表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3.

カケルが異世界に来て一週間が経った。


この間、彼は順調に冒険者としての経験を積んでいた。スライム退治、野生動物の駆除、盗賊の追い払い。比較的軽い依頼ばかりだったが、その分使用する黒歴史も軽めで済んでいた。


「今日の詠唱内容は何だったかしら?」


朝食を取りながら、ハルネが興味深そうに聞いた。昨日はオーク(豚の魔物)一匹を相手にした。


「『中学の時、給食で嫌いなピーマンを全部友達に押し付けて、先生に怒られた』です」


カケルの頭上には、相変わらず光文字が浮かんでいる。


『給食ピーマン全押し付け事件』

『先生の一言:「広瀬君、好き嫌いはダメですよ」』


「かわいいじゃない」ハルネがクスクス笑った。「最近、詠唱内容が微笑ましくなってきたわね」


「そりゃあ、ヤバい黒歴史は温存してますからね」


実際のところ、カケルは戦略的に黒歴史を使い分けていた。軽い敵には軽い恥ずかしさで済む黒歴史を、強い敵にはより恥ずかしい黒歴史を。おかげで、まだ本当にヤバい記憶は使わずに済んでいる。


「でも、そろそろ限界が来るんじゃない?」ハルネが心配そうに言った。「軽い黒歴史ばかりじゃ、強い敵と戦えないでしょ?」


「うーん…そうですね。でも、できるだけ避けたいんです」


その時、銀月亭の入り口が勢いよく開かれた。


「緊急事態だ!」


息を切らして駆け込んできたのは、街の衛兵隊長のマルクス・レイドだった。中年の男性で、普段は落ち着いているのだが、今日は顔面蒼白になっている。


「どうしたんですか?」ハルネが立ち上がった。


「邪教徒の軍勢が街に向かってくる!」マルクスが叫んだ。「ベルダノス率いる『魂喰らいの教団』だ!」


食堂にいた客たちがざわめいた。ベルダノスという名前は、カケルも聞いたことがある。この地方で暗躍する邪悪な司祭で、人の魂を喰らって力を得ると言われている危険人物だ。


「何人くらいですか?」


「約五十人。しかも、全員が狂信者で戦闘能力が高い」マルクスが汗を拭った。「我々だけでは到底太刀打ちできん」


「王都に援軍要請は?」


「間に合わない。連中は明日の夜明けには到着する」


絶望的な空気が食堂を包んだ。五十人の戦闘集団相手では、小さな街の衛兵隊では歯が立たない。


「私たちも協力します」ハルネが名乗り出た。「カケルさんの能力があれば、何とかなるかもしれません」


「えっ、俺が?」カケルは慌てた。「でも相手は五十人ですよ?今まで戦ったのなんて、せいぜい十匹のゴブリンが最大で…」


「君が『暗黒詠唱士カケル』か」マルクスが希望を込めた目でカケルを見た。「噂は聞いている。ブラッドウルフの群れを一人で殲滅したという」


「あれはたまたまで…」


「お願いします」マルクスが頭を下げた。「このままでは、街の人たちが皆殺しにされてしまいます」


カケルは困った。確かに、見捨てるわけにはいかない。この一週間で、街の人たちは彼を温かく受け入れてくれた。黒歴史を笑いながらも、親しみやすい人として接してくれる。


「分かりました」カケルは決意を固めた。「やってみます」


--------


その日の午後、街の防衛会議が開かれた。参加者は衛兵隊長マルクス、魔導学院支部長グレン、ハルネ、そしてカケル。街で最も有力な冒険者たちも数人加わっている。


「敵の戦力分析から始めよう」グレンが地図を広げた。「ベルダノスの『魂喰らいの教団』は、信者約五十名。全員が狂信的な戦士で、痛みを感じない呪術がかけられている」


「痛みを感じない?」カケルが聞き返した。


「ベルダノスの呪術でな。通常なら戦闘不能になるような傷を負っても、死ぬまで戦い続ける」マルクスが説明した。「つまり、中途半端な攻撃では止められない」


「それって…一撃で倒すしかないってことですか?」


「その通りだ」グレンがうなずいた。「だからこそ、君の暴露詠唱が重要になる。強力な雷撃で、一度に複数の敵を殲滅できれば」


カケルは青ざめた。五十人を相手にするということは、それだけ強力な魔法が必要だということ。つまり、より恥ずかしい黒歴史を詠唱しなければならない。


「どの程度の威力が必要なんでしょうか?」


「そうだな…」グレンが考え込んだ。「君が今まで使った中で最大威力だった『哲学ノート』の詠唱。あれの十倍は欲しいところだ」


「じゅ、十倍!?」


カケルは椅子から転げ落ちそうになった。哲学ノートの詠唱でも十分恥ずかしかったのに、その十倍となると…


「つまり、君の封印している『最もヤバい黒歴史』を使う必要があるということだ」


「それだけは…」


「カケル」ハルネが真剣な目で見つめた。「街の人たちの命がかかってるのよ」


カケルは葛藤した。確かに、人命には代えられない。だが、あの黒歴史を詠唱したら、本当に社会的な死を迎えることになる。今まで隠し続けてきた、絶対に人に知られてはいけない記憶。


「どんな内容なんだ?参考までに聞かせてくれ」グレンが興味深そうに言った。


「それは…」カケルは声を震わせた。「絶対に言えません」


「そんなにヤバいのか?」


「はい。たぶん、詠唱した瞬間に俺の人生が終わります」


--------


翌日の夜明け前。ベルダノスの軍勢が街の入り口に現れた。


黒いローブに身を包んだ狂信者たちが、ゾンビのようにゆっくりと歩いてくる。先頭に立つのは、異様に背の高い男——邪教の司祭ベルダノスだった。


「ククク…小さな街だな」ベルダノスが不気味に笑った。「だが、新鮮な魂がたくさんある。特に…」


彼の視線が、街の中央広場で待ち構えるカケルに向けられた。


「異界から来た者よ。お前の魂は特別に美味そうだ」


「うわあ…本物の悪役だ」カケルは震え上がった。


ベルダノスは両手を上げ、何かを詠唱し始めた。すると、狂信者たちの目が赤く光り、獣のような雄叫びを上げて街に突撃してきた。


「来るぞ!」マルクスが叫んだ。


衛兵隊と冒険者たちが迎撃に向かうが、狂信者たちは痛みを感じないため、傷を負っても止まらない。たちまち防衛線が突破されそうになった。


「カケル!今よ!」ハルネが叫んだ。


カケルは意を決した。まずは、中程度の黒歴史から。


「俺が高校二年の時に、文化祭で一人芝居をやって、『ハムレット』の名台詞を大声で叫んだら、観客が全員帰っちゃったことがあります!」


雷撃が炸裂し、狂信者の群れに直撃した。十人ほどが倒れる。


『高校文化祭・一人芝居大失敗事件』

『演目:ハムレット(一人三役)』

『観客数:開始時50人 → 終了時0人』


「効いてる!でももっと威力が必要だ!」グレンが叫んだ。


カケルはさらに恥ずかしい記憶を掘り起こした。


「俺が大学一年の時に、合コンで『俺、実は詩人なんだ』って自己紹介して、その場で自作の詩を朗読したら、女の子たちが全員席を立ったことがあります!」


より強力な雷撃が放たれ、さらに十五人の狂信者が倒れた。


『合コン詩人自己紹介事件』

『朗読した詩:「君の瞳に映る僕の魂」』

『女性陣の反応:全員トイレに避難(そのまま帰宅)』


「まだ足りん!もっと強力なやつを!」


--------


しかし、まだ二十人以上の狂信者が残っていた。そして、最強の敵であるベルダノスは全く無傷だ。


「ふん、面白い魔法を使うな」ベルダノスが嘲笑った。「だが、所詮はその程度か」


ベルダノスが何かを詠唱すると、倒れた狂信者たちがゾンビとして蘇り始めた。


「嘘でしょ…」ハルネが青ざめた。


敵の数が元に戻ってしまった。しかも、今度は死体なので物理攻撃がほとんど効かない。


「カケル!最大威力の詠唱を!」マルクスが絶叫した。「このままじゃ全滅だ!」


カケルは震えた。ついに、その時が来てしまった。封印していた、絶対に人に知られてはいけない記憶。人生最大の黒歴史。


「で、でも…」


「お願い!」ハルネが涙を浮かべて叫んだ。「みんなを救って!」


街の人たちの顔が頭に浮かんだ。宿屋の主人、食堂の客たち、子供たち。みんな、カケルを温かく受け入れてくれた人たちだ。


「くそ…くそおおおお!」


カケルは天を仰いだ。もう、覚悟するしかない。


「俺が…」


声が震える。


「俺が十五歳の時に…」


全身が汗まみれになる。


「オカンの携帯で自分の声を録音して着信ボイス作ってたんです!」


空気が静まり返った。


「『広瀬です!マッハで電話出ろ!』って叫んでたのが…」


カケルの声がひび割れる。


「未だに親戚にネタにされてることが…本当なんですうううう!」


その瞬間、世界が変わった。


--------


空が真っ黒に染まった。


カケルから放たれた雷撃は、もはや雷撃とは呼べない何かだった。黒い稲妻が空全体を覆い、大地を震わせ、空間そのものを歪ませる。


「な、なんだこの魔力は!?」ベルダノスが初めて恐怖の表情を浮かべた。


黒い稲妻は狂信者たちを一瞬で蒸発させ、ベルダノス自身も直撃した。邪悪な司祭は「ぐああああ!」という断末魔の叫びを上げて消滅する。


だが、その代償は凄まじかった。


空中に浮かんだ光文字は、もはや文字ではなく映像だった。十五歳のカケルが母親の携帯電話に向かって「広瀬です!マッハで電話出ろ!」と叫んでいる姿が、巨大なスクリーンのように空に映し出されている。


しかも、音声付きで。


『広瀬です!マッハで電話出ろ!』


その声が街中に響き渡った。何度も、何度も、リピート再生されている。


「やめろおおおおおお!」


カケルは地面に倒れ込んだ。もう立ち上がる気力もない。


「マッハで電話出ろって…」ハルネがぽつりと呟いた。「なにそのセンス…」


「聞くなあああああ!」


--------


戦いは終わった。ベルダノスと狂信者たちは全滅し、街は救われた。だが、カケルの社会的生命は完全に終焉を迎えていた。


「広瀬です!マッハで電話出ろ!」


空中の映像は、まだ再生され続けている。十五歳のカケルの得意顔が、街の人全員に見られている。


「あの…すごい魔法でしたね」マルクスが気まずそうに言った。


「はい…ありがとうございます…」カケルは虚ろな目で答えた。


「でも、マッハで電話出ろって、どういう意味ですか?」


「聞かないでください…お願いします…」


グレンが興奮気味に近づいてきた。


「素晴らしい!これほどの魔力を見たのは初めてだ!しかし、詠唱内容が視覚・聴覚両方で再現されるとは!理論上はありえない現象だ!」


「理論とかどうでもいいんです…もう俺の人生終わりました…」


ハルネが心配そうにカケルの肩に手を置いた。


「大丈夫よ。みんな、あなたが街を救ったこと、忘れないから」


「でも、マッハボイスも忘れられないですよね…」


「…それも忘れないわね」


「うわああああん!」


--------


その後、カケルの「マッハボイス」は街の伝説となった。


教会の鐘の代わりに、時間を知らせるために毎日再生されることになった。朝六時、昼十二時、夕方六時。一日三回、街中に響く。


『広瀬です!マッハで電話出ろ!』


「もう慣れましたよ」と言いながら、カケルの顔は毎回真っ赤になる。


「でも、街のみんなが時間を守るようになったわ」ハルネがフォローした。「マッハボイスのおかげで」


「フォローになってません」


一週間後、魔導学院本校から研究員がやってきた。カケルの暴露詠唱を詳しく調べるためだ。


「君の能力は、魔法史に新たなページを刻むものだ」研究員のエリザベス博士が興奮して言った。「特に最後の詠唱は、単なる暴露詠唱を超越している」


「どういうことですか?」


「君の羞恥心が極限に達した時、魔法は現実改変レベルまで到達した。つまり、理論的には何でもできる可能性がある」


「何でも?」


「そうだ。だが、その代償も相応に大きくなる」


カケルは考え込んだ。確かに、強力な力を得たが、失ったものも大きい。


「でも」ハルネが言った。「あなたのマッハボイス、街の子供たちには大人気よ」


実際、街の子供たちは「マッハおじさん!」と呼んで、カケルに懐いている。


「マッハで電話出ろ!って言って!」


「やだ」


「お願い!」


「絶対やだ」


--------


夜、銀月亭の屋上でカケルとハルネは星空を眺めていた。二つの月が煌々と輝いている。


「後悔してる?」ハルネが聞いた。


「正直、めちゃくちゃ恥ずかしいです」カケルが苦笑いを浮かべた。「でも、街のみんなを救えて良かった」


「あなたって、本当に優しいのね」


「優しいって言うか…もう開き直るしかないんです」


頭上には、相変わらず光文字が浮かんでいる。今日追加されたのは:


『十五歳時制作・母親携帯用着信ボイス』

『内容:「広瀬です!マッハで電話出ろ!」』

『現在の再生回数:街全体で一日約300回』


「300回って…」カケルが頭を抱えた。


「でも、もうみんな慣れてるわよ?」


「慣れの問題じゃないです!」


ハルネがクスクス笑った。


「でも、これで分かったわね。あなたの能力の本当の可能性」


「そうですね…」


カケルは空を見上げた。確かに、凄まじい力を発揮できることが分かった。だが、その代償も理解した。


「次はもっと強い敵が来るかもしれません」


「その時は、また新しい黒歴史を?」


「うーん…実はまだあるんですよ。マッハボイス以上にヤバいやつが」


「え?まだあるの?」ハルネが驚いた。


「はい。でも、それは本当に世界が終わりそうな時まで封印しておきます」


「どんなやつなの?」


「それは…」カケルは首を振った。「絶対に言えません。マッハボイスが可愛く見えるレベルです」


「そんなのがまだあるのね…」


二人は黙って星空を眺めた。街は平和に眠っている。明日もまた、マッハボイスが時を告げるだろう。


「でも」カケルが呟いた。「この世界、案外悪くないかもしれません」


「え?」


「恥ずかしいことはたくさんあるけど、みんな受け入れてくれる。元の世界じゃ、こんなに人と深く関われなかった」


「そうね」ハルネが微笑んだ。「あなたの黒歴史、みんなを笑顔にしてるもの」


「複雑な気分ですけどね」


遠くから、夜警の声が聞こえてきた。


「夜中の二時をお知らせしまーす!マッハで時間確認しろー!」


「うわああああ!アレンジしないでくれええええ!」


カケルの絶叫が、静かな夜に響いた。


明日もまた、彼の恥ずかしくも温かい異世界生活が続いていく。


こちらもよろしくお願いします。


「無理ィィィイ!!」と絶叫しながら女子大生がボディブローで吹き飛ばす異世界がやばい

https://ncode.syosetu.com/N5949KW/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ