらないでください」
「でも、街の時報として完全に定着したわよ?昨日、隣町の商人が『アルティアの時報は面白いな』って言ってた」
「他の町にまで知られてるんですか…」
カケルは頭を抱えた。マッハボイスの噂は、既に周辺地域に広まっているらしい。
「ところで」エリザベス博士が興味深そうに言った。「君の能力について、新しい研究結果が出たんだ」
「どんな結果ですか?」
「君の暴露詠唱は、単に魔力を引き出すだけでなく、『記憶の具現化』という現象を引き起こしている」
「記憶の具現化?」
「そうだ。つまり、君の恥ずかしい記憶が現実世界に物理的な影響を与えているんだ。マッハボイスが永続再生されているのも、その現象の一つ」
カケルは震え上がった。
「じゃあ、もしもっとヤバい黒歴史を詠唱したら…」
「おそらく、もっと恐ろしいことが現実化するだろうな」
「聞きたくない情報でした…」
--------
その日の午後、カケルとハルネは魔導学院支部で訓練を行っていた。カケルの魔法制御能力を向上させるためだ。
「今日は、詠唱内容をコントロールする練習をしましょう」グレンが説明した。「同じ恥ずかしさレベルでも、より効率的に魔力を引き出せるはず」
「効率的って?」
「例えば、『中学時代のラブレター』という大枠だけ詠唱して、詳細は心の中で思い浮かべるんだ。そうすれば、恥ずかしさは同じでも、晒される情報は最小限に抑えられる」
それは魅力的なアイデアだった。カケルは早速試してみる。
「俺が中学三年の時に書いた…ラブレター」
小さな雷撃が発生したが、光文字は現れなかった。
「おお!成功だ!」グレンが喜んだ。
「本当だ!恥ずかしさは感じるのに、詳細が晒されない!」
「ただし」グレンが付け加えた。「威力は通常の半分程度だがな」
「それでも十分です!これで少しは普通の冒険者っぽくなれる!」
カケルは希望を感じた。このテクニックがあれば、もう少し人間らしい生活ができるかもしれない。
しかし、その時だった。
ドンドンドン!
支部の扉が激しく叩かれた。
「緊急事態です!」
駆け込んできたのは、隣町シルフィードからの使者だった。
「どうしたんだ?」グレンが立ち上がった。
「古代龍が復活しました!シルフィードの街が全滅の危機です!」
一同が凍りついた。
「…古代龍って?」
周りの反応からヤバそうな雰囲気を感じ取りながら、恐る恐るカケルが聞く。
「古代龍——この世界で最も恐ろしい存在の一つ。千年前に封印されたはずの伝説の魔物だ。」
「なぜ復活したんだ?」
「分かりません!突然、封印の石碑が割れて…街は既に半分が瓦礫になっています!」
ハルネがカケルを見た。
「行きましょう」
「え?でも古代龍なんて、俺の手に負えるわけ…」
「他に選択肢はないわ。この地方で、古代龍と戦えるのはあなただけ」
カケルは迷った。確かに、マッハボイス級の詠唱を使えば、古代龍にも対抗できるかもしれない。だが、その代償は…
「でも、それ以上の黒歴史を使うことになるかもしれません」
「あなたは言ったでしょ?『マッハボイス以上にヤバいやつがある』って」
「はい…でも、それを使ったら本当に俺の人生が…」
「分かってる」ハルネが真剣な目で言った。「でも、街の人たちが死んでしまうのよ」
--------
一時間後、カケルたちはシルフィードに向かっていた。馬車での移動中、カケルは最悪のシナリオを考えていた。
もし、あの黒歴史を詠唱することになったら…
実は、カケルにはマッハボイス以上に恥ずかしい記憶がある。それは高校二年生の時の出来事。文化祭で…
「いや、考えるのもやめよう」
カケルは頭を振った。きっと、マッハボイス級の詠唱で何とかなるはずだ。
「大丈夫よ」ハルネが優しく言った。「私たちがついてるから」
「ありがとうございます」
馬車が丘を越えると、シルフィードの街が見えた。そして、その上空に巨大な影が舞っている。
古代龍エルダドラグーンだった。
全長五十メートルはあろうかという巨体。漆黒の鱗に覆われ、口からは炎を吐いている。街の建物が次々と燃え上がっていた。
「うわああああ…でかすぎる…」
「でも、逃げるわけにはいかないわ」ハルネが杖を構えた。
カケルは覚悟を決めた。まずは、マッハボイス級の詠唱から試してみよう。
--------
街の中央広場で、カケルは古代龍と対峙した。避難誘導を終えた街の人たちが、遠くから見守っている。
「さあ、来い!」
古代龍が咆哮を上げ、巨大な火球を吐いてきた。カケルは慌てて詠唱を始める。
「俺が高校の時に、学園祭で一人演劇をやって、『ロミオとジュリエット』の両役を演じ分けたら、観客が全員笑い死にしそうになったことがあります!」
強力な雷撃が古代龍に直撃した。だが、龍は怯んだだけで、全くダメージを受けていない。
『学園祭一人演劇事件』
『演目:ロミオとジュリエット(一人二役)』
『ハイライト:「ジュリエット!」「はい、ロミオ様♪」(声色変更)』
「効いてない!?」
古代龍が再び火球を吐いてきた。今度はより巨大で、避けきれない。
「カケル!」ハルネが防御魔法を展開したが、完全に防ぎきれない。
カケルは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「がはっ…」
血を吐きながら立ち上がる。古代龍は容赦なく追撃してきた。
「もっと強力な詠唱を!」グレンが叫んだ。
カケルは震えた。もう、マッハボイス級では足りない。もっと恥ずかしい記憶を…
「俺が…大学の新歓コンパで…」
声が震える。
「『俺の恋愛観を聞かせてやる』って言って、一時間のプレゼンテーションをやったことがあります!スライド付きで!」
より強力な雷撃が古代龍を襲った。今度はダメージを与えられたが、まだ致命傷には至らない。
『大学新歓コンパ・恋愛観プレゼン事件』
『使用ソフト:PowerPoint』
『スライド枚数:127枚』
『聴衆の反応:全員無言でスマホを見始める』
「まだ足りない!もっとだ!」
古代龍が怒り狂って暴れ回る。その尻尾がカケルを直撃した。
「うぐあああ!」
--------
カケルは瓦礫の山に埋もれていた。全身が痛み、意識が朦朧としている。
古代龙は街の建物を次々と破壊していく。このままでは、本当に街が全滅してしまう。
「カケル!しっかりして!」ハルネが駆け寄ってきた。
「はぁ…はぁ…だめだ…マッハボイス級じゃ勝てない…」
「だったら、もっと上のやつを!」
「でも…それを使ったら…」
カケルの頭に、あの記憶がよみがえった。高校二年生の文化祭。彼が犯した、人生最大の過ち。
「俺…本当にヤバいことやったんです」
「どんなこと?」
「高校の文化祭で…俺…」
カケルの声が震えた。
「オリジナルのミュージカルを作って、一人で上演したんです。しかも、全部自作。脚本、作詞、作曲、演出、主演、すべて俺一人で」
ハルネの目が丸くなった。
「それって…」
「タイトルは『愛と青春の狂詩曲~俺という男の物語~』」
「…………」
「三時間の超大作で、途中に俺の人生哲学を語るコーナーが三十分もあって…」
「やめて、もう聞いてるだけで恥ずかしい…」
「しかも!」カケルが続けた。「最後は観客席に降りて、一人一人と握手しながら『君も俺のように生きるんだ!』って熱弁したんです!」
ハルネは頭を抱えた。
「それは…確かにマッハボイス以上ね…」
「でしょ?だから絶対に詠唱したくないんです!あれを再現されたら、俺は本当に生きていけない!」
その時、古代龙の咆哮が響いた。街の教会が倒壊し、子供たちの泣き声が聞こえてくる。
ハルネがカケルの手を握った。
「でも、あなたしかいないのよ」
「ハルネさん…」
「あなたの恥ずかしい記憶で、みんなを救えるなら…それって、素晴らしいことじゃない?」
カケルは迷った。確かに、人命には代えられない。でも、あの記憶だけは…
--------
古代龍が最後の火炎攻撃を準備していた。口の中で巨大な火球が形成されている。あれが炸裂すれば、街は完全に消滅するだろう。
「もう時間がない…」
カケルは立ち上がった。全身に痛みが走るが、もう迷っている時間はない。
「分かりました…やります」
「カケル…」
「でも」カケルがハルネを見た。「これで俺の人生が終わっても、恨まないでくださいね」
「そんなこと言わないで」
カケルは古代龍に向かって歩いて行った。龍は巨大な火球をカケル目がけて放とうとしている。
「俺が…」
声を張り上げる。
「俺が高校二年生の文化祭で制作・上演した…」
古代龍が火球を吐いた。
「オリジナルミュージカル『愛と青春の狂詩曲~俺という男の物語~』が…」
火球がカケルに迫る。
「マジで実在することが本当なんですうううううう!」
--------
世界が静止した。
いや、正確には世界が書き換えられた。
空が割れ、そこから巨大な舞台が現れた。高校の体育館を模した舞台装置。そして、その中央に十七歳のカケルが立っている。
『愛と青春の狂詩曲~俺という男の物語~』
タイトルが空に燃え上がるような文字で表示された。そして、若きカケルが歌い始めた。
♪「僕は一人の男として生まれ
この世界に愛と正義を示すため
今日この日に立っているのさ
みんな聞いてくれ、僕の魂の叫びを〜」
「やめろおおおおおお!」
現在のカケルが絶叫したが、時すでに遅し。ミュージカルは三時間のフルバージョンで上演されていた。しかも、古代龍も観客席に座らされて、強制的に鑑賞させられている。
龍は最初怒っていたが、途中から呆然とし始めた。そして一時間後には、完全に戦意を失っていた。
「あ、あれは一体…」街の人たちも唖然としている。
♪「君たちも僕のように生きるんだ!
愛と勇気を胸に抱いて
この世界を変えていこう〜」
クライマックスで、舞台上の若きカケルが観客席に降りてきた。そして一人一人と握手を始める。
「君も僕のように生きるんだ!」
古代龍にも握手を求めた。
龍は困惑しながらも、なぜか爪を差し出した。
「キミも愛と正義を理解したね!」
若きカケルが満面の笑みで握手すると、古代龍は完全に戦意を失い、大人しくなってしまった。
--------
ミュージカル上演から三時間後。古代龍は街の外れで大人しく昼寝をしていた。完全に無害化されている。
「あの…これで終わりですか?」街の人たちが恐る恐る聞いた。
「終わりです」カケルが虚ろな目で答えた。「俺の人生と一緒に」
空中にはまだ、ミュージカルの映像が再生され続けている。しかも、古代龙との握手シーンがリピート再生されていた。
「でも、すごいじゃない」ハルネが慰めるように言った。「古代龍を倒すんじゃなくて、心を動かしたのよ」
「心を動かしたって言うか…呆れさせただけでは?」
「いや、違うぞ」グレンが興奮して言った。「これは『感情操作魔法』の最高峰だ!相手の戦意を完全に削ぐなんて、理論的にも完璧だ!」
「理論とかどうでもいいです…もう俺、この街にいられません…」
「なんで?」
「だって、『愛と青春の狂詩曲』ですよ?しかも古代龍と握手ですよ?恥ずかしすぎて死んじゃいます」
しかし、街の人たちの反応は意外だった。
「すごいじゃないか!古代龍を倒すんじゃなくて、友達にしちゃうなんて!」
「しかも、あの歌詞、結構感動的だったぞ」
「『愛と勇気を胸に抱いて』のところ、泣いちゃった」
「え?」カケルが驚いた。「感動したんですか?」
「もちろんだ!君の純粋な心が伝わってきたよ」
「でも、めちゃくちゃ恥ずかしい内容だったでしょ?」
「恥ずかしいけど、真剣だった。それが良かったんだ」
--------
一週間後、カケルは驚くべき事実を知った。
「君のミュージカルが、王都で話題になってるぞ」グレンが報告した。
「え?」
「『愛と青春の狂詩曲』が、今年の王国芸術祭の特別上演作品に選ばれたんだ」
「嘘でしょ…」
「本当だ。しかも、『純真な心で古代龍をも感動させた奇跡の作品』として宣伝されてる」
カケルは頭を抱えた。
「つまり、王国中の人が俺の黒歴史を見ることになるんですか?」
「そうなるな」
「うわああああああ!」
しかし、意外な効果もあった。カケルの元には、世界各地から依頼が舞い込むようになったのだ。
「『感情操作の専門家』として有名になったのよ」ハルネが説明した。「戦わずに敵を無力化できる魔法使いとして」
「でも、毎回恥ずかしい詠唱をしなきゃいけないんですよね?」
「それはそうだけど…でも、あなたの能力を求める人がたくさんいるわ」
確かに、依頼書には「平和的解決希望」「戦闘以外の方法で」といった文字が踊っている。カケルの能力は、確実に世界を平和にできると期待されていた。
--------
その夜、銀月亭の屋上で、カケルとハルネは星空を眺めていた。
「結局、俺の黒歴史は世界中に知られることになりそうですね」
「でも、それで救われる人がたくさんいるのよ」
「そうですね…」
カケルは苦笑いを浮かべた。
「最初は嫌で仕方なかったけど、今はちょっと誇らしい気もします」
「そうよ。あなたの恥ずかしい記憶が、世界を平和にしてるんだから」
頭上には、相変わらず光文字が浮かんでいる。
『愛と青春の狂詩曲~俺という男の物語~』
『古代龍との歴史的握手シーン』
『王国芸術祭特別上演作品認定』
「でも、まだ使ってない黒歴史があるんですよね?」ハルネが聞いた。
「はい…実は、ミュージカル以上にヤバいやつがまだ一つ」
「どんなの?」
「それは…」カケルが首を振った。「本当に世界が滅びそうな時まで封印しておきます」
「そんなにヤバいの?」
「ミュージカルが可愛く見えるレベルです」
二人は空を見上げた。古代龙が平和に眠っている姿が見える。
「でも、これで分かったわ」ハルネが言った。
「何がですか?」
「あなたの能力の真の意味。恥ずかしさを力に変えて、世界を救う。それって、本当にすごいことよ」
「ありがとうございます」
遠くから、夜警の声が聞こえてきた。
「夜中の十二時をお知らせします!愛と勇気を胸に抱いて、時間確認してくださーい!」
「うわああああ!ミュージカルの歌詞まで使わないでくれええええ!」
カケルの絶叫が夜空に響いた。
しかし、その声も今では街の人たちには愛されている。彼の恥ずかしい叫び声さえも、この街の温かい日常の一部になっていた。
明日もまた、カケルの恥ずかしくも愛すべき冒険が続いていく。世界最強の暴露詠唱士として。
一旦おしまいです。
こちらもよろしくお願いします。
「無理ィィィイ!!」と絶叫しながら女子大生がボディブローで吹き飛ばす異世界がやばい
https://ncode.syosetu.com/N5949KW/