2.
翌朝、カケルは鳥の鳴き声で目を覚ました。
「ん…ここは?」
一瞬、自分の部屋にいるような錯覚を覚えたが、窓から差し込む光の色が微妙に違う。そして、頭上にはまだうっすらと光文字が浮かんでいた。
『高校時代、一人で公園のベンチに座って月を見上げながら「俺って詩人の素質あるよな」とつぶやいていた』
「うわああああ!まだ消えてない!」
現実に引き戻されたカケルは、慌てて起き上がった。そうだった、ここは異世界。昨日、魔物と戦って、恥ずかしい黒歴史を大声で叫んで…
コンコンコン。
ドアをノックする音が響いた。
「カケルさん?起きてる?朝食の時間よ」
ハルネの声だった。
「あ、はい!今出ます!」
カケルは急いで服を整えると、ドアを開けた。廊下に立つハルネは、昨日と同じ魔導士のローブを着ている。だが、よく見ると髪がきちんと整えられ、化粧も薄く施されている。
「おはよう。よく眠れた?」
「えーっと…まあ、なんとか」
実際のところ、カケルはあまり眠れていなかった。光文字が一晩中頭上に浮かんでいたし、隣の部屋からは「マッハボイスってなんだ?」「永遠の愛って何歳の時に書いたんだ?」といった声が聞こえ続けていたからだ。
「それじゃあ、一階の食堂に行きましょう」
二人は階段を降りていく。一階の酒場兼食堂には、既に何人かの客が朝食を取っていた。商人風の男性、冒険者らしい武装をした女性、そして…
「あ」
全員の視線が、一斉にカケルに注がれた。正確には、彼の頭上に浮かぶ光文字に。
『高校時代、一人で公園のベンチに座って月を見上げながら「俺って詩人の素質あるよな」とつぶやいていた』
『その時の詩「月よ、お前は俺の心を理解しているか」』
「………」
静寂。
そして、一人の冒険者が噴き出した。
「ぷっ…あはははは!『月よ、お前は俺の心を理解しているか』って!」
「やめろおおおお!」
カケルは顔を真っ赤にして叫んだが、もう手遅れだった。食堂中の客が、彼の黒歴史を見て笑い始めていた。
「詩人の素質って、本気で思ってたのか?」
「いや、でも意外と味があるかも」
「暗黒詩人って、どういう意味だ?」
「やめてくれええええ!」
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朝食後、ハルネはカケルを街の外れにある魔導学院の支部へと案内した。二階建ての石造りの建物で、看板には「アルティア魔導学院支部」と刻まれている。
「ここで、あなたの能力について詳しく調べてもらうわ」
「能力って…あの恥ずかしい詠唱のこと?」
「そう。『暴露詠唱(アーク=コンフェッション)』の実戦応用なんて、前例がないもの」
支部の中は、本と魔法の道具で溢れていた。受付にいた中年の男性魔導士が、カケルを見るなり目を輝かせた。
「おお!これが昨夜のブラッドウルフ殲滅事件の!」
「え、もう話が?」
「魔導士のネットワークは早いのよ」ハルネが苦笑いを浮かべた。「それに、あなたの光文字、結構遠くからでも見えるから」
受付の男性——名前はグレン・マクドナルドといった——は、興奮気味にカケルの周りを歩き回った。
「素晴らしい!実に素晴らしい!暴露詠唱の実戦応用とは!しかも、これほど強力な雷撃魔法を!」
「あの…そんなに珍しいことなんですか?」
「珍しいなんてものじゃない!」グレンは手をひらひらと振った。「暴露詠唱は、通常は法廷での自白や、宗教的な懺悔の儀式にしか使われない。それを戦闘魔法として応用するなど、理論的には可能だが実践した者はいない」
「なんで?」
「決まっているじゃないか!」グレンは大げさに両手を上げた。「自分の秘密を大声で叫ぶなど、普通の人間には耐えられん!社会的な死を意味するからな!」
カケルは深くうなずいた。確かに、昨日から既に社会的に死にかけている。
「しかし、君は違う」グレンは感心したように言った。「なぜ、そこまでの羞恥に耐えられるのだ?」
「え…えーっと…」
カケルは答えに困った。正直に「中二病時代に散々恥ずかしい思いをしたから慣れてる」とは言えない。
「まあ、それは後で詳しく聞くとして」グレンは手を叩いた。「まずは実技テストをしてみよう!」
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支部の裏にある訓練場で、実技テストが始まった。標的は木製の人形。グレンとハルネが見守る中、カケルは人形の前に立った。
「では、何か適当な暴露詠唱を」
「適当なって…」
カケルは困った。昨日使った黒歴史は、もう光文字として晒されてしまっている。新しいネタを出さなければならない。
「えーっと…」
頭の中で、封印していた記憶を探る。中二病時代の恥ずかしい思い出は山ほどあるが、どれも人に知られたくないものばかり。
「俺が…高校一年の時に…」
カケルは意を決した。
「『俺の哲学ノート』っていうのを作ってて、そこに『人生とは何か』とか『愛とは何か』とか、めちゃくちゃ偉そうに書いてたことがあります!」
瞬間、カケルの手から雷撃が放たれた。木製の人形は跡形もなく粉砕される。同時に、空中に光文字が浮かんだ。
『高校一年時作成「俺の哲学ノート」』
『第一章:人生とは何か —— 生きることの意味を求めて』
『第二章:愛とは何か —— 真の愛を見つけるための哲学的考察』
「うわああああ!章立てまで出てくるのかよ!」
「おお!」グレンは手を叩いて喜んだ。「威力も申し分ない!しかも詠唱内容の詳細度が上がると、魔法の精度も向上するようだ!」
「威力はともかく、恥ずかしさが増してます!」
ハルネも興味深そうに光文字を眺めていた。
「『真の愛を見つけるための哲学的考察』…どんな内容だったの?」
「聞くなあああああ!」
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テストは続いた。グレンは様々な角度から、カケルの能力を分析していく。
「今度は、もう少し軽い内容で試してみたまえ」
「軽い内容って…」
カケルは考えた。あまり恥ずかしくない黒歴史はないだろうか。
「俺が…中学の時に、好きになった子に渡すつもりで手紙を書いたけど、結局渡せなくて机の引き出しに隠してたことがあります」
小さな雷撃が発生した。威力は先ほどの半分程度。
「ふむ。恥辱の度合いと魔法の威力は比例するようだな」
「当たり前でしょ!恥ずかしければ恥ずかしいほど、魔力が増すんですから!」
「では、逆に最大威力を出すにはどうすれば?」
「そ、それは…」
カケルは青ざめた。最大威力を出すということは、最も恥ずかしい黒歴史を詠唱するということだ。それだけは絶対に避けたい。
「い、いえ!それだけは勘弁してください!」
「なぜだ?」
「だって…本当にヤバいやつを詠唱したら、俺の人生が終わります」
グレンとハルネは顔を見合わせた。
「どのくらいヤバいの?」ハルネが恐る恐る聞く。
「えーっと…」カケルは言葉を選んだ。「たぶん、この街の人全員が笑い死にするレベル」
「それは…確かにヤバいわね」
「だが、いざという時のために、その威力を知っておく必要があるのでは?」グレンが提案した。
「絶対イヤです!」
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昼食後、三人は街の中央広場に向かった。そこには大きな掲示板があり、冒険者たちの依頼が張り出されている。
「せっかくだから、実践で能力を試してみましょう」ハルネが提案した。「簡単な魔物退治の依頼とか」
カケルは掲示板を眺めた。
『ゴブリンの群れ退治 —— 報酬:銀貨20枚』
『盗賊団討伐 —— 報酬:金貨2枚』
『古代遺跡の調査 —— 報酬:金貨5枚』
「ゴブリン退治が無難かしら」
「待ってください」カケルが慌てた。「俺、戦闘経験なんてないですよ?昨日だって運良く勝てただけで」
「大丈夫」ハルネが微笑んだ。「私がサポートするから」
「でも、また恥ずかしい詠唱をしなきゃいけないんでしょ?」
「それは避けられないわね」
カケルは深いため息をついた。この世界で生きていくためには、戦うしかない。戦うためには魔法を使うしかない。魔法を使うためには…
「分かりました。でも、できるだけ軽い黒歴史でお願いします」
「努力はするけど、相手の強さによるわね」
こうして、カケルの冒険者生活が始まった。
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ゴブリンの巣は、街から南に一時間ほど歩いた森の奥にあった。洞窟の入り口から、緑色の小さな人型の魔物が数匹顔を出している。
「あれがゴブリンか」
カケルは緊張していた。昨日のブラッドウルフよりは小さいが、やはり魔物は魔物だ。
「ゴブリンは知能が低いから、正面突破で大丈夫よ」ハルネが杖を構えた。「私が補助魔法をかけるから、あなたは雷撃で」
「は、はい」
カケルは深呼吸をした。そして、比較的軽い黒歴史を思い浮かべる。
「俺が…中学三年の時に、クラスの女子に『俺と付き合わない?』って書いた手紙を渡そうとして、間違えて男友達に渡しちゃったことがあります!」
雷撃が洞窟に向かって放たれた。ゴブリンたちは一瞬で感電し、倒れる。
『中学三年時、告白の手紙を男友達に誤配達』
『相手の反応:「お前、俺のこと好きなの?」』
「うわあああ!余計な情報まで!」
「あら、意外とかわいいエピソードね」ハルネがクスクス笑った。
「かわいくない!めちゃくちゃ恥ずかしかったんです!」
洞窟の奥から、さらに多くのゴブリンが現れた。今度は武器を持っている。
「第二波ね。もう一発お願い」
「えーっと…」
カケルは次の黒歴史を探した。軽いやつ、軽いやつ…
「俺が高校の時に、体育の授業でサッカーをやって、めちゃくちゃ張り切ったのに、一度もボールに触れないまま終わったことがあります!しかも最後に『俺、結構活躍したよね?』って言っちゃいました!」
再び雷撃。今度はより多くのゴブリンが倒れた。
『高校体育・サッカーの授業にて』
『プレイ時間:45分、ボールタッチ数:0回』
『試合後の発言:「俺、結構活躍したよね?」』
「それは…確かに痛いわね」ハルネが同情的な目で見た。
「同情しないでください!」
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ゴブリン退治は無事成功し、二人は街に戻った。依頼の報酬として銀貨20枚を受け取ったカケルは、ようやく異世界に来て初めての収入を得た。
「これで、宿代を返せますね」
「気にしなくていいって言ったでしょ」ハルネが微笑む。「それより、あなたの能力のことで相談があるの」
「相談?」
「魔導学院の本校から、研究員が来ることになったの。あなたの暴露詠唱について、正式な研究をしたいって」
カケルは不安になった。
「研究って…まさか、もっと恥ずかしい詠唱をさせられるんじゃ?」
「それは…たぶん」
「うわああああ!」
「でも、研究が進めば、もっと効率的な詠唱方法が見つかるかもしれないわ。今みたいに毎回新しい黒歴史を使わなくても済むようになるかも」
それは確かに魅力的だった。このまま冒険を続けていたら、いずれ黒歴史のストックが尽きてしまう。
「分かりました。協力します」
「ありがとう」
二人は銀月亭に戻った。夕食の時間で、食堂には多くの客がいる。そして、相変わらずカケルの頭上には光文字が浮かんでいた。
『中学三年時、告白の手紙を男友達に誤配達』
『高校体育・サッカーの授業にて、プレイ時間45分・ボールタッチ数0回』
「あ、暗黒詩人さんだ」
「今日はどんな詩を詠んだんですか?」
「告白の手紙を間違えるって、どんな状況だったんです?」
客たちが興味深そうに声をかけてくる。カケルは顔を赤くして俯いた。
「もう…慣れるしかないのかな」
「大丈夫よ」ハルネが優しく言った。「みんな、悪意があるわけじゃないから。むしろ、親しみを感じてるのよ」
「親しみって…」
「だって、誰でも恥ずかしい思い出の一つや二つはあるもの。あなたのを見てると、『ああ、自分だけじゃないんだな』って安心するのよ」
確かに、周りの客たちの表情は嘲笑ではなく、どこか温かい笑顔だった。
「そういうものですかね」
「そういうものよ」
カケルは少しだけ、この世界での生活に希望を感じ始めていた。
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その夜、カケルは窓辺に立って二つの月を眺めていた。光文字は相変わらず頭上に浮かんでいるが、もう慣れてきた。
「俺の黒歴史で、この世界を救う…か」
昨日は絶望的な気分だったが、今日一日を過ごしてみて、意外と悪くないかもしれないと思い始めていた。確かに恥ずかしいが、その分強い力を得られる。そして、その力で人を助けることができる。
コンコンコン。
ドアがノックされた。
「カケルさん?まだ起きてる?」
ハルネの声だった。
「はい、今開けます」
ドアを開けると、ハルネが心配そうな顔で立っていた。
「大丈夫?今日はいろいろあったから」
「ええ、まあ。慣れるしかないですし」
「そう…」ハルネは少し躊躇うような素振りを見せた。「あの、一つ聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
「あなたの詠唱内容って、全部本当のことなの?」
カケルは苦笑いを浮かべた。
「残念ながら、全部本当です。一つも嘘はありません」
「そう…」ハルネの表情が複雑になった。「それって、すごく勇気がいることよね」
「勇気って言うか…もう開き直りですよ」
「でも」ハルネが真剣な目で言った。「自分の一番恥ずかしい部分を晒してまで、人を守ろうとするなんて、誰にでもできることじゃないわ」
「そんな大それたこと考えてませんよ。ただ、生きるために必要だから」
「それでも」
ハルネは微笑んだ。
「私は、あなたのこと尊敬してる」
「え?」
「本当よ。今日、ゴブリンと戦った時も、恥ずかしがりながらも最後まで戦い抜いた。それって、すごいことよ」
カケルは照れて頭をかいた。
「そんな風に言われると、なんか気恥ずかしいですね」
「明日から、もっと大変になるかもしれない。でも、私はあなたを支えるから」
「ありがとうございます」
ハルネが部屋を出て行った後、カケルは再び窓辺に立った。頭上の光文字が、月明かりに照らされて輝いている。
「明日は、どんな黒歴史を詠唱することになるんだろう」
少し不安だったが、同時にちょっとした期待もあった。この能力を使って、どんな冒険が待っているのか。
「よし、明日も頑張ろう」
カケルはベッドに向かった。明日からの新しい人生に向けて、しっかりと休息を取るために。
頭上の光文字は、まだしばらく輝き続けていた。
『俺の哲学ノート —— 真の愛を見つけるための哲学的考察』
『告白の手紙を男友達に誤配達事件』
『サッカー45分間無接触記録』
「やっぱり恥ずかしいなあ…」
カケルの呟きが、静かな夜に響いた。